第十三話 酒場の密会
「魔王と戦いたいか、だって?」
途端に鋭くなる眼前の過去の自分の双眸を見つめ返し、緩めた頬をそのままにアータは語る。
「間違ったことを言ったかい? 君のいた小さな村も襲われたんだろう?」
「間違っちゃいない。戦えるなら俺だって早々に戦って決着をつけてしまいたい」
「話が早くて助かるよ。実はね、魔王ならもうすでにいる場所を特定しているんだ。待ってる、というほうが正しいかもしれないが」
「待ってる? 誰を」
問いかけには応えず、青筋を浮かべて料理を持ってきたアンリエッタにありがとうとだけ伝え、机の上に広がった食事に視線を移す。パンをメインにしたオーソドックスな主食に惣菜。だが、料理に手を付けるより先にお冷の入ったガラスのコップを手に取り、目の前の過去の自分に向かって差し出す。
「……」
不満げに睨まれたが、差し出したコップに過去の自分が右手を翳し、そのコップに小さな氷結魔法を発動。酒場の熱気でわずかにぬるくなってしまっていたお冷の中に氷の塊を生む。そのまま無言でコップを口元に戻したアータは、一口。
凍るような冷たさにふぅっと小さな息を吐き、机に頬杖をついて過去の自分に笑みを向けた。
「こういう時、普通は自分のコップを差し出して乾杯するのが作法ですよ」
「……確かに」
アータの言葉に、過去の自分は自分の行動に疑問を持ったのか、顎に手を当てて思案し始める。
「なんていうかな、あんたは俺のことをどこまで知ってるかわからないが――なんとなく、俺もあんたの言わんとしてることがわかるんだよ」
「ほう、では先ほどコップを差し出した私はなんと考えていたと?」
「生ぬるい水は嫌いだ。冷やしてくれ、だろ。俺も生ぬるいのは嫌いだ」
ぱちぱちぱちと小さな拍手をして、アータは声を押し殺して笑った。
「結構! そのレベルで私の考えていることを理解できるなら、私の依頼も十分に達成できそうだ!」
喜ぶアータをよそに、自分のコップも冷やした過去のアータは背もたれにどっぷりと背を預け、深く息を吐き出した。そしてそのまま水を一口含み、腕を組んで目線を素早く酒場の入り口に向けた。深夜も回り始める時間帯だが、独り身の上品な大人の女性が酒場に入ってきたところだった。
酒場の中からも、現れた女性の美しさにおぉっと声が上がっている。
視線を入り口にも向けずにパンに齧りついた過去の自分を他所に、アータは酒場の常連たちと同じようにおぉっと声を上げて入口に視線を向けた。
そんなアータの様子を見て、パンに齧りついていた過去の自分は眉を顰めて小さく一言。
「で、最初の狙いは今酒場に入ってきた女性の件か? というより、視線なんか向けたら気づかれるんじゃないのか?」
「お、気づきましたか? でも、こういう時は視線を向けなきゃだめですよ」
「なんでだよ」
「周囲が興味に声を上げて視線を向ける中で、あえて視線も向けずにパンに齧りつく男なんていたら、それこそ怪しまれるというものです。下手ですねぇ、周囲に溶け込む術が」
「…………」
握りこぶしを握って怒りを露わにする過去の自分をケラケラと笑い、注目を浴びていた女性が、そのままカウンター席にいた若い男の隣に座るのを見送る。女性の姿が記憶の中にある彼女と一致していることに気づき、アータは頬を緩めて酒場の奥のステージでピアノを弾く彼女に視線を一瞬だけ向けた。
アータの視線に気づいた彼女――ナクアは、ピアノを弾きながらも器用にウィンク。ばれないように魔力も消し、変装しているわけだが。
ナクアの様子を確認したアータは、ついでカウンター傍にちらりと視線を向けた。
「――――」
視線の先にいたアンリエッタは、酒場に入ってきた妙齢の女性――過去のナクアから姿を隠すようにして四つん這いでしゃがみ込み、こちらに向かって全身全霊を賭けた見つかったらばれるアピール。必死な形相で両腕をクロスさせてバツを描いている。サボってると思われたのか、給仕の先輩に頭をひっぱたかれていたので放っておく。
