第十七話 白法衣の敵と魔獣
「よっと」
街の住民たちや操られたアラクネリー、サリーナを振り切ったアータは、神殿の屋根の上にいた。すぐに脇に抱えていたアンリエッタを下ろし、死角へと身を潜めて腰を下ろす。
「あ、アータ様……! 一体何が起こってるんですか!?」
「あまり大きい声は出すな」
「むごっ!?」
神殿の高さゆえか、へっぴり腰ながらも詰め寄ってくるアンリエッタの口元を片手で抑え、アータは街で最も高いこの位置から周囲を見渡す。肌に感じる魔力の気配は間違いなくアーティファクトのもの。見下ろす街では、住人たちや観光に来ていた魔族が瞳に蒼い炎を灯して自分達を探している。
彼らの様子を見ながらも、アータはもがくアンリエッタの口から手を放して腰を下ろして一息をつく。
「少し、後手に回ったなこれは。御神体とやらは直接目にしたが、その時点じゃこういう操作系の能力があるとは思ってなかった」
「見たんですか、御神体?」
「あぁ、街に来た一番最初にな。もともと街に入った瞬間から変な魔力を感じてたから調べておいた」
変な魔力の原因は御神体とは別だが、という言葉は飲み込む。だが、視線を向けたアンリエッタが眉を寄せて不安げな様子を見せるのに気づき、アータは呆れた様にため息をついた。
だが、そんなアータの様子に気づいたアンリエッタは、頬を膨らませて不満をあらわにする。
「あのっ、なんでそこで溜息なんです!? そもそもですよ、今私はこうしていますが、いつ貴方に襲い掛かるか――」
「その心配はないだろ」
「……っ、な、なんでです!? 私は、だってその、サリーナ様やアラクネリー様より弱いわけで……。むしろ操られるならあのお二人より私のほうが――」
「自動浄化作用」
「………………あっ」
ぼっと音を立ててアンリエッタの顔が羞恥に染まる。みるみる桜色に染まるその顔を笑いながらも、アータは背に預けていたデッキブラシを正面に差し出して話を続けた。
「相手の行動を制限するような魔法に関していえば、当然、俺や魔王の首についてる棘付き首輪みたいに直接相手につけられているもののほうが効力は上だ。例えば、簡単な話、あそこで操られている連中に関しても一人ずつフラガラッハで磨いていけば洗脳は解ける。ほかには……そうだな。エルニアの使っていた隷属の魔紋でも、あの洗脳は防げるはずだ」
「……あの、書いてませんよね? 私に実は隷属の魔紋書いてたりしませんよね?」
「とはいえ、正直街の連中一人一人フラガラッハで磨いていくのは面倒だからな。さてどうするか」
「あの! 視線こっちに向けて否定の言葉をくれませんかね!?」
詰め寄ってくるアンリエッタの顔を押しのけ、アータは懐から小さな水晶を取り出した。これをぽいっとアンリエッタに投げ渡し、慌てて受け取ったアンリエッタに向かって声をかけた。
「聞こえてるか?」
「え、何言ってるんですかアータさ――」
『へい、聞こえるっすよ、勇者の旦那!』
「ちょっ!?」
アンリエッタは手にした水晶から聞こえてくる声に、慌てた様子でアータと水晶を見比べて口をパクパクさせる。そんな彼女を無視したまま、アータは街を見下ろしながら会話の相手――不死軍団軍団長トワイトとの話を続けた。
「街の様子はどうなってる?」
『へい。少なくとも通りを駆けまわってる連中は皆、旦那とあはぁん様を探してます。数は――正直どんどん増えてってますぜ」
「あの、私の名前また卑猥な感じになってません? アンリエッタです、アンリエッタ」
『それと、勇者の旦那。例の件は旦那の予想通りっす。昨日の夕方から今朝まで、動きはないっす』
「わかった」
「アータ様! 私にも何の話か分かるように説明をお願いします……!」
話を進めるアータとトワイトに置いて行かれていたアンリエッタが、手にしている水晶を握りしめながら問う。彼女の視線に、アータはため息交じりに語りだした。
「この街に入った瞬間から違和感があった。これだけ大地から深い位置にある街に日が差し込んでいるってことよりも、もっと別の魔力的な何かにだ。じゃあ考える。この街にしかないもので疑うなら、何を疑う?」
「この街にしかないものって……、視覚結界?」
「あぁ。この街は視覚結界で隠されてる。そして、視覚結界で僅かに入る日差しを増幅してこの街は照らされてる」
そういってアータは視線をアンリエッタの影に落とす。そんなアータの視線に気づいたアンリエッタは、小首をかしげてアータの名を呼んだ。
「アータ様……?」
「盗み聞きはあんまり感心できないな」
次の瞬間、アータはデッキブラシをアンリエッタが座ることでできた影に突き立てた。だが、アンリエッタの影はこれを躱し、そのままアンリエッタの背後に回って彼女を羽交い絞めにしながらその姿を現す。
『気づきますか?』
「気づいてて話してやったんだが。知りたかったんだろ、お前が」
アンリエッタを羽交い絞めにして現れたのは、白い法衣を着た仮面の魔導士だった。頭まですっぽりと覆うその白法衣と仮面で素顔が見えず、届く声もただの肉声ではない。神殿の屋根の上で腰を下ろしていたアータは、執事服についた埃を払いながら立ち上がり、白法衣に向かって問いかけた。
「で、知りたい情報を得ることはできたのか?」
『……できていたら、こんな風に人質を取って続きを促そうとはしてないんですがね』
「んんんんん!?」
もがくアンリエッタの情けない姿に頭を抱えながらも、アータは白法衣との話を続ける。
