第六話 イリアスの街
痛む頭を振りながらも、魔王クラウスを下敷きにするようにして何とか着地。そのままアータは、抱きかかえていたアンリエッタと背中の荷物を隣に下ろし、脳天に直撃した石頭の威力に頭を抱えながらも、足元で石畳にめり込む魔王を睨んだ。
「ったく、いきなり結界から飛び出してくるってのはどういう了見だクソ魔王」
「きさ、貴様! このアホ勇者! いつまでこの私の上に乗っているつもりだ、すぐにそこをどけさりーなちゃんが私の助けを待っているのだ!」
立ち上がって暴れられては困るので、割と全力で魔王の背中を踏みつける。それこそそこらの魔族なら原形もとどめないレベルで。とはいえ、相手は魔王。それでもなおもがき出すその馬鹿力に、アータは深い溜息と共に傍で呆然と座り込んでいたアンリエッタの名を呼んだ。
「アン、さっさと状況の説明入れてくれ」
「……魔王様、お嬢様でしたらほら、そこに」
かけられた声にアンリエッタは不満げに鼻を鳴らしながらも、地面でもがく魔王に向かってそこを指さした。そこには、アラクネリーと共に興奮気味で騒ぐサリーナの姿がある。これを見た魔王はアータの足元であがくのをやめ、涙目になるほどの歓喜の笑みでサリーナの名を呼ぶ。
「さりーなちゃん! パパだよ! パパが助けに来たよ!」
「のぅのぅアータ、アンリエッタ! もう一度、もう一度さっきのひゅーんやりたいのじゃぞ!」
だが、そんな魔王の歓喜の叫びもサリーナには届いてないらしく、彼女は興奮気味に両手を振り回しながらアータとアンリエッタのもとに駆け寄ってくる。その視線に、魔王クラウスは一切映らない。
「……」
鼻水を垂らす勢いでサリーナを見上げている魔王クラウスの様子と、そんな父親に気づかないサリーナを交互に見たアータは、深い溜息と共に魔王の背に乗せていた足を退ける。そうしてのっそりと立ち上がる魔王の姿に、サリーナもようやく気づいた。
「あ、父上殿おったのか」
「さりーなちゃん!? パパ、意外とそういう一言グサッとくるんだけどな!?」
「全然帰ってこない父上殿なんてしらんもーん」
「いやあの、帰ってこれなかったのは魔族の発情期のせいで、そもそもそれこそが、そこのクソ勇者による策略で――」
そっぽを向いているサリーナのご機嫌取りに向かう魔王の様子を一瞥しながらも、アータは近寄ってきたアラクネリーと共に落ち着いて周囲をようやく見渡す。
自分の立つこの場所は、アラクネリーの故郷――イリアスの街の入り口に位置しているのであろう。見上げた先は巨大な街だ。
周囲には大地の裂け目が広がるが、圧迫感を感じることはないほどの大きな街。入口に位置するこの場所から、山なりになだらかに広がっていく街並み。人間界の首都と比べても遜色ないほどの生活感に溢れている街だった。
ちらほら見かける人影だけはやはり魔族のもの。アラクネリーやアンリエッタ、サリーナ達のような人型の魔族が中心となって生まれている街らしい。香り漂う独特の臭いは、この街が温泉街としても魔族達の間で有名だからか。
強いて言うのなら、差し込む光だけは弱弱しいものだった。
「地上からだいぶ地下にできた街だから、太陽の光はどうなのかと思っていたが……なるほど。視覚結界は文字通り結界としてだけじゃなくて、差し込む太陽光の増幅をしてるわけか」
「するどい。そう、イリアスの街はそのままじゃ光がほとんど届かないから、視覚結界をレンズ代わりにして微かな太陽光を街にあててる」
アラクネリーが自慢げに話すのを聞きながら、アータは空を見上げた。
差し込む太陽光の弱弱しさは、上空に浮かんでいる形も様々な空島の影響だ。その異常なほどの空島が折り重なるようにして空に広がることもあって、ただでさえ辛うじてしか入らない太陽光がこの街までうまく届かない。
