第十五話 明けの日はついてない
「よっと」
脇にアラクネリーを抱きかかえたアータは、すとんと街の大地に降り立った。すぐさま駆け寄ってきたアンリエッタとテノルの姿に気づき、アータは笑みを浮かべて手を振る。
だが、駆け寄ってきたアンリエッタが憤怒の表情と、そのままの勢いで大きく片手を振り上げているのに気づき、
「ハイターッチ」
「ハイターッ――って違います!」
ハイタッチを交わしたままの勢いで、アンリエッタに脳天を叩かれたアータは、抱きかかえていたアラクネリーを傍に下ろしてポリポリと頭を掻く。
「痛いじゃないか」
「あのですね、どこの世界に目を離したすきに空島一つ消し飛ばす勇者がいるんです!? わかってるんですか、さっきのあの島ここの人たちにとって――」
「まって、アンリエッタ様」
アータに詰め寄って怒り始めるアンリエッタの前に、アラクネリーが割って入った。傷だらけで煤汚れた頬を拭いながらも、アラクネリーはアンリエッタの前で不貞腐れた表情を浮かべる。
「私がアータと戦ってみたかった」
「……」
アラクネリーの言葉にアンリエッタが瞳を細めて本当ですかと訴えているのに気づく。
「持ちかけたのは俺だ。で、戦ったついでに吹っ飛ばした」
「何かほかに言うことはあります?」
「めんごっ」
「なにいい笑顔でちろっと舌だして言ってるんですかね貴方は!?」
「まぁ小言はあとでまとめて聞く。それより、ネリ―」
間に割って入っていたネリ―は、アータの声に振り返って見上げてきた。彼女の視線を受け止めるアータは、口端を釣り上げて問う。
「満足はできたか?」
「……不満足は増えた」
そういってアラクネリーは首元に伸びるマフラーをきゅっと掴み、てくてくと地面に四つん這いになって崩れ落ちているテノルのもとへと向かっていった。彼女の背を見送ったアータに、傍に並んで立つアンリエッタが唇を尖らせる。
「朝から一体何をしてらっしゃるんです? それに、いくら何でも空島を消すなんて真似は――」
「悪かったって。代わりの島があればいいんだろ?」
「いや、それはそうですが……。島なんて作れるものじゃ――なんですかそれ」
小首をかしげるアンリエッタの前に差し出したのは、掌よりもちっぽけな石の塊。アンリエッタは恐る恐るその石に指先で触れ、その石の持つ強大な魔力に気づいて驚愕。
そんなアンリエッタの表情に満足いったアータは、手のひらの上の石をそのまま空に向かって投げた。減速することもなくはるか空の彼方へと飛んでいくその石は、イリアスの街の結界を抜け、空に上がったところで小さな光とともに宙に停止。
次の瞬間には、放つ光が形を作りあげ、先ほどまで空にあったのと同じ小さな空島がそこに浮かび上がった。
「な、なななな……」
「さっきの石はな、空島自体が持ってた魔力を圧縮して造ったものだ。で、それを空に浮かせてあそこで島の幻燈を映し出させてる。質量が減ってる分、空に浮かぶための魔力をそのまま幻燈に使っても、魔力が尽きることはないだろ」
「い、いやですが! あの……アータ様? 貴方、首輪で魔力制限されてますよね? 一体どうやって空島を圧縮するなんて大魔法を――」
ちらりとアータはアラクネリーに視線を向けた。アンリエッタもまた、アータの視線に促されるようにアラクネリーの姿に目を向ける。そこにいた彼女は、空に浮かび上がった小島に気づいて涙するテノルの肩を物知り顔で叩いている。
「ネリ―を利用して魔法陣を用意して、あいつの使った魔力でやってみせた。やり方も魔法陣も見せたし、ネリ―の才能ならそのうちできるようになるだろ」
「そんな簡単に用意できるような魔法陣なんです?」
「魔力制限下じゃなけりゃ、魔法陣もいらないんだけどな。ドレインと似た魔法系統だし。ただ、今の俺じゃ魔法陣とそこに使う魔力がなけりゃ使えない。心配しなくても魔王家で反乱を起こす、なんていう真似に使うつもりはない。魔王もどうせ同じことできるだろうからな」
「……相変わらずとんでもないですね本当に」
深い溜息をついて空を見上げたアンリエッタは、新しく輝きを増す小さな空島を見上げた。
イリアスの上で浮かぶ巨大なドーナツ型の空島。そしてそんな空島の傍で浮かんだアータの作った空島の幻燈の光は、一際異彩を放っていた。
◇◆◇◆
神殿に戻るというテノルやアラクネリーと別れたアータは、アンリエッタと共に宿へと戻ってきた。宿の中に入ると同時に聞こえてきた大音量の癇癪に、隣に立っていたアンリエッタが両耳を押さえてその場に蹲る。彼女だけではない。朝早くから宿の清掃をしていた従業員の魔族達も苦悶の表情で蹲っていった。
