1話 開店と客
朝日の眩しさが閉じたまぶた越しに感じられ、朝を迎えた事を確信する。
空気は澄み、凛と張りつめた雰囲気を醸し出して、朝の冷たさを体に伝えて。
布団を巻き付ける事で最後の抵抗を試みようか考えて、止めることにした。寒さの原因は汗にまみれた事だ。それも仕方ない事だろうと自分を納得させる。何せ夢見が悪かったのだ。
地下に位置する一座の自室は、どういう原理か地中に有る筈のこの部屋にまで朝日の温もりを伝えている。
と言っても、コンクリートに似た材質を用いて作られた四方が灰色の空間は、寝床から起きぬけて足を付けると寝起きには厳しい冷たさを素足に伝えてきた。暖かいのは日差しだけで凛と張りつめた空気で自然と気が引き締まって行くのが分かる。
まあ、何をするにせよ先ずは着替えからと思い殺風景な配色の部屋に似合わない豪奢な衣裳棚からシャツとズボン、上から羽織るためのローブを取り出す。このローブのデザインが一座のお気に入りで特に変わったデザインでは無いものの、胸元に楓と背中に葛が巻き付いた竜が特に気に入っていた。
もちろんの事ながらこのローブに付与されている魔法術式も一級品なのだがオレはそこに特に興味は無かった。デザイン。デザインだ。それについて凪やスピリタスが趣味が悪いだのセンスが無いだのと煩かったがオレの趣味にどうこう言わないで欲しいと言うのが本音だった。あいつ等、着もしないくせに。と言うのが一座の意見だ。
服を手にして向かったのが、部屋に設置されている洗面台だ。これは元々この部屋にはなかったがこの建物を購入した時に設置したものだ。その隣には壁に埋め込んだ鏡が有る。これはオレの全身が映り込んでもまだあまりある程の大きさで、これも後から付けさせたものだ。
朝からシャワーなんて言うのも十分魅力的だったが、どうしてもそんな気になれず、タオルで体を拭くぐらいにしておく。もしシャワーを浴びに行って凪に出会ったりしたら気まずいからだ。
「ま、基本あり得ないからな。気にし過ぎだとは思うけど用心に越した事は無いか」
何せ共同生活なのだ。つまらない事でギスギスしてしまうのは避けたかった。しかし早朝とは言えないにしろ時間的にはまだ早く、壁に掛かっているレトロな時計の針はまだ慌てる様な時間では無い。
転ばぬ先の杖と一座はシャワーを浴びる気は無く。手短にタオルで体を拭いていく。後悔先に立たずと言うが尤もな言葉だと思う。先に後悔が出来ないなら余計な事はするなって事だと一座は考えている。
尤も一座は預言者でも何でもないので何が余計な事になるかは全く分からないからどうしようも無いために
結局は当り障りの無いことして上手く生きましょうという事だろうか。
「多分全く違う気がするんだが、いいか」
適当な独り言は空虚に殺風景な空間に消えていき。何も無かったと一座は寝間着を脱いで体を拭いて行く。
柔らかな布で腕から拭いていく途中、一座の動きが止まった。腕で視線を止めてしっかりとした足取りで鏡の前まで歩くと磨き抜かれた鏡面に向き合った。映し出されるのは子供の体。変わってしまった顔。
もう元の自らの顔すら思い出せなくなっている事に気付いてしまい一座は知らず舌打ちを打った。
もう前の長宗我部一座と言う人間は居ない。しかし今の姿に違和感を抱いてしまう。一体今の自分は何者何だろう。心は日本人だが外見は違う。昔の偉人は心の在り方でどこ国の人間かを決めたという話を何かで見た気がするが、今の一座はどうしてもそう思う事は出来なかった。ここまで変わってしまっておいて今更日本に帰りたいとも思えない。人間、心に引っ張られる生き物だとそう言うのなら、その逆だってあり得る筈だ。心と体の乖離してしまっている今の自分にオレは日本人だと言える根拠が何一つない。
