第九話 再生される記録の中で
耳に響く喧噪。どこからか聞こえてくる音楽に乗る人々のにぎやかな声。ともすれば、子供の泣き声さえも届く。鼻腔を擽る香りは、バターの塗られたパンのもの。肌を薙ぐ風は、傍を突き抜けていった馬車のもの。
感じるどれもを全身に受け、アータは閉じていた目を見開いた。
「……どう思う、相棒」
『どう思うって……どう見てもこれ、首都イルナディアの大通りなんですの』
背に預けていたデッキブラシの声に耳を傾けたアータは、腰元にぶつかる様にして騒ぎながら自分を追い越していく子供たちの姿を見る。
「ごめんねにいちゃん! でも通りの真ん中で突っ立ってるにいちゃんがわるいんだからな!」
「あぁ、そうだな。気を付けて走れよ」
「おう!」
アータのほうを振り返っていた子供たちは、手にした木剣を振り上げてそのまま通りを駆け抜けていく。その背を見送りながらも、アータは見慣れた大通りの中央から端へと移動し、壁に背を預けて街行く人々を眺める。
先ほどの子供たちとぶつかった感触は確かにあった。
「……聞くけど、これがお前の能力の本質か?」
「どう、我見直した? 我のこと見直した?」
そういって少しだけ嬉しそうな顔で、傍にあった裏通りからひょこんと顔を出したのは、セラだ。着ていた魔法衣のフードを脱ぎ捨て、街の中でも目立つその薄青いショートヘア―を揺らし、アータを手招きする。手招きを無視して通りを眺めていると、諦めた様にセラはアータの隣にしょぼしょぼと並び立った。
「ここなら監視の目もないから、正直に話せるわ、我」
「やっぱり監視されてたのか。気配は全く感じなかったんだが」
「感じるわけないじゃない。ていうか感じなかったのに気づいたの?」
「勘だ」
「…………」
ひどく不満げに睨まれたが、アータは肩を竦めるだけの回答を返す。しばらくして、セラもまたアータから視線を街の通りへと戻して語る。
「我と奪われた半身は繋がってる。我の行動は、我の半身には筒抜け。逆にあっちの行動も我に筒抜け。我が見たものも感じたものも共有してる。ついでに言うと、世界で起きているすべてのことが、我と半身には記録されるわ。それも、今は半分ずつだけど」
世界で起きていることが記録される。その言葉を聞き、アータは大通りに少しだけ足を踏み出して周囲を確認。見慣れている通りの中でも、香る匂いと行きかう人々の姿を見て把握する。
「なるほど。さっき俺たち全員を飲み込んだあの本は、一年前のイルナディアの記録か」
「……なんで時間までわかるの貴方?」
すっとんきょうな顔を見せたセラの元に戻り、その問いかけに答える。
「イルナディアは人間界の商業都市としても有名だ。季節の旬の移り変わりも早いし、流行ってのも変わる。当時はまだあのクソ魔王の侵攻が始まる直前の頃だ。乳製品の仕入れが多くて、バターやチーズが流行ってた。街中の騎士の数も少ないだろ?」
「……あぁ、貴方このころにこの街に来たんだったわね。急いでたから、退避させる記録を吟味する暇もなかったのだわ。……なんでこのころのイルナディアになっちゃのか、我もわからないわ」
小首をかしげるセラをよそに、アータはセラの魔法で自分達がこの街のこの時代に退避させられた理由がなんとなく理解できている。
「なんにせよだ。この魔法で俺たちがこの記録の中に居られる時間はどれくらいある?」
「長くはないのだわ。ほとんどの魔力使い切っちゃってるし、精々この記録の中の時間で四日もないのだわ」
「四日……ね。じゃあとりあえず、アン達を探すか」
壁に預けていた背を起こし、ぐっと背伸び。直前まで魔王の幻影と戦っていた身体の節々は軽く悲鳴を上げているが、動かないわけでもない。そうして大通りに出ようとしたところで、セラがアータの執事服を引っ張る。
「ちょっと待ちなさい。我をもっていって」
そういって、振り返ったアータの目の前で、セラがぼんっと音を立てて一冊の蒼い本になって地面に落ちた。
『我、この魔法でもう魔力限界まで来た。人の姿保つのも魔力使うし、ここから先は貴方のそのデッキブラシ同様、貴方に持ってもら――そうそう、そうやって大事に抱えて』
「…………」
『あっ。おバカ勇者のくせに、なかなかいい抱かれ心地であるからして。そう、そんな感じで優しく。背表紙は敏感であるからして――あの、なんでデッキブラシを手にする?』
こちらの意図を理解してくれる相棒は、ため息交じりに羽根ペンの姿へと変わる。手にしている本のページを遠慮なく開き、その中身を覗きながらアータは羽ペンになった相棒をくるくる回して考える。
「元をたどればお前の記録から、あのクソ魔王を召喚したわけだろ? だったら、だ。例えばの話、召喚したお前の記録を書き換えれば、あいつの能力を下げることもできるんじゃないのかと思ってな」
『おバカじゃないの!? わ、我に直接書き込むなんてありえないからして! というか、既に召喚してるものに対してどうこうすることなんてできないからして!』
