第十一話 情報屋クリスの依頼
クリスと名乗ったアータの言葉に、深々とフードを被っていた男がゆっくりとそのフードを脱ぎ去る。
そうしてフードの中から姿を現したのは、見慣れた顔だ。今の自分よりも多少短い黒髪。今よりも鋭い視線。身体から溢れる魔力。への字を描く口元。
アンリエッタが後ろで驚きに口元を手で隠す前で、過去の自分の姿を見たアータは困ったように笑って頭を掻く。鋭い目つきは当然、現れた自分達のことを信用してない目だ。
「それで、私の提案はいかがかな、アータさん」
あえて名前を出す。相手が自分自身であるからこそ、相手がどう考えるかは手に取る様にわかる。
「……情報屋ってやつか、あんたは?」
「信用していただくためなら、まだいくつか情報を出しますが。聞きたいことはございますか?」
「後ろの魔族は?」
手順など気にせず、最初から核心をついてくる。なるほど面倒臭いなと改めて自分のことを自覚しなおし、アータは過去の自分の問い賭けに応えた。
「情報屋ですよ? 蛇の道は蛇。魔界の情報を得るなら、当然魔界の者を使います。人間界でも魔界でも、情報はお金になりますよ」
次の瞬間、アータの喉元に剣の切っ先が突き付けられた。
視線の先では、冷ややかな目で自分を睨む過去の自分が腕を伸ばし、掌からフラガラッハの切っ先を突き付けていた。その鋭い剣先は喉元に一筋の血を流す。背後にいるアンリエッタには殺気は向けず、自分にだけ向けられた意味は――分かる。
「奴隷の類ではありませんので心配いりませんよ。アータ様。なぁ、アン」
「え、あぁ、は、はい。私はアー……クリスの奴隷ではありません。仕事仲間です」
「魔界の情報を得るってことは、魔界にも情報を売ってるってことだよな?」
「人間も魔族も情報の前には同じものでしょう。売る相手は選びますが、情報の価値は等価ですよ」
「戦争につながる情報でもか?」
「終わらせるために貴方がここに来たのでは? まぁ、貴方が勝つか魔王が勝つかは知りませんが。戦いが早く終わるに越したことはありませんね。私達は戦争屋ではなく、情報屋なのですから。戦争をしていない腹の探り合いが一番懐が暖かいのです」
アータの言葉に、目の前の過去の自分は肩を竦め、掌に召喚していた剣を消していく。そのまま腕を組んで話に耳を傾ける意思を見せた。過去の自分の様子に、アータは満足いったように薄ら笑みを浮かべて問いかける。
「いかがなさいましたか、アータ様」
「いや、考え方がこうも似ると気持ち悪くて仕方ない。あんた達の話を聞くよ」
「それはいい判断です。お互いに益のある取引になりますよ」
「それで、目的はなんだ? 何をすればいい」
「いくつかの面倒事を貴方に解決頂こうと思いまして。差し当たって信用いただくにあたり、この街で動くために必要な身分証を」
アータは自分がもともと持っていた人間界での身分証を、過去の自分に渡す。掌ほどの小さなカードだ。そこに描かれている名前と顔を見て、過去のアータは手にした身分証を見て、不満げに顔を歪めながら話に耳を傾ける。
「まずはそれがあれば、暫くこの街での行動に困りはしないでしょう。仮の身分証ですので、そのうち正規のルートで貴方に身分証が発行されるように話は進めておきます」
「準備が良いなあんたは」
「それが仕事ですので。この後にお願いしたいのまず一つ。噴水広場に私達の忘れ物がありますので、そちらの確保を。確保した後は、この街の東にある倉庫街に放置しておいてもらえれば、こちらで引き取ります」
「忘れ物の中身は?」
「魔界で手に入れた人魚の石像です。多分、今頃広場で話題になっていますので」
「そんなものをどうやったら忘れるんだよ、あんた達は……」
