第二十四話 雪月華は街を謳う
「お?」
悔し涙を流して地面に四つん這いになるテノルの背の上で、優雅に足を組んで座っていたアータのもとに、アンリエッタやサリーナ、アラクネリーを乗せたキメラが近寄ってきているのに気づく。そして、アータはその背から両手足を広げてこちらに向かって飛び降りてくるアラクネリーの姿に気づき、立ち上がる。
そして、
「アータ!」
「ひょいっと」
「あぐっ!?」
「のごぉ!?」
受け止めてほしかったのか、受け身も取らずに自分の共に飛び込むアラクネリーを敢えてぎりぎりで躱す。飛び降りたアラクネリーの伸ばした腕が空を切ると同時に、彼女はそのまま四つん這いのテノルの背に激突。落下したアラクネリーの直撃したテノルの腰が嫌な音を立てたが、アータは一瞥して近くに降り立ったキメラに視線を向けた。
その背から飛び降りて満面の笑みで駆け寄ってくるサリーナと、彼女を慌てて追いかけるアンリエッタの姿に軽く肩を竦める。そして、腰に抱き着いてくるサリーナの頭をひと撫でし、テノルの背の上で不満げにたんこぶを撫でるアラクネリーの視線に気づいた。
「不満そうだな、ネリ―」
「……今のは受け止めるところ」
「あぁ、そうだと思ったから、義理の親子の感動の再開を演出してやったんだ」
「……」
恨みがましそうに睨んでくるアラクネリーは、もがき苦しむテノルの姿に逡巡する。テノルもまた複雑な表情でアラクネリーを見上げ、だが、ゆっくりとその皺の寄った手を彼女に伸ばし、
「あ、テノル。お前からネリ―に触れるの禁止な」
「勇者殿ォ!? あぁネリ―! さ、ささささ触りたいのに、手が、手が触れようとすると――あふん!?」
「…………」
アラクネリーに触れようとして、だがアータの隷属魔法によって自ら触れられなくなったテノルは、頬を染めて身じろぎしながら手を引っ込める。その清々しいほどに情けない姿に、アラクネリーの瞳は絶対零度まで凍る。
そして、そんなテノルの様子に腹を抱えて笑いそうになったアータの頭を、追いついてきたアンリエッタが手にしていたデッキブラシのコピーでしばいた。
「何やってるんですかアータ様!? あのですね、この戦いの根幹になってた部分に一体何しでかしてるんです!?」
「何って、問題の元凶に責任とらせて俺の支配下に置いたんだよ。っていうか、お前もそういう意味ならその後ろの連中どうなってんだよ」
「後ろって――」
アータとアンリエッタは、二人して背後を振り返る。
そこには、各自が背中で光る隷属の魔紋に、いやいやな顔で並び立つイエティ達の群れが追いついていた。
「私のイエティじゃないですか」
「お前のイエティ――か。んー……」
アンリエッタのイエティ族、という言葉にアータは頭の中に閃いた名案に、ぱちんと指を鳴らす。そして、腰に抱き着いて興奮気味に笑っているサリーナに耳打ち。アータの言葉を聞き届けたサリーナは、ニヤリと頬を緩め、満面の笑みで頷いた。
そしてサリーナは、アンリエッタのもとにてこてこ近づき、そのメイド服の裾を引っ張って懇願する。
「のぅのぅアンリエッタ。メイド服を百着ほど構成魔法で作ってくれんかの。出来るだけ大きなサイズで」
「メイド服をですか? いえ、それは構いませんが一体何に……?」
「面白いことなのじゃ!」
「……」
「俺を睨んでも無駄だ。というか、出来上がったら教えてくれ」
サリーナの言葉には逆らえないのだろう。アンリエッタは渋々ながらサリーナの魔力を借りながらメイド服の構成を始めていく。彼女たちの様子を見送った後、アータはいまだにアラクネリーに触れようとして触れられずにもがき、くねるテノルを一瞥しながら、アラクネリーの傍に立つ。
