第二十五話 勇者と魔王の挨拶参り
「……きれいですね、お嬢様」
「うむ!」
アンリエッタとサリーナが空に向かって咲き誇った巨大な雪月華に魅入っている傍で、息も絶え絶えにその場に四つん這いになった魔王を見下ろすアータは深く息を吐き出した。
アーティファクトの魔力を一身に受けると、見下ろす魔王のように大量の体力を使い切る。今の自分達には首輪による魔力制限のせいもあって、その身に大量の魔力を宿せば、当然反応する首輪が自分達から強烈なドレインで魔力を持っていくからだ。
まぁ、だからこそ魔王をアーティファクトからの魔力の受け皿として使ったわけだが。
「生きてるかクソ魔王」
「ぜぇ、ぜぇ……。こ、このアホ、勇者め! これぐらい、私にとって――おぶっ、全然平気にきまっておるだろうが! よし体力回復完了!」
つい一秒ほど前までは四つん這いで息も絶え絶えだった魔王は、すぐさま立ち上がって大きく背伸び。顔色はすっかりいつも通り。相変わらずとんでもない肉体をしているなとアータは呆れた。だが、魔王の怒りの矛先が自分に向かうより早く、アータは空に作った雪月華のもう一つの役目を果たすため、アラクネリーとテノルの名を呼び、彼らと共に街の南西へ向かって進み始める。
すぐさま背を追ってくるネリ―やテノル、サリーナ達と共に、光に包まれるイリアスの街を――否、イラプセルの街を進んだ。
「アータアータ、この先に何かあるのかの?」
「あるといえば、ありますよ。俺も実際にこの目でしっかり見たわけではないので、どんなものかまでは知りませんが」
「にょっほおおお! すんごいお宝とかなのかのぅ!」
「あ、ちょっとお嬢様! 一人で走ると危ないですよ! アータ様、追いかけます!」
「はいはい」
駆け出していくサリーナを追いかけるようにして、一行は街の南西へと到着する。街の端。それこそ、これまでは視覚結界で覆われた崖にもなっている場所に立った一行に、魔王クラウスが視線で下を見ろと訴える。
その視線に答えた一行は、雪月華が街と共に照らし出したソレを見て、言葉をなくした。
「……街の遺跡?」
アンリエッタの呟きに、魔王クラウスが言葉を重ねた。
「うむ。イリアスの――イラプセルの街が作る影によって何千年と封印されてきた遺跡である。この私をもってしても、封印されていた状態では触れることさえできぬほど強力なものであった」
「あれが、巫女殿たちが知らぬうちに守り続けた……」
一行の視線の先にあったのは、イラプセルの街よりもはるかに巨大な都市の遺跡。レンガ造りの街の遺跡だ。遠目からでもその遺跡のあちこちは既に風化し始めており、全てが昔のまま残っているようなものではない。だが、イラプセルの街の影に隠されるようにして封印され続けていたその遺跡からは、不思議な力を感じる。
確かに数千年も前の都市の遺跡だろう。風化し、原形もわずかにしか残っていないような都市の名残だろう。だが、見下ろすだけでもその都市の賑わいが感じられる。広く、区画整理された都市。風化しきらずに残る生活の跡。
アンリエッタやアラクネリー達がその遺跡のさまに見惚れている傍で、アータは静かに魔王の隣に立ち、瞳を細めて問う。
「おい、魔王」
「なんだ、勇者」
「数か月前、俺とお前が魔界と人間界の中央の海――オケアノスで戦った時のことを覚えてるか?」
「……」
魔王クラウスは押し黙る。それもそのはずだ。視線の先にある遺跡と同じものを、自分達はオケアノスの海中で見たことがある。魔王との戦いを続けていた際、海で戦った自分達は戦いの場を海中に求め、互いの必殺のぶつかり合いの中で封印を壊して目にした海底遺跡。
その際もアータとクラウスは遺跡の持つ不思議な力を感じ取り、その場は戦いを納めて引いた。
「あれを壊そうとしていたのだな?」