今まで生きてきて培ってきた、考えや信条、そして教訓。それしか縋る物が無い。しかし、今に生きなければその先は無い。その現状が一座を苛立たせる。
「オレは一体この先どうすればいい。このまま生き抜いて一体オレに何が残るんだ」
空虚な言葉は心に響かず、只部屋に響くだけだった。
「起きていたか一座。何をしている」
ノックも無しに部屋に突然入り込んできたスピリタスは紙の束を抱え、いつも通りといった感じだ。
「別に。ただ起きた時に汗まみれだったんでな、着替えだ」
独白を聞かれて居た訳では無いのだろうが一座は急に恥ずかしくなってしまい、いそいそと服を着ていく。
しかし一座の誤魔化しは空しく、スピリタスには一座の考えを読まれていた。
「……。その身体は慣れんか。無理も無い」
その言葉に一座は何も答えず、服を着る。その間の会話の無い時間が居たたまれなくなりローブを羽織りながらスピリタスに声をかけようとする。
「いつも通りを演出したいならもうちょっと上手くやれ。構ってくれと言っている様なものだぞ」
先んじてそう言うスピリタスに一座は鼻で嗤う。
「言ってろ。ポンコツ。一体何の用だ」
「何の用、とは御愛嬌だな。お前が起きれないと思ってわざわざモーニングコールのサービスしに来てやったというのに」
持っていた紙束を脇に抱え直して、スピリタスは一座の隣に歩いて行った。
そこで、一座が何を考えていたのか分かったのだろう。
「……。まだその体には慣れないか」
「……」
「それもそうだろう。何せ六年も寝ていざ起きてみると子供の体だ。同情はしよう」
「お角違いな同情なんていらねえよ。そんな意味分かんねえ同情より情報が欲しい。どうなってる」
「どうもこうも。まだ開店時間ではないからな開けていない。後15分といったところか」
一座の主語の無い問いに淡々と答えるスピリタスの報告を聞きながら服を着ていく。そこで気になったのが凪の事だった。スピリタスは魔法屋として錬金術や魔法全般を受け持つとして凪は一体何をするのか。
「そういや凪って何するんだ。あの喋り方じゃ接客って言っても土台無理だろ」
「何を今更。奴が真面に何か出来ると思っているのか」
「知らねえよ。こっちは三年寝太郎どころかその倍寝てたんだ。オレよりお前の方が分かってるだろう」
「まあそれはそうだが」
そんな歯切れの悪い言葉で相槌を打つスピリタスは。販売でも当てには為らんだろう。と言う。
「どういうこった。それでも何だかんだ言って冒険者っていう胡散臭い職に就いていたんだろう」
服を着終わった一座は何かを誤魔化す雰囲気を醸し出しているスピリタスに詰め寄る。
「どうしてもダメだってんなら最悪、警備っていう手もあるけど」
その言葉に即座に否と反応したスピリタスに余計訳が分からなくなった一座は、じゃ何が出来るのかと聞くと。
「人が殺せる。魔獣であろうと魔物であろうと一息付く間に命を奪える。何せ今まで私と冒険者として生きる為に行なってきた依頼で、奴が受けた物は全てが討伐系だったのだ。もうそれ以外が何も出来ないといって良い程に」
そもそもが裏の住人だったのだ。それ以外が出来ないといって良い。元暗殺者だからな。そう締めくくられるスピリタスの言葉は一座に後悔の念を与えた。
「じゃあ、警備もできないのか。捕まえた奴が物言わぬ死体になってましたは無理がある。なんの為に捕まえたか分かんなくなるじゃねぇかよ」
一座にしても死屍累々となっている店を想像してみると警備は頼めそうになかった。そんな店は入りたくないからだ。
「死屍累々か。どうも私には四肢累々としか思えないがな」
「もっとエゲツない事になってんじゃねえかよ。嫌だよそんな店」
自分が客なら絶対に入りたくない店だ。
「着替えが終わった事だ。上に行くぞ。短くミーティングを済ませて開店だ」
部屋から出て行くスピリタスを追って一座は部屋を後にする。