「で、ネリ―」
「……なに?」
「問題の元凶はこいつだった。こいつにはもう俺が責任を取らせてるが、お前はどうする?」
「私は……」
迷ったように目を伏せるネリ―の傍で、アータはもがくテノルの眼前にフラガラッハを振り下ろした。
「止めを刺してほしいなら、やってやるぞ。止めを刺したいなら、お前がやれ。こいつを貸してやる」
「……」
「迷ってるなら、やりやすくしてやるぞ? テノル、頭を差し出せ」
「ゆ、勇者ど――ど、どうぞ頭を差し出しました」
有無を言わせずに土下座をするように頭を差し出したテノルの頭を冷たく見下ろしながら、アータはその眼前に振り下ろしていたデッキブラシをネリ―の手に握らせる。これを受け取ったアラクネリーは迷いを払う様に深い深呼吸をした。
そして、
「せいっ!」
「ぬほん!?」
アラクネリーは迷うことなく、テノルが地面にこすりつける勢いでさらけ出していた頭に、デッキブラシを振り下ろした。だが、思いのほか力は入っていなかったのだろう。振り下ろされたデッキブラシは、テノルの頭をこすり上げるような音を立てるだけで、アラクネリーはすぐにアータにデッキブラシを返してしゃがみ込む。
「私の責任の取り方は、これで終わり。だから、お義父さん。あとは、街のみんなに頭を下げに行く」
「……ネリー。わかった」
アラクネリーの差し出した腕をテノルがとる。そのまま立ち上がった二人が僅かな笑みを浮かべる様子を見たアータは、手にしたデッキブラシを肩に乗せて空を見上げる。
すると、ずっと黙っていたフラガラッハがアラクネリー達に聞こえない声でアータに問いかけた。
『今のネリ―の一撃に合わせて、絶対魔紋を浄化しておいたんですの』
「せっかく俺がなけなしの魔力を使って絶対魔紋をあいつの頭に残したんだがな」
『何言ってるんですの。最初から消させてあげるためにわたくし様を手渡したのに』
「……まぁ、なんにせよこれで、俺たちのレベルで書いた魔紋もお前が消せることが分かった。今回の収穫は十分だろ」
『あーたんとあのアホ魔王レベルの相手がほいほいいたらたまったもんじゃないんですのよ』
フラガラッハの皮肉にも聞こえる声に肩を竦め、空の先を見つめる。
先ほどは空島の圧縮の際に生まれた光で、一時的に街に光が差した。だが、それも本当に一時的なものだ。先ほどの大魔法で街にもともとあった視覚結界は壊れ、大地の裂け目深くにあるこの街にはもう光はほとんど届かない。今のままじゃ、どっちにしろこの街は住めない場所に変わる。
そうしてポケットから取り出した、先ほどの空島の魔力をすべて吸い込んで今にも爆発しそうな魔力を放つアーティファクトを手にし、アータは呟いた。
「さて、せめてこいつの魔力に耐えられるものがあれば、どうにかできるんだが――」
深い溜息をアータがつくと同時に、ドンッという衝撃音と共に空の上から高笑いが聞こえてくる。その笑い声の主に気づいたアータは、手にしたアーティファクトと声の主を見て、いびつに笑みを歪めた。それはまるっきり悪人のソレで。
「はーっはっはっはっは! 魔王様登場! っと、思ったが何やら街の様子がおか――サリーナちゃあああん、無事かい!?」
現れた裸の魔王クラウスは空で翼を広げて街を見下ろすが、すぐにその異変とサリーナの姿を確認し、超高速で降りてくる。そのままタオル一枚腰に巻いた姿で、アンリエッタと共にメイド服の準備にいそしむサリーナのもとに、魔王クラウスが突撃。ムキムキの肉体でそのままサリーナをいとおしそうに抱きしめ、抱きしめられた本人は大絶叫。
