第十八話 操られた二人
「グルルウルルッ……!」
唸り声をあげながらも、その場で潔くお座りをするキメラの姿に、アータは腕を組んで満足いったように頷く。キメラの額には、アータが付けた隷属の魔紋が燦然と輝きを放っている。が、隣で唖然として立つアンリエッタは、震える唇で言葉を探した。
「あ、あの……。これ」
「隷属の魔紋に俺なりの解釈を入れて作った独自呪文だ。隷属の魔紋じゃ、魔紋を与えたやつの言うことには絶対服従だが、俺が手を加えたこいつは少し違う」
「違うってどう違うんです?」
「誰かに服従しないと死ぬ」
「それって最悪な方向に手を加えてませんかね!?」
「冗談だ。フラガラッハの魔力を感知した相手に対しての絶対服従を強いてる。だが、隷属の魔紋のように本人の自我までは服従させない。あくまで命令されたらいやなのに体が動いちゃうってやつだ」
「いやそれ、ある意味最悪な方向ですよね?」
「ガルっ」
突っ込みを入れてくるアンリエッタの頭に、座り込んでいたキメラがパシッとその片腕を乗せた。キメラからアンリエッタに向けられた視線はまるで、同情の視線。貴方も、絶対服従なんですね、みたいな。
「あの、アータ様? まず聞きます。貴方に隷属させられたこのキメラのヒエラルキーは――」
「お前と同じ位置」
「私がいつ貴方の隷属化に入ったんですかね!?」
「まぁ、冗談はこれぐらいにして」
アータはアンリエッタの首根っこを掴んで、キメラの背に投げた。叫びながらもキメラの背の上に落ちたアンリエッタを見て、アータは顎を空へとくいっと曲げ、キメラに行けと促す。これを見たキメラはいやいやながらも逆らうこともできず、しがみつくアンリエッタと共にそのまま大きく羽ばたき空に上がった。
だが、次の瞬間にはキメラのサソリの尾に目に見えぬ糸が絡まり、がくんと空中で動きを止められる。
「……ッ、アータ様!」
だが、これに気づいていたアータはとんっと軽い音を立てて神殿の屋根を蹴り、飛ぶ。そのままキメラの尾を縛っていた目に見えぬ糸を、アータは手にしていたデッキブラシで造作もなく斬り裂いた。そうして、そのまま大地から糸を伸ばした主――アラクネリーを見下ろす。
「暫くの間空に逃げてろ。さっき渡した魔水晶を使えば連絡も取れる」
「ですがアータ様は……!」
「少しの間連中の相手をする。それに、おそらくすぐに次の手が来る」
「次の手って……いえ、わかりました」
「あといい忘れてたけど、ヒエラルキーがそのキメラより下になったら食われるから気を付けろよ」
「最後の最後に何とんでもない情報残――ひいあああああああああああ!?」
風を切る勢いでアンリエッタを乗せたキメラは天高く舞っていく。最後までアンリエッタの悲鳴が聞こえてきたが、アータはぼりぼりと頭を掻きながら飛び込んできたサリーナの拳をひらりと躱した。
そのままととんっとリズムよく屋根を蹴って態勢を整えたアータに、手にしているフラガラッハが問う。
『あーたん! 今の躱し様になんで浄化しないんですのん!?』
「遠隔でお嬢様やネリ―を操作できるレベルのアーティファクトだ。浄化だけじゃすぐにまた操れる可能性もある。まずは動きを奪ってからだ」
『ですけど……!』
「ついでに、一人ずつやるつもりはない。やるなら二人まとめてだ」
フラガラッハの声を無視して、アータは再び懐に飛び込んできたサリーナの蹴りを片手で受け止める。ずしんと受け止めた左腕に感じる重さに眉を顰めながらも、アータは思案を巡らせる。
――サリーナ・フォン・シュヴェルツェン。
魔王の娘でもあるお嬢様の持つ潜在的な魔力は、魔王家の中でも上位に当たる。だが、それはあくまで魔法使いとしてのレベルで見た場合だ。彼女自身の肉体的な強さは、アンリエッタと変わらない。だというのに、受け止めた一撃の重さはそこらの魔族達よりもはるかに強力だ。
