1-1 二条未来
20**年。日本。
景気や情勢に多少の波はあれど、今日も争いのない平和な時間が流れていた。
少なくとも、あの『災厄の日』が来るまでは――
瞬間、人々は太陽の光だと錯覚した。
ただ、それにしては異常なほどに紅く、目に映る肌が紅色に見えるほどに濃い。
血に濡れたと錯覚しそうになるが、痛みは無い。よく見ればそれは人だけではなかった。
ビルも、電車も、道路も、ガラスに反射する光が赤だと認識したとき、人々は空を見上げた。
――あまりに不気味な光だった。それは太陽とは別の位置で光り輝き、陽光を呑みこまんとする勢いだった。
人という人。街という街。国という国が驚き混沌とした。
それに反して歓喜し興味を示したのは世界中の学者たちである。
あまりに非科学的な現象、夢だったのでは錯覚するような出来事に何かと根拠を求めたがる彼等であったが、どの仮説も核心には至らないものであった。
そしてその光は思わぬ形で、新たな混沌の始まりとなった。
その日を境に、世界中の人々が何らかの異能を開花させた。種類は実に個性が溢れ、その力もまた大きな個人差があった。
世間はそれらの力を持った人々を総称して《能力者》と呼んだ。
興味を示した学者や医者たちがチームを作り、能力者を徹底的に研究し、その共通点、原因を血眼にして探し求めた。しかし、それも決定的なものはなく、不発に終わった。
即ち、彼らはこれらの現象を『神秘・奇跡』と呼ばざるを得なくなったのだ――
能力者が世間へ根付いてくると同時、人間離れした力を恐れた一般人は彼らの人権迫害を始める。
同じ人間とは思わぬ残虐な差別を繰り返してきた。
職にもつけず、かつて仲の良かった友人たちも、世間の空気に乗せられて距離を置き、社会から切り離されていった。
そんな現状を打開すべく立ち上がった能力者らは《革命軍》と名乗るテロ組織を築き上げた。
その悪行は見るに堪えないものだった。
様々な都市に神出鬼没に現れては無害な人々を虐殺。そのまま姿を消してしまう。
ひどいものでは都市が一つ消え去ったという事件もあった。
王と名乗る能力者は世間に宣言した。
『無害な、ただ一方的に与えられた力を悪だと決めつけ、世間の隅に追いやった貴様らを絶対に許しはしない』
と。世間を震え上がらせた。
革命軍にとらわれず、単体で暴動を起こす能力者まで現れ、世界政府は対応に追われる。
国際連合は革命軍に対抗すべく、一つの組織を立ち上げた。
能力者管理統括国際組織。通称《GSO》
正義の心を持つ能力者たちで結成され、戦う者を戦闘員と呼称した。
彼らはすぐさま世界中の能力者関連の事件の弾圧に取り掛かった。
目には目を、歯には歯を、能力者には能力者を。
戦力の底は不明だが、GSOは確実に力を強め、革命軍を倒すことが充分に可能な組織となった。
あの光から20年。能力者はついに全世界で1000万人を越えたと発表された。
時間が教えてくれたことといえば、能力者の子どもはまた能力者になる確率が極めて高いこと。
時間が経てば経つほど、事態は悪化していくのだということくらいだった。
革命軍、GSOともに規模を拡大し、両者の実力は互角程度。
以前に比べればこそ世界の治安は回復している。
それでも全てが無くなることは不可能。未だこの日本でも頻繁に騒動は起こっていた。
特に東東京エリアは毎年多くの事件が報道される。人口が多いから、といえば説明はつくが、だとしても異常だ。
そんな混沌埋めく都市に、ひとりの少女が降り立った。
☆
満員電車に揺られる。肩と肩が触れ合うほどに人の距離が近く、背中もまた囲まれている。
いままでに経験したことのない人混みに戸惑いながら、目的の駅の名前が呼ばれるのを待つ。
『次は、渋谷。渋谷』
「あっ降りまーす」
人の波に呑まれながら電車を降りる。前が見えずに歩くのは少しばかり怖く、小さな体を人の間に割り込み、掻き分けながら歩く。
目的地に一番近い出口に出られたのが幸いし、すぐに辿りつくことができた。
日本GSO 東東京支部。本部に比べれば面積こそ小さくはあるが、縦に長く伸びたガラス張りのビルは、何とも都会らしい風貌だ。
高さに威圧され、少しだけ不安になる。
今日からここに勤める、日本一忙しいといわれるここ東東京。そこに新人の戦闘員が配属されるなど、異例中の異例。
処刑にも等しいと養成学校の先生が言っていた。そんなところでうまくやっていけるのだろうか。
「いや、できる。私はここでGSOの戦闘員として頑張るんだ!」
少女は自らを鼓舞し、気持ちを引き締める。
真っ赤な長い髪をポニーテールにまとめ、サファイアを連想させる大きくて澄みきった碧眼を輝かせ、最初の一歩を踏み出す――
「ガキがこんなところで何やってんだ?」
背後からかけられた声に肩をビクつかせ、振り返る。
身長の高い、目つきの悪い青年。紫色の髪から覗くその目は、獲物を捉えた獅子のそれのようだった。
ここに用事があるということは、彼は戦闘員。
あまりの威圧感に言葉を失うも、我に返って言葉を返す。
「だ、第三養成学校からここに配属されました。二条未来と申します! これからお世話になります!」
「あっそ。まあ頑張れよ」
「えっ。あの、あなたは……」
呼び止めようとしたが、完全に無視して中へと入ってしまった。