背中に隠れているアンリエッタが、あっと言わんばかりに口を片手で覆った。本気で存在を忘れていたらしいことを軽く冷ややかに見下ろすと、彼女はさっと視線を逸らす。
「そのあとは街をご自由に散策されてください。次の接触は……そうですね。夜にでも、貴方が興味を持った酒場でご一緒に」
「漠然としてるな。俺が興味を持たなかったらどうするんだ?」
「その時は、貴方の見る目がなかったということで。では、私共もこの後の仕事が控えていますので、ここで」
「あ、ちょ、だからいきなり抱き寄せ――ひあああ!?」
そういって、アータはアンリエッタの腰を抱き寄せ、彼女の悲鳴と共にその場から高く跳躍。過去の自分が目で追うのに気づきながらも、その場から消えさった。
そうして残された過去のアータは、手にしていた身分証を裏返して気づく。
裏通り三番街の右手奥。そして、ハートマークの記載が。
「……生憎と、俺の見る目はあったみたいだよ、情報屋」
苛立ちとも喜びともとれるような呟きを残し、過去のアータもまた、通りの波に流れる様に裏通りから消え去った――。
◆◇◆◇
「ひいいいいあああああっ!?」
「っと。ハイ到着」
騒ぎっぱなしだったアンリエッタを、隣に下ろす。慌てて腰を落として周囲を見渡したアンリエッタに見えるのは、人気の少ない倉庫街だった。周囲にはいくつもの倉庫が並び、時折荷物を預けに来る商人や騎士達がちらほら見える程度だ。彼らに姿がばれぬよう、倉庫の屋根の上で身を低くするアンリエッタは、隣に座るアータに尋ねる。
「アータ様、この場所は?」
「商業都市としても有名だからな。こうして流れの商人達が持ち込んだ荷物が管理されている。一つ一つの倉庫には、それぞれ騎士団の魔法使いがカギをかけてある」
「それにしては警備が少ないんですね」
「そりゃそうだ。魔王が人間界を攻め始めた時期だぞ。騎士団も前線に送られてるし、何より街と街を行き来する商人達の数が少ないからな。見た目ほど今は使われてない」
罰悪くアンリエッタが咳ばらいをする傍で、結っていた髪や変装のために使っているマフラーはそのままに、軽く顔だけ後ろに向けて問いかけた。
「ナクア、いるだろ」
そう声をかけると、アータとアンリエッタがいる倉庫の一角から少し離れた物陰に、すぅっとナクアが姿を現す。その様はさながら獲物を狙う蛇の如く。ナクアは特に驚いた様子もなく、そのままとんっと地面を蹴ってアータ達のいる倉庫の屋根に飛び移った。
「その恰好、今度はどんな悪巧みを思いついたのかしら?」
「魔王を倒す悪巧み」
「あらそれは大変」
言葉とは裏腹に、ナクアはぐいっと腰を追って座っているアータをしげしげと覗き込む。時折聞こえてくる荒い息に、一つチョップを決めて話し込む。
「あの、アータ様はどうしてナクア様がここに居らっしゃると分かったんです?」
「記憶の時期がちょうど俺とナクアが初めて会った時の頃なんだよ。で、俺とナクアの間で明確に覚えている場所はこの倉庫街ともう一か所だけだ。だから、どちらかに行けば合流できると思ってた。ナクアも同じだろ」
「えぇ。今は日中だし、こっちかなって思ったわ」
「……二人だけで話が進むんですね」
「そりゃ、当時俺たちが暴れたのがこの倉庫街だからしょうがない」
アンリエッタの覗くような視線に肩を竦め返すと、ナクアもまた薄く笑みを浮かべ、唇に人差し指を当てて空を仰ぐ。
「時期的には……そうね。多分今日から二日後ぐらいの夜中に暴れたんだったかしら?」
「あぁそうだ。だから、今日の夜俺に会いに行ってくる」
「あの、アータ様一人で会ってくるんです? 私やナクア様は――」
「お前らとフラウには別のことを頼む。ナクア、耳を貸してくれ」
「えぇ、いいけれど」
