1-2 関係は亀のように
「紹介しよう。彼が今日から君のパートナーになる、宇田川隼人だ」
未来は盛大に絶望した。
まさか自分の組むパートナーが、最初に出会った『常識のない大人』なのだから。
当然隼人も同じリアクションをとっていた。
未来の動きは途端に固くなり、冷や汗を垂れ流しながら、目の前に座る道師さんに問いかける。
「あ、あの。先輩方は皆優しいと仰っていましたが」
「例外もいる。そういうことだ」
「何故彼なんですか?!」
「何だ、知り合いか? 他に空きがなかったんだ。先程も言ったが、許してくれ」
「うう……そんなぁ」
未来が悲しみに暮れていると、隼人は彼女の隣に立ちはだかり、道師を睨みつける。
「俺も同意見だ。何で俺がこんなクソガキと組まなきゃならねんだよ、絶対にごめんだ」
「私はガキじゃありません! 今月で16になるんですよ!」
「マジかよ、てっきり中学生かと思ってたぜ。そんなまな板装備してっから」
「まな、板……」
養成学校の頃、あまり仲良くない男子に言われたことがある。
「もうすぐ高校生にもなるのに、何故そんなに小さいのか。まな板女」と。
当時は意味を知らなかったので問うと、彼は親切丁寧に教えてくれた。
胸の脂肪が乏しい、いわゆる貧乳のことを指す。と……。
隼人の物言いは、未来の堪忍袋を一撃で斬り裂いた。顔は一気に紅潮した。
押し殺していた本性が殻を破り、暴走を始めた。
礼儀正しく品位のある少女はどこかへ投げ捨て、本来の姿を現したのだった。
「私だって好きで小さいわけじゃありませんから!! 本当に非常識なんですね、いったいどうやったらそんなに脳内お花畑になるんですかぁ?!」
「な――ガキのくせに偉そうなこと言いやがって!」
「だーかーらー! もう高校生なんですって!!」
「高校生はまだガキだっつーの」
歯軋りをし睨み合う様はさながら犬のケンカのようで、ひたすらぎゃんぎゃんと吠え合っている。
とても初対面とは思えないほどの険悪っぷりである。一度入口で会ったので二度目だとしてもやはりひどい。
聞きあぐねた道師はテーブルを強く叩き、ふたりを静止させた。
ただでさえ希薄な表情をしている道師の顔は、子どもが見たら思わず泣き出しそうなほどに怖い。
当然未来は怯え、隼人も顔を引きつらせ、目を逸らす。
「確かに嫌かもしれん。だが、任務によっては苦手な相手と協力するケースも十分にある。ここはひとつ、上手くやってくれないだろうか」
それはもはや提案というよりも命令。
例え言葉は優しくてもその灰色の瞳にはほんの少しの怒りが混じっている。
これ以上はまずい。未来と隼人は直感し、口を閉じた。
「では詳しいことは隼人に聞いてくれ。後は頼んだぞ。ああそれと、パートナー申請は今週末までに提出に来るように。よろしく頼むぞ」
☆
これから住む家は支部から徒歩で20分と決して遠くは無い場所なので、歩いて向かうことにした。
道すがら未来が聞いたことは、そこはなかなかお高めのマンションの一室で、そこの家主はGSOの人たちを積極的に支援してくれる人だという。
住まう家と家事をこなす代わりに報酬をもらって生活しているらしい。
いわゆるホームヘルパー、家政婦(夫)という職業だ。
その人はとても温厚な男性で料理も上手いらしい。隼人はただ一言「気をつけろ」とだけ注意を促した。
未来には何に気をつけるのか、皆目見当がつかなかった。
そうこうしているうちに、家の前に辿りついた。
「綺麗なマンションですね。ここに3人で住むんですか」
「不服じゃないのか?」
「いえ。わたしは物分かりのいい賢い娘なので」
「お前ホントに生意気だな」
「ですが、どうして戦闘員の皆さんはバラバラに住んでいるのでしょうか。集合マンションとか近くに住んでいた方が何かと便利じゃないですか?」
ありきたりな質問に突然、隼人の目の色が変わり、視線を空に流した。