「冗談だ冗談。ただ、直接お前に落書きしたらどうなるか試したいだけだから、な、な?」
『馬鹿言ってないでやめるべし、やめるべし! ちょっとそこの三流アーティファクト! 貴方もさっさとこのアホ勇者とめ――ひいいいああああああ!?』
鼻歌交じりに空白のページにアータはつらつらと羽ペンで魔法陣を描く。ちょっとした小さな氷の塊を召喚する魔法だ。フラガラッハ自身に溜めこませていた魔力を込めて描いた魔法陣は、空白のページの中でわずかに発光。描いた魔法陣の中から、掌大の氷が召喚された。
これをひょいっとっ口の中に入れたアータは、うんうんと頷きながら、じたばたもがく本に問う。
「ページ破ったら?」
『トンデモ実験しようと考えるのやめるべし! 破られて戻るけど――あふんっ。や、破るのやめるべし!』
「自動修復作用はフラガラッハと同じようにあるんだな。……さすがに破ったページにまでは召喚能力はないか」
『三流アーティファクト! このアホ勇者の無茶苦茶辞めさせるべし!』
『無理なんですの。止められないから、あーたんなんですのん』
同じアーティファクトであるフラガラッハとセラが言い争いを始めるのをよそに、セラの背表紙裏にさらさらと魔法陣を描いて、自分の名前もついでに書き込む。そうして一息ついたところで、パンっと気合を入れて本を閉じる。セラがあふんと声を上げて苦しむが気にもしない。
「さて準備はできた。じゃあまずはアンやフラウ、ナクアを探すとしようか」
『我を乱暴に扱いすぎ! 我は世界最古のアーティファクトなのだわ!』
「おばあちゃん扱いとどっちがいい?」
『……小一時間悩ませて』
黙り込んで悩むセラを抱えたまま、アータは大通りの流れに乗った。見慣れている通りを人の流れに合わせて歩いていき、近くの雑貨屋に売っていた白いベルトリュックを購入し、その中にセラを詰め込み、腰から下げる。開いた両手で背伸びをしながら日差しを受け、通りを抜けて広場にやってきた。
『あーたんあーたん。とんとん進むけど、みんながどこにいるかわかるんですのん?』
「セラの能力で俺たちは今ここに居るわけだろ。一年前の首都イルナディアに。この頃の記憶でいうなら、俺自身とナクアの居場所は分かってる」
『あー……』
一年前を思い出したのか、フラガラッハが面倒そうに頷く。
「セラ。一応記録は記録だとは思うが、この記録の中でのタブーはあるのか? 普通にここに居る人たちと会話もできれば接触もできるが」
そういって広場の大通りにある噴水の傍まで歩みを進める。小さな露店から、家族連れまででにぎわっており、聞こえてくる声の多さは、大通りと比較してもなお負けず劣らない。
『記録の中ならある程度自由にできるわ。ただし、再生が終われば記録は元に戻る。ここで再生されている人たちに何かしても、それは現実世界の本人に影響を及ぼすことはないからして。……当然、外からここに来た我らは、ここで起きたことはそのまま現実世界に引きずってしまうのだわ』
「なるほど」
『あーたんあーたん。あれ見てアレ』
セラの答えに頷きながら、フラガラッハに呼ばれ細めた視線を噴水に移す。
視線の先には、周囲にいる人々の注目を一身に浴び、晴天の下で勢いよく噴き出す噴水と、その中で泳ぐ金髪人魚を発見。人々の目の前で高く飛び上がったその人魚は水しぶきを上げて着水。ゆっくりと水から出てきて、噴水の中央に腰かける。
浴びる水を美しく払いながらもその金髪人魚は、恍惚とした表情を浮かべ、
「はぁぁぁん、水、水、水なんですわ! 石化寸前だったわらわ、だい、ふっ、かつ! ですわ! ――ハッ!?」
アータと、視線が交わった。
◆◇◆◇
這い蹲って土下座したまま石化したフラウの背に座っているアータは、優雅に足を組んで人々の注目を一身に集める。もともとイルナディアでは珍しい執事服を着ているのだ。風にわずかに黒髪を揺らしながら、アータは背に預けていたデッキブラシから掛けられた声に耳を傾ける。
『で、あーたん。アンはどうやって探すんですの?』
「こうやってな、人の注目を浴びるだろ。そうすると、だ」
自分達を遠目に注目している人達をかいくぐる様にして、どいて、どいてくださいと言った聞き慣れた声が聞こえてきた。しばらくして息も絶え絶えに表れたのは、イルナディアに配置された騎士達に追いかけられながら、涙目で逃げてくる赤髪メイド――アンリエッタの姿だった。
「あ、ああああああアータ様、アータ様発見! た、助けてくださいピンチ、大ピンチです! ここ人間界の首都です首都なんで――なんで私追いついてないのに逃げ出しますか貴方は! 待ってほんとに待ってください! たーすーけーてー!」
前回人間界に来た時とは違う。魔族姿のまま街に放り出されたであろうアンリエッタと共に、アータは気合いを入れて追いかけてくる騎士達から逃げ出した――。