フラウのほうはナクアと一緒に気持ちよさそうに歌っていた。手拍子や拍手が聞こえてくるほどには客の心を掴んているようだ。
「役者も揃いましたし、ではお仕事の話を」
「前置き長いのは苦手なんだ。手短に頼む」
「魔王倒して」
「手短すぎるだろッ!?」
「冗談が通じない人ですね。ユーモアは大事ですよ。心に余裕を持って行動しないと」
にこやかな笑みを浮かべたアータをよそに、過去のアータは頭を抱えて項垂れる。
「……あんたは本心を悟らせなさすぎる。飄々として手早くことを進める力もある。けど、だからかな。依頼をというが、あんた初めから一人で全部やろうとしてるんじゃないのか?」
過去の自分の言葉に、アータは口元をマフラーで隠して薄く笑みを浮かべた。こうして向き合って初めて知る。
勇者御供。
そんな風に魔王クラウスやアンリエッタに指摘されたことを思い出した。世界のために自分を犠牲にするなんてばからしいと。
「そんな風に見えますか? まぁ、そう見えるならきっと貴方もそうなんですよ。人は、約束を守るものですから」
そう答えると、過去の自分はどっぷりと背を預けていた椅子から起き上がり、目の前に出されていたパンに齧りつく。それはもう不機嫌さを露わにして。
「はっきり言うぞ。俺はあんたが嫌――」
「あ、すみません少しトイレに」
「話の途中なんだが!? おい待て、俺も行く。大体あんたはだな……!」
席を立ったアータの背を追いかけるようにして、過去のアータもまた酒場の奥のトイレに消えていった――。
◇◆◇◆
「随分疲れているようだけど大丈夫?」
「いえ、普段の屋敷仕事に比べればこれぐらいどうってことはないのですが、いかんせんストレスのほうで……」
フラウの独唱になり、ピアノの演奏を止めたナクアが休憩に入っていたアンリエッタの傍に並ぶ。アンリエッタはナクアの言葉に深い溜息を返しながらも、前髪で顔を隠すようにしてカウンターの陰から酒場の中を覗き込む。
視線の先に先ほどまでいたアータ達の姿はない。だが、カウンター席で若い男性と談笑している一年前のナクアの姿はある。
「あの、ナクア様。過去のナクア様に私達のこと気づかれないんです?」
「えぇ、私達はね」
「私達は?」
「私が――いえ、あそこにいる一年前の私は、ベヘルモットの放った魔界の猪が倒された報告を聞いてこの街に来たの。当時の情報の中には魔界の猪を倒せるほどの人間がいるような情報もなかったし。私もそんなことができる人間がいるなんて思ってなかったわ。でも、酒場に入ってすぐにその考えを改めたのよ」
「それはどうしてです?」
「酒場に入ってすぐに気づいたから。私達と同等――それ以上の強さを持った化け物がいることに」
ナクアの言葉に、アンリエッタははっとした様子で先ほどまでアータ達が座っていた座席に視線を向けた。
「酒場に入ってすぐ魅了魔法を使った。情報を聞き出すためにもね。でもね、そんなものをものともせずにこちらを一瞥もしない人がいたわ。敵意も殺気も向けられなかったけど、その実力はすぐに理解できた。あの男がやったんだって」
ナクアの僅かに低くなる声に、思わずアンリエッタも息を飲む。
「だから、観察することにしたの。いくらなんでも酒場の中でいきなり仕掛けてはこないだろうとは思ってたし。だから、適当な男と会話をするつもりで、全神経は勇者様に向けてるの。正直、他の事に注意なんて向けられないぐらい、彼の一挙手一投足の把握に努めてたわ」
「あの余裕そうな笑みの裏でそんなことしてるんです?」
「これでも魔王様直属の四魔人、四神将を名乗ってるのよ? それを酒場で鉢合わせただけの人間相手に余裕の姿なんて崩せないじゃない」
「……それは確かにそうですね。いや、当時の魔王家の誰一人、アータ様みたいな化け物がいるなんて思わなかったですし」
「まぁ、結局お互いに翌々日に倉庫街で一戦交えたわ。そのあとは貴女も知ってるように、彼が魔王城に攻め入り、魔界で魔王様と戦い始めたわ。その隙を縫って私はまたこの街に戻ったの。勇者様がいない間を狙って王の首を狙ったのだけど、それも彼に阻止されちゃったわ」
