6話 狂騒の日 ~始まり~
「英雄殿が珍しく起きあがってきたと思えば、これは一体どういう事だ」
ラストゥールに呼ばれたスピリタスが何事だと工房から出てくる。妙に不機嫌な声色は作業を邪魔されたからだろうか。
「そう怒るなよ。お前の事だ。もうすでに液化暗黒薬の実験は終わってるんだろう? ならこっちの問題を何とかしたいんで手伝ってくれ」
オレは、未だ気を失っているうさ耳少女を寝かして有るオレの部屋を指す。どうしてこうなったかを伝えると機械らしくも無い深いため息と共に。
「未だ完成とは言えん状況だ。まずもって8割と言わざるを得ない。お前が帰ってきたら伝えようと思っていたのだがな」
と言う。
それが、いざ帰ってきたらこれだ。と現状出来上がっている試験管に入った品物を投げて寄越すとスピリタスはオレの部屋に視線を一瞬向ける。
投げて寄越された試験管の中身は正しく黒い液体化された闇そのもので、オレから見ればすでに完成品の様に見える。しかし、魔術技能に長けたスピリタスがそう言うのならそうなのだろう。
物質鑑定の魔法を使い試験管を見やると、確かに完成品から比べて情報が抜けている部分が有る。
「なんだ。スピリタスなら案外簡単に作られるモンだと思ってたよ。錬金術を使ってこうパパッと」
意外感を含ませた言葉にスピリタスはフッと嗤うと。
「一座。お前は材料も無いのに料理作れるのか。私には出来ない芸当だな」
それとお前に見せておく事が有る。そう言うと、スピリタスは工房に行くぞと歩き出した。
「案外錬金術師のお前なら材料無くても作れるんじゃねぇの?」
後を追い、少し後を歩きながら地下の有る工房に行く為の階段を下る。申し訳程度の照明しか無く、薄暗い如何にも地下と言った通路を進む。
「違うな。私の本職は人形師だ。錬金術は人形制作に役に立つから覚えたに過ぎん。それに錬金術はそう言った便利な魔法系のモノだと勘違いされているが錬金術は歴とした科学だ。まぁ多少の魔法要素もあるがな」
魔法だろうと魔術だろうと科学だろう数学だろうと幾何学であろうと、それが心理学だろうと何だろうと、根本は同じであり行きつく場所は見な同じだ。
始まりが同じで、途中枝分かれして、最終的には元に戻る。そもそもが真理だ、根源の渦だとか言うモノの解明に端を発している。そうした以上如何なる術を用いたとて、結果一つに終結するのだ。
確かそんな事を何かオカルト雑誌とかで見た記憶が有る。正直そんな事を言われた所でピンとくるモノが無いし、そんな探求するために科学だ数学だを勉強していた訳では無いから何を言われた所で分かる事も無いのだが。
「そういやラストゥールどこ行った? アイツ基本働かねぇからな。また寝込んでるのか」
工房の扉の輪郭がぼんやりと見え始めた時、ふと、いつの間にか姿が見えなくなっていたラストゥールの事が気になった。
「ラストゥールなら先に工房に入っている。どうやら実物を初めて見るらしいからな。帝室に仕えていたとはいえそうそうお目に掛かれるものではないのも確かだ」
何か、完全に蚊帳の外でアウェー感が半端ない。しかし、工房の中にその見せたい物があるらしく。
扉の前でスピリタスは立ち止まる。重厚な質感の扉は金属で出来ており、巨大かつ細かい彫刻が施されている。空に浮かぶ翼が生えた女性にひれ伏すのは民衆だろうか。扉は少なく見積もっても5メートルの高さは有るだろう。そんな大きさの物にこれ程細密な彫刻を彫るにはどれ程の時間がかかるのだろう。
何よりその生きているのでは、と思わせる程のリアルさに息を飲んで見入る。そうこうしている内にスピリタスは扉に手を当てると。
瞬間。
幾重にも重なる魔法陣が扉全面に浮かび上がり。魔力を開放したスピリタスが声を張り上げた。
「我、世界を跨ぐもの。朱の空を滑り、朱の海を渡り、臙脂に染まりし大地を踏破する者なり。 血に塗れた魔道の果てを試みる者。異界の門。汝の持ち主はここに1人。
開け、己が役目を果たせ」