僅かに届く光は結界を通して増幅され、結果としてこの街は常に僅かな夕焼けのような光を受けている。
「まぁこれはこれで風情があるもんだな」
「ふふん」
胸を張るアラクネリーの様子に苦笑いを向けながらも、アータはもう一度街を見上げる。道なりに進んだ先にある、街の中でも最も高い場所にある神殿のようなものに気づいて眉を顰めながらも、感じる僅かな違和感に誰にも聞こえぬよう小さな呟きでフラガラッハに問う。
「……感じるか、フラガラッハ」
『感じますの。でも、なんていうかとても強いボヤがかかってて、わかりづらいんですの』
「ぼや、か。まぁ、町全体がボヤにかかったような夕焼け空だしな」
「何か言いましたか、アータ様?」
「いや、何でもない」
近寄ってきていたアンリエッタに視線を向け、首を振る。言葉で表すのも難しいおかしな気配と魔力の流れを感じながらも、アータは並んで伸びる影に頭を掻く。そうして、自分たちのいる場所へと駆け寄ってくる三人の魔族の姿に気づき、視線をそちらへ向けた。
慌てるようにして近寄ってきたその三人の魔族の姿は、白い神官服に身を包んだ人型の魔族だ。それぞれが違う種族なのか、頭に生える角や腰から伸びる尾に気づきながらも、アータは居住まいを正したアラクネリーと魔王の様子に気づく。
三人の魔族はそれぞれ、中央にいる年老いた神官と、その両脇に控える副官だろう。年老いた神官は、わずかに曲がった腰と、深々と被った長い神官帽を揺らせながらも、アラクネリーと魔王に向かって軽く会釈をする。
「魔王様、この度はわたくし共、イリアスの街へと足を運んでいただき、誠に感謝しております」
「なに、頻繁に顔を出せずにすまんな、テノル。して、神官どもを連れて何事だ?」
クラウスは腕を組みながらも、テノルと呼んだ年老いた神官の両脇にいる神官達を眺めながら問う。これに神官テノルは会釈で下げていた頭をあげ、魔王の隣に近寄ってきていたアラクネリーへと柔らかな視線を向けて答えた。
「皆様と巫女殿を迎えに参った次第です。巫女殿、神殿の御神体への奉納をお願い致します」
「わかった、すぐにいく」
奉納という言葉に、アラクネリーは迷わず頷き、魔王やサリーナに向かってぺこりと頭を下げてそのまま駆け出していった。向かう先は間違いなく街の最も高い位置にあるあの神殿だ。アラクネリーの急ぐ様を見たアータは、隣にいるアンリエッタに耳打ちして問いかける。
「その御神体と奉納ってのはいったいなんだ?」
「御神体そのものは知りませんが、この街に古くからあるしきたりのようなものです。定期的に御神体に舞を捧げ、街の安全を祈願するというものです」
「なるほど」
アンリエッタの言葉に耳を傾けていると、魔王と話していたテノルが、アータ達の姿に気づいて近寄ってくる。そのままテノルは顔によっている皺を伸ばすような笑みでアータやアンリエッタ達にも頭を下げた。
「皆様が魔王様のお連れの方ですかな」
その温和な笑みに、アンリエッタも笑みを返して深く会釈する。彼女の様子に倣うわけではないが、一つ試すかとアータもまた笑みを返しながら片手を差し出した。
「あぁ、サリーナ様の執事をしている。勇者って言ったら、伝わるか?」
「おぉ、お噂はかねがね。温泉しかない街ですが、どうぞゆっくりお過ごしください」
傍で何を言い出すんだと言わんばかりに睨み付けてくるアンリエッタをよそに、敵対するさまも見せずに、年老いた神官テノルはアータの差し出した手と握手を交わした。腰が曲がり、皺の寄った柔和な顔ではあるが、交わす握手からはそんな弱さだけではない強さも感じる。
魔族でありながら、自分を勇者と知ってなおこうして握手を交わしてのけるテノルの様子に、アータはずけずけと話を進めた。
「てっきり、勇者と聞けば敵視するかと思ったけど、あんたたちはそうでもないんだな」
