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完全

作者: 鈴木美脳

【称賛】


 忘れもしないあの日、いつもと変わらない毎日を生きていた私は、道行くトラックにひかれて転生しました。

 見知らぬ土地、見知らぬ空のもとで目を覚ました私は、しだいにそこが異世界だと知りました。


 というのもここでは、私はすごい力持ちであるらしいのです。

 あるとき、荷物が重くて困っている人がいて、代わりにひょいと持って運んであげたら、人々は驚いて、すごい力持ちだと、称賛に包まれました。


 そして、ここでの私は、とても賢いとも見なされています。

 何かちょっとした工夫を思いついて人々の社会生活に助言をしたり、道具を作るアイデアを話すと、みな私の考えに感心してくれるし、その成果をおおごとであるかのように喜んでくれます。


 それに私はどうやら、美しいらしいです。

 不思議なことに私はここでは、外見が美しいことで有名なのです。

 私の美しさは、この世界での知人達の一致した見解であるようですし、あるいは初めてたずねてきた人が感動して息を呑んで、我を忘れて瞳を潤ませているのを見ると、こちらのほうが恥ずかしくなってしまいます。

 人々は、世に稀な奇跡だとまで、私をたたえます。


 この世界での私は、まるで万能です。

 苦手なこと、不得意なことというのが、偽りなしに思い当たりません。

 何をやってもその成果は喜ばれ、感謝され、尊重されます。

 正直なところ、元の世界で生きていた頃より、ずっと生きやすいです。


【変化】


 この異世界に転移してから、やがて、数年が経ちました。

 充実した毎日を送るなかで、かつての記憶が、わずかずつですがおぼろになります。

 万能であるかのように称賛されている私は、あの世界でも万能だったでしょうか。

 いやつまり、あの世界での普通の能力がこの世界ではたたえられますが、実際に起きているのは、それだけでしょうか。


 ふと、鏡を覗き込む。

 自分のことを美しいとは言わないまでも、確かに、人々の言うように、悪くはない気はします。

 あの世界で生きていた頃よりも、外見が整っているのではないでしょうか。

 考え事をしてみても、整理されていて建設的です。昔よりもずっと賢くなっている気がします。

 力仕事を手伝ううちに、いつの間にやら、大岩も難なく持ち上げられるようになっています。

 私はきっと、あの世界を生きていた頃とは、だいぶ変わってしまっています。

 そして私は、変化していく自分を、受け入れています。


【贅沢】


 この世界での暮らしは楽です。

 その気になれば、きっと私は私の外見のみによって、生涯に渡って丁重に扱われ、衣食を提供されて飢えることがないでしょう。

 すれ違う誰もが、私と目が合えば晴れ渡るような笑顔になります。その日そのとき私とすれ違えた幸運に喜びを感じているかのようです。意見や立場の違いがときとしてなくはありませんが、ほとんどのとき、ほとんどの人がここでは私の味方です。

 人々が私の味方であり、つまり社会が私の味方であり、ならば大地までもが、鳥や木々までもが味方であるかのように感じられます。

 生まれてきてよかった、生きていて楽しい、この異世界で、私はそう言い切れます。


 しかし、人間とは贅沢なものです。

 何もかも与えられていると言えるはずの私の心は、まだ何かを求めています。

 それは言いようのない心のわだかまりであって、自分自身でも始めは気づきませんでした。

 その疑念が相当に大きくなっても、私はまだそれを言葉にできずにいました。

 でも、今になってやっとわかります。私は、自分自身の何を誇るべきか迷っていたのです。

 何を誇るべきか? それが自分自身への根源的な問いかけでした。


【道化】


 私の外見は、世に二つとないとまでたたえられています。

 「かわいい」、「きれい」、「かっこいい」、そんな言葉を何千回も浴びてきました。洪水のような好意のなかで、自覚できないほどの利益を得てきました。

 しかしそうではない人も、ちまたには存在します。


 この世界に初めて転移して、右も左もわからずに困っていた私に、自分のための食事を分け与えてくれた、貧民街の子供。顔の半分にはアザがあって、あるとき、それを侮辱されて泣いていたね。

 それだけではなく、この世界には無数の人々がいます。外見を褒められる人ばかりではありません。外見ではむしろ損をしてきた人だってたくさんいて、みんなが支え合ってこの社会が存在しています。