重なり合った魔法陣は一気に輝きだして眩いまでの閃光を放つ。その輝きは黒。本来ならば輝く事も無ければ光を放つ事も無い筈の漆黒が、矛盾して目を焼く。だが、どれ程の眩しさであろうと目が眩む事は無い光がオレ達を黒に染め上げる。
扉は、その重厚な見た目に違う事無く、重々しさを感じさせる速度でゆっくりと開いていき、工房の中が見えてきた。
中は割と明るい部屋は、並べられた作業台に無数の実験器具が所狭しと並べられている。
フラスコに試験管。蒸溜装置に、大きな窯。一見何かの工房と言われれば納得は出来そうだ。
だが。見る者が見れば工房と言うよりは、何かの実験場の様に見えなくも無い。その中で一際目立つのが部屋の中央から突き当りにかけてTの形に配置された円筒形の空の容器。空と言っても中には何かの液体が満たされている。オレはその光景を見てホルマリン漬けの容器を思い出してしまった。
趣味が悪い。その一言に尽きる。その容器には様々な配管や器具が取り付けられていて、常に謎の液体が中で動き、渦巻き、対流し、排出されてまた満たされる。
「……。なんだ、これ」
心から漏れ出た言葉をこの部屋の責任者たるスピリタスが答える。
「生命維持装置みたいな物だ。要は魚を飼う為の水槽だと思っていれば良い」
水槽に近寄り、装置の状態を確かめ、部屋の突き当り、右端の水槽に歩いて行く。
「遅かったですね」
そこには。
何かに夢中になっているラストゥールがこちらを見る事無く、興奮した様子で言う。
そんなナストゥールの視線はやたらと目立つ巨大な無数の水槽の1か所に釘付けになっており。
中には、人が浮かんでいた。波打つ銀の髪。見るだけで分かる絹のような素肌を晒した少女が感情の見えない虚ろな蒼の瞳でこちらを見つめている。
その身体を隠すものは無く、全てをさらけ出していたがその美しさがいやらしさを感じさせない。
いや、違う。状況がこうでなければ多少の劣情は抱いたかもしれない。が。
この水槽に漂う少女と言う異常なシチュエーションがそんな興奮を一片残らず殺して回るのだ。
「おい。いつから此処は異常性癖者のたまり場になったんだ?」
「いやいや。一座貴方は何を言ってるんですか。これ程までに完成された個体を見るなんて。流石はスピリタス殿。まさか本当に可能だったとは……」
自分が何を言っているのかわかっていないだろうラストゥールはスピリタスを称賛する。
しかし言っている事から内容まで完全に犯罪者のそれだ。
「とうとう頭のネジが切れたか、スピリタス。ポンコツ具合もここに極まれりだな。今なら一応言い分だけは聞いてやる。後は勝手に自首してくれ」
「話を聞かずにそれか。頭の具合はお互い様だな。良いかこれは人工生命体。ホムンクルスと言うモノだ。
骨格はアダマンタイトを用いて全体的に強度を上げて、外装は強化筋繊維に培養した皮膚を使っている。
魔力耐性、物理耐性、魔法適性及び戦闘職に適したチューンにしてある。コンボイと友情を交わし合ったとて壊れる代物では無い」
それなりに費用は掛かったが存外納得のいく物が出来上がったな。スピリタスは一見そうは見えないが感慨深げに呟いた。
「なる程。アマダマンタイトを使用して強度を上げて壊れにくく、人間と同じ材質を使う事によって柔性を。流石に異世界の知識は凄まじいモノがありますね。この世界で同じ事が出来るかどうか……。
しかし、スピリタス殿。アダマンタイトは希少な魔法鉱石の最たる物ですが一体どうやって?」
ラストゥールは変わらず舐めまわす様に浮ぶ少女を、少女の仕様をスピリタスに確かめて。
アダマンタイトと言えば誰もが一度は聞いた事が有る伝説上の金属。黒い色彩に、とにかく硬いのがおなじみの設定だ。勿論の様にこの魔法が有る世界でも有ったか。しかし問題はここからだ。ファンタジーに付き物な魔法鉱石は当然、希少価値が高いと来ている。希少価値が高いという事は莫大な金額になるという事だ。そんな金額をどうやって捻出したのだろうか。
アダマンタイト。金貨や銀貨、といった硬貨がこの国の主流な通貨なのだが、一体おいくら程したと言うのだ。
「私が冒険者時代に稼いだ金額の殆どをつぎ込み、購入出来たアダマンタイトはおよそ12リージュだ。
