第二十四話 魔王の極技
ディアーヌの乗るキメラがその場を離れるように高く上がっていくのを見ながらも、周囲のキメラ達が自分達に目標を定めたのに気づく。
タルタナはこれに、並び立つアータの前に出るようにしてレイピアを下段に構えた。
「クソ魔王、追撃は任せた! 先に僕が行く!」
「よし任せろアホ勇者。存分にやれ」
自信ありげに宣言するタルタナの様子に、アータも満足いったように胸を張って初手を任せた。その視線をちらりと背後を振り返って受け止めたタルタナもまた、満足げに笑みを浮かべ、レイピアの刀身に魔力を込めていく。
極低温ともいえるその魔力は、レイピアを通して周囲を氷結させる一撃へと昇華され、タルタナはこれを正面にいたキメラ達へと向かって振るった。
「氷結の世界ァ!」
下段から上段へと天を仰ぐようにして振り抜かれたレイピアの刀身が、周囲の空気さえ凍てつかせるような極低温と共に一瞬にして大地を氷結させていく。そして、そのまま正面にいたキメラ達の元まで氷結が届くその瞬間、コマ送りになる世界でタルタナは目にした。
「んんん!?」
背後にいたはずの魔王が、瞬きの間に正面のキメラ達の間に並び立って手を振っていた。
それどころか、迫る氷結の一撃を躱そうとしていたキメラ達の翼をもいで、タルタナに向かって親指を立てている。その立てられた親指にタルタナの額に血管が浮き出るが、これを気にもしない魔王は、迫る氷結魔法の前に大きく息を吸い込むしぐさを見せた。
この所作と同時に、タルタナの放った氷結魔法はその速度と氷結範囲を広げながら氷の津波へと姿を変えて、キメラ達のもとへと迫る。
――コンマ一秒以下の世界。
その世界が加速しだした瞬間にはもう、タルタナの放った氷結魔法の一撃はその威力を倍増しながら、翼をもがれたキメラ達や魔王を飲み込み、一瞬にして氷の彫像へと変えた。
あとに残るのは肌を焼くような極低温の冷たさと、氷結の世界へと変わった一帯の姿だけだ。
見たこともない自身の氷結魔法の威力と、たった今それに巻き込まれた魔王の姿にタルタナが絶句していると、背後から能天気な声がかかる。
「なかなかやるじゃないかアホ勇者。惚れ惚れしたぞ」
「んんん!? え、ちょ、ええぇ!?」
振り返った先でぴんぴんしている魔王の姿に、タルタナは二の句を告げられずにあんぐりと口を開いた。
「なんだそんな顔して。私の追撃は必要なさそうだな」
「いや、ちょ、まっ! 今! 今あそこにいましたよね貴方!? 瞬きする間にあそこにいて飲み込まれましたよね!?」
「夢でも見てたんじゃぁないかぁ? っていうか、素に戻ってるぞ。幻燈魔法で小さな声は拾えないとはいえ、なり切れタルタナ」
「なり切るどころの問題じゃないですよね!? っていうか先手は任せたって言いながら明らかに先手打ったの貴方なんですが!?」
「口にしたことは守らない。何せ今の私は魔王だから。何かあっても全部魔王の責任だ」
「貴方……絶対楽しんでますよね、楽しんでるんですね!?」
狼狽するタルタナの脳天をデッキブラシで小突きながらも、アータは氷結魔法の一撃から逃れたキメラ達の群れを睨む。今の一撃で十体程度を巻き込んだ。街に向かおうとしているキメラ達は自分たちの背後でドラゴニスやアルゴロスが思いのままに叩きのめしている。
そんな中、氷結しているキメラ達の背後に半数近くのキメラが集まり、その喉が大きく膨れ上がっているのに気づいた。
ちらりと空を見ると、ディアーヌが手にしている魔水晶の力でキメラ達の魔力をあげ、でかい一撃を放とうとしている。
「アホ勇者、私たちの背後に氷で壁を張れ。次の一撃は熱だけでも逃げ遅れた人間には厳しい」