「ちょっとあの、私にも話聞かせてくれませんかね?」
腕を伸ばしてくるアンリエッタの顔面を片腕で押しのけながら、アータはぼそぼそっとナクアにこの後の予定を耳打ちする。アータの言葉を耳にしたナクアは一瞬だけ驚いた様子を見せるが、すぐにニタァっと笑みを歪めてアンリエッタに視線を移し、舌なめずり。
「えぇ、それはいいわ。確かにそういうことにしておけば、過去の貴方からの勇者様への信用も少しは見えるでしょうし」
「頼む。フラウを回収したらそのまますぐに向かってくれ」
「だから、私はどうなってるんですかね!?」
そうこうするうちに、アータは倉庫街の人気のない一角に感じた気配にアンリエッタの口元を人差し指で抑える。ナクアもまた気配に気づいてすぐに屋根を飛び降り、そのまま影の中に消えた。何事かと息を飲むアンリエッタに、アータはくいっと顎と視線でそこに視線を移させる。
視線を向けた先の倉庫街の一角で、音もなく転送魔法陣が宙に浮かび上がる。
「アータ様、あれって……」
「仕事熱心なんだよ俺は。それと、どうせ隠れても気配で見つかる。名前を間違えず、堂々としてろ」
次の瞬間には、転送魔法陣から飛び降りるようにして、薄汚れた外套を揺らして過去のアータが出てくる。出てきたアータは被っていたフードを脱ぎ去り、ちらりとアンやアータのいる場所に視線を移す。アンがびくりと身を縮めるが、アータは満面の笑みで軽く手を振り返した。
これに苦虫を噛み潰したように眉を顰めた若いアータが肩を竦めると同時に、転送陣から依頼していた荷物――人魚の石像が転送されて、
ガシャァン、っと。
宙に浮かんでいた転送陣から落ちてきた人魚の石像が、地面に激突して砕け散った。
「…………」
「…………」
顎の外れる勢いで顔面蒼白のアンリエッタと、その横で満面の笑みを浮かべるアータの視線の先で、過去のアータがちらりと自分の背後を確認。砕け散った石像を見て、再び自分達のほうに視線を向ける。
そして自分達に背を向けたかと思うと、いそいそとしゃがみ込んで砕けた石像の欠片を積み上げ、魔法を発動。その場に再び元の人魚の石像が形を取り戻し、額の汗を拭う仕草を見せた。
こちらに背を向けたままの過去のアータは、そのまま右腕を軽く上げ、親指を立てる。次の瞬間には、宙に浮いていた転送陣がすぅっと過去のアータの身体を覆っていき、どこかしらに転送された。
「ちょっとアータ様ぁ!? あの、何してくれちゃってるんです、何してくれちゃってるんです!? 今完全に木っ端ミジンコでしたよ!?」
「そういえば、この街に来た時に転送魔法陣使えるようになったんだっけか。自分以外のものなんて滅多に転送しなかったからなぁ」
「言ってる場合ですか! ナクア様、水、水もってこっちに来てください!」
「あっはっはー、昔の俺ってばお茶目」
「ハチャメチャの間違いじゃないですかね今も昔も貴方は!?」
しこたま脳天にチョップを食らいながらも、アータは近寄ってきたナクアと共にフラウの石像のもとに飛んだ――。
◇◆◇◆
「あの、あのあの。アータ、アンさん、ナクア様、助けてくださってありがとうございますわ。置いていったのもアータですけど」
「どういたしまして」
「それであの、わらわ、一つ聞きたいんですの」
「どうぞ」
「わらわの頭、後ろ向いてません? 見下ろす先が背中なんですの。平面なんですの」
「良かったな。これでいつでも過去を振り返って生きていける。お前の歩いた道は、平坦だったのさ」
「アータ様、いい笑顔で何言ってるんです!? フラウ様、フラウ様が泡吹いたまままた石化しちゃったじゃないですか!? ナクア様も隅で笑ってないで治してください!」
フラウが無事に元の身体を取り戻したころには、日が落ち始めていた――。