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その名も、勇者である!  作者: 大和空人
第三章 蜘蛛の巫女とイリアスの秘宝
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プロローグ 蜘蛛の子の心知らず

「平和だな」


 頭の上でガシガシと噛みつくオルトロス――ルトをそのままに、背後の屋敷から聞こえてくる毎朝恒例の大癇癪を耳にしながら、アータは瞳を細めて空を見上げた。

 真っ青に透き通る空。雲一つなく燦燦と輝く太陽の日差しは心地よい。絶賛大絶叫が響き渡るサリーナの部屋には既にフラウが向かっており、彼女の歌声が聞こえてくると同時にサリーナの癇癪も小さくなってきた。

 一仕事終わったなと頬を緩めたアータは、腰を預けている自室という名の犬小屋の上から、傍に咲いた小さなマンドラゴラに水をやった。いつからか生えたそのマンドラゴラは頭に生える花で水を受け止めながらも、皺だらけのお年寄りのような顔でこちらを睨み付けてくる。

 頭の上で噛みついたままぶるっと震えるルトに気づき、アータはルトを頭から引っぺがし、片手で首根っこを掴んでそのままマンドラゴラの前に差し出した。


 ――ぶるるっ。

 

『まんどぎゃあああああ!?』


 恍惚の表情を浮かべたルトから放たれたそれを受けたマンドラゴラは、絶叫と共に地面から這い出て、そのまま死の森の中に消えていった。数秒後にはマンドラゴラの消えていった死の森から再びマンドラゴラの絶叫と共に租借音が聞こえてくる。

 アータは何食わぬ顔で粗相の終わったルトを、隣の巨大な小屋で寝るケルベロスの背にぽいっと投げて立ち上がり、背伸びをした。

 

「本当に平和だ」


 人間界でのキメラ騒動から早一週間。魔王クラウスは絶賛女性魔族に追い回されて世界各地を逃げ回っている。

 主のいない屋敷はだがしかし、てきぱきと働くメイドたちや、サリーナに使えるアンリエッタ達が何食わぬ顔で日々を過ごし、アータ自身も執事としてのんびりとした生活を送っている。

 ドラゴニスとアルゴロスは既に各地に散らばっている自身たちの軍団を魔界に戻すため、屋敷を出た。ベヘルモットに関しては、自分の部隊が魔物中心であることもあって、発情期のこの時期は忙しいそうだ。

 

 人間界と魔界は互いに不可侵の停戦を結んだ。

 

 その事実は少なからず、戦いの中心にいたアータ自身にも感じれるほどにこの身に沁みつつある。

 とはいえ、ここは魔王家。当然そんな感傷に浸る暇はない理由も多い。

 

「アータ様、何サボってるんです?」


 いつも通り聞こえてきた声に耳を傾けながらも、アータは脇に立てかけておいたデッキブラシを手に取り背中に預ける。

 

「いや、別にサボってるわけじゃないんだがな。昨日の夜も一仕事したところだ」

「夜に一仕事って、何してるんですか。お嬢様も目を覚まされました。召し物のお着換えが済んだら、すぐに朝食にしま――おぅ!?」


 パタパタと小さな羽を羽ばたかせて近寄ってきていたアンリエッタは、アータの隣に降り立った瞬間、視線から消える。アータは冷めた視線で、自分の隣の足元にできた深い穴に落ちていったアンリエッタを見下ろし、笑う。

 

「昨日一晩かけて、今俺のいる場所の隣に落とし穴掘ってた」

「子供ですか貴方は!? ちょっと、あのぉ! 思ったより深いんですけど、そしてなんか臭いんですけど!?」

「いやなに、最近俺のいない間に俺の犬小屋の周りでいたずらが多くてな。その対策として掘っておいたんだが。犯人お前か」

「違いますよね!? 明らかにあなたの目の前で落ちましたよね私!? いいから、いいからすぐに助けてください! なにかこう、ぬちょっとかねちょっていう肌触りが広がって――埋めようとしないでください!」


