第十四話 儚くも美しい夢
「はぁ、はぁ、はぁ……!」
息も絶え絶えに地面に四つん這いになるアラクネリーの背に腰かけていたアータは周囲の惨状を見て僅かにほほ笑んだ。
生い茂っていた空島の上の木々はすべてなぎ倒され、周囲は焼け野原。いくつにも抉れて隆起した地と、突き刺さる数々の岩。焦げた臭いの残る草木。そのどれもをやってのけた尻の下のアラクネリーの力。
「確かに、ナクアが言っていたように次期四神将候補ってのもわかるな」
「なんで、私の上に乗ってる……?」
「勝者の余裕」
「むっ……!」
魔力も体力も尽きているというのに下から睨み付けてくるアラクネリーの様子に肩を竦めながらも、アータは立ち上がった。汚れ一つついてない自身の執事服をなびかせたアータは、ゆっくりと起き上がってその場に不貞腐れて膝を抱えたネリ―に声をかける。
「ここまで差があるとは思ってなかった、か?」
「……正直、ちょっとぐらいダメージ与えられると思ってた」
そっぽを向いたネリ―の様子に、アータは背を向けて近くの大地に突き刺さった木に掌を寄せながら語る。
「強さの秘密――いや、強くなりたい理由は、あの舞のためだな?」
「……」
押し黙るアラクネリーの様子に、アータはそのまま彼女の行動と強さを知りたがる意味を言葉に続ける。
「あのアーティファクトを止めるための舞と、ソレに消費される魔力もお前は理解してる。だからこそ、お前自身あのアーティファクトを止められる残りの回数もわかってる」
「……だから」
「だから、強くならないといけない。お前があれを抑えられなくなれば、この街にアレを止められる魔族がいないんだろ?」
「……そう」
頷いたアラクネリーは、両膝におでこをつける勢いで顔を伏せた。そうして呟く様に背を向けるアータに語る。
「強くなれば――魔力がいっぱいあれば、私はずっと巫女を続けられる。そうすればこの街も安心。でも、そうじゃない。今のままじゃ、この街はアーティファクトの力に飲み込まれる」
「魔力がいっぱいあれば、か」
「ん。魔王様や貴方みたいに魔力いっぱいなら――」
「お生憎。今の俺やクソ魔王はこのアーティファクトで魔力は制限されてるからな。ま、それは置いておくとして、だ」
こんこんっと、音を立てて地面に突き刺さった木の幹をアータは拳で小突いた。その子気味良い音を聞くアラクネリーもまた、顔を上げてアータを見る。
「見ろ。お前がこれだけ暴れて、この小さな空島の上もクレーターだらけだが、何か気づかないか?」
「気づく?」
アータの言葉に、アラクネリーは立ち上がって小首をかしげながら、改めて周囲を見渡す。小さな空島の上のあらゆるものは原形をとどめないレベルでめちゃくちゃだ。アラクネリー自身の持てる全力をもって暴れたのでそれは当然でもあったが、そこに疑問に思うものが思い浮かばない。
そしてそんなアラクネリーの様子を見ながら、アータは脇に立てていたデッキブラシを大地に突き刺し、引きずるようにして歩き始める。
「空島が空に浮かんでいる理由は、一般的には空島自身が持つ強い磁場と強大な魔力によるものだといわれている」
「……」
がりがりとデッキブラシで地面を抉りながら歩くアータは、アラクネリーへの講釈を続けた。
「けど、誰もなぜ空島がそうなっているかは知らない。いつから島が空に浮いているのか、もとからそうだったのか、なぜそんなにも多くの魔力を内包しているのか。そんな理由は誰も知らない。だが、一つだけ事実はある」
「……魔力量?」
「そうだ。空島の蓄えている魔力の量はそこらの魔法使いや魔族達なんかとは比にならない。言っている意味が分かるか?」
アラクネリーの周囲を回る様にして地面を抉っていたアータは、そのまま元の突き刺さった木の傍までくると、木に背中を預けてアラクネリーの答えを待った。視線の先でわずかに眉を寄せて唇に親指を押し付けたアラクネリーは、すぐに気づく。
「まさか……?」
「できるかできないかは置いておいて、そういうやり方もあるってことだ。で、ことのついでだからお前にそれを見せてやる」
「見せるって……まさか」
アラクネリーが慌ててその場に立ち上がる。次の瞬間には、アラクネリーの足元の大地から一気に光が溢れ出した。そうして立ち登る光の柱の数と、そこから溢れる魔力の質にアラクネリーは瞳を細めた。
大地から溢れるようにして登る魔力は――アラクネリー自身のものだ。だが、アラクネリー自身にはその魔力がどこから来ているのかわからない。既に彼女自身アータとの戦いで魔力はほぼ使い切っており――、
「……っ!?」
そうして何かに気づいたアラクネリーは、慌てて叩く跳躍し、魔力の溢れ出す大地を見て言葉を失う。
大地から噴き出していたアラクネリーの魔力は、ただ無造作に出てきたわけではない。大地に描かれていた魔法陣から噴き出ているのだ。焼け野原となっている空島の大地の上で描かれた巨大な魔法陣。六芒星の頂点はそれぞれ、気づかぬうちに大地に突き刺さるデッキブラシが。
「ネリ―、そこでよく見てろ。ついでに言うと、街までそのまま一直線になるから気を付けろ」
大地で手を振って笑うアータの姿に、アラクネリーはようやく理解する。