そんな彼女たちの様子に、アータは頬を掻きながら声の聞こえてくる二階の部屋へと視線を向ける。
「相変わらずダメなんだな」
「ば、か……言ってないで……! は、はやっ、はやく……!」
アンリエッタの切望を耳にしながらも、その場に彼女を置いてアータは給湯室へ向かう。仕事熱心な従業員がその場で耳を押さえて蹲っているのを目にしながらも、アータは水道水で水を沸かしながら、サリーナ用として毎朝用意するのと同様に紅茶を用意していく。沸騰する直前で、沸かした湯をポットに入れ、一息。
『あーたん、ちょっと懐かしいんですの』
「……」
一息の合間を縫って話しかけてきたフラガラッハに、アータは鼻を鳴らしながらカップを用意。ポットとカップの準備ができたところで、アータは何事もなかったかのように給湯室を離れ、床で転がってもがくアンリエッタを一瞥。
「う、のっぉぉ……! あ、アータ様、は、はははは、はやっく……!」
向けられた視線にアータはポットから漂う紅茶の香りに僅かに頬を緩め、ゆっくりと階段を上ってサリーナの寝室へと歩みを進めた。次第に強くなってくる癇癪に苦笑しながらも、部屋の扉を四度ノック。
「入りますよ、お嬢様」
部屋の扉を開いた瞬間、衝撃波を伴うような強い癇癪と叫び声が迫るが、アータは何事もなかったかのように手にしていたカップとポットをそのままに部屋の扉を閉めた。部屋の奥、天蓋で覆われたベッドの上で、膝を抱えるようにして僅かに宙に浮かんで叫び声を放つサリーナの姿を目にする。ずかずかとこれに近寄ったアータは、そのまま天蓋を捲り、中にいるサリーナを確認。放たれる衝撃波と鼓膜を破るような大絶叫に顔色一つ変えず、アータは片手を伸ばして彼女の頭を撫でた。
「う、ぬ……?」
「おはようございます、お嬢様」
アータの掌がサリーナの頭に触れると同時に、彼女から放たれていた呪いとも呼べるような大絶叫は消え去り、宙に浮いていた彼女はすとんとベッドの上に落ちた。寝癖の立った銀色の長い髪と、差し込む光で輝くおでこの様子に吹き出しながらも、アータは眠気眼をこするサリーナをそのままにカップへと紅茶を注いでいく。
「昨日は夜遅くまで起きていましたし、寝坊ですか?」
「寝坊じゃないぞぃ! 見てみるのじゃ、外の日差しだっていつもと同じ朝焼けで――あれ? 日が昇っておるのじゃぞ?」
「ここはイリアスの街ですよ。入る日差しはいつだって視覚結界で増幅されて同じものです」
「うぬぬ……! アータ、寝坊の罰は――」
「だめです。寝坊一回につき一度の魔界教育。アンの奴との約束なので」
「のおおおおおおおお!? せっかくの休みに勉強はいやなのじゃああああ!」
頭を抱えて大絶叫するサリーナの様子を笑いながらも、アータは紅茶を注いだカップをサリーナに差し出した。これを受け取ってゆっくりと口にするサリーナの様子を見ながらも、アータは部屋の入り口でいつの間にか控えていたアンリエッタに視線を向けた。
「アン、お嬢様が勉強はいやだってさ」
「えぇ、私もばっちりこの耳で聞きました。ね、お嬢様」
「い、いや! 違うぞ違うのじゃ! わし勉強大好き! だからお仕置きはいやなのじゃああ!」
ぶふぅっといわんばかりに紅茶を噴出したサリーナは、カップを手に慌てて居住まいを正す。その慌てように顔を見合わせてアンリエッタとアータは小さく噴き出す。
「でしたら、魔王家に戻りましたらみっちり勉強しましょうか。えぇ、此度の遠出の影響で遅れていますし、三日三晩寝ずにやりましょう」
「にょ!?」
サリーナの召し物を手にしているアンリエッタと入れ替わるようにして、騒がしくなったサリーナの部屋をアータはあとにした。だが、部屋を出て階段を下ったところで、宿の入り口の大扉が乱暴に開かれる。
そして、その扉を破る様にして宿に入ってきたのは、荒れる息を整えながらも慌てた様子のアラクネリーだった。
表情を見せ辛い彼女にしては珍しいその切羽詰まった様子に、慌てる宿の従業員達を片手で制しながらアータは静かな声で問いかける。
「どうしたネリ―」
アータの声に、アラクネリーは肩で息をしながらも顔をあげ、答える。
「御神体が――アーティファクトが盗まれた……!」
盗まれた。
そのたった一言に、アータは深い溜息をついて頭を抱えた。
『あーたん、これってもしかして……』
「もしかしなくても、そういうことだろうよ。前にも言ったが、やっぱり俺はどうにもこうにも良いほうにも悪いほうにも運がいいらしい」
フラガラッハの言葉に皮肉を返しながらも、アータは慌てた様子のアラクネリーの傍へと近寄っていった――。