第十九話 イリアーナ城の舌戦
「はーなーせ! 離すのじゃアンリエッタ!」
「暴れないでくださいお嬢様、アータ様じゃないんですから、暴れられると落としてしまいます!」
燃え上がる城の景色と聞こえてくる悲鳴。街中を駆けるアンリエッタと傷だらけのタルタナを抱えるイエルダ大臣やフェルグス王の姿に、暗くなっているはずの街に次々と光がともりながらも、周囲の人々が吃驚に声をなくしている。
そんな中でも、抱えられながらも暴れるサリーナと、肩で息をするタルタナとイエルダ大臣の様子に、アンリエッタは仕方なく立ち止まる。そしてフェルグス王やイエルダを手招きしながら、逃げ惑う人々の間を縫って細い脇道に身を隠し、自身もゆっくりと呼吸を落ちつけた。
「アンリエッタ、すぐにアータを助けに戻るのじゃ! あのままではアータが――んぐっ!?」
そういって詰め寄るサリーナの唇にアンリエッタは人差し指を押し当て、それ以上の言葉を口にさせない。
「心配いりません、お嬢様。アータ様はあの無敵の魔王たるクラウス様をもってして最強の勇者です。私たちの目の前で神さえ滅ぼして見せた正真正銘、史上最強の勇者です。そのアータ様こそがお嬢様の執事なのです。だからこそ、あの方が先に行けといったのであれば、そこには何の問題もありません」
「う、ううむ、じゃが先ほどの一撃であんなにも大きな息切れをして……!」
「それこそ心配いりません。わかってて、あの方はあぁしているだけですので」
迷いなく笑顔を見せるアンリエッタの様子に、地団駄を踏むようにごねていたサリーナはふぅっとひと呼吸をついて頷いた。そうしてサリーナは目いっぱいの笑顔でアンリエッタにしがみ付く。
「わかったのじゃ。アンリエッタがそういうのであれば、わしも信じる!」
「えぇ、では急いで皆さまのもとへ向かいましょう」
サリーナの信頼を受け、アンリエッタは再びアルゴロス達のもとへと駆け出そうとすると、これをイエルダが片手で制した。
「少し待ちたまえ」
そういって通りに出ようとしていたアンリエッタを制したイエルダは、呼吸を落ちつけたタルタナやフェルグス王たちと共に通りから聞こえてくる人々の声に耳を傾ける。
――街の壁が魔族に襲われているらしい!
――騎士団や冒険者たちが足止めをしているが、相手は魔王軍の精鋭だそうだ!
――それどころじゃない、城からも火の手が上がってる、魔王軍が城を攻めている!
――魔王軍との平和条約って噂はなんだったんだ!
聞こえてくる悲鳴にも似たその叫びを耳にしていたイエルダは、フェルグス王へと視線を向ける。
「こういうシナリオか、ディアーヌ。このわしに黙って推し進めたという研究の結果があれか」
「研究とはどういう意味です?」
フェルグス王の言葉に、アンリエッタはサリーナを背後に隠してきつい視線で問いかけた。その問いかけに、いまだに通りの様子を伺うイエルダが静かに答える。
「言葉通りの意味だ。正直に言って、魔王軍と我ら人間の戦力差は大きい。勇者がいたからこそ我らは魔王へと立ち向かえただけだ。故に、ディアーヌの奴は魔物を使った兵器の開発を秘密裏に進めていたのだ。……正直、あそこまでのものができているなんぞ、思ってもみなかった」
イエルダの言葉に、タルタナもアンリエッタから視線をそらした。その様子に気づいたアンリエッタは、少なくともタルタナもこの件についてかかわっていたことに気づき、肩を竦めてあざ笑う。
「随分甘い危機管理ですね、人間は。そこまで知っていて、なぜ手を打たなかったのです?」
アンリエッタのきつい一言に、イエルダとタルタナは口を開かず、フェルグス王だけが呆れたような笑顔を見せた。
「手を打とうとしていた矢先に、『魔王と執事契約を結んだ。魔王軍はもう襲ってこないから、あとはよろしく。代わりの勇者だけ立てといてくれ。近いうち顔を出す』なんていう手紙一枚だけを寄越したどこぞの男のせいで、それどころではなかったからなぁ!」
フェルグス王の言葉に、アンリエッタはあんぐりと口を開け、後ろで爆笑するサリーナを尻目に深々と頭を抱える。
「あの人は本当に……。仮にも人間界の勇者がいったい何を考えて――」
「なぁに、気にするな。疑いすら持ったあの手紙の内容も、今こうして魔族であるお主らと共に並んでいるだけで、嘘偽りないものとわかる。それに――あ奴はやると言ったら絶対にやる。それがたとえ神殺しだろうと、魔王家執事だろうと、人間と魔族の和平への一歩だろうと」
「あったりまえなのじゃ! 何せアータはわし専用の勇者執事じゃもーん!」
サリーナの空気を読まぬ胸を張った発言に思わず一同は顔を見合わせ、爆音や悲鳴の聞こえる中でも腹を抱えて笑った。
「なんにせよ、タルタナ様は私たちと共に正門のキメラのもとへ。私たちの仲間が足止めはしていますが、勇者の姿が必要です」
「その、僕なんかで今更役に――」
「アータ様が貴方に勇者役を任せると言いました。であれば、私達もまた、貴方を勇者として戦います」
「……わかりました」
迷いが晴れた様に頷くタルタナを見たアンリエッタは、フェルグス王とイエルダ大臣に視線を戻す。
