エピローグ 掌の上のお土産は
イリアーナ王国のある大陸を出て魔王家のある大陸を目指しながら、ドラゴニスの背に乗った一行は、海の上を揺られていた。夜も深くなり、吹き付ける風の強さが増したため、海に降りたのだ。
魔王家のある大陸まではあと一日もかからないほどの距離。
サリーナとフラウは既に意気投合しているのか、ドラゴニスの頭の上で二人で意気揚々と歌を歌っている。アルゴロスは既に大の字でいびきをかいており、アータとアンリエッタはサリーナ達の様子に笑っていた。
しばらくして、アンリエッタは思い出すように瞳を閉じてアータに声をかけてくる。
「それにしても、とんでもないことに巻き込まれましたね、アータ様」
「ん? 何か巻き込まれたっけ?」
「貴方にとってはあのレベルさえ巻き込まれるに値しないんですか」
「いや、そういう意味じゃないんだがな。巻き込まれたんじゃなく、自分達から首突っ込んだようなもんだからな」
「あぁ、そういう意味ですか。っていうか貴方、私が散々行きがけに言ったのに空飛んでましたよね?」
細い視線を向けてくるアンリエッタに視線も向けず、アータは背中に携えていたデッキブラシを目の前に持ってきて思案していた。キメラ達との戦いの中でドレインした魔力だけでは足りなかった分を、フラガラッハのコミュニケーションに使っていた魔力で補った。そのせいで今、相棒は文字通りただのデッキブラシと化している。
「ねぇちょっと、聞いていますかアータ様」
「聞いてる。けどちょっとだけどいてくれ」
「わきゃっ!? ちょっと、押し抜けないでください!」
アンリエッタの肩を片腕で押しのけ、アンリエッタの隣で大の字で寝ているアルゴロスの顔面にデッキブラシを伸ばし、
「ドレイン」
「おぎゃあああああああああああああ!?」
「ちょっと、何やってるんですかアータ様!?」
耳障りだったいびきは既に悲鳴に代わり、アルゴロスの魔力をフラガラッハに吸収させていく。十秒ほどでフラガラッハの会話に必要な魔力も溜まり、アータはぐったりしたアルゴロスからデッキブラシを放して目の前に置いた。
『あの、あーたん。なんかすごい野生風味で粗雑だけどどこかコシのある魔力でしたのん』
「そいつはよかったな。魔族界隈ならきっと四大珍味の一つぐらいにはなる魔力の味だろうさ」
『ちょっと癖になりそうなんですの』
うっとりとするようなフラガラッハの声に冷めたような視線を返していると、アンリエッタが不満げにこちらを睨んでいるのに気づく。
「なんだよ」
「いえ別に。というかアルゴロス様が過呼吸気味で倒れ伏してるんですが」
「身体だけは丈夫だからそのうち治るだろ」
「まぁいいですけども。それより……結局、人間界に行った意味全然達成できませんでしたね」
アンリエッタの落ち込むような深い溜息に、アータは思わず小首をかしげた。
「達成できなかった?」
「できてないじゃないですか。流行り病はあと一月ほどは続きますし、そのために……。結局薬も手に入らなかったですし。魔王様へなんて報告をすれば……」
「あぁそれか。実力主義社会の魔族にとって、強い存在こそが注目の的になる。ただしこの時期――いわゆる発情期に至っては、注目よりも恋煩いの相手になるってやつだよな」
「えぇ。先日の巨神との戦いで貴方という勇者の強さが、魔族社会全体の女性魔族にとって恋煩――ちょっと、まって、ください」
額に冷や汗を垂らすアンリエッタが、ギギギとアータに視線を向けた。
その何で知ってるんですかといわんばかりの視線に、アータは見下ろすような笑顔で応える。
「あのままじゃ世界中の魔族が魔王家に来てしまう。だから、魔王の命令で俺を人間界に向かわせることで、他の女性魔族達の注目も人間界に押し付けようとした――だろ?」
「い、いつ気づいたんですか?」
アンリエッタの問いかけにアータはちらりとドラゴニスの頭の上で歌い続けるフラウに視線を向けた。この視線を受けてようやくアンリエッタは気づく。