分かっていた事なのだが、品揃えが薄いと言うのは店として死活問題だと実感する。
何せ、地下の自室から階段を上って店に入った訳だが、目に付くのは品物の並んでいないガラガラの棚と、ショーケース。何も入っていない。
と言うのは少し言い過ぎかもしれないが、感覚的には何もないに等しい。所狭しと並べられた棚に申し訳程度に並べられた、豪華な薬ビンを見やり一座は切実にそう思う。
「なあ。スピリタス。コレはあれだよな。まだ商品を並べて無いだけだよな。勿論まだ商品は有るんだよな」
一座がこう質問するのも当然で、店として看板を掲げるのだとするなら余りにも商品が無さすぎる。
こんなものを店と言うのもおこがましい。路傍の良心市や、露店がデパートに見える程に。
勿論だ。とそう言うスピリタスは倉庫から引っ張り出してきた小ぶりの木箱を一つ、一座に渡すとそれを並べるように指示した。
「向かいの棚だ。気を付けて運べよ。その中にあるビンを割れば今日はもう何も売る物が無い。
私とて開店初日に開店休業する訳にはいかない」
そう指さしながらまた倉庫に戻ろうとするスピリタスに一座は待ったをかけた。
「ちょっと待て、今お前これで売るものないって言った? 嘘だよね。だってこの木箱軽いよ?
馬鹿みたいに軽いよ? あれか。重量を軽減する的な魔法が箱に掛かってるんだな? そうなんだな」
「現実逃避なら無駄だぞ。何せ本当に其れだけしかないからな。本当だと言う証拠に見せてやろう」
そう言ってスピリタスは木箱の蓋を開けると中には申し訳程度に並んでいた薬ビンと同じものが入っていた。確かに入っていたが。
「3本しかないぞ。オレの見間違いか? それともオレの眼が悪いから3本しか見えないのか。本当は沢山入ってるけどオレの眼の所為で3本にしか見えないのか?」
「中身が3本以上入ってるように見えるなら悪いのは頭だな。今すぐ医者に診てもらえ」
「そう言う事言ってんじゃねえよ。どうすんだよ。今お前他にも有る体で喋ってただろ!? これだけで何が出来るんだよ。見た限りこの店には薬ビンが10本位しか無いのはどういう事だ、って言ってんの」
「正確には8本だな。しかしどれも最高品質の物ばかりだ。帝室に献上しても全く問題が無い程にな」
そう言って無表情ながらに誇らしげに胸を張るスピリタスに一座はどうしたもんかと頭が痛くなってきた。
「最高品質じゃなくてもいいんだよ! そこそこで良いの! 最高品質だろうが何だろうが薬8本で何が出来るの!? 帝室だか低質だか知んないけどもう少し質落とした物を量産すりゃいいだろ」
せめて、開店した当初くらいは店一杯に品物を並べないと恰好が付かないと言うのに。
「何を馬鹿な事を。それこそ本末店頭だろうが」
このポンコツは一体何を言っているのか。本の末が店頭? とうとう歯車がイカレたらしい。
「もとい、本末転倒だろう。そこそこの品物を売って一体誰がもう一度足を運ぶと言うのだ。本物を売ってこそ人はもう一度行こうかと思うのだ」
確かにスピリタスのいう事には一理ある。あるが。
「いくら最高品質だろうとオレがこの店に入った客だとしたら閉店セール終盤だと思ってもう来ないがな」
むう、とスピリタスは口を閉じると考え込んでしまい。一座はこれまで姿を見せない凪を探す。こうなったのも一座に責任が無いとも言えない事も無いが、多少は凪にも責任の一端が有るように思えた。
「そういや、凪どこ行った」
「魔法薬の材料を買いに行かせた。もうすぐ帰ってくると思うが」
言っていくばくもしない内に、店の扉が開き凪が入って来る。
「お客さんを連れてきた」
そう言う凪を隣には、憲兵だろうか。凪の手を握ってしきりにこちらを見ている。
「凪さんのお宅はこちらで良いですかね。いやー彼の御高名な冒険者の方が道に迷ったと言われたのでお連れした次第ですが、まさか魔法屋を始められるんですね」
