第三話 逃げ出せ
「できた」
「さすがですアラクネリー様」
自分たちを襲ってきたたイエティ達の体毛を逃さず毟り取った一行は、アラクネリーが作り出す糸と彼女が持つマフラーを使って防寒具を作り上げた。羽織るだけの簡易な防寒具だが、イエティ達の上質な体毛でできているお陰で肌寒さなどみじんも感じないほどだ。
これを作り上げたアラクネリーはアンリエッタとサリーナに防寒具を手渡し、自身も防寒具を体にまとう。
だが、すぐに周囲にアータの姿がないことに気づいてアラクネリーは小首を傾げた。
「アータはどこ? 防寒具余った」
「あれ、そういえばいつの間にか姿が見当たらないですね? ですが、防寒具の必要はありません。どうせあの人は寒くないぞとか言いだすんで」
「えー、アンリエッタアンリエッタ。アータとお揃いで防寒具着たいのじゃぞ!」
「私がアータ様とお揃いが嫌です」
「アータの執事服、アンリエッタの余っているメイド服からアラクネリーが作ってくれていたのじゃが、知らんかったのかの?」
「初耳なんですが!?」
頬を両手で押さえつけるようにして絶叫して崩れ落ちるアンリエッタの背中を、サリーナが冗談じゃと言いながら叩く。彼らの様子を傍でちらりと見ながらも、アラクネリーは洞窟の奥から聞こえてくる剣戟に瞳を細めた。
そうこうするうちに、洞窟の壁を粉砕しながら現れたアータの姿に気づいたアンリエッタが、余った防寒具を持ったまま、ずかずかとアータに近寄って人差し指を突き付ける。
「アータ様! 遅いですよ一人で何処ほっつき歩いてるんです!?」
「ネリ―、サリーナ様。寒くないですか、忘れ物ないですか」
「ない」
「ないのじゃ!」
「じゃあ行きましょうか」
「あの、まず最初に問いかけた私の声に耳を傾けてくれませんかね?」
詰め寄ってきたアンリエッタの物申す視線に、アータは肩を竦めて答える。
「イエティ達が武器を持ってるのが気になってな。武器庫でもあるのかなと思ってちょっと漁ってきた」
「漁ってきたって、盗賊ですか貴――その背中に携えている巨大な袋はなんですか?」
「食糧庫に保存してあったイエティ達の食糧。あ、ダメだぞ。大半は凍らせて溜めてあった食糧だから、火を通さないつまみ食いはなしだ」
「つまみ食い前提で話すのをやめてくれませんかね! というか、追剥の上に食べ物まで奪う気ですか!?」
アータの執事服の襟元を掴んでガシガシとアンリエッタが揺らしてくる。彼女の様子に、背中に巨大な荷物を携えたアータは呆れかえったような笑みでアンリエッタの肩を掴んだ。
「大丈夫だ。奪ったんじゃない。というか、奪ってたら今頃まだ追いかけられるだろうが」
アータの言葉に、アンリエッタは僅かに眉間を顰め、だが視線を下げて顎に手を当てて思案する。
「……確かに、食料まで奪われたにしては不自然なほどイエティ達が追ってきませんね」
「とにかく、さっさとイリアスの街に行こう」
「うむうむ、いくのじゃ!」
防寒具を身にまとって駆け寄ってきたサリーナが、そのままアータの右腕に抱き着く。きれいに仕立て上げられているイエティの体毛でできた防寒具に感嘆しながら、アータは自分の真横で動く巨大なきのこ帽子に苦笑いを浮かべた。
そうして自分達から距離を取っているアラクネリーにも声をかける。
「ネリ―。先導頼む。さっさとでちまおう」
「わぱっぱ」
「いや、そのネタそこでもってくるのかよ」
魔王家に来た頃にナクアが言っていた、パパ扱いをいきなり持ち込んでくるアラクネリーの様子に項垂れながらも、アータはサリーナとアンリエッタを連れて歩き始めた。洞窟の入り口から吹き込んできているわずかな風の冷たさを感じ取るアラクネリーとアータは、入りくんだ洞窟の中でも迷わずに歩みを進めていく。
これに置いて行かれぬよう、アンリエッタもまたわずかに歩の速度を上げていった。
「あの、結局どうやってその背中の食糧手に入れたんです? それに、さっきのあそこにいたイエティ達だけで全部だったんです?」
「洞窟の奥にはまだイエティ達はいたぞ。武器庫の管理役ぐらいだったがな」
「武器庫の? 妙な感じですね。この辺り一帯の豪雪地域の主ですらあるイエティ達にとって、食料より武器のほうを大事にしているなんて……」
「本人たちがそれで納得してるならいいだろ。そのおかげでこうして食料も手に入ったわけだしな」
話をするうちに、洞窟の入り口に到着する。差し込む肌を焼くような冷気に、サリーナとアンリエッタは防寒具越しでも震えを隠せない。幸い日も高く、吹雪いてはいないので見晴はよい。
とはいえ、洞窟から一歩足を踏み出せば足元は雪で見えないほどだ。見渡す限り一面の雪景色に、洞窟から早速飛び出したサリーナがはしゃぎ始める。
「ひょっほおおお! わしわし、こうして雪をみるのはひっさしぶりなのじゃああ!」
少し進めば膝丈ほどまで足が埋まる雪の中に飛び込んでいったサリーナは、そのままぼふっと足を取られて雪に埋まった。立ち上がれないのか手足をばたつかせる彼女を、アラクネリーが助けに行き――折り重なるようにしてサリーナの上にダイブをかました。
