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その名も、勇者である!  作者: 大和空人
第四章 魔界図書館の蔵書は嗤う
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第十五話 住む世界が違う

「……いませんね」

 

 アータやナクア、フラウ達と一緒にいた倉庫街を飛び出してきたアンリエッタは、日も落ち切り、微かな明かりしか残っていない街の中をとぼとぼと歩いていた。裏道の暗さは魔界の森の中と変わらず暗黒に包まれており、そんな街並みを一人で歩く度胸はない。

 日中の明るさを目の当たりにしていたアンリエッタにとって、全く姿を変えてしまっている暗い街並みの姿に言葉数は少なくなった。

 

「…………」


 見回りの騎士達が向かいから歩いているのに気づいては物陰に姿を隠しながら、過去のアータを探す。ふと物陰で腰を下ろして息を潜めた時、アンリエッタは思う。

 どうしてあの場を飛び出してしまったのか。

 腹が立ったからというのが一番近い理由だろう。相手はあの魔界無敵を誇る魔王クラウス様だったのだ。それも、魔力制限を受ける以前の全盛を誇り魔界を支配し始めた頃の。そんな相手に、いくら過去の自分をぶつけるとはいえ魔力制限下のアータが一人でその戦いの準備を進める様に苛立ちを覚えたのだ。

 確かに自分達の力は小さく、あの二人相手には何の意味もなさないかもしれない。

 だが、意味がない事と何もしないことは同じではないというのに。

 

「……まるで魔王家に来たばかりのアータ様に戻ったみたいですね」


 不機嫌にそう呟きながら、アンリエッタは街の中を散策しつつ、見知った場所までやってきた。見上げた底にあるのは、数か月前にこの街に来た際に目にしたイリアーナ城。魔王家の屋敷とは比較にならないほど巨大にそびえたつ、人間界最大の王国が誇る城だ。

 以前来た際に目にしたときは、キメラやアータの無茶苦茶によってその原型をいくらも失っていた城。

 首都イルナデイアにそびえたつその城は、街同様に巨大な外壁と門に守られている。

 

「……」


 一年前、魔王クラウスの作った多重結界と空島という二つの要素に守られていた魔王城。その姿と重なるイリアーナ城の姿を見上げ、その荘厳な門構えに肩を竦めつつ、アンリエッタはこんなところに過去のアータがいるわけがないと肩を竦めた。そうして踵を返して暗闇に姿を消そうとしたところで、目が合う。

 

「ん? 何やってるんだお前」

「いや、貴方が何やってるんですかアータ様」




 ◇◆◇◆




 イリアーナ城の周辺で整理されている歩道、その周辺に生い茂る茂みから顔を出した過去のアータを見つけたアンリエッタは、少しの安堵と共にアータのいる草陰へとひっそりと身を寄せ、自らも物陰に姿を隠す。ランタンを片手に城の周囲を見回る兵士たちの様子を見ながらも、傍に座り込む過去のアータにアンリエッタは問いかけた。

 

「こんなところで何をなされているんです? 宿に泊まっているんじゃないんです?」

「仮の身分証はもらったが、金をもらったわけじゃない。無一文というわけじゃないが、宿は落ち着かないしな」

「……でも、こんな場所よりはゆっくり眠れますよ、ベッドもありますし」

「ベッドなんてあってもなくても変わらないさ」

「いや、変わりますよね。フカフカのベッドで寝られたほうがゆっくり休めるじゃないですか」

「そういう意味じゃないんだけどな。それより、アン……だっけ」

「アンリ――アンです……。えぇ、アンで構いません……」


 過去のアータには、クリス(アータ)がアンリエッタではなく、アンと紹介したことを思い出し、泣く泣く自分で訂正する。だが、訂正したところでふと思い出す。

 

「あれ? アータ様、先ほどの酒場で私の名前読んでませんでした?」

「酒場にいたクリス達と一緒じゃないのか? 何人か見知った顔も一緒にいた気がしたが」

「あー、いえ。今は別行動中ですので……」

 

 仲間たちの傍を飛び出すように出てきたことを思い出し、アンリエッタは顔を伏せた。そんなアンリエッタの様子を横目で見つつも、アータは自分がこの場所に来た目的のための準備を進める。だが、アンリエッタは顔を伏せたまま呟き続けた。

 

「……アータ様、貴方は先ほど酒場でナクア様へ言いましたよね。魔界と人間界の戦争を止める、ナクア様に人間界への橋渡しをやらせると」

「言ったな」

「私には――到底そんなことできるとは思いません。私の知っている方と、貴方に似た方はいつも喧嘩ばかりなさっています。喧嘩をするほど仲が良い、などというものではなく、あのお二人はそれこそ命の取り合いをするような仲でした」