「あぁ。テノルはあれがなんだか知らないからこそ、そういう道を選んだ。だが、それを唆したのは、何とかっていう連中だ」
「……ふん。つまりその連中は封印されていたものが何かを知っていて、壊そうとしていたと」
「ついでにいうと、お嬢様達を巻き込んだのもそいつらだ」
隣に並び立つ魔王クラウスの角がピクリと動く。あぁ、かかったなとアータは内心で笑いながら、言葉を続ける。
「当然、お嬢様には怪我一つないが。だいぶ怖い思いしたんじゃないか? あいつらテノルを操って本当に好き勝手やってたからな」
「おい、アホ勇者」
「なんだよ?」
魔王に視線を向けると、その顔は今にも爆発寸前の怒りを携えた憤怒の笑顔を浮かべており、アータは呆れた様に瞳を細めた。
「抜け目のないお前のことだ。当然――やり返す準備はできているだろうな?」
クラウスの言葉にアータは肩を竦め、アンリエッタとネリ―の名を呼ぶ。
「アン、少し頼みがある。お嬢様とテノル、あと俺たちの後ろで控えてるメイド服に着替えさせたイエティを何体か連れて、あの遺跡を調べておいてくれ。ネリ―も皆を頼む」
「それは構いませんが……。あの、あそこにある遺跡に変な魔物とかいませんよね?」
「大丈夫だ。感じる魔力の気配は、精々メデューサ数十体程度だ」
「それ伝説の魔物ですよね!? 全然大丈夫じゃないですよね!?」
詰め寄るアンリエッタの悲痛な表情に、アータは深い溜息をついてサリーナに一つお願いをする。
「お嬢様、昨日の朝練習したあの魔法。あの遺跡全体にお願いします」
「にょほ? 使っても平気かの?」
「えぇ、全力でどうぞ」
「うむ! では――なんじゃったっけ。あそうじゃ、死の罰則!」
サリーナが掲げた両手から放たれた遠慮のない即死魔法が、街から見える遺跡の全方位に広がる。どす黒い煙が一瞬だけ遺跡全体に広がり、遺跡から何とも言えない切ない絶命の叫びが響き渡り――数秒後にピタリと静かになった。
「はい、これで全滅。じゃあ後宜しく」
「……あの、なんだか涙出てきたんですが。っていうか、アータ様と魔王様は?」
「ちょっと消し飛ばしてくる」
「え?」
◇◆◇◆
「戻りましたか、アイン」
「はい、司教様」
イリアスの街から遥か数千キロの離れた海の果てにある小さな島。数百人の魔法使いによって極大の封印魔法で隠された大地。
そんな大地の中央に建てられた白の塔の入り口には、黒法衣の魔法衣に身を包む十二人の使徒が並び立ち、島に戻った使徒――アインを迎えた。並び立つ使徒たちは人もいれば、魔族も、エルフもいる。それだけで使徒と呼ばれる者たちが特殊な組織であることはすぐに理解できるほどに。
そして、使徒たちの先に立つのは白法衣を身に纏う司教。
黒法衣の使徒たちの前を悠然と歩き、アインは司教の前で膝をついて頭を垂れた。
「第一位の使徒アイン。ただいまここに」
「ご苦労様ですアイン。そして、結果はいかがでしたか?」
市況の期待するような声に、アインは一瞬だけ唇を噛み、震える声で答えた。
「失敗に終わっております」
失敗。その言葉に、司教と共に並び立っていたほかの黒法衣の使徒達の間に嘲笑が広がっていく。黒法衣の使徒たちの中でも頭一つ高い背をした仮面の男が、頭を垂れたままのアインを見下すように笑った。
「ざまぁないな。蛇の使徒の所有するアーティファクトを持ち出したってのに、おめおめ負けて帰ってきたのかい、第一位様」
「…………」
「仕方ありませんよ第四位殿。第一位殿が弱かっただけです。でもこの失敗で、僕らの序列も変わりますかね。ふっふっふ」
仮面の男の傍で立つ少年といっても差し支えないほどの小さな使徒もまた、アインを見てこらえきれない笑い声を隠せずにいる。そうして嘲笑が広がっていく使徒達を窘める様に、司教は片手で制止を促す。
