1-6 歩き出す
「あなたの能力は”視力強化”。Cか、悪くてD級の能力でしょう。残念ですが、戦闘員になるというのは諦めた方が……」
5歳の頃、能力診断に行ったときに担当医に言われた一言だった。
わたしには夢があった。
幼い子なら誰もが思い描く、正義のヒーローになって悪を倒したい。そのためにわたしは地方の戦闘員養成学校に通うことを決意した。
その直後に突きつけられたのが、この現実だった。
少女には重すぎる一撃だった。
思い描いていた夢が、目を輝かせて語っていた将来の姿が、こんなにも早く打ち砕かれることになるとは。
担当医は申し訳なさそうに俯き、わたしを連れて来てくれた小母さんは今にも泣き出しそうな表情を浮かべ、わたしを抱きしめていた。
しかし何故だろう。この中にいて、絶望を突きつけられてもなお心が折れなかったのは、わたし本人だけだった。
幼いわたしの中には根拠のない自信があった。わたしならできる、絶対に立派な戦闘員になれる。
今思えばそれは、能力者社会の概念を知らなかったからこその自信だったのかもしれない。
6歳、市立の小学校ではなくGSO付属の養成学校初等部に入学した。
最初はとにかく厳しく、残酷なものだった。
周りに同等かそれ以下の能力者はおらず、皆何かしらの戦闘に向いた能力を持っていた。養成学校とはそういう場所だったのだ。
筆記試験や基礎体力では並以上だが、能力を使った組手は話にもならず、圧倒というよりも蹂躙。
為す術もなくボコボコにされる日常。教官から見ても痛々しいものであった。
周りからは当然蔑んだ目で見られた。
自分たちが目指しているエリートの道に転がる汚い石ころ。もはや人として扱うことすら放棄された。
理解者もおらず、ただひたすらに孤独に耐える。屈辱に耐える。毎日増える生傷の痛みに耐える。
普通の少女ならとっくに精神崩壊を起こしていただろう。
それでも退学させなかったのは、当の本人は一度も諦めるような表情を見せなかったから。
自分の立場に悲観していなかったから。その目が輝いていたから、そっと見守ろうと教官内での暗黙の了解となった。
そしていつからだろう。わたしの能力は単なる視力強化ではなく、情報を分析し処理するものであったことに気がついたのは。
誰よりも勉強し、自分の能力を理解し、活かす方法を探し続けた。
その結果、彼女は銃を握り、体術武術を学び、戦闘の基礎を誰よりも身体に浸みこませた。
そしていつからだろう。周りを圧倒し、他を寄せつけない強さを手に入れたのは――
☆
「おっと、また雲が増えましたね」
冷静な台詞とは裏腹に、声に一抹の焦りが混じる。
リロードが少ないところは予期していたが、その圧倒的な火力には感服せざるを得なかった。
横島は既に息を切らしているが、未来の変化を感じ取り、今度こそ勝利を確信したとばかりに高笑う。
「ハハハハハッ! いくら視えるといっても数で押されれば避ける方法は無い。諦めろ、俺の勝ちだァッ!!」
「さすがにまずいですね……では、一気に決めにいきます!」
未来の動きはまたも突飛なものだった。一度足を止めたかと思うと、全速力で横島へ向けての突貫を始めた。
横島は怯みつつも雷撃をコントロールし、未来めがけて頭上から撃ち落とす。
疾る――敵との距離はおおよそ1メートル。近接攻撃を恐れて構える横島を横目に見る。
ピシャリ、と雷の落ちる音が聞こえた瞬間、未来は地面へ滑り込む。睨む横島へ向けて、言った。
「ところで先輩、落雷から安全に対処する方法をご存知ですか? 空から降り注ぐ落雷は、あたりで一番高い所に落ちるんです。しかしここは平地の模擬戦場。一番高いのは立っている人だけになります。今までわたしに落ちるようにコントロールしていたみたいですが、物理法則は捻じ曲げられないと推測しました。すなわち、わたしめがけて飛んできた落雷がわたしより高いものがあったらどこに落ちると思いますか?」
「なっ……まさか、これを狙って――」
勢いよく落下した雷は、避雷針となった横島へ集まり、そのすべてを浴びた。
しかしこれでは放出していた電気を戻しただけ。当然彼には何のダメージもない。
「それが奥の手か! こんなもの、痛くも痒くもないぜ!」
「はい。ここまでが第一トラップ。そしてあなたの体内に貯蔵できる電気もほぼ満タンでしょう。あとどのくらい入りますかね?」
「ハッ。ここにもう吸えるほどの電力は……おい待て、それは反則だろ?!」
