第十四話 賭けの歯車
「隣に座らせてもらうよ」
「いや、貴方ちょっと――」
隣に座っていた優男と談笑していた過去のナクアの隣に、アータはアンリエッタを膝の上に抱きかかえて座り込む。顔を見られては困るのか、アンリエッタは慌てた様子でナクアとは逆方向に顔を向け、必死になって隠れる。
「マスター。従業員を借りるけど、その代わりに俺とそっちの女性に店で一番高い酒を。あぁ、そっちのお兄さんはどうする?」
ナクアが口説くふりをしていた優男に笑みを向けると、男は慌てた様子で首を振って言葉なく店から逃げていく。だが、過去のナクアはそんな男に視線も向けず、隣に座ってきたアータの様子に視線を細めていた。そして、マスターが渋々といった様子で差し出した酒を見て、カウンターに優雅に肘をかけ、アータとその膝に座るアンリエッタを値踏みするように問う。
「……何のつもりかしら」
「こういうつもりだ」
ぱちんと、アータは指を弾いた。この合図に、座席の奥から様子を伺っていたクリスは、溜息交じりに周りの客にばれないように魔法を発動。過去のナクアとアータの座るカウンター周辺の空気が微かにゆがみ、周囲の音がなくなる。
「これで外には漏れない会話ってわけ?」
「表情を隠してるわけじゃないし、動きだって周りには隠せない。おかしなことをせず、笑顔で話をしようじゃないか」
「……えぇそうね」
ナクアが表面上の笑顔で差し出したグラスに、アータもまたグラスを当てて乾杯。注がれた酒を口にするが、もともと酔えない体質のアータはぐびっと飲み干す。その傍で、酒の味を楽しんだナクアは飽きれたように口を割る。
「お酒ってそういう風に楽しむものじゃないわよ、貴方。……まぁいいかしら。ナクアよ」
「アータだ。魔王討伐のためにこの街に来た」
名乗りと確信を同時に伝えると、過去のナクアの表情が微かに動く。敵視と動揺。そんな感情を、ナクアの瞳の奥に宿った炎から読み取る。
「魔王にはそれぞれが強大な力を持つ直属の四魔人がいると聞いている。魔界の神獣、エキドナを倒した巨人族最強の戦士。森の賢者と呼ばれたケンタウロス族に生まれた、牡牛の異端児。エトナ山脈に住む、魔王に次ぐ力を持つ龍族の王たる神龍。そして――」
「…………」
言葉なくアータの言葉に耳を傾けたナクアは、酒の入ったグラスを飲み干した。そんなナクアの姿に、アータは微かに瞳を閉じて告げる。
「世界に巣を伸ばし、人間と魔族の橋渡しのため、人間界と交易をしていた唯一の魔族」
「……え?」
アータの言葉に、顔を逸らしていたはずのアンリエッタも思わず声をあげ、隠していたはずの視線を過去のナクアに向けた。当の本人は、向けられた視線に応えもせず、グラスに残った氷を転がしながら言葉を紡ぐ。
「生憎と、橋渡しならもうやめたわよ。魔界は――魔王様は方針を変えたわ」
「奇遇だな。俺も方針を変えようと思ってお前に声をかけたんだ」
「方針を変える? いや、それよりもちょっと待って。貴方が膝にのせてるその子……まさか」
ナクアの言葉に慌ててアンリエッタは顔を逸らす。だが、ナクアはアンリエッタの頭を鷲掴みし、そのままぎちぎちと自分へと向けさせる。二人の視線が交わるのを、アータは声を押し殺して笑う。
「……は、初めまして」
「奇遇ね。魔王様直属のメイド長である貴方が、人間界で何をしているのかしら? それも、こんな得体のしれない男と――というか、貴方、気持ち老けた?」
「老けてません! あ」
「やっぱり貴方なのね。ことと次第によっては、このまま頭だけ胴体から分離させてもいいのだけど?」
「ま、ままままってください! こ、これには大変深い理由があってですね、あ、あああ、アータ様!」
「そこまでにしておいてくれ。アンリエッタがここに居る理由が、方針転換の理由だ」
渋々といった形でアンリエッタの頭から手を離したナクアは、そのまま二人ををしげしげと眺め、探る様に問いかける。
「それで。貴方が言う方針転換っていうのは何かしら。その方針と彼女がここに居る理由の説明を聞こうじゃない」