「皆、仲間の失敗を咎めるものではありませんよ。私達は共通の目的のもとに集まった蛇の使徒。かの地の遺跡を勇者と魔王に抑えられたのは痛いですが、それだけで彼らがこの世界の真実に気づくわけではありません。せいぜい、勇者殿と魔王殿には勝利の美酒に酔っていただきましょう」
『あー、悪い。俺酒に酔えない体質なんだ』
「誰だ!?」
愉悦ともとれる司教の言葉に、ここに居ない誰かの声が響いた。すぐさま司教を含めて周囲にいる黒法衣の使徒達が戦闘態勢を整えるが、声の主の気配は全くない。それこそ、声だけがこの場に届いているのではないかという――、
「……っ!」
そうして何かに気づいたアインが、慌てた様子で自らの黒法衣の上着に触れる。脇、背中――首元の僅かなふくらみ。そこから取り出したのは、掌よりも小さな魔水晶だ。あの一瞬で入れたのかと、アインは驚愕に息を飲む。だが、すぐさま先ほどアインを攻め立てた第四位と呼ばれていた大男がアインに近づき、手にしていた魔水晶を奪い取る。
「第一位様よぉ、ほんと盛大にしくじりやがったな」
『お? 話の通じなさそうな猿の声が聞こえるな。うきき?』
「あぁ!?」
魔水晶から響く挑発の声に、大男が掌に握る魔水晶に力を込めた。だが、男の怪力にも魔水晶はびくともしない。大男の怒りの高まりに気づく他の使徒達が慌てて男の両腕を捕らえ、その手にしていた魔水晶を先ほどの少年が奪い取った。
「あぁ、悪いね。話の通じない猿から、取引のできる鳥に変わったよ」
『そいつは助かる。鳥頭相手なら皮肉も忘れてもらえるだろうからな』
「……それで、誰なんだい貴方は?」
『アータ。アータ・クリス・クルーレ。あんた達には勇者って呼ばれてる』
勇者――。
その響きに、一瞬にして黒法衣の使徒達の間に緊張が高まった。魔水晶を手にした使徒の少年は、眉を顰め、司教の前に魔水晶を掲げる。
「これはこれは、人間界の英雄。世界最強の勇者殿。貴方ほど高名なお方が、私共に何用ですかな?」
『挨拶をするって、そこに逃げ帰った名前も知らない奴に宣言したからな。菓子折りでも必要だったか?』
「いえいえお気になさらず。どうせここには来れないでしょう」
『自信満々だな。まぁ、どうせ大規模結界で探知できないようにしてるんだろ?』
「ふふっ。聡明で助かります。それで、挨拶だけではないのでしょう?」
会話の先手は自分が握っている。そういわんばかりに白法衣の司教は頬を愉悦に歪め、周囲で戦闘態勢を整えていた黒法衣の使徒達もまたゆるりと緊張を解いていく。
『そうだな。一つだけ伝え忘れてたことがあったのを思い出してな』
魔水晶越しに届くアータの言葉に、司教は勝ち誇った笑みで問う。
「いいでしょう、何を聞きたいのです?」
『お前ら――魔王を怒らせたぞ』
アータの静かな言葉に、愉悦に顔を染めていた司教や使徒たちの間に一瞬だけ緊張が走る。この場にいないはずなのに感じた強い寒気に、解いていたはずの戦闘態勢を思わず取ってしまうほどに。
「怒らせた……ですか?」
『あぁ。お前ら、今回の件にあのクソ魔王が一番大切にしてるものを巻き込んだ。だから、気を付けろって言っておこうと思ってな。魔王は地獄の果てまで、あんた達を滅ぼしに行くぞ?』
「ははっ、それは御忠告ありがとうございます。ですが、心配いりません。私達は蛇の使徒。世界の闇に紛れる使徒。いくら貴方や魔王とて、私達を捕まえることなどできはしませんよ」
『そうだな。それじゃあこの辺で失礼する』
「………ふん」
魔水晶を壊そうと、司教が冷たく視線を細めると同時に、もう一度だけ魔水晶に光が灯る。
『あぁそれと一ついい忘れてた』
「……なんでしょう?」
『あー、おほん、んんっ。コノ会話ガ終ワルト、自動的ニ魔王ト勇者ガコノ島ヲ襲イマス。以上』
ブツッ――。
「は?」
