第二十二話 勇者役と並び立つのは
「にょっほっほ!」
ディアーヌの勝利宣言ともいえる言葉の前に、タルタナと共に触手に捕らわれていたサリーナが破顔したように笑った。そのあまりに不釣り合いな笑顔と笑い声に、一緒につかまったままのタルタナも思わず目を開いて言葉をなくす。
だが、タルタナとはうって変わってディアーヌは、馬鹿笑いをさらすサリーナを冷めた様に見つめた。
「何がおかしい? そもそも、君とあそこにいる彼らはなんだ?」
「にょほ、にょほほほほっ、ゲホッ、ごほっ!?」
「…………」
笑いすぎで咳込むサリーナを前にディアーヌの冷笑が固まり、噛みしめた唇が震え始める。
「ゲホッ、う、うむ。おぬしのことはわしはよく知らんが、アータのことならよく知っておるのじゃ!」
「ほう? それで、君のよく知る勇者はたった今から君と共に私のキメラに食われて死ぬが――」
「そんないぬっころがアータを食えるわけないのじゃ」
サリーナの疑いのない声に、ディアーヌはふつふつと怒りを溜めていく。その顔が怒りに歪んでいくのを見ながらも、タルタナは隣で語るサリーナの声に耳を傾けた。
「アータは、この世界で唯一、わしの父上殿と対等な人間なのじゃ! みんなを笑顔にしてくれるのじゃ! わしの執事なのじゃ!」
「父上殿? 執事? いったい何を――」
「ついでに最強なのじゃ! 無敵なのじゃ! 完全無欠なのじゃ!」
「だから、それがいったい何の意味が――」
「超かっこいいのじゃ! 金持ちなのじゃ! 海を走れるのじゃあ!」
「いやだから――!」
「空も飛ぶのじゃ! 料理もできるのじゃ! 掃除もできるのじゃ! 勉強もできるのじゃ! タウルス語一級なのじゃあああ!」
「えぇいもううるさい! タウルス語がなんだ!?」
自慢げに叫びたてるサリーナと、その言葉に耳を傾けたことを後悔していたタルタナは、締め付ける触手の力の強まりにうめき声をあげる。だが、それでもサリーナは諦めず、ディアーヌと自分を捉えるキメラ――そして、隣にいるタルタナに向かって宣言した。
「アータは、絶対、約束を守るのじゃ!」
サリーナの迷いのないその宣誓にディアーヌが呆れたように笑う傍で、タルタナは血が滴るほどに唇を噛んだ。
――勇者役を任せる。
そう自分に伝えたアータの言葉を思い出し、タルタナは触手に縛られた状態でなお、手にしていたレイピアに魔力を込めていく。
「くだらない。何を口にするか楽しみにしたというのに、ただの子供の戯言ですか。そんなに死にたければどうぞ、諦めて下さ――なっ!?」
触手もろとも二人の身体がキメラの牙に触れようとしたその瞬間、キメラのその開いた口が氷漬けになった。同時に、タルタナは冷気を纏ったレイピアで触手を切り裂き、サリーナを抱きかかえるようにしてキメラの鼻を蹴り、ディアーヌへとレイピアを突き出す。
「……くそっ!」
だが、タルタナの突き出したレイピアは寸前のところでディアーヌに躱され、態勢を崩したところをキメラの強靭な尾が捉えた。サリーナを庇ったタルタナの胴に尾の一撃が決まり、二人はそのまま地面へと向かって吹き飛ばされてしまう。
「お嬢様、タルタナ様!」
運よくか悪くか、キメラ達に囲まれていたアンリエッタ達のもとに薙ぎ飛ばされたタルタナとサリーナは、アルゴロスによって受け止められ、うめき声をあげながらその場に膝をついて立ち上がる。
そうしてタルタナは空に浮かぶディアーヌと彼に従うひときわ大きなキメラを睨み付けて笑った。
「あの人が、僕に勇者役を任せたんです。だったら、僕も勇者として約束を守らないと。ですよね、皆さん」
そういって、タルタナは自分の後ろでキメラ達と向かい合っているアンリエッタ達に笑顔を向ける。
だが、
「「「「いや、別に守らなくていいんじゃない?」」」」
「なんでそこでハモるんですか!? あれ、今凄い僕たちの戦いはこれからだのタイミングですよね!?」
「そもそもアータ様が約束守ってないです。キメラの足止め任せろって言って、何一つ何ともなってないです見てください目の前の現実」
「いや、そりゃ……そうかもしれませんが! あのっ、貴方たちアータ様の仲間なんですよね!?」
「仲間って何っスか?」
「仲間なんておりましたかのぉ」
「人の話を聞かない人に仲間なんていませんね」
「わし専用執事じゃもーん!」
アータのあまりの人望のなさに、タルタナは深く項垂れながらもレイピアを自分たちを囲うキメラへと向けて構えた。そうしてタルタナは、無意識のうちに笑いながらもアンリエッタやサリーナたちに言葉を投げる。
「なんにせよ、目の前のこれに勝ってさっさとディアーヌを押さえましょう」
そう口にした瞬間、思わずタルタナは自分の口を覆った。
たった今、自分の口から出た言葉に自分自身が耳を疑ったのだ。
そして、タルタナのその勝利宣言とも取れる言葉を耳にしたサリーナやアンリエッタ達は顔を見合わせ、口端を釣り上げながら構えていく。それはまさに、悪魔の微笑みともいえるもので。