「さぁりいいいなちゃん! 大丈夫だったかい、何か変なことに巻き込まれなかったかい!? 怪我もないよね、大丈夫だよね! 心配ない、さっき襲ってきたキメラはパパが全部食べておいたから!」
「にょああああ!? 父上殿臭い! 獣臭いぃぃい!! あ、あああああアータ、アンリエッタ、たぁすけてくれなのじゃあ!」
「ちょっと魔王様! 何今まで一人で油うってたんです!? アータ様がいなかったら今頃この街もお嬢様もどうなったと思ってるんですか!」
「あ、そうだそれだぞアンリエッタ。おいアホ勇者! 貴様の言う通り街の下を――ぬおおっ!?」
振り返った魔王クラウスの首にアラクネリーの糸を伸ばしたアータは、そのまま魔王クラウスを地面の上で引きずるようにして自分の元まで連れてくる。すぐさま首に巻いたアラクネリーの糸をクラウスは引きちぎり、立ち上がってアータの額に自分の額をぶつけて睨み返してきた。
「何のつもりだこのアホ勇者!」
「街の状況と空見ればわかるだろクソ魔王。それで、場所はどこだった?」
「……この街の大地が作る影の下だ。正確にはこの街の南西あたりにある」
クラウスもまた、見上げた先の空島がなくなっていることや、戦いの後の残る街の様子に、不満をあらわにしながらもアータの問いに答えた。魔王との答えに、、アータは頷き、手にしていたアーティファクトを魔王に手渡す。
「この街のアーティファクトだ。それを持ってそこにいろクソ魔王」
「だぁれが貴様の命令なんぞ――」
「お嬢様お願いしますー」
「父上殿、そこで胸張って立つ父上殿超カッコいい!」
「よぉしパパ頑張っちゃおうかな!」
お調子者の魔王クラウスもそうだが、一声かけただけでノリノリのサリーナも大概似た者同士だなとアータは乾いた笑い声をあげるが、すぐにテノルと一緒に近づいてきたアラクネリーに指示を飛ばす。
「ネリ―。すまないが一つ頼みたい」
「なにを?」
「神殿でやったあれを頼む」
「…………」
「勇者殿、それは……!」
神殿でやったもの。それはこの戦いのきっかけの一つでもある、アーティファクトに捧げる巫女の舞。アラクネリーの傍に立つテノルはこれに否定の言葉を続けようとするが、アータはテノルの言葉を首を振って遮る。
「心配ない。アーティファクトにはもう島一つっていうでかい魔力を喰わせてあるから、ネリ―の魔力は喰われない」
「では何のために……?」
「あの舞は魔力を特定の相手に移すことができる力がある。だから、お前の舞でこのアーティファクトに溜めこんだ魔力を魔王に注げ。俺がそれをドレインする」
「おいアホ勇者。何故私が間に入る必要がある?」
「そいつに魔力を圧縮したのは俺だ。俺に直接注ぐと、反発が強い」
「……わぱっぱ」
まっすぐと頷いたアラクネリーの様子に、テノルは渋々とアラクネリーから距離を取った。魔王クラウスはアータの言葉に鼻を鳴らしながらも、離れているサリーナに親指を立てながらアーティファクトを空に向けて伸ばす。そして、アータはそんな魔王の背中に右掌を掲げた。
二人の前で、アラクネリ―は瞳を閉じて大きく深呼吸。
そうして一歩、足を前に出すと、彼女の周囲で大地から小さな燈火が浮かび上がってくる。また一歩、踏み出した足に合わせて暗くなった街を照らすように燈火が上がる。
歩み行く先を一歩ずつ照らすように燈る火に合わせ、アラクネリーは胸の前で合わせた掌を左右に広げて天を仰ぐ。