次の瞬間、司教や使徒たちのいる島全体が轟音を立てて縦に揺れた。
天変地異などという生易しいレベルではない、とんでもない揺れだ。あってはならないほどの縦揺れの前に、使徒たちの身体も一瞬地を離れるほどの。そしてすぐに島の中にいる野生の動物達の尋常ではない雄叫びが聞こえ、鳥たちは一斉に島を飛び立つ。悲鳴は動物達だけでなく、島の各地に配備した使徒たちの部下のものも聞こえてくる。悲鳴――いや、もはや断末魔とも呼べるものが。
「な、なんだ!? 何が起こってる!?」
数名の使徒が司教の身体を支えに近寄る傍で、大男やアイン、少年使徒はすぐに空を見上げて異変に気づく。
蛇の使徒の集うこの島は、八重もの超規模な結界魔法で外界から空間を断っている場所だ。どれほど外界がとんでもない天変地異に見舞われても、この島だけは無事でいられるほどの、魔法使い数百人によって守られる島だ。
そんな島の空に、ひび割れができている。
否――。
島を囲う八重結界が、何かに破られようとしている。
「お、おいおいおい冗談だろ? アインッ! お前、どれだけの失態を犯しやがったッ!?」
「……司教様、これは!」
黒法衣の使徒達の動揺は隠せない。
第一位から第十三位までいる彼らはそれぞれが、人間界、魔界の両方で天才、化け物と恐れられたような面々で構成されている。そんな彼らが互いの力を結集して作り上げた結界魔法。司教のもとに集った使徒――蛇の使徒。
司教を含む十四人の使徒がいれば、勇者や魔王など恐れるに足らず。そんな風にあざ笑うほどの力を有した組織――のはずだった。
だが、そんな彼らの目の前で彼らの集まった島の結界は、空を舞う裸の魔王が扉を押し開く様に簡単に引きちぎった。
使徒たちが唖然に空を見上げる先で、結界を引きちぎって自慢げに拳を振り上げて笑うのは、長い銀髪を揺らし、燃え盛るような深紅の角を天に反り立たせた魔界無敵の魔王――クラウス・フォン・シュヴェルツェン。
「クックックッ、ハハッ! この無敵の魔王たる私の前に、こんなド三流な結界が本気で通じるとでも思ったのか! あ、やばい、腰巻は持たなかった」
慌てて股間を隠す魔王は、そのまま使徒たちの集まる前に強靭な羽ばたきと共に降り立った。すぐさま好戦的な使徒の一人が降り立った魔王の背後から剣を振り下ろすが、魔王はこれを一瞥もせず、飛び込んできた使徒の顔面を鷲掴みにする。そしてそのまま、飛び込んできた使徒の顔は魔王の掌の中で燃え上がり、断末魔すら上げることなく灰となって宙に消えた。
「第三位ッ……!?」
消し去った使徒の着ていた黒法衣を腰に巻きなおす魔王は、鋼の肉体を白日に晒したまま腕を組み、集まった使徒たちを見て口端を釣り上げる。
「ちらほら、魔界でも見た顔がいそうだが……」
「――ッ」
「私だけに気を取られてる程度じゃ、危機意識が足りんなお前たちは」
魔王の言葉と同時に、司教を守る様にして魔王の前に立っていた使徒たちは、自分達の背後から聞こえてくる何かが砕ける音にようやく気付く。そうして彼らが視線だけ振り返った先では、何もないはずの空間が割れていた。
「……ばか、な……」
ひび割れた空間から欠伸をかみ殺して出てきたのは、執事服に身を包み、デッキブラシを片手に携えたなんてことはない人間――世界最強の勇者だった。
黒法衣の使徒達が表れた勇者――アータと魔王クラウスにそれぞれの武器を構え、戦闘態勢を整える中、司教だけは現状を理解し、静かに諦めに瞳を閉じる。
そして使徒たちのもとに転移してきたアータは、デッキブラシを肩に預け、見知った顔――アインへと笑みを歪めて告げた。
「約束通り、挨拶参りに来てやったぞ」
アータの言葉に、座り込んでいた黒法衣の使徒アインは悔し気にアータと魔王を睨み、次の瞬間には絶望に雄たけびを上げる。
この日、地図にない島が一つ消滅した――。