1-8 相容れない愛
危なそうな人と対面した未来。
敵ではないとわかっているが、どう見てもこの人は普通ではない。どうしたらいいかわからず、身構えたまま動かない。
すると隼人が顔を出し、客人を視認する。それと同時――
「未来、今すぐ扉を閉めろ。挟まっても構わん」
「え?」
「いいから早くしろ!」
「は、はい!」
「ちょおー待て! 止めてください、痛いから! 本当に挟まなくていいから!」
右腕を挟まれて悶絶する男へ隼人が歩み寄る。
かつて弥生さんに向けたような恐ろしく冷たい、鬼神にも似た嫌悪の表情を露わにしていた。
未来に扉を開けさせ、金髪の青年を見下しながら、凍るような低い声で言う。
「何の用だ?」
「久しぶりに会いたくなっちゃって〜……あと金貸してくれ」
その単語を聞きとった刹那、隼人は右足を高く掲げ、そのまま踵を青年の脳天へ振り落とす。
さらに容赦なく、蹲る青年の肩をスリッパで踏みつける。
「は、隼人くーん? 踵はダメだって言ったよねぇ、忘れちゃったのかなぁ?」
「貧乏神に用はねえ、逆に金返せ」
「ほんっと情けの欠片も無いな! 親友だろ?!」
「腐れ縁の間違いだろ」
次々と織り成される親しげな掛け合いに全くついていけず、未来は思わず水を差す。
「えっと、何のショートコントですか?」
それでようやく落ち着いたのか、隼人は足を離す。
青年はよろよろと立ち上がるが、すぐさま何もなかったかのようにへらへらと笑い出す。
「いや。本当のことを言うといろいろ用事があるんだよ。その1つが、そこのお嬢ちゃんについてかな」
「わたしですか?」
そうだよと頷き、未来の頭に手を置く。
「オレは紅麗 和彦。後ろにいるのが双子の妹の夏雅っていう。よろしくな~」
☆
なんだかんだでお昼時となり、せっかくなのでと紅麗兄妹を含めてみんなで瀬見のご飯を頂くことになった。
隼人は依然機嫌が悪いままである。紅麗への食事すら防がんと邪魔を働いたが、
「あくまで客人です!」
と瀬見さんに一蹴され、机に上半身を倒して拗ねている。
宥めようと未来は笑いかけるが、そっぽを向いて渋々自分のチャーハンを貪っている。
一方の客人は満悦の極みといった憎たらしい笑顔で隼人を眺め、ミルクたっぷりのコーヒーを啜っている。
その後ろで妹の夏雅が瀬見へ謝っているが、当の本人は意に返さない。
「で、お嬢ちゃんが隼人の新しいパートナー?」
「はい。二条 未来と申します、今後ともよろしくお願いします」
深々とお辞儀をする未来に感心し、見比べるように隼人へ目を移す。
「あんだよ」
あからさまに怒りを含んだ声で返すと、紅麗は呆れたように溜め息をつく。
「お前なぁ。こんなにしっかりした後輩ができたというのに、社交辞令のひとつもできない先輩って。メンツ立つのか。未来ちゃん? あなたは先輩に恵まれない可哀想な娘だね。何かあったらすぐオレに言いなさいな?」
「おい」
「アハハ……」
なんとなく柔らかい空間だが、未来は馴染めない。
まず、訪ねてきた紅麗兄妹についてまったく知らない。隼人の態度からして……毛嫌いはしているがきちんと応接していることから、割と親しい関係にあると推測し、その答え合わせをした。
「紅麗さんは……隼人センパイのご友人でしょうか?」
「腐れ縁。舎弟。永遠に相い容れない厄病神」
「せめて友達とか言ってくれ……」
「いい加減きちんと説明しましょう。二条さんが困っています」
くだらない悪態の連鎖に呆れたのか、無言を貫いていた夏雅がようやく口を開く。
「私と兄さん。そして隼人は高校時代の同級生です。現在は職業こそ違いますが、こうしてたまに会って情報共有をしたりしています。隼人はいつも嫌そうな顔をしていますが、友人の少ない彼にとって貴重なのでしょう。ときどき食事のお誘いもしてくれるのですよ?」
「待ってオレ誘われたことない。夏雅ちゃんそれ詳しく」
「夏雅、余計なことを言うな。あとそれ一回だけだろ」