もがく手足が二倍に増えたところで、アータは冷めた視線で彼女たちを見ながらもアンリエッタに尋ねる。
「雪を見るのは久しぶりって、魔王家のあるあの大陸だと雪は降らないのか?」
「いいえ。ただ、お嬢様は奥様がなくなられてからずっと屋敷に引きこもっていただけです」
「そうか。その頃に比べれば、あの笑顔はまだ健全なものだな」
「…………」
もの言いたげなアンリエッタの視線に気づくが、これを気にせずアータもまた二人を雪の中から助け出しに洞窟を出た。すぐに追いかけてくるアンリエッタが、先ほどから両腕で抱きしめたままの余った防寒具をそのままに問いかける。
「あの……、その……寒くないんです?」
「寒くないぞ?」
「えぇまぁ、貴方ならどうせそういうと思ってましたよ、えぇ思ってましたとも!」
ひゅぅーっ、と。
「あ、寒ッ!?」
「いったいどっちなんですかね貴方は!?」
叫びながら投げつけられた防寒具をアータが受け取ると、アンリエッタは埋まったままの二人のもとへとふんぞり返る様に進んでいった。その背中から感じる苛立ちに肩を竦めながらも、アータは渡された自分用の防寒具を羽織る。
――やはり、着ても大して体感温度に差はない。当然だ、実際に寒くないのだから。
だが、彼女たちの厚意は素直に受け取っておこうと、羽織った防寒着の上から、デッキブラシを腰に携えなおす。
『…………』
「なんだよ、何か言いたげだな」
『別に何でもないんですの。あーたんもまるくなったなとおもっただけですの!』
「いつまでも敵対してるわけにもいかないしな。それこそ、敵は魔族だけとは限らないだろ」
『……とりあえず、そろそろ効果きれるんですの!』
フラガラッハの言葉を受け、アータはポリポリと頭を掻いて前ではしゃぐ三人のもとへと駆け寄った。
「さて、はしゃぐのもそこまでです。とりあえず駆け足で山を下ります」
「おおう、山の駆け下り競争なのじゃな! アラクネリ―、わしまけんぞ!」
「サリーナ様、私を誰だと思ってる。引きこもりボンボンに負けるほどやわじゃない」
「言ったの!?」
「言った」
額を突き付け合うようにして互いに威嚇しあったサリーナとアラクネリーは、半身を雪に埋もれながらも一斉に駆け出していった。これを見送るアンリエッタとアータは顔を見合わせて苦笑いしてしまう。
「では私たちも行きましょう」
「あぁそうだな。急がないと面倒だ」
歩き始めたアンリエッタが、アータの言葉にピタリと止まる。そうして彼女を追い越したアータの背に、震えるような声で問いかけた。
「……面倒だ、と言いましたね? そういえば聞き忘れてました。貴方のその背中の食糧。どうやって手に入れたんです?」
アンリエッタの低い声に、アータは勘が良くなったなと笑みを歪めながらも答える。
「物々交換をした」
「貴方、デッキブラシ以外何も持ってないじゃないですか。何を交換するって――ちょっ、と、待って、くださいよ……?」
前を歩くアータの腰にぶら下げられたデッキブラシを睨み、アンリエッタは震える声を隠せない。
「まさかとは思いますが、デッキブラシを交換に差し出したんです……?」
「正確には、こいつを折って作った模造品をなけなしの魔力を使って、さも上等な武器に見えるようにして交換した」
「そういえば、この前のキメラ戦でも大量の模造品を使ってましたね。時間経過で勝手に消え――あ」
『なんじゃこりゃああああああああああああああああああああああ!?』
「よし逃げよう」
次の瞬間、アンリエッタの声をかき消す勢いの大絶叫が洞窟の奥から聞こえてきた。
それは当然、騙されたイエティ達の切なる叫び声で。
その叫び声を耳にしたアータは、アンリエッタをその場においてすたこらと雪の上を軽やかに駆けだした。これに気づいたアンリエッタもまた、瞳に目いっぱいの涙を溜めながら慌てて雪をかき分けるように駆け出す。
「ちょっとォ!? アータ様、何してくれてるんですか貴方は!?」
「キメラのときみたいに魔力が足りないから、十分ぐらいしか模造品の維持が続かない。目の前でポンッと消えたんだろうさ」
「馬鹿なんですかねぇ貴方馬鹿なんですか!? っていうか、ちょっと待ってください! 貴方なんで雪の上をそんな軽やかにスキップで走れるんです!?」
「急がないとおいていくぞー」
「もう絶賛置いてけぼりなんですがぁ!?」
膝丈までの雪に埋もれるようにして泣きわめく勢いで追いかけてくるアンリエッタを笑いながらも、仕方なく立ち止まり、彼女が追いつくのを待つ。そうして息も絶え絶えに追いついてきた彼女は、半泣き状態でアータの襟をつかんでがくがく揺らす。
「私一人でイエティ達全部相手にできるわけないじゃないですか置いてけぼりですか!? こんな場所で走って逃げられるわけないじゃないですか!」
「いやお前飛べるだろ」
「――あ」
雪に囲まれた豪雪地帯の冷風は、羞恥に染まり切ったアンリエッタの真っ赤な顔を冷やすことは決してなかった――。