「それで?」

「今はとある理由で矛を収めておられます。あのお二人の間には私には見えない何かがあるのでしょう。でも、私達は違います」


 膝を抱えるようにして言葉を紡いでいたアンリエッタは、夜空を見上げて語り続ける。

 

「生きている世界が違いすぎる。そんな風に感じることばかりです。世界が違いすぎる私には、あの人やあの人のいる世界と私の知る魔界との間に和平が訪れるとは思えません」

「あー、なんだそういうことか」

「なんだそんなことかって、あのですね、私はこれでも真面目に――」


 アータの言葉に軽いものを感じたアンリエッタが、僅かな苛立ちと共に口を開こうとすると、人差し指が口元に押し当てられた。顔を上げた先にあったアータの自信ありげな表情と強い決意に満ちた瞳に、苛立ちはさっぱりと姿を消して惹き込まれる。

 

「お前の言う相手が誰かは知らないが、一つだけ教える」

「教えるって、いったい何をです……?」

「俺やお前や、そいつらがいる世界が平和になる(・・・・・・・・)んじゃない。俺やお前らが、平和な世界を作る(・・・・・・・・)んだよ」

「――――」


 向けられた言葉に、アンリエッタは二の句を失う。視線を交えて、アンリエッタは言葉を探す。

 

「そこを間違えてちゃ、そいつと世界が違うと思うのは当たり前だ。現在進行形で平和な世界を作ってる最中だ。出来上がってもないものを見ることなんてできないだろ? 完成図なんてないんだ。出来上がったものの上で、ゆっくり寝たいんだよ」

「えぇ、その、そうですね。そういう風に考えたことなんてありませんでした」

「よし、解決したところで行動を開始する」

「ちょっと、あの、お待ちください。カッコいい流れになってて大変恐縮ですが、何の準備してるんです?」

 

 座り込むアンリエッタの傍でアータは、片手を腰に当てて自慢げに立ちあがった。その立ち姿を見たアンリエッタは、先ほど自分に告げられた大切な言葉を頭の片隅に押しやりながら、瞳を細め、目頭をこする。もう一度アータを見上げたアンリエッタはすぅっと盛り上がった感情が覚めていくのを感じながら、口を開く。

 大事な話の最中に何かしているのには気づいていた。

 気づいていたが、気づかないふりをしていた。大事な話だったから。だが、そんな大事な話の直後だからこそ改めて指摘せざるを得ないことを悟った。

 

「……あの、もう一度聞きますよ。何の準備ですか、そのほっかむり」

「何って、決まってるだろう。これからイリアーナ城に泥棒に入るんだ。病は気から。泥棒は見た目からっていうだろう」

「違いますから、泥棒こそ見た目から入っちゃダメな奴ですからバレバレですから。……というか、イリアーナ城に泥棒に入る!?」

「大声を出すな、衛兵にばれる。いいか、素早く静かに忍び込む作戦でいく。クリスから頼まれている物を手に入れるのが目的だ」

「作戦名何とかならないんです? というか、クリス様から? 私は何も聞かされていませんが……」

「信用ないなぁお前」

「どの口で言うんですかね!? 憐みの笑みで貴方に言われたくないんですけども!?」


 衛兵にばれないよう素早く城を囲む城壁の傍に近寄った過去のアータを追いかけるようにして、アンリエッタもまた城壁傍に身を屈めて隠れる。そうして衛兵の死角から城壁を見上げたアータは、壁を作り上げるレンガに触れながら頷いた。

 

「高さは大人三人分ぐらいの城壁だな。まぁ飛び越えられるからいいが。お前は魔族って話だったけど、空は飛べるのか?」

「私です? いやまぁ、隠してる翼を出せば飛べますが――」

「よし、行くぞ」

「いやちょっとお待ちください。あの、私までついていく前提になってませんか? 行きませんよ私」

「ん? 何だ行かないのか。てっきりクリスに手伝いを頼まれてここに来たのかと思ったんだが」

「……頼まれてません。頼まれなかったから、ここに居るんです」


 アータの言葉に、先ほどのクリス(アータ)の言葉を思い出し、アンリエッタは思わず唇を噛んで伏せる。アンリエッタの姿を見たアータはすぅっと一瞬だけ瞳を細め、壁に手をかけてぽりぽりと頭を罰悪く掻いた。その後、首元に巻いているマフラーを締め直し、アータはアンリエッタに告げる。

 

「まぁ、クリスのことはいい。すまないが手伝ってくれ。お前に頼みたいことが――いや、お前にしかできないことがある」

「…………」


 アータの言葉に、アンリエッタは思わず目を丸くした。

 

 ――お前にしかできないことがある。

 

 魔王家に来てから聞いたこともないようなまっすぐに自分を頼る言葉に、アンリエッタは言葉を詰まらせる。

 アータは小首をかしげ、アンリエッタの返答を待っているのに気づくまで情けない表情を見せた。だが、必死になって我に返り、アンリエッタは僅かに染まる頬を隠すようにして咳払いし、そっぽを向いて人差し指を立てる。