つまり、今の彼女達は魔王家が襲われた時同様の強化を受けている可能性が高い。
『あーたん、次きますの!』
フラガラッハの叫びと同時に、蹴りを放ったサリーナのスカートの中から蜘蛛の糸が伸びた。初めから隠していたであろうその糸は、サリーナの蹴り足を這うようにして、それを受け止めるアータの左腕に巻き付いていく。そのままサリーナの足ごと左腕が固定されたアータは、屋根に飛び上がってきたアラクネリーの無表情を見ながら笑う。
「で、次は何が来るんだ、蜘蛛の巫女」
「――――」
瞳に炎を灯すアラクネリーとサリーナは一切の表情を変えない。それどころか、片足をつかみ取られた状態で、サリーナは器用に身体を捻ってさらにアータの顔面に蹴りを繰り出してくる。これを右腕で受け止めたアータは、渋い顔でサリーナに向かってため息をついた。
「操られてるからって、慎み深さぐらい持ってもらいたいんですがね、お嬢様。スカートでそんな蹴り放つと、丸見えですよ」
そのままサリーナの蹴り足を掴む左腕に力を籠め、しばりつけていた糸を引きちぎったアータは、飛び込んできたアラクネリーに向かってサリーナを投げる。躱しきれなかったアラクネリーがサリーナともつれ込むように倒れた。
だが、すぐにアータは気づく。アラクネリーのいつもに身に着けているマフラーが彼女の首にないことに。
『あーたん!』
フラガラッハからの警告を耳にするよりも早く、アータの真上に影が差した。それが巨大化したマフラーだと気づくと同時に、アータは屋根を蹴って後ろに跳躍しようとするが、
「おっと」
跳躍と同時に、背後で何かが爆発した。
遠慮のない威力の爆発が背中に当たり、跳躍で逃げ切れない。同時に、アータの視線を覆う様にアータのいた周囲が次々と爆発していき、爆風がアータの身体を蹂躙すると同時に、空で広がったマフラーが落ちた。
転がっていたアラクネリーはマフラーがアータの上に落ちると右掌をかざし、一気に握りつぶす。アラクネリーの掌の動きと同調したマフラーは、飲み込んだアータもろとも一気に押しつぶされ、いびつな音を立てて石ころほどのサイズになった。
「――――」
そこに残ったのは、爆発で抉れた屋根と、石ころほどまで圧縮されたマフラーの姿だけ。飲み込まれたアータの姿がなく、一瞬だけ僅かに操られたアラクネリーとサリーナの口元が愉悦に歪み――、
「甘い甘い」
次の瞬間、操られていたアラクネリーとサリーナの耳元に声が届く。驚愕に目を見開く彼女達は、足元の影から伸びた腕が自分たちの足を掴むのに気づき――意識を手放した。
◆◇◆◇
「あの、アータアータ」
「なんですかお嬢様」
「なんでわしの視線、こんなに低いのかの?」
「屋根に身体埋まってるからです」
「にょっほおおお! 初めての体験なのじゃそれは! というかこの位置だといろいろ見え放題なのじゃ!」
「お嬢様、私のスカートの中覗くのやめてください」
屋根にある影の中に上半身ごと埋まっているサリーナの視線から、キメラと共に降りてきていたアンリエッタがさっとスカートを押さえてしゃがみ込んだ。彼女たちの様子に苦笑いしながらも、アータはサリーナの傍で同じように上半身ごと埋まっているアラクネリーへと視線を向ける。
「どうした、ネリー? 洗脳ならフラガラッハで消し飛ばしたと思うが」
「……私が洗脳されるなんて、不覚す――いたっ!? 何でデッキブラシで叩く? 洗脳解けてる!」
「いや、面倒臭いこと言いだしそうだったから一発ぶっておこうと思って」
「…………」
不満げに頬を膨らませたネリ―に、アータは悪戯な笑みを浮かべながらその頬を人差し指でつつく。だが、すぐに近寄ってきたアンリエッタがアータの頭をひっぱたき詰め寄った。