「フラウ様を魔王家のメイドにっていう理由はもしかして、交換条件……!?」
「そういうこと。ついでに言うと、イリアーナの秘薬が病のために必要だって言ってた時から疑ってはいた。単純に薬の量が足りないからな」
「うぐぐ、気づいてたなら、初めから言ってください……」
がっくりとうなだれるアンリエッタの様子に吹き出しつつも、アータは首を振った。
そして一言、アータは歪な笑みで告げる。
「気づいてるってばれたら、俺が魔王役をやるなんて止められるだろ?」
この一言に、アンリエッタは一瞬だけ固まる。
歌い続けるサリーナやフラウを頭に乗せたままのドラゴニスは、この場の誰よりも早くその言葉の意味を理解して眉を顰めて項垂れた。
「お、おぉぉ……! こりゃぁ、わしらまで掌で踊らされましたかなぁ……」
「ちょ、ちょっと待ってくださいドラゴニス様、アータ様! い、一体全体どういう意味です……!?」
慌てるアンリエッタはアータをちらりと見た後、自分の乗るドラゴニスの背を叩き続けて続きを促させる。
「巨神の一件で勇者の強さが魔族の間に広がったが故に、女性魔族たちの間で一気に勇者への恋煩いが広がったんですのぉ。そんな折、人間界で勇者を差し置いて、魔王様がキメラ相手に圧倒的な強さを見せた。さぁ、どうなりますかの?」
「そんなこと今この時期にやったら、魔王様に女性魔族達の視線が――あ」
アンリエッタの回答に、アータは目尻を下げる。
これにアンリエッタは両手で頬を抑えるようにして悲鳴にも似た叫び声をあげた。
「ああああああっ! アータ様に向いていたはずの恋煩いが、魔王様へと向くッ……!?」
ぎょっとする勢いで、アンリエッタがアータを見つめた。この視線に満面の笑顔でアータはピースを返す。
「大正解。さぁこれで、病が収まる間、勇者を人間界に送るっていう目的はある意味で達成された。十分だろ。ついでに言えばドラゴニス、お前らの目的だった魔王からの書簡を王に渡すっていう目的も達成できたわけだ」
「ううむ、踊らされてしまったのは屈辱ですが、言われる通り一先ずは十分な結果ですかのぉ」
「じゅ、十分っていうか、それじゃあ今頃魔王様は……。あうあうああああ……! い、いえまだ! まだ一つだけ残ってます……! お嬢様と私の目的だった秘薬だけは――」
「あぁこれのこと?」
詰め寄ってきたアンリエッタの目の前に、アータは懐から取り出した小瓶を見せた。
透き通るような透明の小瓶とその中に入ったわずかに赤みが乗った液体――イリアーナの秘薬だ。
差し出された小瓶を手に取ったアンリエッタは、目をぱちくりさせながら手の中の秘薬とアータの顔を交互に見る。
「あの……え? なんでこれ、え?」
「闘技会が始まる前の夜に、城に忍び込んで盗んでおいた」
「ちょ、ま、え? あの、闘技会に参加した理由――これが賞品だったからで……?」
「割と厳重な封印が敷いてあってな。ばれないようこっそり盗んだ後、中身はフラガラッハの刀身をすりおろして作った特製の強壮薬に入れ替えておいた」
「いや、あのォ!? ちょっと、闘技会で私があんな恥ずかしい目にあった意味はどこにいったんです!?」
「俺をだまそうとした意趣返し」
襟をつかんで揺らしてくるアンリエッタを優しい微笑みで見つめるアータに、ドラゴニスが呆れ交じりに問いかけた。
「あー、じゃあまさか、あの封印から城を引きずり出した理由は……」
「イエルダ大臣にまともに調べられれば、俺が盗んだのがばれるからな。保管庫のあった城の地下が押しつぶされるよう、あそこに取り出した。一応戦い終わった後に城の中に入って跡形もなくなってることを確認してるからばれない」
「ほっほっほ。あー、なんかどっと疲れてきましたのぉ……」
「酒場の子達から写し絵描かせてもらってるから、あとでやるよお前には」
「超元気出ましたのぉ!」