深く息を吐くと、溜め息を零すように言った。
「2年前。戦闘員が集まって住んでたマンションが突如襲撃された。マンションは炎上。死傷者もかなり出た。俺は運よく外出してたから、助かっちまったわけよ」
「そんな事件が……知りませんでした。宇田川先輩は、そのとき――」
友達を失ったのか。そう聞こうとして口を噤んだ。
隼人の横顔を見ると、その事件は何かしらの思い出があるのだろう。
そして、深追いするのはやめた。いくらキライな先輩といえど、そこまで傷つける必要はない。
「その、イヤなことを思い出させてしまったなら、すみません」
「いいさ、もう割り切った話だ。飯用意して待ってくれてるだろうから、早く行くぞ」
「は、はい!」
どうにもいまは触れられないが、いつかは直面することになるだろう。
そのときはどんな顔をすればいいのか、などと真剣に考える。
しかし彼と組むのも少しの間。早く解散して別の人と組むのだから関係ない。そのはずだ。
なのに、どうしてこんなに胸が痛むのだろう。
「お邪魔しまーす」
はーい、という爽やかな男性の返事が聞こえると、すぐさま玄関へ駆けつけてきた。
その人は声の通り爽やかな印象の青年だった。
歳も隼人くらいで、身長も近い。何故こうも雰囲気が違うのは、おそらくミントグリーンのエプロンをつけているからだろう。
「今日からお世話になります。二条 未来と申します。ええと、これつまらないものです……が?」
突然青年が膝から崩れ落ち、床に這いつくばったまま動かない。
どうしたのかと声をかけようとした瞬間、その両手を高らかに掲げ、叫ぶ。
「うおおおおおおおおおおおおおおおお! 女子だああああああああああああああああああああ! 女子高生だぁあああああああああああああああああああああああああ!!!」
「言ったろ。気をつけろって」
「あ、アハハ……」
「ようこそ東京へ。遠いところからひとりでやってきたんでしょう? 偉いですね~感動しちゃいます~」
「いいから上がらせてやれよ、困ってんだろうが」
ハイテンションについていけないのを察してか、隼人が軽く青年を殴って無理やり止めると、青年は反省しつつ丁寧に中へ案内してくれた。
中はもちろん綺麗なリビングで、隅々まで掃除が行き届いていると一目でわかる。
ここに住めると思うと、純粋な嬉しさが溢れ出した。
ふと鼻を刺激する匂いがして目を向けると、昼にも関わらず豪華な食事が立ち並んでいた。
思わず「おお~っ」と感嘆の声が漏れる。
「今日は就任祝いとはじめましてということで、腕を振るいました!」
「これ全部手作りなんですか?! すごいです、えーっと」
「あ、そういえば自己紹介がまだでしたね。改めまして、瀬見勇っていいます。気軽に、せみゆーって呼んでください!」
「はい。よろしくお願いします、せみゆーさん!」
家主の瀬見とも仲良くなったところで、楽しい楽しいお食事パーティーが始まった。
☆
「ごちそうさまでしたー! 本当においしかったです!」
「お粗末さまでした。お口に合ったようでよかったです~」
嬉しそうに笑う瀬見が、数時間前に女子高生が来たことに狂喜乱舞していたかと思うととても信じられないが、普段はこんな感じなのかと安心する。
それでも滲み出ている普通ならざる喜びは、未来に若干の不安と恐怖を与えていることに、本人は気づいていない。
「瀬見さん」
「はいはい。いつものですね」
そういって立ち上がり、専用のコーヒーメーカーを台所から引っ張り出すと、本格的なコーヒー作りが始まった。
豆を挽き、砕いたものをフィルターに移動させ、上から円を描くようにお湯を注ぎ、お店にありそうなマグカップに移し、ソファに寝そべる隼人のもとに届けられる。
その妙に手慣れた作業に、未来は驚きを隠せずにいた。
「せみゆーさん、コーヒーも淹れられるんですね」