夏雅は変わらず凛とした表情で座り……ドヤ顔にも見える。嬉しそうなので隼人も怒れずにいる。
今日の隼人はいつになく肩身が狭そうだと未来は感じた。
「で、何の用だ?」
「ああ、そのことだけどなぁ……」
突然、笑っていた紅麗の目が据わる。ここからが本題だと言うような真剣な目つきで、和んでいた空気が瞬時に乾く。
未来は思わず生唾を飲み、重要な話を聞き逃すまいと身を固めた。
「最近裏ルートで動きがあった。海外絡みの組合だったから警戒はしてたが、どうやら革命軍の本体……ではないが、その一部が日本に密国したらしい。武器も少なからず仕入れてる。近いうちに派手なドンパチが起こるやもしれん」
武器、ドンパチ──そして革命軍。
次々と飛び出す物騒な言葉に身震いする。すなわち、無縁と聞き流すことのできない案件なのである。
そしてそれを易々と口にする紅麗。
容姿、口調、そして胸元に仕込まれている──拳銃。分析眼を持ってすれば一目でわかる。
まさかとは思っていたが、この人の正体はもしや……
「な、何者なんですか。紅麗さんは……?」
「ちょいとお家がヤのつく職業でね。オレはその後継ぎで夏雅は補佐。どう? それっぽくない?」
そう、ニヤニヤしながら胸ポケットに手を伸ばす──慌てて未来は立ち上がって後退する。
強張った表情を紅麗が見つめ……ていたが、それは崩れてやがて腹を抱えて大笑いを始めた。
手に持っていたのは、拳銃ではなく煙草。箱から一本取り出し、ライターで火をつけ、上を向いて天井へ煙を吐いた。
「いやあびっくりさせてすまん。あんまり真面目そうな娘だからついからかいたくなっちゃって」
あんまり笑われるので、未来は言い返すこともできずむくれた表情のまま席に戻る。
呆れて隼人も肩をすくめて言う。
「これが紅麗って奴だ。無性に腹が立つだろう? あと室内は禁煙だ」
「はい。隼人センパイが毛嫌いする理由もわかった気がします」
「え、ひどい……」
「今のは兄さんの自業自得です。反省してください」
渋々と煙草の火を、瀬見から受け取った灰皿へ押し付け、火を消した。
そして目線は、変わらず未来へと向けられていた。
「しかしさすがは戦闘員様。僕ら非戦闘員とは育ちが違いますわ~」
「戦闘員じゃない……とは?」
紅麗が拍子抜けした顔で隼人を見ると、隼人は知らんと言わんばかりに首を横に振った。
「こいつ養成学校の出だから、一般社会を知らないのかもしれん」
「ああ、なるほどな」
紅麗は苦笑いし、少しだけ真面目な表情へと移り変わる。
「あー、未来ちゃん。日本の能力者には大きく分けて2つの生き方があるんだよ。1つは君らのように警察の一部となり、GSOのメンバーとして働くタイプ。一般的に戦闘員、ガーディアンと呼ばれる。そしてもう1つは国から少々の支援を頂いて、戦わずに保護されているタイプ。非戦闘員、保護能力者……ウェイストは差別用語として禁止されてるけど、俺は後者ね」
これは世界的に見ても珍しい制度であり、日本が平和と呼ばれる象徴ともいえる。
どちらになるかは自由とされており、本人の意思で決定することができる。
例えばD級やC級の能力者。彼らは基本的に戦いを得意とせず、かといって強制的にGSOの構成員と職を定めるのは自由の侵害とされ、このような制度が取られた。
世間での認知度は非常に高く、問題視されることもしばしばである。
戦闘員を育てる養成学校ですべての教養を得た未来にとっては疎遠な知識であり、いつの間にか教育課程から抜け落ちてしまったのだろう。
同時にその常識を知らなかったことに気づき、未来は急に恥ずかしさを覚えた。
「すみません。世間知らずで……」
「いやいや。おしゃべりなお兄さんが、東東京初心者にあれこれ教えてあげてるだけ。ゲームの案内役の妖精みたいなもんだよ」
「それにしては随分とうさんくさい妖精だな」
「はいそこ話を折らない。……そういえば、保護されてる側として有名なのって言ったら花園の姐さんだな」