完全に、どっからどう見ても。迷子を連れてきた警察官の図だ。
「凪。何をやってるんだ?」
「お客さんを連れてきた」
一座が確認の為にもう一度聞いても凪は同じ事しか言わない。憲兵さんも事態が飲み込めずに目を白黒させてしまっている。
「馬鹿ッ!! どう見ても連れて来られたのはお前だろうが!! 憲兵さんもご迷惑をお掛けしました。有り難う御座います」
頭を下げた一座を見て、憲兵は何を思ったのか。
「いやいや。良く出来た弟さんだ。これならお姉さんも安心だね」
豪快に笑う憲兵にキレそうになりながら、砕け散った理性を総動員させて冷静を保つ一座は。
「い、いやいや。そうですね。全くだ。そうだ。お礼にこの魔法薬を持って帰って死ね!!」
ダメだった。ムシャクシャして言った。後悔はしているが反省はしていない。
「え? なに? どうしたの」
一座の心境を言い表すならこれが一番正しい。今までの礼儀正しい態度から一転して暴言を吐きだした一座の様子に困惑する憲兵に。
「難しい年頃でしてな。どうやら姉と同じに思われるのが嫌だったのでしょう」
スピリタスの説明に一応の納得は得たのか。
憲兵は、若干引き気味な視線を一座に向けたまま、帰って行った。その際ちゃっかりとお礼の品は持って帰っていた。
「なんにせよこれで作れるな。私はこれから工房に籠もる。一座も落ち着いたら手伝ってくれ」
そう言い残して、スピリタスは奥に引っ込んだ。どうしたものか。凪は店番のつもりか奥のカウンターに陣取って己の得物を磨きだしている。
この店、明日には潰れてんじゃないかな、とさえ一座は思う。一座はこの異世界に来る前は地方都市の田舎とはいえ、そこそこの店舗を構えていた肉屋に勤めていた。
落ちこぼれ。
と言う程では無かったけれど、大学受験に失敗して目標を見失った若者が知り合いの伝手で入った店だ。
仕事は厳しく、辛かったが遣り甲斐は有った。間違えたり、失敗すれば手や足が直ぐに飛んでくるスパルタだったがそれ以外では皆優しいものだった。
品物は常に並べておけよ。品物が無いでは話にならない。常時気を遣え。気に懸けろ。お客さんの要望は聞けるものは全部聞け。それが出来なけりゃ、そんな店長くは持たない。
それが皆の口癖だった。今の状況とは全くの真逆な訳で。全く、日本に居た頃は下っ端の雑用だったがそれでも今の状況が情けなくなってくる。どうしたものか。只でさえ少ない、8本しか無い商品が1本減って7本になった。この状況を見た親方は、何と言うか。
一座がそんな事を考えている時だった。
不意に。店の扉が開いた。
「タ……タスケテクレ……、カゲヲ、ヤミヲクレ」
今にも消えてしまいそうな程に、存在が分からない程に、儚く、希薄な、揺らめく影が入店してきた。
何処から声がしているのかも分からず。今にも消えそうな影。それが第一来店者。その状況に。その事実に一座は、どことなく面白い気配を感じて自然に口元が緩んだ。
人でなくても良いじゃないか。元々異世界なのだ。客が人間じゃない、人の形をしていない可能性だってあったのだ。なんにせよ。なんにせよ客なのだ。
客の要望を聞け。それが出来なきゃ長くない。
助けてくれ? 良いだろう。闇だろうと光だろうと売れる物なら売る。 満身の力を込めて言う。
「いらっしゃい黄昏の空へようこそ。 今、回復薬ポーションタイプが7本しか置いてないが、安心してくれ。
ご要望には応えよう。それで、お支払いは現金支払いのみだが大丈夫か?」
見た感じ金を持っていない感じだったので聞くとそれは当たっていたようで、影は動揺した様に揺らめいた。
かなり遅くなってしまいました。すいません。なるべく早く書かなきゃと思いつつこの有様です。
さて、開店しましたがどうなる事やら。僕にもわかりません。なるべく早く次は書けたらいいな。僕も続きが気になります。では。次話で。