序章 開店準備
帝都の大通りに建物を構える商業ギルドの前は常に多くの人通りで賑わっている。商業ギルドが有るこの通りでは、他にも冒険者ギルド、魔法ギルド等の公的機関が並んでおり、そのために多くの人の波が行き交いしていた。
その商業ギルドの門をくぐり、長いカウンターの向こうの受付嬢は、余りの忙しさに目を回していた。
今日の商業ギルドは忙しい。いつもの3倍は忙しいと思う。訪れている人でごった返していて、私達ギルド職員も喧騒に飲み込まれている。
お昼時だというのに、ご飯どころか、トイレに行くのもおぼつか無いという有様だ。
商業学院を卒業して、帝国商業ギルドに入ってもう数年経つけどこれ程の忙しさは初めての事。
『笑顔のアリア・カーバンクル』と言えば、笑顔と口の上手さと計算の速さで学院在学中からその持ち前の笑顔でスカウトが来ていた程。しかし今やその笑顔も崩れかけている。
「何なのよもう、何で今日はこんなに忙しいのよ。コニ―、今何時!?」
大抵、冒険者ギルドとは違い商業ギルドは昼を過ぎればホールは閑散とするはずなのに。
同じカウンター内に居る同僚に時間を聞いても人の波の喧騒で、聞こえているかも怪しい。
しかしちゃんと聞こえていたようで、コニ―は持ち前の不愛想な顔をさら強張らせている。猫の獣人である証の耳が痙攣でも起こしているように震えている。
「お昼を少し過ぎたぐらいよ、アリア。ほらアリアの所にお客さん来るわよ。 笑顔、笑顔」
「分かってるわよ。私は『笑顔のアリア』よ」
愚痴をこぼすのを止めて、仕事モードに入る。が勿論の事仕事モードに入ったからと言って何か作業がはかどる訳でもないが気分の問題だと私は思っている。
「いらっしゃいませ! 商業ギルドにようこそ! 今日はどのようなご用件で当ギルドにいらっしゃったんですか?」
カウンターにやってきた2人組に向けていつもの営業スマイルを決めて要件を聞く。
「開業したいんですが」
カウンターの向こうに居たのは今、帝都で噂になっている冒険者と背丈から見るに子供のようだ。その子供が、私に向けて開業したい、そう言って来た。
確かに開業するに当たって、年齢は関係ないものの余りに幼い気がするが、開業を希望するならお客様の希望に沿うだけ。
「そうですか。わかりました。では開業担当の私、アリア・カーバンクルがお伺いします」
結論から言って上手く話はまとまった。お客様は、開業する手順を踏み、内容に満足してたった今、正式に一つ新しい店が生まれた。しかも大金を支払い、ギルド会議に参加する権利の『親方株』を買うという手際の良さを見せて。正直、あの子の眼は子供のそれとは思えない程鋭く、また冷めていた。
思い出してしまい身震いする程に。確かに、目つきは良くなかったが、それを差し引いても夢と希望を抱いて企業を夢見た若者の眼では無かった。
まるで古株の店主のようだった。 何が得で、何が損になるのか。それだけを考えている眼。
私が、ギルド加入に関する、世界慈善機構『希望の灯』参加の旨を聞いた時、彼は。何の躊躇も無く了承した。それが何なのか分からないから、適当に返事をしたのでは無い。全て分かった上でそれを了承したのだ。全ては利益の為に。人の波が引いてきたギルドホールをカウンター越しに眺めながら、アリアは先程の事を思い出していた。
ギルドホールから移動して、ギルド内に設けられた別室でアリアは連れ立ってきたギルド長、さらに対面に腰かける少年と男に開業の手引きとそれに関する様々な規約を説明していた。
「希望の灯に登録して頂きますと、EEE-から一気にD-まで昇格となります。代わりに代金を大幅に値引きして冒険者ギルド、並びにこの商業ギルドに卸す事になります。しかしながらその功績は計り知れないものであり、社会に貢献しているものと見なされて商業ギルドに登録されてあるランク昇格の為の礎になるのです。
まず、商業ギルドに登録されている商店がどうやってギルドランクを上げるかと言うと――――」
ギルド長が懇切丁寧に、説明しているというのに、この少年と男は反応も無ければ顔色も変えない。
それどころか、少年に至っては顔が見えない様に白と言う色が具現化すればかくありや、といったローブを目深に被ているために、その顔さえ見ることが出来ない。故に男の顔色を見てこの男は理解しているのかを確かめなければならないと言うのに、石で出来てんぢゃないの? と行った有様で、只ひたすらにギルド長の話を聞き流している様にしか見えない。
後でいちゃもんを付けられない様にこうして丁寧に説明しているのに、そうアリアは思いながら、手元に有る書類に目を通す。