――利用されたのだと。何がと言われれば、全てがと。攻撃も、そこに使った魔力も。すべてが、あの抉れた空島の大地で描かれた魔法陣とそこで紡がれる魔法の糧に。
そうしてアラクネリーが跳躍した先で戦慄と興奮に笑みを浮かべるのと同時に、アータは空島の大地の上でデッキブラシを手に唱えた。
「絶対圧縮」
◆◇◆◇
「まったく、あの人はまた勝手に一体どこに行かれて! 早くしないとお嬢様が目覚めるっていうのに……フラウ様を連れてきておけばよかったです」
まだまだ夜明けには早い時間。だが、サリーナの朝の叫びのことを思い出したアンリエッタはベッドから飛び起き、フラウがいないことに頭を抱えて慌てて部屋を出た。そうしてすぐにアータに割り当てていたはずの部屋を見に行ったが、当の本人が部屋にいないことに気づいてすぐさま宿を飛び出したところだった。
宿の外はまだ明るく、夜も夜明けも感じさせない。わずかな眠気にアンリエッタは眼を軽くこすりながらも宿の門を押し開いてすぐに通りに出る。
そうしてアータの姿を探して足早に通りをかけるアンリエッタは、軒先に背筋を伸ばして立つワイト――軍団長トワイトの姿を見つけた。
「貴方は昨日の……。すみません、アータ様を見かけませんでしたか?」
「あ、貴方は勇者の旦那のお連れの……あぁん!様でしたっけ――おふっ!?」
余計な小文字を付け足されたアンリエッタは背筋を伸ばしていたワイトの鎖骨を鷲掴みにし、そのまま腕を振り下ろして肋骨もろとも丸ごとえぐり取る。そうしてその場にバランスを崩して崩れ落ちるトワイトを、アンリエッタは笑顔で見下ろした。
「アンリエッタです。次その呼び方したらこの島から裂け目に向かって落としますよ?」
「さ、さっすが勇者の旦那のお連れだぁ。やることがえげえつねぇや」
「もう一度聞きます、アータ様を見かけませんでしたか」
「勇者の旦那なら、随分前にこの通りをこの街の神官と一緒にあっちのほうに歩いていきましたぜ」
「情報有難うございます。ですが、一つだけ訂正を。私はアータ様の連れではなく、魔王家のメイド長、アンリエッタです」
「魔王家の!? こ、こりゃ失礼しました!」
慌てて立ち上がったワイトが敬礼するのを目にしながらも、アンリエッタは僅かに不満げに眉を潜めてそのワイトに問う。
「それにしても、いくらアータ様に負けたからと言って、ここにずっと立ってろなんて命令、よく守りますね?」
「へぇ。まぁ、やっても勝てないのは昨日のあれで魂の髄まで理解しましたし。それに、ここに立ってろという命令の意味も理解できたんで」
ワイトの言葉にアンリエッタは覗くようにしてワイトの顔に近づく。だが、ワイトは僅かに視線を足元にそらすだけでその意味は応えない。
「……理由までは言わないんですね?」
「理解したからこそ、口にはできないんす。街の魔族は気づいてない。俺様達も気づかなかった。でも――勇者の旦那は気づいた。だから、誰にも口にできないんす」
視線を合わせずにずっと俯いたままのワイトの様子に、アンリエッタは深い溜息をついて首を振った。理由は知りたいが、それでも今のアンリエッタにとって優先すべきは、アータを見つけることだ。
「わかりました。どうせその時はあの人が問題の中心にいるんでしょうし、その時に本人に聞きますので」
「そうしてくだせぇ。ついでに言うと、旦那を見つけたら、任せといてくださいって伝えておいてくだせぇ」
「……わかりました」
そういってアンリエッタは再び黙って直立不動になるワイトに軽く会釈をし、アータが向かったという場所へ向かって飛び出した。
◇◆◇◆
「あれ、テノル様?」
「お、おぉアンリエッタ様!」
街から少し離れた場所で、呆然と空を見上げて立っているテノルの姿に気づいたアンリエッタは、ゆっくりと高度を下ろしてテノルの傍に降り立った。アンリエッタの姿にテノルは困ったように神官帽を押さえながらおろおろとアンリエッタと空を交互に見上げている。
テノルのそんな様子に、アンリエッタは小首をかしげて問いかけた。
「どうかなさったんです?」
「あぁいえ、実は先ほど勇者様が巫女殿を連れてあそこに……!」
「あそこって……え、まじですか」
「まじです」
そういってテノルが指さす先の小さな空島を見て、アンリエッタはありえないといわんばかりに唇を尖らせた。
「あ、あの人は本当にもう……! す、すみませんアータ様がまた勝手に何かしちゃったみたいで! すぐに、今すぐに私が連れ帰ってきますから!」
「は、はいそれはもう、是非に……! あの小さな空島は、一定周期でこの周りを回っている、この地域にとっては時間を知るために必要な大事な島で――」
――パぁンッ、と。
テノルとアンリエッタが真顔で空を見上げる先で、指さしていた先の小さな空島が美しく火花を散らして弾け飛んだ。
視覚結界を通してみる夕焼けにも似た空でもなお、飛び散る空島だったものは美しい円を空に描き、散っていく。儚く散った空島の姿を真顔で見上げていたアンリエッタとテノルは、うっすらと微笑みを浮かべて呟く。
「わぁ、きれい」
「きれいですな」
一夜限りの、夢のような――否。
夢だと思いたい美しくも儚い現実に、アンリエッタとテノルは熱くなる目頭を押さえてぐずる鼻を押さえた――。