第四話 魔界図書館司書
フラウやアンリエッタ、ナクアと共に森の中を突き進んでいたアータだったが、ふと感じた僅かな揺れに右手を横に伸ばし、アンリエッタ達に立ち止まれと警告。先ほどのラミアの姿に似せられた泥ゴーレムの件もある。アータに促されて立ち止まったアンリエッタ達もまた、互いの背を預ける様に周囲を警戒した。
が、そんな一行をあざ笑うように大きく大地が揺れ始める。大きく一度縦に揺れた。ついで、すぐに強い横揺れに襲われる。
「アータ様、これって……!」
アータの背にしがみつく様にして、アンリエッタはバランスをとり叫ぶ。アンリエッタの声を耳にしながらも、アータは足元の大地で生まれる魔力の塊に気づき、眉を顰めてそこを睨んだ。
そうして揺れに耐える中で、大地が捲りあがっていき、生えていた木々を遠慮なくなぎ倒していく。まるで地面の中から何かが誕生しようとしているといわんばかりに。だが、それは比喩でもなんでもなく、一行の目の前に轟音と土煙と共に姿を現した。
周囲を舞う土煙を片腕で払いながらも、一行はそれを見上げてどう反応したらよいものか声を探す。
「……あれ、何に見えますアータ様」
「たった今、目の前の地面から生えてきたでかい塔」
「ちがいます、もっとこう……目の前で起きるこの現実を解決するような回答をお願いします」
「目を逸らせ」
「そういう意味じゃないんですが!?」
背中にいるアンリエッタとフラウが抱き合って目の前に現れた塔の姿にぎゃーぎゃー騒ぐのを尻目に、アータの隣に出てきたナクアもまた、驚きの表情で塔を見上げる。見上げることでかろうじててっぺんが見えるほどの巨大な塔。装飾は少なく、何のために作られたのかは理解できない程度の塔だ。とはいえ、目の前の塔の中からは猛獣の呻き声や、アーティファクトにも匹敵する魔力も感じる。
「……一応私、この地域を管轄してきた将だけれど、こんな建造物は見たこともないわ」
「この塔自体が内包してる魔力も大きい。このレベルを今まで感知できてなかったとなると、これは文字通り――」
「えぇ、ここに召喚されたんでしょうね」
「その通りよ!」
何の目的で――とナクアが呟いた瞬間、周囲に響き渡った見知らぬ声に、アンリエッタとフラウが慌ててアータとナクアの背に隠れて叫ぶ。
「誰です!?」
「ふ、ふふふふ……」
気味の悪い薄ら笑いが響いてくるのは、一行の目の前に現れていた塔の中からだ。アータの隣にいたナクアが小声で仕留めていいかと聞いてくるので、いいよ、と気軽に返事。笑い声の主が塔の中から、フードを被った幼いその姿を現した瞬間、隣にいたナクアの姿が消えた。
「誰かと聞かれれば、えぇ、えぇ応えましょうとも! そう、我こそ魔界と――なんとぉ!?」
「あら?」
フードを脱ぎ捨てて声の主が名乗ろうとした瞬間を、ナクアの鋭い蹴りが背後から襲う。だが、寸前のところでこれに反応して見せた声の主は、倒れ込むようにしてナクアの蹴りを躱し、驚愕の視線でナクアを睨んだ。その瞳に涙を浮かべて。
「せっかくの名乗りシーンでいきなり背後蹴りとは何事!? ていうか今、タマァッ取りに来てたわよね遠慮なく!?」
「勇者様がいいって言ったもの」
「人の命一つ、勇者の一声でとっていいとでも!? しかも我が魔界図書館の司書、セラだと分かってて襲う、襲う!?」
「ん? 魔界図書館の司書?」
言い合いしているうちにとどめを刺そうと、現れた幼いその少女の背後からデッキブラシを振り下ろした態勢で、アータは小首を傾げた。だが、すぐにそんなアータの姿に今気づいたのか、フードを捲り上げた少女は薄青いショートヘア―を振り乱し、眼前のデッキブラシに震える声で語る。