「……わかったよクソ魔王!」
何か言いたげなタルタナは、しかしアータの言葉に反発することなく自分達と逃げ遅れた騎士達のいる外壁との間に巨大な氷の壁を作り上げていく。その氷の壁が広がっていくのと同時に、キメラ達の群れが空へと飛び立ち、その喉の奥から火花を散らしていった。
キメラ達の指揮をするディアーヌは、アータやタルタナを忌々しく睨み付けながらも、魔水晶に込めた魔力と共に叫ぶ。
「もろとも燃え尽きるがいい!」
百近くという圧倒的な数のキメラの群れが放ったその業火の範囲は広く、タルタナが構築している氷の壁で防げないほどの広範囲へと広がっていく。空や大地ごと埋めつくすほどのその炎の大波の前に立ったアータは、手にしていたデッキブラシを地面に突き立て、大きく息を吐き出した。
迫る業火の波を見上げるアータに、突き立てた相棒は呆れた様に笑いながら語り掛ける。
『あーたん、本当にやる気なんですの? 後でお腹壊しますの!』
「俺が魔王相手に度肝を抜かれた数少ない一撃だ。それに、どっちにしろ一度キメラどもを纏めて一掃してしまったほうが相手の選択肢を奪える」
『……なら、もう全力でやっちゃうんですの!』
相棒の同意と共に、アータは両掌を合わせて合掌。掌に残る一切合切の空気を排除し、掌を天と地へと向けてずらす。そうして掌に生まれた極極小規模な真空を目の前に突き立てたフラガラッハのブラシの上に。
覆い寄せる業火の津波はフラガラッハの上に生まれた真空の前に、有無を言わず隷属させられ、吸い寄せられ――そして。
「なっ――!?」
その驚愕の声は、ディアーヌから。
否。
その驚愕の声は、それを見たありとあらゆる人間達の、同僚達の、業火を放ったキメラの口から――漏れた。
目の前で起きたソレに、ディアーヌは手にしていた魔水晶を落としそうになるほどに呆然とする。
迫る業火は、キメラの喉内に埋め込まれたワイバーンの火炎袋で生成された魔力の塊だ。一体一体の火力が、力を持った魔導士の火炎系魔法のソレを超えるものだ。絶対の自信と共に作り上げた人造魔物達による、街を飲み込むほどの一撃として。
その火力が。百匹を超えるありえない数のありえない化け物達の、ありえない火力として放たれたはずだった。
はずだったのだ。
だが。だがそれがどうだ。
「あ……ありえない。ありえない、ありえないありえない! 何の冗談だそれはァああああ!」
街を埋め尽くすほどの地獄の業火の大波は、デッキブラシの上にできた極極小規模な真空に向かって強制的に収束させられ――その業火のすべてを、魔王が飲み込んだ。
「城壁を消し炭にし、鉄を溶かすマグマにも匹敵するワイバーンで作り上げた業火だぞ!? それを、そ、それ、そるぅぇえええ!?」
ありえない熱と、ありえない量を。真空で隷属し、圧縮させ、デッキブラシを通して指向性を持たせて飲み干す。まるで火山の噴火で流れ出したマグマをスープの如く。
すべての業火が魔王の腹の中に消えていき、残った熱だけがタルタナの作り上げた氷の壁を溶かしていく。そんな氷の壁にサリーナを連れて逃げ込んでいたアンリエッタは、ひきつった笑みを浮かべて震える唇を抑えた。
「あ、あの人――はもう、な、なんていうかもう……! 勇者っていうか完全に魔王様レベルの無茶苦茶度合なんですが!?」
「にょっほおおおお! のぅのぅアンリエッタ! あの技はもしや、父上殿がドラゴン族との宴会芸用に生み出した――」
「いや、いやいやいや! あれ宴会芸なんてレベルじゃないですお嬢様! っていうか、もし本当にアータ様がやったあれがそれだとしたら――逃げますよもっと遠くに!」