当時を思い出したのか、わずかに悔しそうな顔を見せたナクアに、アンリエッタは覗き込むようにして問いかける。
「お二人が言ってた一緒のお食事というのは……?」
「この街に戻った時に、私から誘ったの。貴方ほどの強さがあれば人の王の代わりになれるでしょ、私達と組まないかって」
「それって――あ、トイレから出てこられましたよ。随分長かったですが、一体トイレで何を――」
酒場奥のトイレから出てきたアータと過去のアータの姿を見つけ、アンリエッタはナクアと共に隅に隠れるようにして二人を見る。トイレに入る前は、過去のアータが情報屋を演じるアータを問い詰めるようにしていた。が、清々しい笑顔を浮かべる過去のアータと、その背後で深く頭を抱えている現在のアータがトイレから出てくる姿を見て、アンリエッタは頬をわずかに染めて引くつかせる。
そんなアンリエッタの横顔を覗き込んだナクアが一言。
「……今、あの二人見て何考えたの、アンさん」
「か、考えてません何も考えてません! 下世話ですよナクア様!」
「だって私艶将だもの。それよりあの二人、トイレに入る前と後で疲れ方が逆転してるみたいだわ」
「アータ様もきっと、ご自身の過去の姿を見て我が振り見直してるんじゃないんですかね」
ふふっと笑うナクアを一度だけ睨み、アンリエッタは座席についたアータ達の姿を目で追う。席についてすぐ、机に肘を乗せて頭を抱えるクリスの姿に対して、過去のアータは意気揚々と食事を再開している。
改めて遠目で見て思うのは、アータという人間が一年前とほとんど変わっていないことだ。一年という長い月日を魔王と戦い続け、数多くの力ある魔族を叩き伏せてきた人間界最強の英雄。だというのに、ふとした瞬間を除けば、そんな一騎当千のオーラなど全く見せない。立ち振る舞いだけはいつもあれだが。
あえて言うのであれば、過去のアータと今のアータの違いは――人を寄せ付けにくい雰囲気があるかどうか程度だろうか。
魔王家に来た直後に比べれば、今のアータの傍はそれほど悪くない。そんな風に考えてしまったアンリエッタは顔を振って立ち上がり、カウンターでお冷のお替りを入れてアータ達の席へと向かっていった。
「お変わりはいかがですか、お二人とも」
「……」
「どうしたんだクリス。いらないのか? あ、悪いけど俺はお代わりを」
「え、えぇはい。どうぞアータ様。クリスはいかがします?」
「あ、あぁ。俺はいい。少し考え事もあるからな」
口元に指を押し当てて考え事をするクリスの様子を怪訝に思いながらも、アンリエッタは過去のアータの前に水を差し出した。差し出した水を過去のアータが飲み干す傍で、ふと、アンリエッタは問いかけた。
「そういえば、お二人ともいつの間にお揃いのマフラーを? 先ほどまでは――」
「アン、あとでその件は説明する。それに、あまり長く俺たちの傍につかないほうがいい」
「……では、ごゆっくり料理をお楽しみください」
クリスの言葉に僅かながらの違和感を持ちつつも、その発言の意味に気づきアンリエッタはそそくさとその場を去ろうとする。だが、
「あ、アンさんだっけ。ちょっと待ってくれ」
「はい? はいいぃい!?」
過去のアータに呼び止められて振り返ると同時に、給仕服のアンリエッタの腰に手が回され引き寄せられる。そしてそのまま過去のアータはクリスのほうを一瞥し、小さく一言。
「約束は守れよ。恥を忍んで動くんだからな」
「……わかりましたよ。けど、そちらもしっかり守ってくださいね」
「ちょ、ちょっとお待ちくださいお二人とも! と、というかですよというかですよ、待って待ってまって!」
諦めにも似た溜息をつき、片手を振った。クリスに手を振り返した過去のアータは、抱き寄せたアンリエッタを引き連れてそのまま――、
「ねぇねぇお姉さん、よかったら一緒に食事でもどう? 彼女も同席で」
「――は?」
と、仲間達の誰もが――否。声をかけられた当の過去のナクアですら絶句する一言を放った。