「で、その腕につけた紅玉――御神体で、街の連中を操ってる、ってことでいいのか?」
『ご明察。まぁ、彼らも貴方への人質だと思っていただければ』
白法衣の言葉の端々に、人質を取っているという余裕が感じられる。その余裕さにアータもまた肩を竦めながらデッキブラシを屋根に置き、両手を上げた。
「で、こうまでして接触してきたんだ。そろそろ本題に入ろう。何が目的だ?」
『…………』
「そう怪訝そうな顔するなよ。こっちは人質を取られてるから素直に答えるしかないだろう?」
『……まぁいいでしょう。結論から言います。この街のどこに隠されていますか?」
「んんんんんん!」
白法衣の言葉に、アータは目尻を下げて笑みを歪めた。
「その様子だと、隠されているものが何かを知ってるんだな」
『えぇ。そして、隠し場所は貴方は気づいた。でしたら簡単でしょう? 貴方はどこに隠されているかを知って、私は何が隠されているかを知っている』
「答えなかったら?」
『……答えても答えなくても、結果は変わりませんよ。この街にあるという事実が分かれば、私の手は既に打っていますので』
そう答える白法衣の言葉には、僅かな嘲笑が混じった。その様子に、アータは一瞬だけ瞳を閉じて答える。
「この街の中は探し回ったんだろ? じゃあ答えは簡単だ。この街にはない」
『……それで納得するとでも?』
「違う。この街にはないだけだ。さっきも言っただろ? この街には視覚結界で日差しが入る。となると必然的に、この街の下には日差しはまずはいらない」
『……』
白法衣は懐から小さな魔水晶を取り出した。そして、その魔水晶が黒煙を噴出したかと思うと、そこからゆっくりと見慣れた巨体が姿を現す。
人間界で戦った――キメラだ。
あの時と全く同じ姿をしたキメラが五体。白法衣の取り出した魔水晶の中から現れた。その姿を見上げるアンリエッタは絶望に言葉を失い、アータは寧ろ嬉しそうに笑う。
「やっぱりあのオッサンの後ろにいる連中がいたってことか」
『……』
白法衣はアータの言葉に何も継げず、片手を上げた。これに反応するように、現れた五体のキメラは一瞬にして羽ばたき空へ舞い、そのまま一斉に街の下――大地の裂け目へと飛んでいく。
その様子を視線でだけ冷めたように見送ったアータは、いまだにアンリエッタを羽交い絞めにする白法衣に視線を戻す。
「で、こっちは教えたぞ」
『……離すと思いますか? 大事な人質を』
「んんんんんん!?」
「いや、別に人質はそのままでいいんだけどさ。さっきの影に隠れる魔法、アレの使い方教えてほしかったんだけど――」
アンリエッタが避難するような涙目で睨んでくるのに笑顔を返すが、白法衣はアンリエッタもろともゆっくりとアータから距離を離しながらあざ笑った。
『教えると思いますか?』
「いや、もう相棒が理解した」
『は? ……おほぅ!?』
次の瞬間、白法衣の足元の陰からデッキブラシの柄が伸びた。予想だにしない位置から予想もしなかったものが飛び出し、そのまま白法衣の尻にデッキブラシの柄が突き刺さる。情けない声を上げた白法衣がアンリエッタを羽交い絞めしていた手を離すのと同時に、アータは片腕でアンリエッタをひき寄せた。
白法衣はあまりの痛みに尻を押さえてしゃがみ込み、だが、すぐさま手にしていた魔水晶から再びキメラを一体呼び出した。
『き、っさ、まぁあああ! その、ふざけた態度がいつまで、でぇ、続くか……!』
キメラを召喚した白法衣は、そのまま捨て台詞と共に自分自身の影の中へと消えていく。あとに残されたのは、自分達を睨みながら涎を垂らすキメラだけだ。
「あ、アータ様……っ!」
「ちょうどいい。足が欲しかった。アン、すまないが少しだけ魔力をもらうぞ」
「え、あの、ちょ――いぎゃあああああああああああ!?」
影に突き刺していたフラガラッハを手に取り、アータは引き寄せたアンリエッタの首筋を掴んでドレイン。遠慮なく彼女の魔力を吸い取り、フラガラッハに魔力を溜めこむ。
『おおおおお、あーたんあーたん! 割とこの魔力好きなんですの! おいしいんですの!』
「おいしいってさ、アン。よかったな」
「よくありませっ――のへえええ!?」
ドレインで膝をついたアンリエッタの目の前にキメラが大口を上げて飛び込んでくる。だが、アンリエッタの身体が丸呑みされる寸前でキメラの身体が硬直し、白目を向いて動きを止めた。見れば、飛び込んできているキメラの足元に魔法陣が描かれている。その魔法陣に描かれた文様に、アンリエッタは目を丸くしながらも、鼻歌交じりにキメラの頭に近づいたアータを見た。
「あ、アータ様? 一体何をしようって……? こ、このキメラって人間界で戦ったあの、封印ぐらいしか手のないキメラですよね?」
「あぁ」
「でしたら、あの、その。キメラの頭にナイフで何を書いてるんです……?」
「魔紋。あの時と同じようなやり方が何度も使えるわけじゃないだろ。だから当然、こいつが出てきた時の対策はしてたし、今回は事前に練習もしておいた。手段選ばなきゃ、もっとえぐいやり方もあるんだけどな。俺はこれぐらいがちょうどいい」
「いやちがくて。っていうか、ていうかその魔紋って……! あのぉ、本当に貴方、それをあれするつもりなんですかね!?」
「よしできた。それじゃあやるぞ。絶対魔紋」
「ちょ、まっ――」
次の瞬間、深紅の強烈な閃光が神殿の屋根を飲み込んだ――。