サリーナを抱えてその場を慌てて下がるアンリエッタを、アータは遠目からちらりと見つめながらも、飲み込んだ業火で焼ける喉に思わず咳込む。
「げほっ、ごほッ!? いろいろ混ざってる炎で、胸やけ起こしそうだ。不味い」
『ちょっとあーたん!? 咳込みながら炎が漏れてるんですの口から!』
「酒場で飲む酒のほうが味わい深いなこれなら。まぁ、本番は――ここからだ」
そういってアータは腰を落とし、両拳を強く握りしめ、顔の前で腕を交錯させる。身体の中で今にも爆発しそうなほど膨れ上がるソレを極限までため込む。
魔力封印状態ではろくな制御は当然できない。だからこそ、目の前に突き立てたフラガラッハとそのブラシの上で未だに周囲を圧縮し続ける真空に向けて。
そうして、大地から湧き上がる水蒸気をかき分けるようにして背後に現れたタルタナが、アータに声をかけた。
「ちょ、ちょっとクソ魔王! い、今の一体何をやればそんなわけのわからないことに!」
「いいから下がってろアホ勇者。いっただろうに、次の一撃は逃げ遅れるときついって」
「……っ!? ちょ、ちょっと待ってください。じゃあ氷の壁ってさっきのキメラの一撃のためじゃなくて……す、すぐに僕も逃げま――」
「もう遅い。とりあえず、頑張れ」
背後にいるタルタナの絶望の表情に歪んだ笑みを返し、アータは群れを成したキメラ達へ照準を向けた。
体内で極限まで膨れ上がったソレを放つべく、アータは両腕を交錯したままに大きく上半身を仰け反らせる。それでも抑えきれない地獄の熱はアータの口から赤熱の閃光となって漏れた。世界に放たれようとしているソレの圧倒的な力に、アータが踏みしめる大地もめくれ上がっていく。
本物の魔王クラウス・フォン・シュヴェルツェンがアータにやって見せた極みの一角。
大量の業火を圧縮し飲み込み、体内で極限までさらに圧縮し、火力を一点に収束させ、閃光へと昇華する一撃。
その名も――。
「魔王の業射!」
瞬間、魔王の口から放たれた業火だったものは、超光速の業火熱線となって放たれた。
その一撃は耳を劈くような高音と共に大地を抉りながら真正面にいたキメラの一体に直撃する。一撃の当たったキメラの上半身は一瞬にして溶け去り――それだけで業火熱線は止まらない。
魔王は熱線の一撃をそのまま顔をそらして薙ぎ払った。熱線の直線状にいたキメラ達は次々に蒸発していき、一瞬にして正面にいたキメラの群れは世界からその存在を焼き尽くされて塵に還っていく。
反撃を試みた生き残りのキメラが放った業火が熱線に迫るが、あまりの速度の違いに熱線に触れる前にキメラの業火は消し飛ばされていく。
しばらくしてアータの放った一撃が落ち着いたころには、戦場は既に決着がついていた。
焦げつき抉られた大地と、焼けただれたキメラ達だったものの肉片。消し炭にすらなって世界に散っていくキメラ達の様子に絶句したままのディアーヌに、アータは、口の中に残る熱をふっと一息ついて吐き出して薄ら笑いを向けた。
「この私に向けるには、随分と安い業火だったな。あまりに不味くて吐き出してしまったわ」
「き、きさ、まぁああああ!」
安いプライドで叫び声をあげて睨むディアーヌに、アータは高笑いしながら宣言する。
「ハハハハハ! ゲホッ、ごほっ」
『あーたん、いま一番恰好つけるところなんですの』
「うるさい。舌火傷したんだ、ちょっと待ってろ。やっぱり魔力なしじゃ熱かったな思ったより」
「私を馬鹿にしているのか貴様は!?」
「よし、落ち着いた。さて――」
安いプライドで叫び声をあげて睨むディアーヌに、気を取り直してアータは高笑いしながら宣言する。
「ハハハハハ! この私をもてなしたいなら、精々もっと喰らい甲斐のある獲物を用意するんだな、小心者!」