「アータ様! 馬鹿なことしてないで二人を開放してください! それに、すぐにでも他の操られてる住人の方々を――」
「いや、少し待て」
「待てって時間が――むぐっぐぐ!?」
騒がしいアンリエッタの口を片手で塞ぎ、何かに気づいたアータは耳を澄ませる。
チッチッチッと。気づかれないほど小さな針の動く音に、アータは影の中で拘束しているサリーナとアラクネリーへと視線を向けた。彼女達が小首をかしげるのをよそに、アータは迷わずアンリエッタから手を離し、おもむろに彼女達の胸元に手を突っ込む。
「おひょっ!?」
「ふわっ!?」
「ちょっ、アータ様!?」
手を入れた先――彼女達の胸元に見知らぬ金属の感触があった。その意味に思い当たるアータは、すぐにサリーナとアラクネリーの影の拘束を解き、彼女達を屋根の上に引っ張り出す。そして、腰に抱き着いてやめろと叫ぶアンリエッタを無視して、二人の上着を腰から胸元まで一気にまくり上げた。
「あ、ああああああ、アータ!? わ、わしの身体見て何かお得かの!?」
「わ、私の身体見ても何の得もない、私達ぺったんこ」
「あ、アータ様こんな場所で何をご乱心して――っ!?」
「…………」
何が起きているか理解できていないサリーナとアラクネリーは顔を赤く染めるだけだが、まくり上げた彼女たちの胸元にあるその金属の塊――機械を見たアンリエッタは、真っ青な顔でアータの服にしがみ付くしかなかった。
「アータ様、こ、っこれって、時間も……!」
二人の胸元で鈍い光を放つ機械――アラクネリーが何度か使っていた爆発物には、小さな時計がついていた。音を立てていたのはこれだ。そしてその時計の秒針はあと十秒で長針、短針と重なる。その意味は――理解できる。
アータは薄く笑みを浮かべてサリーナとアラクネリーへ視線を向けて声をかけた。
「お嬢様、ネリー。少し熱いかもしれませんが、我慢してください」
「わ、わかったのじゃ。胸、もむのじゃな?」
「わぱ、わぱっぱ。ばっちこーい」
「余裕があるようで何より。アン、俺の後ろにいろ」
「は、はい……っ!」
背後にいるキメラも注意深く唸りをあげ、アータは二人の胸元の機械を手に取った。そうしてゆっくりと瞳を閉じ、残りの秒数をカウントダウン。
五。
四。
三。
二.
いち――。
次の瞬間、アータはつかみ取っていた両掌に力を籠め、彼女達の胸元の機械を引きちぎった。掌の中でカウントゼロと同時に溢れ始めた爆風が逃げるよりも早く、アータは二つの機械を右掌と左掌の中で握り潰した。圧縮された爆発にわずかにアータは眉を顰めて痛みに耐えるが、結果的にアータの掌から漏れたのは小さな煙と爆発による閃光だけだ。
「あ、アータ様……?」
「大丈夫。もう終わった」
おずおずと背中から顔を出したアンリエッタは、手のひらを開いたアータの腕からパラパラと落ちていく金属片と煙に、深く息を吐き出した。
「はぁ……。本当に肝が冷えましたよ」
「あの、アータ、アンリエッタ。わし、いつまでこうしておればいいのじゃ?」
「私もそろそろ寒くなってきた」
「えぇ、十分お嬢様達の胸も堪能したので、下ろしてもらっていいですよ」
ジョークを返すと、アンリエッタに後ろからはたかれ、アータは肩を竦める。そのままアンリエッタに二人の身だしなみを整えるのを任せ、アータはフラガラッハを片手にキメラの身体に背を預けた。
『あーたん、あの機械って確か……』
「人間界にある爆弾ってやつだな。イリアーナ王国にも爆弾や砲弾はあるが、あそこまでのものはなかったはずだ。となると……」
『きな臭い事件が続いてるんですのん』
「あぁ、そのうち機械都市にも行く機会はあるさ」
そういって、アータは掌を見つめる。そこに広がった機械の破片を睨みながら、空から聞こえてきた轟音に視線を向け、深い溜息をついた。
「来たぞ、次の手だ」