第二十話 キメラ対アータ
湧き上がる粉塵をかき分け、巨大なクレーターだけを残してこの世界から消え去ったイリアーナ城とアータの姿がないことを確認し、ようやくディアーヌは深く息を吐き出す。
そうして遥か上空でディアーヌは、己の掌と唇の振るえに気づき、手にしていた魔水晶を握りしめるようにして声を絞り出す。
「……対アーティファクト用の圧縮封印魔法。魔力ゼロの勇者では脱出もできない無限の牢獄。ですが、心配いりませんよ。勇者暗殺が終われば開放しましょう。その時にはもう、再び貴方は勇者として魔王と戦わざるを得ないでしょうがね」
下卑た笑い声を残し、ディアーヌは自身の乗るキメラと共に戦いの始まっている正門へと向かっていった――。
◆◇◆◇
閃光に閉じていた目を見開き、アータは全身を襲うねっとりとした空気に不快感を持ちながらも周囲を見渡す。
視界に入るのは自分もろとも飲み込まれたイリアーナ城。城の庭まで含めると相当の範囲が封印魔法に飲み込まれている。当然、異空間への圧縮魔法であるため、周囲の空は混沌と化し、脱出は容易でないことを悟る。
「なるほど。ことを急いでいるようにさえ感じてたが、この規模の大規模封印魔法を用意していたからか」
『どういうことなんですの、あーたん?」
「封印魔法はイエルダ大臣の十八番だ。それをあのおっさんの目をかいくぐって、この規模の準備なんてできるもんじゃない。だが、都合よく今回はイエルダ大臣やフェルグス王のおっさん達の目が届かない時間があった」
アータの物言いに、フラガラッハは息を飲むようにして問いかける。
『……闘技会?』
「あぁ。闘技会に勇者が参加するとなれば、国のお偉い方が参加しないわけにいかない。それほどに、人間界における勇者の名はでかい。だから、タルタナをこの時期にここに連れ戻したのもそういう理由だろうさ」
『あーたんが手紙出したタイミングが最悪だったんじゃないんですの? あの手紙をこの時期に出さなかったら、呼び寄せられることもなかったんですの』
「それにしても、まさかここまででかい封印魔法とはなぁ。魔力ないし、さぁてどうしたもんか」
『その都合の悪いことは聞かない姿勢がふぁっきんなんですの!』
「昔から、良い悪い関係なしに運はあるほうなんだ」
纏わりつくようなねっとりとした魔力の空気に溜息をつきながらも、アータは頭をかく。封印された自分達だけではないその百を超える気配に、アータは呆れた様に笑った。
「ついでに言うと、あの数のキメラがいったいどこにいたのかと思ってたが、なるほど。やっぱり、ここから出していたんだな」
アータの言葉に肯定するかのように、獣の咆哮が響き渡る。
一体、また一体と叫びが木霊していく中で自分の周囲を囲っていくのは、キメラの軍団。一匹二匹ではなく、十、二十という群れだ。
どれもこれもが歪な身体を持ち、ケルベロスにさえ匹敵する魔力と胆力を持ちながら、庭で佇むアータを囲っていく。
アータに向けられる視線は、捕食者のソレだ。
『あーたん、あれ全部自己修復機能持ちですの』
「わかってる。何体いるかわかるか?」
『魔力反応だけなら百八十三体ですの』
「キリが悪いな。減らすか。あと、フラガラッハ、一つ頼みがある」
そういってアータは口角を釣り上げて背に預けていたフラガラッハを無造作に掴む。そのまま掌の上でくるくるとデッキブラシを回しながら、飛び込んできた一体のキメラを一瞥。
『……ちょっとあーたん? わたくし様、いやな予感しかしないんですの』
「いやな予感って。そりゃこんだけ囲まれてれば、いやな予感の一つや二つするだろ」
『いや、それこそこれ、あーたんの計画通りだから別に気にならないんですの。わたくし様的には、むしろこの封印空間から、どうやってあーたんが外に出ようとしているか分かったのが――』
「さすが俺の相棒。そういう勘の良さはさすがだな。それじゃあ遠慮なく――よいしょっと」
ぽきっ。
『おぎゃああああああああああああああああああああああ!?』
「んで、ひょいっと」
掌の上で慌てるフラガラッハがその身体をグネグネと動かすが、アータはこれを意にも介さず、正面から飛び込んできたキメラの口の中に真っ二つに折ったデッキブラシの先端を投げた。これをぱくっと飲み込んだキメラはそのままアータごと食い散らかそうとその口を開き、アータは無造作に片腕を天に掲げ――、
「躾が足りないな。食事はお座りして、だ」
キメラが接敵する直前で、掲げた腕を無造作に振り下ろした。