普通はここで名乗り返し、挨拶をするのが常識だ。
それなのにあの青年はその一切をせず、去ってしまった。
茫然としていると、行き場のない怒りがふつふつと湧き上がってくる。
「なんなんですかあの人! 非常識にも程があります。本当に大人なんですか?! それにガキって、わたしは今月で16歳なんですよ!」
地団太を踏むが、ここが支部の前だったことに気がつき、コホンと咳払いして切り替える。
どうせ同じ支部というだけだ、関わることも少ないだろう。
改めて、その一歩を踏み出した。自動ドアを潜り、受付へ向かう。
きっちりとした服装のキレイなお姉さんが笑顔で対応してくれた。そう、これが正しい大人だと再確認する。
「今日から配属される二条です。代表はいらっしゃいますか?」
「二条様ですね。はい、最上階の私室にてお待ちしております」
「ありがとうございます。それでは失礼致します」
完璧だ、と満足げにガッツポーズを決める。
配属が決まってから昨日まで、都会に出ても恥ずかしくない立派な女性になるため、何から何まで訓練してきた。
死角などないと自信を漲らせる。
エレベーターに乗り、最上階のボタンを押す。
ゆっくりと上昇を始めると、後ろの壁がガラス張りになっていることに気づき、外を見渡す。
そこには高い建物が多く並び、下には蟻のように小さく見える人々が不規則にわらわらと動いている。
像の前で立っている者や、せかせかと走って移動する者。それぞれがそれぞれの目的のために動いている。
これが東京。ここが私の守るべき街。そう考えると、武者震いがする。心臓の奥が熱くなる。
「よーっし、頑張るぞ!」
ちょうど扉が開き、廊下の最奥に部屋がある。
深呼吸し、二度ノックする。中から「入れ」という低い声が聞こえたのを確認し、ゆっくりと扉を開ける。
「失礼します。第三養成学校から新任配属されました。二条未来と申します」
「遠路ご苦労だった。顔を上げてくれ」
言われた通り顔を上げると、そこには未来の憧れる人物のひとりがいた。
道師彰。
日本GSOの総責任者である道師 輝也の実の長男にして、現在は東東京の戦闘員代表を任され、多忙な日々を送っている。
おそらく日本の戦闘員では最強と謳われる人でもある。
何度か養成学校でも遠目に見たことがあるし、その名を知らない者はおそらく日本にはいない。
色白な肌。真黒な髪に灰色の瞳は左が前髪に隠れ、線の細い身体は黒のスーツを纏い、厚めなロングコートを羽織っている。落ち着いているような、どこか怪しげな雰囲気を放つ男だった。
「時間より少し早かったな。良い心がけだ、これからも忘れずに取り組んでほしい」
「はい。精進致します」
緊張感がありながらも柔らかな口調で話す彼は、まっすぐに未来を見つめる。
顔をひきつらせ、肩が縮みあがっているのを見ると、苦笑して言う。
「さて、堅苦しいのはこんなものだろう。楽にしていいぞ」
「いえそんな! 道師代表の前でなんて」
「一応、養成学校時代のお前を知っている。こういうのはあまり好まんのだろう? あと私のことは道師でいい。あまり慣れていないからな」
「……では、お言葉に甘えて」
来客用のソファへ腰掛け、辺りを見回す。
机には山積みになっている資料。壁際にはファイルや本が几帳面に並べられている。道師の性格が現れるような、とても整った部屋だ。
机の後ろはガラス張りで、東京を一望できる。まさに『支配者』のみぞ眺める光景だ。
「さて。さっそくだが東東京の概要とルールについて軽く説明をしよう」
「はい。よろしくお願いします!」
「いい返事だ。まず、ここは日本で一番能力者関連の事件が多いことは知っているな? 近年は警備の徹底的な強化により減少こそしたが、まだ少ないとはいえない。他の地域に比べて数倍は忙しいと思うが、大丈夫か?」
「もちろんです。覚悟の上で推薦を受けました」
「よし。ここは中堅からベテランの戦闘員が多い。わからないことがあったら、遠慮せずまわりの先輩に頼るといい」
大げさに首を縦に振り、好奇心と無邪気さが混じったような目で道師を見る。
それを確認し、話を続けた。
「次に戦闘員のルールを説明する。うちでは二人一組制を採用している。生活の段階から必ず2人で動き、緊急時に即座に対応できるよう、日頃から心がけてほしい。その肝心なパートナーだが……初めてにしては相当癖のある奴と組ませてしまった。申し訳ない」
「いえいえ。新人ですので、いろいろな人と組んだ方が勉強になりますからね。頑張りますっ」
「ああ、健闘を祈る。そろそろ来ると思うのだが、どうやら遅刻しているようだ」
遅刻か、と未来は呆れる。社会人にも関わらず、こうして時間をルーズに過ごすとは情けない。
ふと、入口で会った青年が頭を過ぎる。そんな人が何人もいるなど……頭が痛い。
すると、唐突な扉の開く音に沈黙は破られ、道師は呆れたようにそちらへ目を向け、未来も遅れて向き直った。その目に映ったのは――
「ノックくらいしろ。新人が驚いているだろう」
「うっせえな。オフを潰されたんだぞ、気分だって悪くなんだろーが」
「あ、あなたは……!」
「あ? お前、さっきのガキか」
未来の中に最悪のシナリオが完成した。間違いなく、彼はーー
「紹介しよう。彼が今日から君のパートナーになる宇田川隼人だ」