 

「そ、そこまで言うのであれば仕方ありません。えぇありませんとも。私も、アー……んん。クリスに貴方を監視すると言って飛び出してきたわけですし。それで、私はこれからどうすれば――」

「少し待て、小さな虫が――えっ、くしゅんッ! あ」


 照れ隠しでそっぽを向く傍で、鼻の周りを飛んだ小さな虫に擽られ、アータは小さなくしゃみをした。

 ついでに、勢い余って手をかけていた城壁をべこっと押し倒す。それはもう、真夜中に聞こえるはずのない轟音と土煙をミックスした演奏会のように。

 

「…………」

「…………」

 

 顔を見合わせ、自分達の視線の先にあった外壁が根こそぎ倒れていることをアータとアンリエッタは確認する。見上げる先には先ほどまで壁しかなかったのに、今は綺麗な庭園と、明かりがついて騒がしくなる城の姿が。築何百年という長い歴史を持っていただろうレンガ造りの城壁は見る影もない。

 そして、二人のいる場所に向かって走ってくるのは、夜間の白の周囲を警備していた騎士や、城門を守っていた衛兵達だ。誰もが驚きの形相で武装し、走ってくる。

 

 おい、今の爆発音みたいなものは何だ!

 東部城壁の破損を確認! 敵襲、敵襲!

 城壁傍に男と女がいるぞ、捕らえろ!


「あのぉ!? 何やってるんですかね貴方は!? 素早く静かに忍び込むどころか、大音立ててうるさく飛び込む状況ですが!?」

「大音立ててうるさく飛び込む作戦に変更する」

「違います、私が突っ込んだの作戦名じゃないです! っていうか、来ます来ます来ますよ!?」


 周囲から駆け寄ってくる足音と叫び声にアンリエッタはアータにしがみ付くが、アータは落ち着いた様子でアンリエッタの両肩に手を乗せた。

 

「いいか、お前は空を飛べるから飛んで逃げろ。その後、この庭園の奥に離れた泉がある。追っ手を撒いたらそこに集合だ。いいな?」

「ま、待ってください。アータ様はどうされるんです? 確かに私は飛んで逃げられますが――!」

「任せろ。あの程度の追っ手を撒くのなんてどうってことない。いざとなれば俺も飛べる。それより、衛兵が来る。すぐに行け!」

「……っ、か、必ず泉に行きます、アータ様もお気をつけて!」


 アータの真剣な視線に押し負け、アンリエッタは衛兵たちの叫び声に慌てて隠していた翼を出し、空に舞う。一気に高度を上げながら羽ばたきつつも、アンリエッタは空から大地に残したアータを泣きそうな様子で見つめ、そして――、

 

「おい見ろ! 空に魔族がいるぞ!」

「……っ!」


 誰かの言葉につられるようにして、現場に集まってきていた衛兵や騎士たちの視線が一気に空にいるアンリエッタに向いた。彼らの驚愕の視線に、アンリエッタは慌ててメイド服のポケットに入れていたナプキンで口元を隠す。捕まってしまっては、大地に残ったアータに面目が付かない。

 そう思ってアンリエッタは痛む心を引きずってその場を後にしようと羽ばたいた。そして、

 

「城壁を壊したのはあの魔族だ、逃がすな、追え!」


 聞こえてくる声に、ん? と首を傾げる。

 聞き慣れている声だ。ここ数か月、そう、自分達をひたすら振り回し続ける誰かの声にひっじょーによく似ている。鼻でもつまんで声色を変えているようだが、それでも誰かさんの一番近くで常に動いていたアンリエッタには分かる。

 逃げるさますら忘れ、大地から飛んできた大小の魔法を躱しながら、そこを見た。

 

 手を振っていた――。

 

 それはもう、満面の笑みで、追いかけてきていた衛兵や騎士達にばれないような瓦礫の死角にひっそり息を潜めて隠れ、その男は笑顔で手を振っていた。

 左手で鼻をつまんで、右手を小さくこちらに振って。

 

「追いかけろ! イリアーナ国王の命が狙われるぞ!」


 とんでもない叫び声を追加しながらその男は、会釈と共に衛兵や騎士達がアンリエッタに気を取られる間に、城内に向かってスキップで消えていく。

 

 ――手伝ってくれ。お前にしかできないことがある。

 

 そんなわずかに心を温かくさせた言葉がアンリエッタの脳内をリフレインし、悟った。悟ったからには、飛んでくる魔法を全力で回避しながらも、腹の底から叫ぶ。それはもう、世界を呪わんばかりの勢いで。

 

 

「私にしかできないことって、囮役ぅ!?」




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