 仕方なく差し出したデッキブラシにしがみ付く形で、アンリエッタが泥まみれの姿で穴から這い出てくる。自分自身のメイド服の裾を掴んで臭いをかぎ、悲鳴に似た声をあげながら涙目になる彼女を、アータは無言でデッキブラシで磨く。磨かれた先からきれいになっていくアンリエッタは、それでも抵抗を見せた。

 

「あのっ、ちょっ、やめ……!」

「戻ってきてから一週間。その間毎日のようにいたずらが続いてる。俺自身、夜中は死の森に食糧探しに出ているし、いたずらの内容も大したものじゃなかったから気にはしなかったんだが」

「しなかったのに何で今日に限ってこんなもの用意するんですかね貴方は!?」

「犯人の目星もついてるから、そろそろ倍返しにしようかなと」

「だったらその犯人に――」

「さて、お嬢様に紅茶をいれて差し上げないとな」

「人の話を途中で切り上げないでくれませんか!」



 ◇◆◇◆

 

 

 朝食を済ませ、アータの用意した紅茶を飲み干したサリーナはだらしなく机に顎を乗せて呟いた。

 

「アンリエッタアンリエッタ。最近暇なのじゃ」


 サリーナの言葉はいつものことなのか、アンリエッタはフラウと共に手早く朝食の後片付けを済ませながらも、サリーナの問いかけに応える。

 

「アータ様相手に魔法練習でもしてはいかがです? 先日覚えられたドラゴンも殺す即死魔法とか」

「おお! アータアータ、やってもいいかの!? えーっと確か、死の罰則(デス・ペナルティ)――なのじゃ!」

「サリーナ様、俺、紅茶のお替りを入れている最中なので少々お待ちを――あ、ピリッと来た」

「いや、あの……。即死魔法喰らってピリッと来るぐらいで済むってアンデットですか貴方は」


 悍ましいものを見る目でこちらを睨むアンリエッタを無視し、アータはサリーナの差し出したからのカップに紅茶を丁寧に注ぎなおす。これを口にして幸せそうに頬を緩めるサリーナの様子に満足しながらも、アータはサリーナの隣の席に座って机に顎を乗せ、

 

「アンアン、最近暇だ」

「アンアン、最近暇なのじゃあ」

「アンアン呼びはやめてくれませんかねお二人とも!? というか、だらしないですよ!」


 食器を片手に叫ぶアンリエッタの様子に、アータはサリーナと共に顔を見合わせてこれぐらいにしておくかと席を立った。そんな彼らの様子を同じく片づけを済ませながら見ていたフラウはため息交じりに頭を振る。

 

「なんて言うか、わらわの想像していた魔王家の厳かな雰囲気と全然違いますわ」

「そりゃそうだ。当のこの家の主がまず、威厳が足りないからな」

「で、その魔王様はいつお帰りになるんですの?」

「流行り病の件もそろそろ収束に向かっている、と、実は魔王様から今朝がた連絡をいただいております。入ってきてください」


 そういってアンリエッタが食堂の入り口に控えていたメイドたちに指示を出した。

 そうして彼女たちが開いた扉の奥から現れたのは、サリーナと同じほどの背丈の長い黒髪の少女。やる気の薄い顔立ちで、手にした毛糸玉をもてあそびながら現れたその少女は、ナクアの部下の一人――アラクネリー。

 現れた彼女の傍に立ったアンリエッタは、居住まいを正してサリーナに笑顔を見せる。

 

「現在魔王様は、アラクネリー様の故郷でもあるイリアスの街にいます。魔王様からの命で、骨休めという名目でイリアスに本日から向かうことになりました。アラクネリー様にご案内いただく予定です」

「にょっほおお! アラクネリーの故郷! 故郷とはいい響きなのじゃ、すぐに準備していくのじゃぞ!」


 大興奮と共に食堂を駆け出していくサリーナを苦笑交じりに見送ったアンリエッタをよそに、アータは耳にしたイリアスという名を思い出す。

 