これは、開業者とその付き添いに来た者の履歴書だ。どこどこで何をしていたか。また、どういった能力があり、何が出来るか。といった事が書かれている。勿論、それ以外にもギルドへの借金が有るか。
ギルドに加入、及び開業する時に払う代金の支払い、滞納。支払いが滞った場合にどこに求めるか。
店主の家族、資金借り入れの際に開業者と共にサインした付添人、つまり連帯保証人の住居などが事細かに書かれている。そのギルドに取って不都合な事態を回避するための措置。
しかしながら、アリアはこの履歴書と言うモノに余り意味は無いように思って居た。
(どこで誰が何をしていたとしても開業は自由だと思うけどな)
それがアリアの考えだ。しかも、今回開業を申し出ているのはなんと名の有る冒険者だ。
ジッとギルド長の話を聞いているあの男の名前はスピリタス。アリアの覚えが正しければ確かSS+まで登り詰めた傑物のハズ。そう言う人物が開業しようと言うのは何も珍しい事じゃない。
でも、店が長く続くのはほんの一握りだけ。
実際、今までに名の有る冒険者が引退してその人脈を生かし店を始めても店として形が残ってるのは数える程しかない。
今回もそのパターンだとアリアは思っていると、今までずっと黙っていた少年が口を開いた。
「良い。入るよ、その、何だっけ? 希望のナンチャラに。そっちの方が得だ」
どうという事は無い。そう言いたげに、軽く首を回して少年は言った。
アリアは少年のその物の言い方に年相応の対応を見受けられず、不審な面持ちで手元の書類に目を落とした。
この少年の名は、イチザ・チョウソガベと言うらしい。経歴は不明で、何でも緩衝地帯と化した砂漠と森の近くに位置する、街の出らしい。名の通った元冒険者が経営する孤児院に身を置いていたが一旗上げる為に帝都に出てきたと書いてある。
アリアは商業ギルド職員として、余り書類上の身の上話に信を置く事は無い。これは商業ギルドの職員に限らず、他のギルドの職員でも同じことだが、書類というのはいくらでも偽ることが出来からだ。
そのため、疑いを晴らす為には有る魔道具を使うのだがその手段は余り使われる事は無い。なぜなら、私たちは貴方を信用していませんと言っている様な物だからだ。
故に、ギルド職員と言うモノは、審美眼を求められる事になる。何を信じ、何を疑い、何を認めるのか。
その才を求められる。アリアの見る目では、この少年は信じて良いように思った。しかし、支部長がこの少年らを信じるかは分からない。
「またお前はそうやって、適当に話を進める」
イチザの横に居たスピリタスは一座をたしなめるが、当の本人は楽しげに声を弾ませた。
「だってそうだろうが。利用できる制度はなんでも利用するべきだ」
「その根拠をお聞かせいただいても?」
イチザの言葉に支部長が問う。
「簡単な話だ。アンタがたはつまり、安くても制度利用者に金を払うと言っているんだ。オレ等みたいな始めたばっかのペーペーに生き残る術を提供してくれてる訳だろう? 話を蹴る理由がない。それに長くやってりゃ多くの人間にうちの品物が目に留まる。旨みはそこからって訳だ。アンタがたギルドからしてもそうだ。こっちが旨みを見い出して、商売やってりゃ、そっちにだって旨みがある訳だ。例えば名の上がっ店に対して、色々と交渉が出来る訳だしな。ま、アンタ等からすりゃあ、出来立てほやほやの店が三日で潰れても別に損話無い訳だしな」
その言葉にスピリタスは、口を閉じ、支部長は舌を巻く。
「なる程。分かりました。なら……」
そう言いアリアに目配せをし、アリアも頷いた。
「貴方達の出店の件。確かに受け堪りました。それで店名は」
「そうだ。これで頼む」
一座が上等な紙に書かれた字を見せた。
「では黄昏の空で登録しておきます。貴方と私たちに巨万の富が得られんことを」
支部長がそう締めて面接は終わったが、アリアの言い得ない澱の様な違和感はぬぐえなかった。
「あの人ら、なんかおかしかったわよね」
陽が傾き、窓越しに赤く差し込む光を見つめながらアリアはカウンターで通常業務に戻っていた。
動機も不確かで、帰り際についでの様に買っていった親方株の事。大金だ。仮に冒険者として名を轟かせる相棒が稼いだ金を使った。話の道筋は通っている。しかし、アリアの感が何かが違うと訴えていた。
「ううっ。寒くなって来た」
アリアは、身震いして、両腕をさすった。これは陽が落ちてきて気温が下がっただけだという事にして。
「なに。どうしたの。風邪? 」
同僚の鉄面皮受付嬢が聞いてきた事に何もないと答えた。
「そう」
短い言葉でコニ―は応えると耳を少し動かせ自身も仕事に戻った。
そしてアリアはまた笑顔で利用者を迎える仕事に戻る。