「――荒ぶりし神よ」
そうして彼女は踊るように軽やかな足取りで一歩ずつアータ達の周囲を回る様に舞う。
「祖は世界に落ちた種、祖は神が落とした月の涙」
彼女の舞に合わせて、大地から上った燈火も従う。
「我らは抗いしもの」
燈火は街の中を照らしていき、そのまま魔王クラウスが掲げるアーティファクトの周囲に集まっていく。
「幾重の紫電がこの身を焼こうと。数多の白炎が世界を焼こうと。巨万の大地が引き裂かれようと。深淵の溟渤が全てを飲み込もうと」
アーティファクトを照らす燈火は、深紅のアーティファクトから噴き出る魔力を纏い、宙に帯を作りあげながら魔王の周囲を舞い、アータの掲げる右手に吸い込まれていく。
「我らは抗い続けるもの」
魔王クラウスの掌から浮かび上がったアーティファクトは、そのまま帯を伸ばす。伸ばす帯を指先で掬い、アラクネリーはそのまま自らの胸の前で広げ上げ、編み込み、アータ達の周囲に一気に広げる。
「荒ぶりし神よ。我らが声をその燃える身体に焼き付けよ」
広げた帯――羽衣を器用に操り、アラクネリーは空に浮かび上がったアーティファクトへ両手を伸ばし、祈る。
真摯な祈りは、街から現れた燈火――かつて巫女達だった者たちの意思と共に、御神体を包み、荒れ狂う魔力を魔王へと移していく。
「我らは神に反逆仕るもの」
そうして御神体の魔力を魔王へと、アータへと繋げたアラクネリーは、万感の思いで瞳を閉じ、最後の祝詞をあげる。
「世界の声に応えるものは――ここにいる」
ゴウッと、音を立ててアーティファクトが灯した魔力は魔王に注がれ、アータは魔王を経由してその魔力を受ける。街か噴き出る燈火たちの意思と、受け取った魔力から感じる感謝の思いに、アータは僅かに頬を緩め、空を見上げた。
そして、自身の首輪に魔力が喰い尽くされるより早く、アータは一つの魔法を唱える。
「至福の雪華塔――」
空に伸ばしたアータの右腕から放たれたその魔法は、小さな光となってゆっくりと空に上がっていく。
その小さな光の幻想さに、アラクネリーやアンリエッタ、サリーナ達もまた言葉をなくしたまま光を目で追った。街から現れていた燈火たちもまた、上がっていく光に導かれるようにして空に昇っていく。
小さかった光は、次第に輝きを増し、宙で氷の結晶を創り出す。それだけで止まらぬ変化は、イリアスの街より高い場所で一気に肥大化し、大地の裂け目の中で広がり、新しい大地を作らんばかりの巨大化を進める。
誰もが言葉を失って見惚れる先で、作り上げられていくのは氷の大地。裂け目の中から伸びていく氷の大地は、そのままあの巨大な空島があった空までその形を伸ばしていく。
数十秒もしないうちに、一行の目の前の空に出来上がったのは、氷の大地。そして、天まで延びる巨大な雪月華だった。
「あ――」
言葉を漏らしたアンリエッタは気づく。
どこまでも透き通る氷は、空まで延びた。そして、見上げた先に出来上がった空島ほどもある巨大な雪月華は、溶けることもなく空の光をその身に受け、そのままイリアスの街までの光を灯していく。太陽の光をイリアスの街に届ける雪の華。
その美しさにアンリエッタは言葉を失いながらも、アータに視線を向けた。
この視線に気づいたアータは、少しだけ自慢げに顎をあげて見せる。そんなアータの様子をアンリエッタは少し不満げに睨みながらも、見上げた空から差し込む光に涙するテノルの言葉に、耳を澄ませた。
「終わりましたぞ、巫女達よ。叙事詩の街の続きは、雪月華の街が紡ぎますから、どうか見守ってくだされ」
と。