うきうきと動くドラゴニスの鱗の上で、アンリエッタは両膝を抱えて絶望にブツブツ言っている。その様子を笑いながらも、アータはフラウと共に近寄ってきたサリーナの姿に気づいた。
「どうかしましたか、お嬢様、フラウ」
「アンリエッタが叫んでおったから気になっただけなのじゃ。というか、のぅのぅアータ。人間界へ行った目的は達成できたのかの?」
「えぇ、できましたよ。フラウの協力のおかげで」
「べ、べつにわらわはちょっとしか手伝っていませんわ」
サリーナと一緒になって座るフラウは僅かに頬を染めてそっぽを向いてしまう。
だが、サリーナだけはアータが隣に置いている大きな包みに気づいて興味深げにちらちらと視線を向けてきた。
その視線のワクワク度合いに苦笑しながらも、アータは包みを手にしてサリーナの前に差し出す。
「気になりますか? できれば魔王家に戻るまでは内緒にしておきたいんですが」
「きーにーなーるーのーじゃぁ!」
「仕方ないですね」
短い前髪から除くおでこを輝かせるサリーナの前で、アータは包みを開けて中にあったものを手にした。サリーナが瞳を輝かせる前で、アータは手にしたそれをサリーナの頭の上に被せる。
すっぽりとサリーナの銀色の髪が靡く頭に被せられたそれは、白い小さな羽飾りのついた真っ赤なきのこのような帽子だった。
サリーナは被せられたそれを、興奮気味に小さな掌でフカフカと触っていく。
「魔王家を出る前の約束でしたからね。人間界で何かお召し物をお土産に買って帰ると」
「にょっほおおおおお! アータアータ、これこれこの帽子ふっかふかでふわふわでフィット感抜群で可愛いのじゃ!」
「えぇ、そう思って用意させてもらいました。お気に召しましたか?」
「めしっためしっためしったのじゃ! あっりがとうなのじゃアータ!」
飛びついてくるサリーナを受け止めながらも、アータは不満げなままのアンリエッタに小首を傾げた。
「なんだよ、言いたいことがあるなら正直に言っていいぞ?」
「お嬢様へだけしっかりお土産を用意するなんて、ちゃっかりしてるんですねアータ様は。こっちは貴方に最初から最後まで振り回され続けたっていうのに――」
「あ、フラウ。お前にはほら、メイド服」
「ありがとうございますわ!」
「人に話を振ってなんで無視するんです!? っていうかていうか! フラウ様にまでお土産あるのに私にはなにもないんですかね!?」
「あ、闘技会で使ったあの恥ずかしいピンク色の衣装お土産に持って帰ってきたんだが」
「いりません!」
「冗談だ。ほら」
そっぽを向いたアンリエッタに、アータは小さなネックレスを投げ渡した。
慌ててこれを受け取ったアンリエッタは、手のひらに載ったそのネックレスの透き通るような赤い石に思わず目を丸くする。ひんやりと冷たいその赤い石をアンリエッタは見たこともなく、思わず掌の上で凝視してしまう。
「あ、あのこれ……。なんですかこれ」
「ん? お土産。まぁ、安物だけど、中のその赤い奴はそれなりに価値のあるものさ。苦労したからなそいつは」
「へ、へー。お土産ですか。へぇそうですか、はぁ、そうですか」
抑揚のない声をあげながら、アンリエッタは無表情で手にしていたネックレスをつけ、アータを見る。
そのあまりの無表情さに、アータは眉を寄せて頭をかく。サリーナやフラウへのプレゼントも含め、慣れないことをしたという自覚はあっただけに、アータ自身も深い溜息と共に頭を振った。
「なんだよ、何か言いたげだな」
「別に何でもありません、えぇなんでもありませんとも」
そっぽを向いてしまったアンリエッタの様子を訝しく思いながらも、膝の上に載って歌い始めたサリーナと、メイド服を片手に踊るフラウの様子に、呆れたように笑った。
「じゃあ、帰るか、魔王家に」
アータの言葉に魔王家の面々は声をあげて頷き、にぎやかな歌声と共に帰路を進んでいく。
――帰路の途中、空飛ぶ魔王クラウスが女性魔族の群れから逃げ回っているのを見かけて噴き出すのは、これから半刻ほど後の話。