「ええまあ。ミキちゃんも飲みますか?」
「はい。是非! 砂糖とミルク入りで」
「ハンッ」
ソファから聞こえた嘲笑を未来は聞き逃さなかった。即座に睨みつけ、その恐ろしい形相のまま声を荒げてオーダーした。
「やっぱりブラックで! 濃いめで!」
「張り合わないでいいっすよ。隼人くんもからかわないでくださいよ~」
「別に笑ったわけじゃねえ」
なんとも大人気ない態度にまたも未来に火がつき、隼人の前に立ち塞がった。
「初対面のときから言ってますけど、子どもじゃないんです。子ども扱いしないでください!」
「そういう台詞は子どもしか言わねんだよ」
「ぐぬぬ……こんな適当で無礼な人が社会人だなんて、にわかに信じられません」
「そりゃどうも。もともとこういう成りでね」
「ほんっっっとに! 一体どんな親に育てられたらそうなるんですか?!」
ぴくりと頭が動き、唐突な沈黙が訪れる。
ただゆっくりと立ち上がるだけの仕草が殺気を纏っている。未来の表情に焦りが滲む。
未来を見下ろし、冷ややかな目線で囁くように言った。
「俺の親は、能力者になった途端に俺のことを恐れ、縁を切った。当時は能力者への理解が浅かったから、こういうのも少なくなかった。それからGSOに拾われるまでクソみたいな生活してたよ。万引きも喧嘩も、縄張り争いも毎日やってた。これで満足か?」
やってしまった、と未来は青冷めた。
いくら嫌いな先輩とはいえ、先程と同じように容赦なく墓穴を掘ってしまった。
こんなことをされたら、殺されてもおかしくない……
「す、すみませ――」
「俺なりに苦労して生きてるってことだよ。同情しろとは言わねえが、もう少し他人のことも考えろって話だ」
未来を横切り、自分の部屋へ戻ってしまった。
リビングには重苦しい空気だけが残り、未来の中には言いようのない、形のないモヤが生まれた。
言葉の責も、ムキになってしまうのも――無礼なのは、自分の方ではないのか?
「あんまり気にすることないっすよ。そんなに怒ってないみたいですし。本気で怒るときは大声で怒鳴るんですよ?」
「そうなんですか。それなら、まだいいんですけど……」
沈む未来を宥めるべく、オーダーされたコーヒーを差し出す。
ありがとうございます。と微笑し、テーブルに座って一口飲んだ。
温かさが喉を通り、お腹の中から温めてくれるようで、ほっと息が零れ、心が落ち着いた。
「美味しいです。ありがとうございます、せみゆーさん」
「どういたしまして。それに、隼人くんが自分の話をするなんて本当に珍しいんですよ? もしかすると、彼なりにミキちゃんと距離を縮めたいのかもしれませんね」
「そうなんですか……それにしてもわかりにくすぎますっ」
「ハハッ。隼人くんはツンデレですから」
口を尖らせる未来に微笑み、立ち上がる。
隼人のマグカップを回収しつつ、台所で洗い物を始める。
未来も立ち上がり、まだ段ボールに仕舞われている私物を漁ろうと部屋に戻った。
☆
翌日。パートナー申請書を提出すべく、東支部ではなくGSO日本本部へと出発した。
なんでも今日は本部で仕事があるらしく、そちらまで来てほしいと昨晩電話で伝えられた。
最寄りの駅まで歩く最中、隼人が切り出した。
「あー。昨日は悪かった。なんというか、言い方? てか……」
昨日瀬見が言っていたことは正しかった。
形はどうあれ、宇田川 隼人はそのねじ曲がった根性を認め、罪の意識を持っている。
自分が思うほど悪い人ではないと、未来はこの瞬間に確かに感じ取った。
ならば、自分も刺々しい態度はやめようと決心した。
「はい。ありがとうございます」
「だが俺だけが悪いわけじゃない。お前も謝れ」
「なっ……せっかく見直しかけたのに、何故そんなこと言っちゃうんですか?!」
「うるせえ。いいから謝れ!」
2人の距離は亀のようなスピードで縮んでいる。まだまだ、時間はかかるだろう。