花園……どこかで聞き覚えのある名字だが、はっきりとは思い出せず、未来は首をかしげる。紅麗は続ける。
「東東京エリアに2人の特級能力者がいる。ひとりはもちろんGSO日本最強の道師の旦那。そしてもうひとりが花園 小百合って女。花園邸っていう下町のでっかい屋敷に住んでるらしいんだけど、顔は見たことないし能力も特級ってこと以外は一切不明。あまりにも謎だらけなことから、そもそもいないのでは? とか言って都市伝説めいた話になってるとか。もちろん会ったことはないけどそりゃ美しい女なんだってよ。一目見てみてえな!」
「俺は面識あるけどな。あの女はロクなのじゃない、顔も合わせたくない」
表情には紅麗に向けられたような嫌悪があるが、それとは少し違う。
憂いのような、なにか複雑な感情が混じっているような気がして、深くは踏み込まなかった。
一方の紅麗は初耳だったようで、ここぞとばかりに突っ込む。
「マジかよ! どんなだった、やっぱり美人? それともカワイイ系?」
「見た目はかなり美人だな。どこぞのバカと違ってお淑やかで胸もあっ……!」
どこぞの、とはあったがそれが自分だと瞬時に理解した未来は、素早くテーブルの下にある隼人の脛を蹴りつけた。もちろん踵で。
「踵は無えだろ踵は……」
「フンッ!」
「自分は小さい方が好きっすよミキちゃーげふっ!!」
「せみゆーさんは黙っててください!」
フォローにきたはずの瀬見は拳によって倒され、未来の前に2人の男が痛みに悶絶する、という光景ができあがっている。
それを目の当たりにした紅麗と夏雅は思わず青冷める。
「げ、元気なお嬢さんだな。隼人……」
「ああ。元気すぎて困ってるところだ……」
☆
「じゃあ情報が入り次第また来るな。未来ちゃん、隼人をよろしく!」
「任せてください、きっちりシメときま痛いっ!!」
「調子に乗るのもいい加減にしろ」
仕返しをするかのように隼人の拳が未来の脳天に直撃し、縮んだように床へしゃがむ。
その姿を見て客人の2人は微笑し、その場を後にした。
気がつけば外はすこしずつ光を失い、夕方から夜へと移り変わろうとしていた。
ひんやりとした風が吹き、すぐに扉を閉める。……リビングはさきほどまでの賑やかさは無く、瀬見の料理をする音だけが響いている。
それとも、よほど彼がうるさかったのか。
黙っていた隼人が口を開いた。
「あいつは普段あんなだが、戦闘員並みに戦えるし東東京にも詳しい……まあ、頼れる奴だ。もし俺に何かあったら紅麗たちに助けを求めろ。すぐ駆けつけてくれるさ」
横顔は決して嫌悪のようなものはなく、それどころか若干緩んだものになっている。
それが照れだと判断した未来はニヤリと笑い、顔を近づけて言う。
「へぇ~。隼人センパイってホントツンデレですよね〜」
「ああ? また殴られたいのか?」
「うう……女性に暴力を振るう男は嫌われますよ!」
「てめえはガキだからいいんだよ」
頬を膨らませて隼人を睨む。彼はそれに失笑し、そっと─ー手を頭の上に置いた。その手は大きくて温かい。どこか幼少の頃を思い出させるような、優しい感触だった。
「ま、これから東東京に慣れていけばいいさ。明日はちょうど巡回の仕事だ。少し見て回るか」
「は、はい……」
「2人とも、ご飯ですよー」
瀬見が声をかけ、2人は自分の席へと座った。
まだ少女にはわからないことだらけだ。東東京の現状も、本当の争いも。未だこの肌に触れたことはない。
それでも、それだからこそ少女は成長していく。多くを見ることになる。
たくさんのものに触れ、少女が得るのは進化か。あるいは大きな変化か。
こうしてまたひとり、運命の地へと足を踏み入れる──
これにて第一章完結です。物語の導入というよりは、未来と隼人についてより掘り下げてゆくという章でした。
この二人がどういう人間で、今までどんな生き方をしていたのか、まだ全容は明かせませんが少しでも分かっていただければ幸いです。
次回からは第二章「高校封鎖編」をお楽しみください。