「あとでちゃんと謝ればセーフです!!」
「やぁめぇろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」
未来の構えるレーザーガン。その銃口は横島ではなく、天井――造られた雷雲より上に隠れていた、戦場を照らす照明。
1発、2発と照明へ命中させる。機材ごと落とすのではなく、電気だけが漏れ出すように、針の穴に糸を通すような射撃。
未来の能力だからこそできる芸当である。
貯めきれなくなった電気は横島の身体に電撃となって襲いかかり、おそらく彼の感じたことのない感覚――感電による麻痺が彼を蝕んだ。
「そ、そんな……痛い、痺れる。これが、感電、なのか……」
もはや動くこともままならない横島に、未来は至って笑顔で、ゆっくりと歩み寄る。そして優しく語りかける。
「どうですか? 今まで散々放ってきた電撃のお味は? 痛いですか? 気持ちいいですか?」
少女は笑顔で問い詰める。
声色もまるで今日の夕食を聞くような、無邪気なものだった。しかして、その心中は決して穏やかではない。
そう、これは獲物を捕らえた狩人の目。
彼女はとても真っ直ぐで純情な性格の持ち主だ。それ故に、裏表のない純粋で直線的な怒りは相手を怯ませる――加えて残念なことに、彼女は意地が悪い。
言い方を変えれば、いい性格をしているのだ。
その真っ直ぐで純粋な悪意にあてられ、横島は顔を真っ青に染め上げ、笑顔を引きつらせていた。
「わ、わかった。降参だ。バカにしたことは謝る。だからこれ以上は――」
「わたしには謝らなくて結構です。C級弄りは慣れているので。わたしが怒っているのは宇田川先輩のことです」
銃を投げ捨て、指をポキポキと鳴らし、固く拳を握る。
逃げたいにも関わらず、身体はまだ動かない。蓄電もオーバーヒートしていてまともに使えない。
ここから先は、制裁一択である。
「あぁ。あぁぁぁぁぁぁぁ……」
「わたしは、人の真剣な行いを笑う人間が大嫌いなんです!!!」
ゆっくりと、そして繊細な動きで小さな拳を構え、全体重を乗せて腹部に叩きこんだ――
ぐぇぇっと、断末魔のような声を上げて意識を失い、白目を剥いてその場に崩れ落ちた。
一瞬の出来事。模擬戦場は静寂に包まれ、その結末を理解するのに少々の時間がかかった。誰がこの結末を予想しただろうか。
悪名として東京でも名高いA級能力者。横島 大和。個人の実力は上位にあり、大抵の人がその強さを認めていた。
その男を屈服させ、お調子者の顔に泥を投げつけたのは――
『勝負あり! 勝者、二条未来!』
弥生のアナウンスが入ると、はっとした大勢のギャラリーが歓声を上げた。その多くは驚きと、未来を称える声だった。
「横島がやられたぁぁぁぁぁぁぁぁぁ?!」
「C級がA級に勝った! 何だあの新人は?!」
真っ先に飛び出してきたのは、横島を取り巻いていた男たち。必死に声をかけているが完全に伸びていることに気づくと、1人が横島を抱え、未来の方へ向き直った。
「その、悪かったな……うちのパートナーが迷惑掛けちまって。それとありがとう。最近のこいつ、負けなしで天狗になってたから。俺たちじゃこいつには勝てなかった、鼻をへし折ってくれてありがとうな」
どうやら横島の取り巻きはそこまで悪い人間ではなかったようだ。3人とも新人の少女相手に頭を下げ、謝罪の意を示してくれた。
本部に来てひとつ、大きな仕事をしたのだと、未来は少し得意気な気分に浸っていた。
「しかし本当にすごかったな。本当に新人かよ?」
「はい! 宇田川先輩の頼れる後輩、二条未来です!」
「頼ったことは無い」
「どうわぁぁ?! 宇田川先輩?!」
アナウンス室から降りてきた隼人はひっそりと未来の後ろに立ち、少し怒りの混じった目で上から睨んでいた。
「なーに設備壊してやがる。修繕費は誰が払うと思ってんだ、もう少し周りのことも考えろ」
台詞の割には弱く優しいゲンコツが未来の頭にあてられ、その態度に思わず目を白黒させる。
「す、すみません……?」
隼人は――今日で未来の実力を知った。
彼女はただの新人などではなく、並々ならぬ努力と前を向き続ける強い心を持った、立派な戦士なのだと、認めざるを得なかった。
だが、隼人にとってその生き様はあまりに眩しすぎた。アウトローといえば聞こえはいいが、結局は横島と同じ人種なのだ。
そんな人間が、こんなに明るく素直な人間を直視できるだろうか?