「ぬっふぅん! うむうむ、そうでなくてはの! アンリエッタ、ドラゴニス、アルゴロス、フラウ!」
「はい、お嬢様」
サリーナの声に、控えていたアンリエッタやドラゴニス、アルゴロスやフラウは皆、それぞれに武器を構えて、サリーナの次の言葉を待つ。
そうしてサリーナは、胸元から小さなネックレスを取り出した。
木彫りでできたその小さな小さなネックレスは、装飾品というにはあまりにみすぼらしい、掃除用品を模したものだ。
すなわち――、
「魔王の召喚じゃぁ!」
サリーナの言葉に、待ってましたといわんばかりにドラゴニスが手にしていた杖を地面に突き刺した。これを合図にアルゴロスは杖の正面に立ち、自身の魔力をドラゴニスが地面に構成してく魔法陣へと供給。フラウはすぐさまドラゴニスの背後に回り、幻影魔法を歌い始める。
アンリエッタはタルタナとサリーナの腕を引いて下がらせ、キメラ達の囲いの外で騎士団と共に戦っていたフェルグス王とイエルダ大臣へ向かって叫んだ。
「お二人とも、始めます!」
この言葉を聞いたフェルグス王はすぐさまそばで控えていたイエルダに魔法を唱えさせる。イエルダは空で再生されていたディアーヌの幻燈魔法に己の魔力を付与していき、そこに映る映像を書き換えていく。
まるでコマ送りされるように幻燈魔法に己の姿が映り始めたのに気づいたディアーヌは、慌てるようにして地でアンリエッタ達を囲うキメラ達へと怒号を投げた。
「何をしている!? 彼奴等何かを始めようとしている! すぐに止めを――!」
ディアーヌの声に、キメラ達が雄たけびをあげて一斉にサリーナたちへと飛びかかっていく。これを迎え撃とうとタルタナはレイピアに魔力を込めたその瞬間、
――ぴたりッ、と。
サリーナたちへと飛びかかってきていたキメラ達の動きが止まった。
フラウの幻影魔法で足止めをされたわけではない。
ただ、キメラ達は白目を向きながらも、身体の中から膨れ上がる力の前に、動くことができない。そうして動きを止めたキメラ達の胴体が一体、二体と膨れ上がっていき――その胴体を突き破る様にして光の柱が立ち上っていく。
轟音ともいえる地響きを立てながら次々とキメラの胴を地面に張り付けるようにして立ち上がっていく光の柱。
タルタナは目を凝らしてその光の柱を見つめると、その光の中でキメラの胴につき立つものを見つけた。
「でっき……ブラシ……!?」
驚愕にタルタナが言葉を失うのをよそに、アンリエッタは震える声でドラゴニスに問う。
「ドラゴニス様。予定では、こちらから召喚する手はずでしたよね?」
「そうでしたのぉ」
「あの、でもあれって……。というか、まさかとは思いますが、いや、そんな無茶苦茶はないと思いたいんですが――」
「呼び出す必要はなさそうですのぉ。こちらが外から穴を開ける前に、あのキメラどもを使って、中から外へと針の穴を開けておりますからなぁ」
「ちょっと待ってください、と、いうことはですよ……?」
言葉を失うアンリエッタの傍で、ドラゴニスはディアーヌの背後で音を立て始めたソレを見上げて、呆れた様に笑った。
「――圧縮封印を魔力なしで中から壊す、あんな化け物を暗殺できると思うなど、愚かにもほどがありますわい」
ピキッ、と。
「な、に……?」
ディアーヌは、己の背後から聞こえてくる耳障りな音に気づく。
戦場は既に圧倒的戦力差による制圧寸前。勝利は疑いもなく、ディアーヌの計画に一切の破綻はなかったはずだった。キメラ達から突き出る光の柱に理解が及ばない以上に、ディアーヌは世界にひびが入るようなその音の意味を理解できなかった。
パキッ、ピキッ――。
だが、理解できなくともディアーヌの本能と、ディアーヌを背に乗せるキメラの直観だけは彼らの身体を動かした。
振り返った先――何もないはずの夜空に、割れ目が生まれている。
「――ば、ばかな」
バキッ……!
「ばかな……。は、ははっ、対アーティファクト用の圧縮封印だぞ。魔力がない状態で……いや、よしんば魔力があったとしてもだ! 逃げ出せるわけがあるまい!」
目の前で広がっていくその世界の割れ目からもはや、ディアーヌは視線を外すことはできない。
そして、その割れ目を押し広げるようにして現れた十本の指は――一人の男のちっぽけの世界を砕く様に、現実を凌駕した。
「…………ッ!」
現実を直視できないといわんばかりの真っ青な視線を向けてくるディアーヌに、現れた男は携えたデッキブラシを肩に乗せて笑う。
漆黒に燃える灼熱の大魔王マント。
腰まで延びる銀色の長髪。
――頭に伸びる立派な二本角。
杜撰なまでのその変装はだがしかし、フラウの幻影魔法とイエルダによる投影魔法の改変により――世界にその名を轟かすもう一人の化け物。
最強の姿に無敵の衣を被った勇者は、勇者役を一瞥して宣言する。
自身の最強最大のライバルである、魔王役を名乗って。
「さぁ、始めようか。魔族と人間の平和を生むための奇跡を! この無敵の魔王、クラウス・フォン・シュヴェルツェンの名において!」