第十五話 襲う獣と迎え撃つ勇者
『あーたん、城の外見えますの!?』
「あぁ見えてる。ウルフの群れ……だけじゃないな、見慣れないでかい魔物がいる」
宿の通りから高々と空に飛びあがっていたアータは、携えたフラガラッハの問に応えながらも黒煙の上がる街の門を睨み付けた。
そこで剣を取って戦う騎士団を襲うのはウルフの群れ。自分たちがこの街に来るときにも襲ってきたようなウルフの群れだ。それだけではない。距離があるこの空からもはっきりと見えるほどの巨体がある。魔王家にいるケルベロスほどの巨体を持った見慣れぬ化け物。
四足のおどろおどろしい獣姿でありながら、竜の如き強靭な翼をもっている。その太い腕の一撃は騎士たちをやすやすと弾き飛ばし、羽ばたき一つで騎士たちをなぎ倒す。
『あーたん、あれ――人造魔物ですの』
「……わかってる。欲深さで言うなら、正直人間のほうが魔族よりよっぽどろくでもない」
アータは不快げに舌打ちをすると、慌てた様子でフラガラッハが叫んだ。
『あーたん! あれ、あれあれ! 逃げ遅れてる人いるんですの! ウルフに囲まれてるんですの!』
フラガラッハの言葉に視線を向けると、化け物――キメラを押し返すのに必死な騎士団から少し離れた壁の傍で、ウルフの群れに囲まれた若い女性の姿を見つける。今にも襲われんとしているその女性は壁に縋りつくようにして、必死にウルフたちを睨み付けていた。
それどころではない、キメラを押さえている騎士たちももはや息絶え絶えで、今にも全滅必死だ。
『あーたん! 魔法なしでこの距離じゃ間に合わな――ッ!?』
迷うことなく、アータは腰に携えている小袋から先ほど屋台で買っていたおにぎりを取り出した。
『あーたん!? 人が襲われる姿をご飯のおかずにするのは、人としてどうかとおもうんですの! ふぁっきんですの!』
「お前を俺を何だと思って……まぁいい。魔法が使えなくても、遠距離攻撃手段ならいくらでもある……ッ!」
フラガラッハに呆れた声を返しながらも、アータは空中でひょいっと手にしたおにぎりから、米粒五つを右手の指先にそれぞれ乗せた。そうしてそのまま右掌を広げ、空中にいながら体をひねり、右腕を振りかぶる。
背中に携えるフラガラッハは長い付き合いから、次の瞬間にアータが何をしようとしているのかを理解し、憐みにも似た叫びをあげた。
『その技は、ふぁっきんですの!』
「闘技会のサリーナ様の魔法を見て思いついたんだが――!」
目標は女性を囲うウルフと騎士団を襲うキメラの真正面。振り被った右掌を、空中で全身の回転を加えて射出。その名も――、
「米粒流星群ッ!」
『そのネーミングもどうかと思うんですのぉ!』
きゅんっ、という聞きなれない空気の摩擦音と共に弾かれた五つの米粒は、その衝撃と摩擦に燃え尽きながらも、目標のウルフたちとキメラ真正面に落ちるようにして魔物たちをその衝撃だけで吹き飛ばしていく。どころか、騎士や女性たちも衝撃で吹き飛ばしていき、アータはやりすぎたと乾いた笑い声をあげながらも、近くの屋根に着地し、そのまま屋根を蹴って一気に爆音響くその場へと跳躍した。
――時間にしてわずか十秒程度。
米粒流星群でできたクレーターに、それまで攻め気だったキメラやウルフ達が騎士や女性たちから距離を取って様子を伺っているその場に、アータはようやく着地した。そのまま着地から立ち上がりついでに、米粒一つを指に乗せて、手近なウルフ向けて弾く。
大砲よりはるかに速くはるかに威力のあるその米粒はウルフの眉間に直撃し、うめき声をあげることもできないまま、そのウルフは遥か彼方へ吹き飛んでいった。周りにいるウルフたちは吹き飛ばされたウルフの姿を驚く様にして見送りながらも、立ち上がったアータの姿に牙を立てて身体を低くしてくる。
『あーたん、やっぱりただの魔物じゃないんですの』
フラガラッハの声に、アータは小さく頷く。多少脅かして引いてくれるかと思った一撃だったが、目の前で臨戦態勢を整えたこのウルフ達は今の一撃を見て逃げようとしない。こと、人間よりも相手との実力差を正確に測ってくる魔物なら、ここまでに攻撃で大人しくこの場を引いてもおかしくはない。
だというのに、自分を睨み付けてひかないこのウルフたちのこの様子はいったい何なのか。
彼らを統率する誰かがよほどウルフたちをしっかりとしつけているのか。
もしくは、ウルフたちを押しのけるようにして出てきた巨体の魔物――人造魔物がよほど強い魔物なのか。
押しのけて前に出てきたその魔物を見て、アータは瞳を細めた。
先ほど遠距離から見た時とは違い、はっきりと目に映るその巨体は――ケルベロスのもの。その身体は純白と言っても差し支えない白。返り血は見る間にその巨体に吸い込まれて行っている。そしてその背には竜の翼が。正確に言えば、竜よりも小柄なワイバーン種の翼を幾重にも組み合わせて作られたおぞましい黒色の翼。尾を構成しているのはサソリのソレ。毒を滴らすその尾の切っ先は自分に向けられて揺れる。