「この地は魔王様のお忍びの地でもありますからな。それに、我々はイリアスの神官。イリアスの民は勇者という肩書など気にはしませんとも」
「なるほど。じゃあ、この街に傷を癒しに来るような魔族連中は?」
「貴方様をぶっころしに来ても我々はなーんにもしりません。我々、イリアスの、神官」
握る握手の力強さが増し、テノルの笑顔も晴れる。初対面でも感じたが、とんだ狸爺だった。
そうして互いにかわしていた握手をやめたアータは、満面な笑みを浮かべている魔王クラウスの姿に気づく。
「ふっはっは! クソ勇者、私やさりーなちゃん、アンリエッタはこの街で優雅に身体を休めるが、貴様に寝る間があればいいがな!」
「いや、別に寝ないから大して気にしないけどな。というか、別に襲われても構わないが――」
アータは手にしているデッキブラシで、自分たちの立つ石畳を二度三度こんこんと叩く。そうして、近寄ってきてニコニコ笑うサリーナの頭を撫でながら、アータは魔王クラウスよりも邪悪な笑みを浮かべて答えた。
「その場合、それなりに返り討ちにはさせてもらうさ。だから先に謝っておく」
こんっと、デッキブラシで軽くたたいた石畳にひびが入った。だが、アータはこれを一瞥もせず、そのままひび割れた石畳をデッキブラシでたたき続ける。
「勢い余って地面を砕いたらすまない。周囲の建物を壊したらすまない。結界を壊したらすまない。温泉の源泉を壊したらすまない。この街のある島が真っ二つになったらすまな――」
「テノル! 今すぐこの街に観光に来ている魔族達に魔王命令を出せ! 絶対に勇者に手を出すなと!」
「いや、ですが魔王様――」
ぐらりと、叩き続けていた石畳が砕け、アータ達のいる場所がわずかに揺れる。
テノルやその傍で控えていた神官達は魔王の言葉に意見しようとしていたが、デッキブラシを振りかぶって満面の笑みを浮かべるアータの顔と、盛大に頭を抱える魔王クラウスの顔を交互に見ながら、鼻を鳴らして頷いた。
「い、いますぐに……!」
そうして現れていたテノル達は、駆け出すようにして街の中に走り出していく。その背を満足そうに眺めたアータは、手にしていたデッキブラシを背中に預けると、背後からジャンプしたアンリエッタに頭をはたかれる。
「痛いじゃないか」
「お馬鹿なんですかね貴方は!? どこの世界に休養に来た避暑地を沈められたくなかったら、手を出すななんて脅す勇者がいるんです!?」
「いや、先に言っておいたほうがいいかなって」
「絶対ダメですからね、やっちゃだめですから。というか貴方は本気出して戦っちゃダメですから」
鼻息荒いアンリエッタの言葉を聞き流しながらも、アータはイリアスの街の奥にある神殿を見つめる。そうしていると、アンリエッタはアータにしがみ付いていたサリーナの手を引いて魔王のもとへ。引きずられるようにしたサリーナを、クラウスは満面の笑みで片腕で肩の上に抱き上げてイリアスの街を見上げた。
「とにかく、魔王様もお嬢様もアータ様も。今回は身体を休めに来たんです。面倒事はやめて、しっかり温泉に浸かって身体を休めましょう」
「ふむ、仕方がないがここは休戦だクソ勇者。私としてもせっかくのさりーなちゃんとの旅行をめちゃめちゃにしたくはないからな」
「のぅのぅ、アンリエッタ、父上殿」
「どうかしたかい、さりーなちゃん?」
「どうしました、お嬢様」
「アータ、どっかいったのじゃ」
「「え"?」」
慌てて振り返った魔王クラウスとアンリエッタは、無造作に置いてあった食料の入った荷物の哀れな姿を目にする。
そこには先ほどまであったはずの勇者の姿は、ない。
魔王は深い溜息と共に頭を振り、傍にいたアンリエッタは地面に四つん這いになって大絶叫。
「あの、人は、ほんとにもう……! どこに行ったんです、アータ様ぁああああああ!?」
アンリエッタの大絶叫は、イリアスの街中に響き渡った――。