ナクアの問いかけに、アータは膝の上に抱きかかえていたアンリエッタを下ろし、彼女を立たせた。狼狽するアンリエッタをよそに、アータは首に巻くマフラーを深くし、笑顔で答える。
「魔王家に、俺を雇ってもらいたい」
……。
「――は? いや、ちょっと待って。貴方何言いだしてるのかしら」
「ほら、こいつってあんた達のいる魔王家のメイド長なわけだろう? だから、こいつにあんたや魔王との橋渡しをしてもらって、俺も魔王家で働こうとおもってな」
「いや、いやいやいや。貴方でしょう、魔猪を倒したのは。その貴方が、人間の貴方が、よりにもよって魔王様のもとで働く?」
「そこまでわかってるのなら話は早い。こう見えて紅茶をいれるのが得意だ」
「あぁーんりえった?」
「違います違います! 私じゃないです私じゃないですから! っていうか、あ、アータ様貴方何考えてるんですか!?」
マフラーを掴んで揺らしながらも、目の前のナクアの無言の圧に負けるアンリエッタは、小さな悲鳴を上げてアータの背に隠れる。だが、怒りだけは収まらないようで、後ろからアータの髪の毛を引っ張ってきた。
遠目に見ると、過去のナクアとの会話を聞いていたらしいフラウやナクア、クリスも絶句や顔を覆う、頭を抱えるなどのリアクションに余念がない。
そして、彼らの様子と同じように、過去のナクアもまた眉間を揉みながら席を立つ。
「……冗談でもいっていいことと悪いことがあるわ。それに、貴方が魔王家につかえる理由がわからない」
「俺が魔王家につかえれば、魔界と人間界の戦争も収まる」
「収まらないわ。いえ、それ以前に戦争にもならないわよ、魔界と人間界じゃ。だって、本気になった魔王様なら――人間界なんて一日も持たないもの」
背を向けたナクアの言葉に、アータの髪の毛を引っ張っていたアンリエッタが僅かに口元を噛む。この先の一年を知っているアンリエッタにとって、過去のナクアの発した言葉への否定が口から洩れそうだったからだ。
「人間界が一日も持たない、か。なら、一つ賭けをしないか」
「賭けですって?」
背を向けて去ろうとしていた過去のナクアは、アータの言葉に立ち止まり振り返った。その長い黒髪を揺らせ、瞳に侮蔑と絶望を乗せてアータを睨む。その視線に向け、アータは腰に手を当て、自慢げに宣言した。
「俺が魔王に勝って、魔王家で働くことができたら――お前には、人間界との橋渡しをさせる。せいぜいこき使わせてもらうぞ、艶将」
アータの言葉に、一瞬だけナクアは目を丸くする。だが、その宣言に対する答えを持たず、ナクアはカウンターにお金を置いて酒場から静かに出ていった。
たったの一度だけ、もの言いたげに振り返り――。
◆◇◆◇
「あの、過去のアータは? わらわ、ずっと歌ってて状況把握できていないですわ」
「無茶苦茶やるだけやって、この後少し街を回るからって言ってどこかに行きました」
過去のナクアが酒場を去ってすぐ、過去のアータはアンリエッタ達と別れ一人で街の中に消えていった。アンリエッタはアータの背を見送ったのち、酒場の閉店と合わせてフラウ、ナクア達と共に倉庫街の一角で身体を休めていた。
「ナクア様。どうかなさいましたか?」
「……いえ。出会い方が変われば、あぁも変わるのねと思って」
「まぁ、随分無茶苦茶な出会いになってしまっていますが……」
「現実の私と勇者様が言葉を交わしたのは、魔王様と一戦交えた後だったもの。お互いに取りつく島もなかったわ。ねぇ勇者様、貴方はあの時本当はどう思ってたのかしら」
そうナクアが問いかけた先で、アータは倉庫に背を預けてナクアやアンリエッタ達を睨んでいた。
「アータ様? どうしたんです、そんな怖い顔をして」
「いや、悪い。今と未来を目の当たりにして、少し面食らっていただけだ。それと、あそこまで俺も無茶苦茶なタイプだとは思ってない」
「んんん? アータ様、何か変なものでも食べましたか? アータ様は大体あんなものでしょう」