「そう! 我こそがこの地に眠る世界最古の図書館、魔界図書館の――」
「ドレイン、アンド絶対魔紋」
「ひいいいああああああああ!?」
名乗ろうとしていた少女の顔面にデッキブラシをこすりつけ、そのままドレインを発動。デッキブラシの下でセラと名乗った少女は両手を伸ばしたり足をぴーんと張ってもがく。
『あーたん、この子って……』
「あぁ」
フラガラッハの声に頷きながらも、アータは少女を見下ろす。
深紅の魔法衣に、薄青い髪。純粋な魔族よりも、どちらかというと人間に近い。だが、感じる魔力量は人間では考えられないレベルの莫大な量。結論だけで言うなら、そこらの空島が内包する魔力と比較しても遜色ないほどのものだ。
そして何より、魔法耐性の高さが尋常ではない。フラガラッハを介してのドレインでも、少女の魔力はほとんど奪えていないのだ。
これらの情報から考えられる可能性で最も高いのは――。
「お前――アーティファクトか」
「そうよ! 我は世界最古のアーティファクト! 意思持った世界の記録者! 魔界図書館司書のセラ! そんなことより、より! これどけて、チクチクして痛いわ!」
「あぁ悪かったな。俺はアータ、アータ・クリス・クルーレ」
「……ふん!」
叫ぶ少女――セラの言う通り、アータはデッキブラシを彼女の顔面から退けて背に預け、倒れ込んだ彼女に手を差し伸べる。地面で転がるセラは、差し出された掌を一瞬だけ睨むが、素直にこの手を取った。だが、握った掌に急な痛みが走り、慌ててセラは手をひっこめ、アータを睨む。
「あぁ悪い、ドレインと絶対魔紋を使ったから、多少魔力を帯びてたか?」
「ふん!」
鼻を鳴らして立ち上がったセラは、ぱんぱんと音を立てて魔法衣についた土を払った。それまで背後で控えていたアンリエッタやフラウも、アータやナクアを不満げに睨んだ後にセラの身支度を手伝う。
「お気を悪くされたら申し訳ありません、えっと……セラ、様?でいいでしょうか」
「貴方、魔王家のメイド長のアンリエッ――ん、んんっ。……アンね。貴方なら信用に値するから、我のことをセラと呼んでもいいわ」
「なんでそんな中途半端なところで咳払いして言い直します止めます? アンリエッタです、アンリエッタ。というか、セラ様、私のことをご存知なのです?」
汚れていた魔法衣の泥を払い終わったアンリエッタが、セラの前で子首を傾げた。そんなアンリエッタの様子に、セラは目の前で掌を広げ、そこに黒く分厚い書を召喚。手にした書をパラパラとめくりながら、アンリエッタの問いに答えていく。アータとナクア、フラウもまた、セラの傍に立ち、召喚された本を興味深く覗き込んだ。
「えぇ、この世界で起きたことで我が知らないことなどないわ。例えば、今朝貴方がこのばか勇者を罠に嵌めようと、惚れ薬入りの料理を食べさせたけど効果がなくて自室で悔しがってたとか。その料理をつまみ食いしたワイバーンが、貴方を咥えたせいでここに同行することになったから、責任を擦り付けようにも擦り付けられず文句が言えないとか」
「…………」
「…………」
アータがじと目をアンリエッタに向けるが、彼女は居住まいを正して素知らぬ顔でそっぽを向く。
「他にはどんな恥ずかしいことを知ってる?」
「あぁ見えてかわいい系が好きとか、実はメイド服のデザインをしたのは彼女の趣味とか、最近貴方が施した浄化作用で身体が綺麗になるからお風呂に入るの忘れ始めてるとか――」
アータは鼻をつまんでアンリエッタにしっしっと手を振った。流石にこれには熟れた果実のように顔を染めたアンリエッタが叫ぶ。
「ち、違いますよ違います! 確かにお風呂入るのを忘れそうになったのは間違いありませんが、ちゃんと入ってます、入ってますから! お嬢様連れて入ってますから! たまーに、ほんとたまーに忘れるだけです!」