たったそれだけの所作が、周囲にあった質量さえ感じる空気をハンマーへと変え、目の前のキメラを強制的にその場に押しつぶす。地面にめり込むような形で呻き声を上げるキメラに無造作に近づきながらも、アータは手にしている相棒と話を続けた。
「再生よろしく。あと百八十二回いくぞ」
『おバカなんですの!?』
木の棒がにょきっと音を立てて再生したのを満足そうに眺め、アータは頷きながらも周囲のキメラたちへと視線を向けなおす。
「どのキメラが次にあっちに召喚されるかわからないからな。とりあえず全部にお前を食わせる」
『ふぁっきんなんですの! わたくし様、こう見えて伝説の剣なんですの! それをそんなお菓子感覚でぽきぽきおられたら――いにゃあああああ!?』
「あぁ悪い、何かしゃべってたのか。ちなみに、ブラシがついてるほうと持ち手のほう、あいつらにとってどっちが美味しいんだ?」
『ブラシ! ブラシ付いてるほうがいろいろと溜めこんでますの! そっちはやめてほしいんで――なんでブラシの毛をぬきますのん!?』
「折るたびに悲鳴あげられるのもアレだから、俺なりに気を使った。大丈夫、折るよりこっちのほうが数が用意できそうだ。ちょっと快感だしな」
『鬼! 悪魔! 魔王! ブラシの毛は人間でいうところの髪の毛なんですの! そんな乱暴に抜かれたらわたくし様しょっきん!』
「あぁそうか、それも忘れずにやらないとな。折角こうして連中の目から隠れることに成功したわけだし」
グオオオオォォォォ!っと、キメラの群れが上げる雄叫びに、アータは仕方なくフラガラッハとの掛け合いをやめた。城のそこかしこから自分を睨み付け敵視してくるキメラ達の様子に、アータは感慨深くも笑みを浮かべる。
「見ろよフラガラッハ。力の差を分かってても怯む気がないらしい」
『……あーたん、なんで嬉しそうなんですの?』
「いや別に。久々に思いっきり身体が動かせそうだなと思ってるわけじゃない。あれだけのはねっかえりを屈服させるのが楽しそうだ、なんて思ってない。ついでに言うと――周りの被害を気にせず戦えるのを、ワクワクしてなんていない」
『ワクワクしすぎじゃないんですの!?』
アータの口元が歪むと同時に、城を上っている十数匹のキメラ達がアータに向かって爆炎を吐いた。
空間すら焼き尽くさんとするその業火は一瞬にして炎の津波へと姿を変え、一直線にアータとフラガラッハのもとへと向かってくる。
「――さて」
迫る炎に表情一つ変えず、アータはフラガラッハを地面に突き立てて両掌を正面で合わせた。
瞳を閉じてその裏で再生させるのは――戦いの中で、ありとあらゆる炎を魔力も使わずに隷属させて見せた無敵の魔王の姿。
合掌をするように合わせた掌をそのまま天と地へ向け回転させ、手のひらに残る空気を一切合切排除する。そして、天と地を分かつようにそろえた掌で生まれる真空は、あらゆる炎を隷属させ――。
「悪いがここで足止めさせてもらうぞ。俺の同僚達はまだ――本気で戦えないからな」
業火が眼前に迫ったその瞬間、アータは両掌を顔の正面で開いた。
パンっという軽快な音と共に、開かれた掌で生まれたのは極極小規模な真空。だが、それは瞬きもせぬうちに迫る業火を吸い寄せ、炎の津波を瞬く間に業火球へと作り替えていく。小さな真空は周囲の空気を吸い込むように。迫る業火は吸い込まれる空気を燃やし尽くそうとするように。
世界さえ飲み込むキメラ達の業火は、手のひらから生まれたちっぽけな真空に強制的に隷属させられた。
「業火の蝋燭」
轟々と音を立てて燃え上がる業火球を、アータは押し上げるようにして自らの掌の上に乗せ上げ、頭上で掲げる。
アータを囲っていたキメラ達ですら、目の前で起きた現実に咆哮を上げることすら忘れ、驚愕に目を見開いていた。
「クソ魔王が得意としてた炎系魔法の取り扱い方法だが、見様見真似でできるもんだな。まぁ、できなきゃこの後が困るんだが」
『あーたん、さりげなくわたくし様の先っちょを炎に差すのやめてほしいんですの』
「さすがに魔力ゼロじゃ収束はできても、炎に指向性は持たせられないからな。我慢してくれ」
『思ったより熱いんですの! っていうか、これ、これこれこれ! まるで炎のキャンディみたいになってるんですのぉ! あちゃちゃちゃ!?』
「と、いうわけだ。それじゃあ――やろうか?」
慄くキメラ達に愉悦の視線を向け、アータはまとめ上げた業火球を城を支える大地に振り下ろす。
そうして、空間自体を破壊しかねないほどの大爆発と共に、キメラの群れとアータの戦いが始まった――。