「イリアスといえば、確か魔界にある大地の裂け目にできた特殊な街だったよな?」

「はいですわ。いつできたかもわからない巨大な大地の裂け目と、空に浮かぶ飛行島の数々。そんな裂け目の中に作られた都市こそ、イリアスですわ。私達人魚族の間でも、裂け目の大地から湧き出る源泉から作られた温泉は、旅の絶好スポットですもの!」

「あ、フラウ様はメイドの仕事を覚える時間が必要ですので、居残り組です」

「あのぉ!?」


 絶望に打ちのめされて床に倒れ伏したフラウを一瞥し、アータは自分に向けられた視線に顔を向けた。

 

「じー」

「この前の夜、俺の小屋の傍にマンドラゴラを埋めたのお前だろ、ネリ―」

「ナクアおば様からの差し入れ。おば様いいお歳だから発情期収まらなくて顔出せないって。ちゃんとマンドラゴラ大きくなった?」

「今朝死の森に向かって自立していったよ」

「自ら餌になりに行くマンドラゴラの覚悟に脱帽」


 ブイサインを向けてくるアラクネリーの様子に、アータは苦笑いを返して彼女の傍に一歩近づいてみる。だが、アラクネリーはこれに素早く反応して、一歩下がる。その顔の下半分はマフラーで隠れ、半眼しか開いてない顔からは表情を読み取れない。

 もう一歩近づいてみると、再び彼女は一歩の距離を取った。

 アラクネリーの警戒心に、アータは顎に手を当てて思案する。少しからからかってみるかとアータが笑顔を浮かべると同時に、アラクネリーの瞳の鋭さが増した。

 そして次の瞬間、

 

「そう警戒するなって」

「……ッ!?」


 目の前にいたはずのアータの声が背後から聞こえ、アラクネリーは慌てて振り返って飛びずさる。すぐさまそのまま臨戦態勢を整えて声の聞こえてきた先を睨むが、既にそこにアータはいなかった。

 腰を落として四つん這いになるアラクネリーはきつい視線で慌てて周囲を見渡すが、見つけられない。

 

「なるほど。一定の距離を保っていたのはこの蜘蛛の糸の影響か」

「……なんで後ろにいるの?」

「お前が俺のいるところまで飛びずさってきただけだ」


 呆然と振り返って見上げてくるアラクネリーの前で、アータは掌に載せた蜘蛛の糸を目にする。先ほど一瞬だけアラクネリーの背後に回った瞬間に、自分の身体に何重にも絡みついて動きを奪おうとした糸だ。魔力でできているのか、目に映らぬほど細く、だが非常に強靭なその糸の出来に思わず惚れ惚れとしてしまう。本人が知覚できない速度で近づいてもなお反応するその自動束縛効果は、四神将達の実力にも匹敵すらするかもしれない。

 だが、そんなアータの様子を見るアラクネリーは不満げに頬を膨らませてアータを見上げていた。

 

「それ、私の周囲に悪意を持って近づく人に自動で絡みつく糸。私の意思で自由にできるけど、今まで魔王様以外に糸を切られたことない。でも貴方はひきちぎった」

「いや別にやろうと思って切ったわけじゃないんだけどな。悪意は認めるが」

「私の糸、見えてるの?」

「あぁ、多少目を凝らす必要はあるが、見えてるぞ?」

「…………」


 その顔がさらに不満げに膨らむのに気づき、アータは手にしていた糸と、今もアラクネリーの近くにいることで伸びてきている糸をくるくると丸めてポケットに直しこむ。

 

「さぁ、俺を敵視するのはいいが、サリーナ様たちが待ってる。いくぞ」

「……わかった」


 ポンッとアラクネリーの頭を叩いて歩き出すアータを、アラクネリーはマフラーの下で唇を尖らせて追いかけていった。

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