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終わる世界の為に。或いは、僕と彼女について。

作者: 薫楓

空を眺めると、二匹の小鳥が戯れるようにして飛んでいた。何度か僕の頭の上を旋回し、そして遠くの空へと去っていく。

視界から二匹の小鳥が消えてしまうのを、ガードレールに凭れながら眺めて煙草に火を付けた。

君達は仲が良さそうでいいな。なんて一人ごちて紫煙を吐き出す。

バスが来るまではまだ時間があった。

携帯のメールボックスを開いて、昨日の夜に結花から届いたメールを探す。

探す、なんて事本当は必要無くて彼女の為に作られたフォルダの一番上にそのメールがあるのは知っていた。

読んだら涙が出そうだから、また携帯を閉じる。

一体何をやっているんだ、僕は。もう25にもなって。

小鳥が飛び去った空の事を思う。僕は置き去りにされた気分だった。


煙草の根元まで灰になってしまいそうになった位に、バスがやってきたので僕はそれに飛び乗った。

文字通り、目的地なんてどこでも良くて結局どこへも行けやしないのだろうという事も解っていて遠くを目指したかっただけだ。

バスはJRの駅まで僕を運んでくれる。

揺られながら窓の外へ視線をやると、やはり其処には美しい空が広がっていてそんな空の更に上にたった一個の大きな石が飛んでいる事を思うと

不思議な気分になった。そうだ、たった一個の石が落ちてくるというだけの事なんだ。

僕はそれを彼女へ何度も伝えた。そして、僕と別れて自分の好きなように生きたいという彼女を何とか説得しようとしたのだけど。

愛情は無かったのか、それともあったのか。そんな事を考えると気が狂いそうに滅入る。

例えば僕は最後の瞬間に結花の側にいたいと思っていたけれど、彼女は違った。

最後の瞬間について考える事が無ければ結花も僕の側に居てもいいと思っていたのだろうか。

或いはそれはきっかけでしか無かったのか。

わからない事は、永遠にわからないままであればいいのに。そうすれば僕もそれについてあれこれと思い巡らす事なんて無いのだろう。

わからないんだ、それは。僕には永遠にわかるはずの無い事なんだから。


JRの駅でバスを下りた僕はこの先、一体何処へ行けばいいのかを考える。

結花の家までは2駅。

携帯のメールを開く。昨日から何度も読み返したから内容は頭に入っているというのに、懲りずに。

涙が出そうだというのは大げさな表現では無い。ともすればこの駅のまん前で大の大人が泣き出してしまう事だってありえるのだけど。

一体何がそんなに悲しいのだろうか。

始まりがあって、終わりがある。入り口と出口みたいなものだ。その程度の事じゃないか。

子供じゃあるまいし、終ってしまった事に縋っても仕方ないと自分に言い聞かせようと試みた。

いや、違う。終ってしまう所なんだろう、きっと今は。

そしてそれはどうにかすれば終らなくて済むかもしれない。昨日の彼女の言葉を全て信じるのなら、いったい僕達が終らなければならない理由なんて

どこにも見あたら無いじゃないか。

僕は2駅分の切符を買って改札の中へ向かった。


ホームから結花に電話を掛ける。1コール、2コール、3コール。

取ってくれないはずは無い。何故かそれは確信出来ていた。


「もしもし」


結花が電話口に出たと同時に僕は「今から行くから」と言った。

電話口に出てくれるところまでは確信していたけれど、彼女が僕と会うなんて事は考えられなかった。

考えても、それはとても難しい事のように思える。昨日別れを切り出したのは彼女だ。

そして、僕がそんな彼女に会いたいという事は、彼女に取っては面倒なことでしかない。

上手くとれなかったセーターの解れみたいなものだ。そんなもの必要でないのに。


「・・・別にいいけど。じゃあ駅前の噴水のトコに行くわ」

彼女は、少し間を置いてそう言った。その間に一体何を考えていたんだろうか。

昨日別れ話をしていた相手と次の日に会うという心理状況は一体どういうものなのだろう、と思う。他人事なら。

少なくとも僕をケースとして取り上げるなら、縋るような気持ちだった。女々しくて吐き気がする位に。

「うん、何時位に来れそう?」

「30分後には家を出れると思うから、4時過ぎ位には着くわ」


「わかった、じゃあ4時過ぎに」そう言って電話を切った。

彼女が、僕と会ってくれる事が単純に嬉しかった。

まるで昨日の事など無かったかのように、いつも通りの電話だった。


そもそも、僕達はお互いが嫌になって別れるという選択肢を選んだ訳では無かった。

原因は今も僕の頭の上の空の、そのまた上にある大きな石のせいだったのだ。



「私、自由に生きる事にした」

彼女は突然そんな事を言い出した。「自由に生きる、って?」と聞くと

「文字通りよ。何にも縛られない、後悔しない生き方を貫こうと思うの」と言って、瞳を伏せた。

僕には未だその意味が判らなかった。つまり、唐突過ぎて事態を飲み込む事すら出来なかったし、彼女の言葉に込められた意思も

理解出来なかった。

「とりあえず、別れましょう」

「とりあえず、って問題なの、それは?」

彼女は突然顔を上げ、僕の瞳を真っ直ぐに見据えて言った。

「だってあなたって自由から遠いんだもの」

「自由から、遠い?」

僕の言葉に頷いて、彼女は続けた。

「例えばさ、世界はもう後何ヶ月で終ってしまうって言うのに、どうして私達はこんな風にいつも通りに向かい合わせてカフェでコーヒーなどを啜らないといけないわけ?