「えんがちょー」
「そのセンスにイラッとします、そのチョイスとそのセンスフルにイラッとします私」
アータの襟元を取ってがくがくと揺らしてくるアンリエッタに深い溜息を返す傍で、セラの魔導書を覗いていたフラウが口を開く。
「あの、あのあの。じゃあわらわの名前は?」
「貴方? 貴方はしらない」
バサッと切り捨てるセラの言葉に、フラウがその場に泣き崩れる。ついでに足が乾燥し始めたのか、四つん這いで崩れ落ちた姿で石化し始めていた。そんな彼女の姿を哀れに思ったのか、セラは不憫な様子でアータに小声で問いかける。
「……あの子、あぁいう扱いが魔王家で基本だと思って受け答えしたけど、やりすぎちゃってる我?」
「意外と小心者なんだな、魔界図書館司書のアーティファクトってのは」
「うっさい」
アータの一言が不満だったのか、セラは手にしていた黒の魔導書を閉じ、新たに青の魔導書を召喚し、ページをめくりなおす。
「あー、おほん。知らないっていうのは嘘。フラウ・フランソワ・アルフレーラ。えーっと、人魚界でも有名なアルフレーラ家の令嬢よね。引きこもってる間はつらかった親の視線が、魔王家就職で緩和したのね」
「そういうのは言わなくていいんですの!」
石化から立ち直ったフラウがセラにしがみつく様にして泣き言を叫んでいる。自分の首を絞めていたアンリエッタもまた、秘密を暴露したセラのもとへと駆け寄って、三人はギャーギャーと騒ぎ始めてしまった。
残されたアータは、彼女たちの様子に肩を竦めながらもナクアと話を進める。
「で、お前はあのセラって子のことを知ってるのか?」
「私が知ってたのは、セラエノっていう名の司書よ。昨年までは少なくとも、彼女が魔界図書館の司書だった。セラは……そうね、面影はあるわ。セラエノと同じ薄青い透き通る髪。尊大な物言い。何より、人の姿を形取れるアーティファクトは彼女を差し置いて世界にはないもの」
『ナクアんのいう通りですのん。あーたん、あのセラって子は間違いなく、世界最古のアーティファクトですのん』
「同じアーティファクトのお前が言うんだ。間違いないんだろうな」
人の姿を取るアーティファクト。
そういうものがあるということは知っていたので驚くほどではないが、セラの言う世界の記録者という存在に興味は尽きない。フラウやアンリエッタの反応を見るに、セラの語った彼女たちの行動は事実だったのだろう。
――ならば、セラはどこまでを知っているのか。
暴れる二人に引っ張られるセラに、アータは興味本位で尋ねた。
「なぁ、セラ。一つ聞きたい」
「何よ。我に答えられないものなんてないんだけど?」
「俺がどこで生まれたか、知ってるか?」
「そんなの簡単――」
アータの問いかけに、セラは新たに一つの真っ白な魔導書を召喚し、捲ったページを見て口を噤んだ。
アータの生まれ故郷に興味を持ったのか、セラの様子に困惑したのか、アンリエッタとフラウはセラの背後から彼女の魔導書を覗き込もうとする。だが、セラはすぐにこの魔導書を閉じ、アータを睨み付けて答えた。
「人間界にあるイリアーナ王国の北、オリン山脈の麓にある村」
「正解。なるほど、ほんとにこの世界で起きてる事すべてが把握できてるのか。感服したよ」
「アータ様の生まれって、オリン山脈の付近だったんです?」
「言ってなかったっけ。あの地域だったから、イリアーナ王国とつながりがあるんだよ俺は」
アータの生まれ故郷の話で盛り上がり始めたアンリエッタやフラウをよそに、閉じた白い魔導書の何も書かれる表紙をセラは見る。
そして、誰にも聞こえぬような声でそっと一言。
「……隠し事が多いこと」
と。