アンリエッタの言葉に、アータは眉間を揉んで深い溜息をついた。そんなアータを心配そうにのぞき込んでいたフラウは、その場に腰を下ろす。フラウがそうするように、ナクアやアンリエッタも腰を下ろしていくのを見て、アータもまたその場にゆっくりと腰を下ろした。
「それで、アータ様。過去のアータ様の行動の理由について説明してくださる約束でしたよね?」
「ん、あぁ。わかった」
あたりに人がいないことを確認した上で、アータはぱちんと指を弾く。生まれた炎が四人の間で小さく浮遊し、その場を軽く照らす焚火のようになる。そうして一行が落ち着いた後、アータはアンリエッタやナクア、フラウたちへの説明を始めた。
「気づいていると思うが、俺は自分自身を魔王と戦わせるつもりだ」
「はい。今のアータ様は『いやーん私もう頑張れない』首輪のせいで魔力が抑え込まれていますし、この世界の外にいる全盛期のクラウス様相手じゃ勝てないからですよね」
「とはいえだ。あの魔王を記録世界から現実世界に召喚したことで、魔界図書館のセラは魔力の大半を使い尽くした。世界最古の魔導書が誇る莫大な魔力をだ。今の魔界図書館の片割れに、この世界から俺を召喚出来る魔力はない」
「あっ……」
確かにと、アンリエッタは顎に手を当てて思案する。この記録世界を作る魔界図書館たる世界最古の魔導書セラは、クラウスを呼び出すことで大半の魔力を使い果たしている。そんな状態で、また一人クラウスクラスの化け物を現実世界に召喚出来る魔力があるはずがない。
「じゃあどうするんですの。今のままじゃ過去のアータを外に連れ出せないんですの」
「だから逆に考える」
「逆に考える?」
「過去のナクアとあいつが接触したのは、この記録に外との縁を持たせるためだな。アンカーをどこかで用意しないと、扱いきれない大魔法になる」
「お待ちください。おっしゃってる意味が私達には全然理解できないんですが……」
「理解してもしなくても、残りの時間は少ない。そうなった後は、俺に任せろ」
「…………」
そういってアータが押し黙る。任せろという言葉に、ナクアとフラウは困ったように顔を見合わせて肩を竦めた。だが、アンリエッタだけはアータの物言いにわずかな怒りを覚え、鼻を鳴らす。扱いしれぬ怒りが湧き、アンリエッタは詰め寄る様にしてアータに尋ねた。
「相手はあのクラウス様ですよ? 貴方が一年も戦い続けて勝敗のつかなかったあのクラウス様です。そのクラウス様相手に、任せろの一言で任せられるとでも?」
「虚を突いて引きずり込むぐらいなら訳はない」
「わかっています。ですが、そうではなく! あなた一人で互角なら……!」
「自分の力なら、自分が一番よく知ってる。そして、その俺と互角に戦った魔王なんだろう。言いたいことは分かるが――一人のほうがいい」
一人のほうがいい。その言葉を聞いた瞬間、アンリエッタは強く唇を噛みしめ拳を握る。その様に気づいたナクアが慌ててアータの言葉を取り消させようと声をあげ、
「勇者様、さすがにそれは――」
「わかりました! ではこの件はどうぞお好きに! 私は過去のアータ様の見張りにでも参りますので!」
アータを窘めようとするナクアの言葉にも耳も課さず、アンリエッタは叫ぶようにして踵を返し、その場を足早に離れていった。その姿をおろおろと見送ったフラウは、闇に消えていくアンリエッタと、深い溜息をつくアータを交互に見て、自分の無力さに頭を垂れる。
アンリエッタの気配が完全になくなったところで、ナクアはアータを一瞥して頭を抱えた。
「勇者様、さすがにさっきのはないんじゃない? あの子もあの子で心配してるのよ。追いかけなくていいの?」
「……追わなくていい。どうせ俺が何とかするさ。それに、あれでどうにも勘がいいらしい。気づいたから怒ったんだろうさ」
「それは、怒りますわ。あんな突き離され方したら、わらわも怒鳴りますの」
「いや、まぁそういう風に取れるのか。けど、相手が相手だろ。それより、今日はもう休め。明日もきっと俺に振り回されるぞ」
「…………」
アータが倉庫の屋根に飛び、ナクアとフラウの前からも消える。飛び上がった倉庫の屋根を見上げたナクアとフラウは、顔を見合わせて深い溜息をついた――。