そういうの、詰まらないと思わない?」

「だって、それも終るか終らないかなんて判らない事じゃないか。判ってるのは、どうしようも無い隕石が一つ、地球に落ちてくるって事だけだろう」

それは先週に唐突に発表された隕石のことだった。

見つかった時にはもう手遅れで、破壊する事も軌道を変える事も、もう不可能なのだという。それが落ちて来る前提で世界は時を刻んでいる。

映画みたいだ、と思ったけれど映画のようにそれを破壊する為に何かしらの計画なり、作戦なりを考えられるような状況では無いらしい。

「これから私達は一体、どうすればいいんでしょうか?」と真顔で聞くキャスターに米国の大統領は「今こそ人類の力を合わせる時です」などとのたまっていた。

力を合わせれば、どうなるなんて言葉は続かなかった。「諦めないで、現状と戦うのです」なんて言葉が一体僕達一般市民の指針に成り得るとでも思ったのだろうか。

馬鹿馬鹿しい、と溜息を吐いたコメンターは無意識に「あー、もう終わりなんですね」なんて言って顰蹙を買っていた。

終わり、の実感。そんなものは無かった。それでも後数ヶ月で世界は終る、らしい。

今朝のニュースでは金持ちの間でシェルターが飛ぶように売れていると言っていた。先月までは月に1台出るか出無いかだった商品がこの一週間で40台も売れたとメーカーの広報が

話していた。後数ヶ月で生産出来る数には限りがある、と。

僕達は「プレミアの付いたシェルターなんて、アホらしい」という話しをしていた。

その時彼女は「あの人達は世界が終わるまでシェルターを作り続けるつもりなのかしら」と言ってその言葉について何か考えているような様子だった。


「終ってしまったらどうするの?」

彼女は語気を強めて言った。

「だって、私達が一緒に過ごすにしても後数ヶ月の話じゃないのよ。そんな限られた時間にあなたがこんな風に変わらない日常を望むのなら私はついていけない」

そう言って、僕達に気まずい雰囲気が訪れた。

「仕事だってあるんだから、あなたが自由に出来る時間って本当に限られてるのよ?夏休みと土日祝日の休みそれ以外の時間はどうせ一緒にいられないんだし」

彼女は一瞬躊躇って、そして言った。

「やっぱり、別れるべきよ」

僕は彼女の言葉に頭が真っ白になった。カフェを出て、家に帰り、彼女が送ってきたメールに「さようなら」という文字が並んでいるのを見て、ようやく冷静に

全てを整理し、理解出来たのだった。

そして実感が襲ってきた。僕はそれを回避出来たかもしれないのに、誤ってしまったのだろう。

そして、そんな下らない事で失える程彼女の存在は軽いものではない。

言ってしまえば、僕がこの日常を何とか維持するための糧だったのだから。

結花と会える時間の為にその他の時間を切り売りして金を稼いでいたというだけなのだ。いや、違う。金を稼ぐ事は二次的な要素で、結局本当の理由は違う。

上司の説教や顧客の愚痴、理不尽な要求を乗り越えてなんとかここまで歩いてこれたのは結花の存在が支えだったと言ってしまってもいい位だ。

自分の事だけを考えるなら、そんなものは投げ出してしまっていたかもしれない。結花と対等に、少なくとも社会人として対等に向き合う為に

それらを背負ってでも歩いていられたのだ。

失ってしまえば僕の日常から目的が失われたも同然だった。

彼女がいないのなら、僕はただ僕のあるままに立ち尽くしてしまうかもしれない。背負った荷物が重すぎるのならそれを捨ててしまうかもしれない。


「限りある時間」

結花の言葉が頭の中でリフレインしていた。世界が終るのが後数ヶ月先だとして、僕はそんな状態からいつ立ち直れるだろうか?

そして、残された時間は一体どんな意味を持つのだろうか。そんな先の事、と言っても僕に残された時間の尻は決まっているのだ。


「限りある時間」

そう、その通りだったのだ。僕は本当は何もかも投げ出してでも、彼女の側に居る事を選ぶべきじゃないのだろうか?