「我々も同行しよう。この騒ぎだ、どうせ我々の言葉もろくに住民に届きはしまい。魔族が城と門を攻めている、この事実自体が動かんからな。よいですな、王?」
「あぁ。それに、イエルダ。お前の封印魔法と投影魔法が役立つタイミングが来そうだからなぁ!」
「では皆さま、改めて行きますよ!」
王や大臣、タルタナやサリーナはアンリエッタの言葉と共に再び通りへと駆け出す。
その背後でアンリエッタは一瞬だけ、城から上がった巨大な爆発に振り返り――下唇を噛んで四人の背を追いかけた。
◇◆◇◆
「……っと!」
キメラの口から放たれた火球に向けてアータは指を弾く。弾かれた指から放たれるのは暴風。キメラの火球の一撃一撃をアータは器用に指で弾いて起こす暴風で防ぎながらも、キメラの背に乗ったまま笑みを消しているディアーヌを一瞥する。
アンリエッタ達をこの場から逃がしてから時間を稼いでいるが、その中で次第に業を煮やしたのか、ディアーヌが不機嫌さを露わにし始めた。
「やはり苦戦した風を装っただけですか。さすがにあの魔王と渡り合う最強の勇者。では、こういうのはどうでしょう!?」
「こういうのはって、どうせそこらにいる氷結済みのキメラや封印済みのキメラが復活するだけだろ――ほらみたことか。数なんて大して意味ないからやめとけ」
「ぐっ、そのふざけた態度がいつまでもつか!」
城の庭でタルタナやイエルダに敗北し、氷結してしまっていたキメラや封印されていたはずのキメラの拘束が外れ、五体のキメラがアータの周囲を囲う。だが、アータは自分を囲うキメラたちなど視界にも入れず、空を舞っているキメラとその背に立つディアーヌに冷めた視線を投げた。
そして、アータはディアーヌへ向けて核心を問いかけた。
「勇者の暗殺」
ぴくりと、アータはディアーヌの眉が動くのを見逃さない。そのままアータはディアーヌを睨み付けたまま、雄たけびと共に飛び込んできたキメラの顔面を、視線も向けずに片腕で地面に押しつぶす。紫の血が頬に跳ねるが気にもしない。そうして押しつぶしたキメラの身体は、頭部を失ってなお、サソリの猛毒を持つ巨大な尾の針でアータの右肩を突き刺す。
だが、鉄すら貫くその毒の尾針さえ、アータの身体には突き刺さらない。
「勇者と魔王が手を組んだ。そんな噂が広まったタイミングで魔物の襲撃で勇者が死ねば、民衆の反魔族感情は大きく煽られる。当然、再び人間界は魔界との全面戦争へと向かう」
「……」
「武器商としては、戦争が続くことを望むだろうよ。だが、計画として根本的に破綻している理由があるだろ?」
自分の肩に押し付けられたその尾を、アータは遠慮なく握りつぶしながら、空にいるディアーヌへと笑みを歪めた。アータの笑みの意味に気づくディアーヌもまた、アータと同じく笑みを歪める。
「貴方を――殺せない、でしょう?」
ようやく口を開いたなと、アータはディアーヌの下卑た声を耳にしながら背に預けていたフラガラッハを自分の真正面に突き立てた。
「貴方を殺せば憎しみによる戦争は続く。わたし達武器商としても実に懐の温かくなる話です。だが、それは味方と敵の戦力が拮抗していればの話。悲しいかな。貴方がいなければ、私たち人間界の敗北は一年以内に決まってしまう。なにより――」
「あぁ。なにより――お前らなんかに俺は殺せない」
アータはただはっきりと、事実だけをディアーヌへ宣言した。自分を殺せるものがいるとすれば、それはあのクソ魔王に他ならない。
何より、良くも悪くもアータという人間は、あの魔王以外に殺される気がない。
「だから、出し惜しみしてないでやるならさっさとやれ。足止め役だろ?」
アータの言葉にイエルダは一瞬だけ驚きを露わにし、次の瞬間には手にしていた魔水晶を掲げ、叫んだ。
「その勘の良さで、躱せるものなら躱してみせるといい!」
ディアーヌの叫びと共に、アータが目にしたのは城全体を飲み込むほどの強大な封印魔法の発動と、逃げ遅れた給仕の女性の姿だった。アータは迷わず自信を囲うキメラを蹴り飛ばし、空間を圧縮しながら城全体を封印していく魔法に飲み込まれる女性に手を伸ばす。
名も知らぬその女性を突き飛ばすようにして逃がし、だが、
『あーたん、ダメなんですの! この魔法……! このあたり一帯丸ごと別空間に封印する高等魔法で――ッ!』
フラガラッハの叫び声を耳にしながら、アータも自身の身体が圧縮されていく空間に飲み込まれつつも、ディアーヌへ視線を向けた。
そんなアータの視線に勝利の笑みを浮かべつつも、ディアーヌは語る。
「最強の勇者であるが故の、貴方の最大の弱点。それは――仲間がいないことですよ。頼れる仲間がいない貴方にはもう、勝つことはできない!」
高々に笑うディアーヌへ、もはや半身を圧縮封印魔法に飲み込まれながらもアータは自嘲するようにして頷いた。
「あぁそうだな。勇者には仲間がいない。けど、執事には面倒な連中がいる。だからこそ――せいぜい浸っておけよ。勇者の次は、魔王がまっているぞ?」
アータが残したその言葉と同時に、イリアーナ王国の象徴でもあったイリアーナ城は、耳を覆うような爆音とともに空間ごと圧縮され――世界から消えた。