金額にして3億ガルド程だ」
確か、g換算で1ルクが1gで1|(㎏)が1リージュだから、スピリタスの説明によると12kgと言う事になる。
でもって、1円換算で1円1ガルドの認識で間違いない筈だから、約3億円だ。
「ん?」
いや、待て。円換算でいくと、どう計算しても3億円という事になる。いやいや。3億円ってそれはあり得ない。そんな金額が有ったなら少なくとも店の立地条件による金額のえげつない迄の土地代金だって余裕に払えた訳だし、少なくとも商品が作れない、何て事にはなっていない。ダメだな。未だこの国、この世界の通貨の価値が覚えられない。全くオレとした事が情けない限りである。
「なあ、スピリタスさぁ、確か1ガルドが1円だったかな?」
「そうだな。凡そ、その認識で間違っていない」
なる程。間違っていない。そうか。オレは間違っていなかったのか。未だ少女を眺め続けるラストゥールは生殖機能がどうのこうのと考察が絶えない。そんな変態から視線を外してスピリタスを見やる。
「なあ、じゃあさ、その女の子さ、作るのに幾ら掛かったんだっけか」
ふむ、と顎を撫で摩るスピリタスは何でもない様に3億ガルドだな、と答える。
「3億ガルドか。そうか」
つまり、3億円だって事だ。それが何を意味するかと言うと。
「3億!? お前馬鹿じゃねえの!? 何考えてんの? 馬鹿なの!? 馬鹿なんだね!? 死ぬんだね!? 今すぐスクラップ行なんだね!?」
オレの叫びに身を竦ませたのはラストゥールだった。が。今はそんな事を気にしている場合では無い。
ハッキリ言って1庶民であるオレにとって3億円などと言う金額は天文学的数字であり、宝くじの旗でしか見た事が無い。後は強奪事件で聞いた位だ。それをポンと使ったと言う。
「お前本当に馬鹿なんじゃねぇの!? 何そんな大金相談なしに使ってんの!? 3億かけてあの女の子作っただけなの!? やろうと思えば軍隊作れるじゃねえか!」
「馬鹿とは失礼な奴だ。考えてもみろ。世界の大富豪からすれば、はした金も同然だ。大富豪がお気に召さないなら小国の国家予算と比べろ」
「お前は一体何になりたいんだ馬鹿!?」
「ま、まあまあ。二人共落ち着いて下さい。何事も話せば分かりますから熱くならないで」
オレの余りの剣幕にラストゥールが割って入るが。
「問答無用! このバカには廃棄場送りがお似合いだ!」で切って捨てる。
オレの怒りの拳が今、制裁を加える。
「で。気はすんだか」
怒りの拳はスピリタスの身体を叩きはしたがスピリタス自体の硬度を忘れていたためにただ手を痛めただけに終わった。
「で? なんであの娘造った」
一瞬考えたスピリタスは、淀みなく答えた。
「あのうさ耳の面倒を見させるためだ」
「テメェ! 今考えただろ! 騙されねぇからな!」
そんな言い合いをしている時、ラストゥールが大声を出した。
「2人共、ちょっと良いですか! このホムンクルスが!」
その声につられて水槽を見やると、円筒の上部から蓋をぶち破って少女が這い出ている。一糸纏わぬ姿で這い出ているモノだから色々とヤバイ。
「マスター。ご命令を」
状況に付いて行けずに唖然としていると。オレの下に少女が膝を付く。全裸で。濡れた銀の長髪が滴を垂らす音さえ聞こえる静寂の中。
「スピリタス」
「私には分からん」
今、この状況はどういう事なのかを聞こうとスピリタスに呼びかけたのだが、打てば響く速さで答えが返って来る。
説明を求める為にラストゥールを見るも顔を背けられて私知りませんアピールをされ、どうしようもなくなる。
「……。ジーザス」
そう呟く事しか出来ないオレを誰が責めようか。
いつも読んで頂き有り難う御座います。作者の狐屋です。
さて、今回も短い気がしますが、どうかご容赦を。
狂騒の日。次から混迷と狂騒を深めていきます。
次話は、多分ですが月曜か火曜辺りに上げれたら良いなと考えています。
PVが2000を超える事が出来たのは皆様のおかげです。深く感謝です。
お読み頂き有り難うございました。これからもよろしくお願い致します。