そして何よりアータを睨み付けて牙を見せるその顔は、純白の鬣を携えたサーベルタイガーのもの。
ありとあらゆるどれもが、自然界で誕生できる代物には見えず、アータは自分に向けられる殺意を受け止めながらも眉を寄せた。
「あ、あぁぁ、貴方様は……!」
アータがかばう様にしてキメラとウルフたちの前に出る後ろで、かろうじて剣を地面に突き立て立ち上がった騎士が問いかけてきた。
その問いかけにアータは振り向くことはせず、指先で壁にぶつかって気絶してしまっている女性を指し示す。
「ここは俺が持たせる。あんた達は一刻も早くあの人たちを連れて街の入り口を固めろ」
「で、ですが……!」
「心配いらない。あー、一つだけ。あの化け物のことは、騎士団以外には話さないでくれ」
「……っ、はッ! 恩に着ます、名も知らぬ勇者様……!」
敬礼をすると同時に、すぐさま女性やケガで動けない騎士たちを速やかに非難させていくその騎士の言葉に、アータはぼりぼりと頭をかいてため息をつく。
『騎士団には、あーたんのことは隠せそうにないんですの』
「魔王と契約した勇者の存在なんざ、隠したほうがいいだろ」
『……ふぁっきんきますの!』
フラガラッハの叫びと共に、アータの目の前でキメラの喉元が大きく膨れ上がった。口元からちらつく火花が、キメラの次の行動の意味を予測させ、アータもまた上半身を仰け反り、両脇を絞めて息を吸い込む。
『ガアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』
次の瞬間、キメラの喉の奥からサラマンダーを連想させるような業火が吐き出された。地面を焼き尽くしながら広がる業火の正面に立つアータは、迫る灼熱を意にも介さずに大きく息を吸い込み、肺一杯にため込んだ空気を一気に吐き出す。
街を覆う巨大な壁を焼き尽くさんがごとく迫る業火は、アータの吐き出した空気の壁に押し返され、キメラはおろかウルフたちの群れごと一気に押し返していく。絶叫にすら聞こえる獣の叫び声を無視しながらも、押し返された業火を引き裂く様にして飛び込んできたキメラの一撃を、懐に飛び込むようにしてアータは躱した。
振り下ろされた前足の一撃を躱したアータは、懐に飛び込むことで空いたキメラの脇腹に向かって右拳を突き出した。だが、
「っぐ……!?」
拳がキメラの身体に触れるより早く、両腕が激痛に襲われた。これに気づいたキメラの尾がアータの身体を弾き飛ばすが、アータは空中で華麗に身をひるがえして着地する。
『あーたん!? まさか、この前のアーティファクト破壊のときの傷が……!』
フラガラッハの声に押されるようにして、アータは痛む右腕の裾を肘までめくり上げた。アーティファクト破壊時に傷ついてしまった両腕の完治が遅く、痛み止めと共に包帯で巻いていたその腕に、どす黒い血が溢れていた。
『……呪いの類ですの。神のルールの破壊でついた傷が、あのキメラに触れることで触発されてますの』
「つまりだ、フラガラッハ。あのキメラも何かしらの神のルールが関わってるとみていいんだな?」
『元が人造で作り出した命ですの。そんなもの、アーティファクト以前に神のルールもふぁっきんもないんですの!』
「そりゃそうだ。なら、触れずに終わらせよう」
次の瞬間、脳天が陰ったのに気づいたアータは、大きく開かれたキメラの口が迫るのに気づき、とんっと軽い音を立ててバックステップで躱した。
目標を見失ったキメラが慌てて顔を上げた時には、アータは既にキメラの鬣で隠れた耳の傍にいた。
そして次の瞬間――、
「――――――――――ッ!」
音にならないほどの爆音と言っても差し支えない声で、キメラの耳元で叫んだ。攻撃ではなく、口撃。
空振さえ伴うその発声に、壁の中に退避した騎士たちも呻き声をあげて膝をついていく。そんな一撃を間近でくらったキメラやウルフ達には身を守るすべはなかった。
獣の身体では耐える術もなかったキメラや周囲にいたウルフたちは、耳からぷしゅっという小さな音を立てて血を流し、そのまま白目を向いてばたばたと倒れていく。最後まで震える足で地面を踏みしめながらも、自分を睨み付けてくるキメラの視線にアータは何も言わずに黙ってキメラの視線を受け止めた。
「まだやりたりないか?」
アータの問いかけに応えるようにか。キメラはそのまま力なく泡を吹いて地面に倒れこんだ。
倒れこみ崩れ落ちたキメラのその巨体を眺めつつ、アータは街の壁から遥か離れた雑木林から消え去ったうめき声とそこで発動した転送魔法の気配に、瞳を閉じた――。