素直に褒めることすらも、彼にとっては難しいことだった。しかし言わなければならない。
そのジレンマの中、ようやく言葉が絞り出せた。
「……よくやっ」
「未来たそー!!」
「……た」
その頑張りは、喜びを前面に出し、強く未来を抱きしめる弥生によって遮られた。……やるせない怒りが湧き上がってくるのを必死に抑える。
「凄いねぇ未来たそ! A級相手に圧勝だよ。さすがは期待の新人、アキラくんのお気に入り~」
「いえそんな……それより宇田川先輩、何か言いかけませんでしたか?」
「何も言ってない」
「ええ~絶対言ってました!」
「言ってない」
「騒がしいと思ったら、これは一体何だ。弥生」
一切の気配も出さず未来たちの前に現れたのは、仕事を終えて本部へやってきた道師だった。
ひどく冷たい目つきが弥生をじっと見つめ、彼女はその威圧感に気圧され、未来の後ろに隠れた。
「いやーこれはなんというか、揉めてたから仲裁したというか、公式戦を取り付けたといいますか……」
「そうか。解決したならいい」
「普通に許してくれるのね、アキラくん優しいっ」
即座に態度を変えて隣へ舞い戻ってきた弥生を無視して、道師は二人の新パートナーを見る。
「早速揉め事か?」
「そ、そうです! そこのヨコシマって人が宇田川先輩にケンカをふっかけて……!」
「何故お前が代わりにやった? これは隼人と横島の問題。お前が戦う道理が無い」
冷淡に低い声で、論理的に問いかける。
彼のいうことはもっともだ。今回は彼らの問題。決して安易に首を突っ込んでいい案件ではない。
実際、隼人も関係ないと言っていた。
未来の出る幕などどこにも無かった。それを冷静になった現在、もう一度考える。
「それは……」
助けを求めて隼人の方へ視線を流すが、彼は目を瞑り無言で肩をすくめた。もうどうでもいいと言いたげな表情だった。
……否、一つだけある。
「わたしのパートナーが、バカにされたからです!」
道師の彼女を見る目が一層険悪になり、ぐいっと距離を詰める。その距離は30センチに満たない。
「アキラくん。ここは穏便にお願い……弥生にも責任があるから」
弥生がフォローしようとするが、道師は右手の甲を見せ、静止させた。
そして、未来を見る目がようやく緩んだ。
「……お前はまだ新人。血の気が多いのは結構だが、もう少し控えろ」
「……はい。気をつけます」
くしゃっと頭を撫で、口元に笑みを浮かべてみせる。
その優しさに溢れた、愛しむような瞳は数秒前とはまるで正反対。くすぐったいような、むず痒い感情に襲われた。
☆
申請も終わり、ようやく帰る時間がやってきた。
外へ出るや否や、隼人は大きく伸びとあくびをした。それを未来はジト目のまま、無言で眺める。
「なんだよ」
「いえ。長い1日だったなあ、と」
気づけば外はもう夕日のオレンジ色に染まり、ビルの合間から差し込む日差しが眩しい。
……これを見て、隼人は何を思ったのだろうかと、考える。
パートナーだと言い張ったが、やはりまだ日は浅い。少しずつ彼のことを理解していけるのか、正直なところ、不安が残っている。
そんな気も知らず、隼人は颯爽と駅に向かって歩き始めた。その背中を、未来は慌てて追いかける。
「さっさと帰って飯食うぞ。未来、瀬見さんに連絡入れといてくれ」
「了解で……え? 今名前で……」
「なんだ、悪いか?」
ハッキリ言って、今日一番で驚いた。あの頑固で大人気ない隼人が名前で呼んでくれた。
それは未来にとってこの上ない喜びだった。さっきまでの杞憂がバカバカしく思えるほどに、素直にうれしかったのだ。
一瞬間が空いてしまい、慌てて大きな声で返事をする。
「いいです! むしろ超絶大歓迎です! じゃあ私も隼人さんで!!」
「ダメだ」
「いいじゃないですかぁ〜! お願いしますよぉ~!」
「あーもう。うるせえな」
明らかに面倒そうに、溜息混じりに答えた。が、隼人の中に湧き上がってくる、よく分からない温かな感情。
自分で抑えることはできず、勝手に口元が緩んだ。
――少しずつだが、2人の距離は確実に縮まっていったのだった。