そうしなければ、僕にとって世界は何ヶ月か先の終わりよりも前倒しに終ってしまう事になるのだろう。



噴水に着いたのは、約束の時間の少し前だった。まだ結花の姿は見えない。

僕は噴水の周りに円状に置かれたベンチに腰を掛けて、行き交う人達を眺めていた。

週末の幸せな雰囲気はあっても、終末の悲壮感など其処には無かった。あー、彼らも僕と同じなんだろうな。

日常の延長として現在を生きている。そして、それはとても自然な事だと思った。

人間にとって、予期もしない終わりをただ一方的に受け止め、それを飲み込むなんて事は不健康な事なんだろう。

少なくともそれに対抗して現実的な何かを考えられないような人達に取っては、特に。

僕に頑張ればどうにかあの隕石を撃墜出来るような環境にいるのならばその事を通してそのまま居てはやがて訪れる終わりについても

考える事が出来るのだろうけど。

僕が今それについて考えたところで、ただただどうしようもない絶望感だけを感じてしまうような状況に立ってしまうだけであることは想像に難くない。

諦観。そんな風にも取られてしまうのだろう。しかし、それは積極的な諦観だと思う。

他に術の無い時に、諦める事さえ出来なければどん詰まりでもがくようなものだ。


そんな事を取りとめも無く考えていると、結花が噴水の向こうから姿を現した。

「待った?」「ううん、今着いたトコ」なんて、いつものような挨拶を交わした後、結花は僕の横に腰を下ろした。

意識をしすぎているのだろうか、彼女が座った位置はいつもより心なし僕から離れているような気がした。

僕達はいつもベタベタしていたわけではなかったから、それは誤差の範囲といってしまっても差し支えの無いような距離なのだけど。


「メールの事」

僕は無意識に切り出していた。その言葉を吐いた後、頭の中では精一杯のストップが掛けられていた。

「俺は、別れたくない」バカか、俺は。「世界が終るなら、結花の側でその時を迎えたい」

理由もへったくれも無い。それ以外の言葉を探せなかっただけだった。

結花は、その言葉を期待していたかのように少し微笑んで言った。

「良かった」

僕はその言葉に驚いて、聞いた。

「どうして?」

彼女はバツの悪そうな表情をして、少しの間僕の瞳を覗きこんでいた。

「ね、何が見える?」

彼女の瞳は深い黒で、まるで静かな湖を思わせるようだった。けれど、それは彼女の瞳で、そこに何かが見えるなんて事では無かった。

「何も見えない」

「何も見えない訳ないじゃない。私には、見えてるんだから」

僕はその水面を目を凝らして眺めた。其処に映る何をも見逃さないように、注意深く。映っているのは・・・

「僕、とか?」

彼女は頷いて、照れを隠すように声を上げて笑った。

「バカだよね、本当。恥ずかしいわ」

僕は、半分安心して、そして半分腑に落ちずに聞いた。

「じゃあ、昨日の言葉は何なんだよ?別れたい、って」

「それも選択肢としてありなのかな、って思ったのよ。後数ヶ月で世界が終ってしまうのなら。私はまだやりたい事あるし、行きたいトコもある。そのためには現在の生活なんて捨てて、

後数ヶ月を精一杯生きなきゃって。我侭にでも、生きなきゃって思ったの」

そこで、いったん言葉を切って、彼女は僕を真っ直ぐに見据えた。僕はその視線を正面から受け止めた。そうするべきだと思った。

「でもね、我侭を一体誰に言っているのかって考えたら、あなた以外思い浮かばなかったのよ」

「君が自分の為に全てを投げ出すなら、周りの全ての人に我侭言ってるんじゃないの?」僕がそう答えると、彼女は肩をすくめて言った。

「一般論では、ね。でも私はそんなものに責任を感じて無いし、意識出来ないわよ。代わりはいるもの、職場には」

「でも、僕にはそれを意識出来るのかい?」

僕は彼女が言わんとしていることが良く判った気がした。つまり、彼女も僕と同じだったのだ。

「だって、あなたにとって私の代わりなんていないでしょ?」

そういうと、彼女はまた照れ隠しに声を上げて笑った。「私って最低だわ」

「最低だけど、最高だ」僕がそう答えると、彼女は黙っていた。瞳を潤ませて、泣きそうな顔で。

「ゴメン」そう言葉を搾り出すと俯いてしまった。

彼女を泣かせるものは一体なんなんだろう。世界が終るから?そんな事じゃない。

世界が終らなくったって彼女は泣いていたんだろう。僕達は感情で生きられる。

理性なんてものの外に存在するものの美しさを、彼女の側に居られるなら感じていられるような気がした。


「いいよ、僕にとっては君を失わずにすんで良かったってだけなんだからさ」

「隕石のせいで?」

「そう、隕石のせいで」


彼女は俯きながら少し涙を流していたみたいで、顔をあげるとまだ乾いていない涙の跡が残たままだった。

僕はそれを指でなぞりながら彼女を抱き寄せた。


抱き寄せた時、彼女の肩越しに青い空が見えた。


あの先には大きな石が一個飛んでいるんだって。


彼女はそう言って瞳を閉じて、僕はゆっくりと口付けをした。


それは、とても実感の伴わない事で、そしてどうでも良い事のように思えた。

こんなに柔らかい彼女の唇を失うよりは、ずっと。

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