第十九話 落ちてくる空
アータが瞳を細めて空を見げているのにアンリエッタが気づく。その視線を追うようにしてアンリエッタも空を見上げ、傍にいたサリーナやアラクネリーもまた倣うようにして空を見上げた。
そうして見上げた一同の目に映ったのは、大地の裂け目からとめどなく溢れてきた雪の滝――雪崩だ。雪山そのものが降ってきたのではないかと思うような量の雪の塊が空からイリアスの街めがけて降ってきている。
「アータ様、あれ、まずいんじゃないですか!?」
アンリエッタの言葉を聞くより早く、アータは手にしたフラガラッハでキメラの尻を叩いた。この意味に気づいたキメラが、アンリエッタとサリーナを器用に咥え上げて背中に乗せる。そうしてそのまま、大きな羽ばたきと共に降ってくる雪崩から距離を取るべく飛び上がった。
「アータ!」
「アータ様っ!」
彼女たちの呼ぶ声を無視し、アータはわざと残したアラクネリーに指示を飛ばしながらも、フラガラッハを下段に構えた。
「ネリ―。ありったけ裂け目とこの街に糸を伸ばせ。足場にする」
「わぱっぱ」
彼女の返事と同時に、アータは下段に構えたフラガラッハを迫り狂う雪崩の第一波に向かって振り抜いた。消し飛ばしはできずとも、アータの放った衝撃波は雪崩を一瞬だけ押し返し、そのまま宙で破裂。塊のまま落ちてきていた雪崩は大小の小さな雪玉となって街に散る。だが、すぐに第二波が迫る。第一波よりもより広範囲にわたって。
事態を理解したアラクネリーは、アータの一撃を見送った後に神殿の屋根から跳躍した。そのまま首に巻いていたマフラーを宙で振り回し、糸に。空中で器用に身をひるがえすアラクネリーは、糸を街から周囲の裂け目の岩に這わせていく。街全体を覆うような勢いで、脇目もふらずに超高速で糸による足場を作る。
『あーたん、第二波来ますの!』
「いくぞ」
フラガラッハの声に、アータもまた神殿の屋根を蹴って飛ぶ。そのまま降ってくる雪の塊目指し、アラクネリーが張った糸の足場を駆ける。くんっと腰を落とすと撓る糸に力を籠め、跳躍。次の糸に手をかけ、跳躍の勢いのままにさらに空へと向かって跳躍。
一瞬にして眼前に広がった雪の塊――巨大な雹に向かい、顔の傍に構えたデッキブラシを突き立てた。
メキっという歪な音と共に真っ二つに雹は砕ける。
だが、
『ハハッ! 見つけたぞ勇者ァ!』
真っ二つに砕いた巨大な雹の裂け目の空から聞こえてくる声と、眼前に迫った矢にアータは寸前で反応した。迫った矢尻を噛み砕き、そのまま真っ二つに割った巨大な雹を蹴りで砕く。大小の破片は、街で糸を伸ばしていたアラクネリーが器用に受け止めるのを見ながらも、アータは手近な糸の上に着地し、空から迫ってくる化け物達に肩を竦めて見せた。
「なんだ、自慢の毛の売り込みにでも来たのか、イエティ族」
雪崩と共に完全武装して飛び降りてくるのは雪山の主――イエティ族だ。屈強な肉体に防具を着込み、剣や弓、あらゆる武器を手にして彼らはイリアスの街へと飛び降りてきている。その中でも一際大きな肉体と純白の毛で覆われているイエティ族が、アータの傍に向かって飛び込んできた。
『貴様にあざ笑われた昨日の恨み、街ごと地中に落として晴らしてくれる!』
「あぁそうかい」
先陣を切って飛び込んでくるそのイエティ族の長を一瞥しながら、アータは自分の立つ場所の糸をデッキブラシでさっくっと切り落とす。
『この私の大筒で跡形もなく貴様――ひょあああああああ!?』
「さてと」
アータの斬り裂いた糸の上に着地を試みたイエティ族の長は、そのまま自慢の大筒と共に落下していき、イリアスの街からも転げ落ちて裂け目に消えていく。その姿を目で追いもしないアータは、続々と雪崩と共に飛び降りてくるイエティ達を見て深い溜息をついた。
「雪山で敵のいないイエティ達が何で武器を大量に抱え込んでいたのかと思っていたが、そういうことか」
『ここまで相手の作戦通りなんですの?』
「……」
飛び込んできた二体のイエティの振るう剣をしゃがみ込んで躱し、デッキブラシを振るって街に向かって叩き落としながら、アータは思案する。
先ほどの敵の言葉を借りるなら、相手の目的はこの街に隠されているものだ。とはいえアータ自身、隠されている場所には思い当たりがあるが、隠されているものが何かは知らない。
飛び込んできたイエティ族の頭を片腕でつかみ取りながらも、アータは降ってくる雪崩より先のはるか遠くを睨む。
そこにいるのは、仮面で素顔を隠す白法衣の男。その男の視線が真っすぐと自分に向けられているのに気づき、アータは不敵な笑みで男に向かって口を開いた。
「――――」
アータの言葉は男には届かないだろう。だがしかし、アータの口元の動きに気づいた男は、慌てた様に狼狽し、飛び降りるイエティ達に檄を飛ばしていく。その様を見て、アータは捕まえていたイエティを飛び込んでくるイエティに投げて笑った。
「ここまでは確かに相手の予想通りだろうな」
『どうするんですの? 街の住人は全部操られて、上からは雪崩とイエティ族。あっちの魔族を守りながらの乱戦は――』
再び糸を蹴って跳躍し、降り注ぐ巨大な雹を砕きながら考える。
街の住人はアーティファクトの影響で操られている。対処するには、さらに強力な魔法で従わせるか、フラガラッハで一人ずつ浄化するしかない。降り注ぐ雪崩の量は多く、乱戦に乗じて街に降りてくるイエティ達は数を増やし、街中で暴れ始めている。