 そんな世界にあって、私がもし自らの美貌に満足して、単に幸運によって受け取ってきた利益を自覚しなかったら、道化のように滑稽ではないでしょうか。


 ちょうど同じことが、私の筋力や体力、知識や知性についても言えます。

 世界には無数の人々がいて、そのなかには、私よりも苦しい暮らしをしている人もいます。あるいはきっと、私より若く死んでしまった人だっています。

 私が言える一つの言い訳は、私は努力をしてこなかったのではない、ということです。


 私はむしろ、人並み以上の努力をしてきました。

 体力についても知力についても、それを磨くことを怠ったことはないし、身だしなみについても、世間に失礼のないように気を遣って生きてきました。

 私よりも努力をしてこなかったであろう人を、見かけることはできます。そしてその人の何らかの短所を、努力を怠った結果の自業自得に帰することはできます。

 私はいつだって猛烈に努力をしてきました。努力こそ、私の何よりの才能だったと言えるかもしれません。

 しかし世界のすべての苦楽を、自業自得に帰することなどとてもできません。


 人間の社会には峻厳な権力構造があります。

 地位の高い人々にも、そうでない人々にも、たくさん会ってきました。

 優れた人ほど地位を得るだなんて、たまにしか言えません。

 人の世で地位を得る第一のコツは、恥知らずであること、派閥とイジメに徹底すること、目先の利益だけを夢中で追い求めること、そんなところです。

 模範的な父親や模範的な母親は、経済全体の合理性から見れば、きっと欠陥品なのです。

 優しい人がこぼす涙を、私は何千回も見てきました。


 そんな世界で、知力だの体力だの美貌だのと言ったところで、何の価値があるというのでしょうか。


【心】


 もしも私の知識に価値があるとするなら、優しい人がこぼす涙を何千と見て、その一つとして忘れてはいないこの思い出。

 もしも私の体力に価値があるとするなら、困っている人を見かけたときに、貸し借りではなく、当然のこととして手助けできる、その心根。

 もしも私の外見に価値があるとするなら、既存社会の矛盾を知り、理不尽な苦しみに耳をそばだてて、恐れるものなく相愛の理想を貫こうとする、情緒の発露。

 つまりもしも私の心に美しさがあって、心の美しさが外見の美しさを構成する部分がもしあるのであるなら、それを私が自ら誇るとしても、道化ほどに滑稽だとまでは、必ずしも言えないでしょう。


【完全に美しいもの】


 世に生きて、財産を築く。

 努力して、家族を守る。

 それらを誇ることは、自然な人情です。

 しかし一段上から眺めれば、その誇りは道化のように滑稽です。


 行為は動機に由来して、動機は利己か利他かです。

 もしも愛の上限が家族愛であるなら、家族愛は満足するに値します。

 しかしそうでない以上は、徳の重みは自己犠牲の属性と隔てては測られません。

 博愛の理想によって、世俗的な我欲は断罪されつづけるのです。


 人よりも美しい服を着て、それを喜ぶことの意味は何でしょう?

 私はふと立ち止まって、その意味を考えます。

 人よりも裕福であることは、誇るに値するでしょうか?

 人よりも高い地位にあることは、誇るに値するでしょうか?

 人よりも幸福な人生を生きることは、誇るに値するでしょうか?

 するわけはないと、結論されます。


 結局、形あるすべての価値は本質的には虚しい。

 そして最後に残るのは、本心からの自然な優しさをたたえた人柄。


 それが私が見つけた、完全に美しいもの。


 動物のなかにも、植物のなかにも、石ころのなかにだって、それはありえます。

 だから当然、どんな地域のどんな立場の人にだってそれはありえて。

 本心からの自然な優しさをたたえた人柄。

 その道を生きた人生の一つ一つは、城を築いて滅んだ王族達より、ずっと尊い。


 宇宙がいかに広いとはいえ、これ以上の何がありえよう。

 未来がいかに栄えるとはいえ、これ以上の何がありえよう。


 だから私は、美しくあるためにこそ努力をしよう。

 いつか風雨のなかで滅びるとも、美しさのために生きたことに、満足しよう。

 真に誇るに値する唯一のもの、真に愛するに値する唯一のもの。

 その問いかけはやっと解かれて、ひらかれた異世界は、ふるさとのようでした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 美しさとは、美しくあるために行動した結果ついてくるもの。 これ読むと、一時期のなろう主人公の薄っぺらさが見えてくるね。 凡そ考えうる全ての才を持っていてなお、大切なものに気付くことが出…
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