いずれもこのまま放っておくと街が消えてしまう。
――ふと。
脳裏に浮かんだ考えに、アータは思い付いたように空を見上げた。その先に浮かぶ巨大なドーナツ型の空島の姿を見て、僅かに唇を噛む。
「……そういうことか」
『あーたん、何かわかったんですの!?』
「あいつはこの街に隠されている――いや、この街が隠しているものを探してた。そして、既に手を打っているとも」
『それがこの騒ぎで、街の混乱に――』
「考えてもみろ。それを見つけて手に入れるためなら、騒ぎを起こす必要はないだろ。騒ぎが起きれば周りも気づくし、俺も動く。騒いだほうが手に入れる難度は上がる」
『な、なら一体何のために……っ!?』
何かに気づいたようにフラガラッハが言葉を詰まらせた。
「手に入れるんじゃなくて、葬りたければ? この街に問題が集中すれば、自ずと全員がこの街に足止めされる。一つ一つが面倒なものばかりを集めて、俺たちをここに張り付け、あとは――街もろとも消す」
『ま、街もろともなんて、そんなことできるような手段はないんですの! 相手はあーたんじゃあるまいし!』
「大地の裂け目にある、この街を支える大地を壊せばいいだろ」
『……それこそ、無理なんですの! ここまで大規模な街の大地を割るなら、それ相応の大魔法が必要なんですの! そして、そんな大魔法が準備されているなら、街にいるあーたんもわたくし様も気づかないはずが――』
最も高くに張り巡らされた糸の上に着地したアータは、フラガラッハを肩に乗せながら空を指さした。
その視線の先にあるものに、フラガラッハは文字通り言葉をなくす。
『……まさか』
「そういうことだ。大地を割るなら、大地をぶつける」
見上げた先の空に浮かぶもの――巨大な空島。内包する魔力で飛ぶ、地上から解き放たれたもう一つの大地。
『あんなものを、落とすんですの!? それこそ無理なんですの! あのサイズの大地を支える魔力が全部なくなるようなんてそんな真似……あ、アーティファクト……ッ!』
「そうだ。この街のアーティファクトは俺たちの首についてるこいつ同様、魔力を喰うタイプだ。そいつを使ってあそこに浮かぶ空島の魔力を根こそぎ奪う。そうすれば、魔力による浮力を失った大地は成す術もなく、ここに落ちる」
『…………っ!』
フラガラッハもまた、空島が大地に落ちる様を想像する。それはもう、地獄だ。何せ、一度それをやってのけた張本人でもあるアータとフラガラッハにとって、空島が大地に落ちる様とそれによる災害の規模は理解している。
言葉を失うフラガラッハをよそに、アータは細めた視線で問いかけた。
「俺の想像に、何か間違いはあるか?」
『ありませんよ。さすがは勇者といったところですね。ネガティブで最悪な想定は得意なようだ』
目の前に降りてきた白法衣の男が、仮面の下で下卑た笑みを浮かべた。その声に耳を傾けながらも、アータは白法衣の男とその周囲の空間から現れていくキメラ達を見ながら深い溜息をつく。
「大方、アーティファクトはもうあの空島にあるってことか?」
『えぇ。残念ですが、もう落ち始めてますよ。今の魔力制限されている貴方にも魔王にもあの空島は止められません』
「どうかな。消し飛ばすことぐらいできるかもしれないぞ?」
そういって自信ありげにアータが語ると、白法衣の男はアータから距離を取りながらも首を振る。
『その駆け引きは無意味ですよ。何より、今この街に起きている事態に対処しながらあの空島を消す時間はない。あの空島を消し飛ばせるほどの大魔法は使えない』
「時間さえあればやって見せてもいいぞ? 今朝俺がネリ―に見せたような、圧縮魔法を使って、な。見てただろ、お前も」
『……あの圧縮魔法には、それ相応の魔力と大魔法陣が必要です。だからこそ、貴方はあぁして彼女の魔力の全てを使い、魔法陣を描くことでやってのけた。今の貴方のどこにそんな魔力と魔法陣を描く時間があると? なんなら、今から街にいる全員の魔力でもドレインして、あの空島に飛び、空島全体を囲うような大魔法陣を描いてきますか? ハハハハッ!』
「ま、そりゃ現実的じゃないな。それをやるには時間が足りそうにない」
勝ち誇った笑い声をあげる白法衣の男の前でアータは肩を竦めた。
街から聞こえてくる剣戟の音と爆発音、そして空から刻一刻と街に向かって落ちてきている空島。降り落ちる雪崩とイエティの群れ。そして目の前の白法衣とキメラ。白法衣の男の目的はもはや明確だ。
自分をこの街にしばりつける、時間稼ぎ。
『これでも、無茶苦茶をやってのける貴方のことを、信じているのですよ。魔族の敵である癖に、存外、貴方は世界にとっての勇者である。勇者であるが故に――貴方は結局、魔族も見捨てな――』
「あ、ああああアータ様! 助けてください、こっちこっちこっち! イエティ族に襲われてます! 早く、早くこっちに! 聞いてます!?」
「聞こえてる。そのまま頑張って逃げてくれ。お嬢様に何かあったら全部お前の責任な」
「何馬鹿なことを言って――いぎゃああああ!?」
「で、なんだっけ?」
『…………』
聞こえてくるアンリエッタの悲鳴は見捨てる。
『……おほん。さぁ、精々街を守ってもろとも朽ち果てろ、勇者!』