第十四話 王国の闇
直前のサリーナやアルゴロス達の試合の直後、荒れに荒れ果てた闘技場の修復のため、一日の時間が設けられることになった。
仕方なく闘技会を後にしたアータとアンリエッタは、日が暮れ始めた頃に宿屋の前で身軽な軽装で立つタルタナの姿を見つける。
眉を寄せて腕を組むタルタナのその姿を見たアータは、傍にいるアンリエッタに向かって白い歯を見せるほどの笑みを浮かべた。
「みろ、俺だって大人気だろ」
「どうすればそこまで前向きにあの苛立ちを隠さない姿をとれるのか教えてほしいです」
「何事もいい方向にしかとらなきゃいい」
「……それができればみんな幸せに暮らせますよ」
やればいいだけだろ、という言葉をアータは飲み込み、ここに来るまでの最中で屋台で購入したおにぎりを一口頬張る。
その姿にため息を隠さないアンリエッタと共に、アータはタルタナが待つ宿屋の入口へと向かった。
そうしてタルタナがアータとアンリエッタの姿に気が付くと、深い溜息をつきながらも二人に近づきながら声をかけてくる。
「ようやく来ましたか。ちょっと――」
ばたん。
「人の話を聞く前に宿屋に入るのやめてくれませんかね!?」
無視して宿屋の扉を開くアータの肩を、慌ててタルタナが掴む。今にも涙しそうな切なげな顔に、アータは隣にいたアンリエッタを先に宿の中へ進めさせ、仕方なくタルタナと共に外に出た。
鼻息荒く項垂れるタルタナに、アータは冷めた目を向けながら息を吐き出す。
「用件なんて大体察せるだろ。『ちょっと本気でやりすぎなんじゃないですかー』とか」
「いや、それは確かにそうなのですが……!」
「別に全然本気出してない。以上」
「あのレベルでそんなこと言われると僕らの立つ瀬が――おにぎり食べるのやめてくれませんかね!?」
「絶品だよなこの街の焼きおにぎり」
手にしていた焼きおにぎりを一つぺろりと食べたアータは、周囲の一通りの少なさを確認しつつ、鼻息荒いタルタナの首根っこを掴んだ。おふっという情けない声を上げるタルタナをそのまま片腕で持ち上げ、アータはその場を大きく跳躍。宿屋の屋根まで飛び上がると、その場に音もなく着地してタルタナを下ろした。
着地後、屋根に腰を下ろしたタルタナは不満げにアータをにらみつけるが、その顔にいびつな笑みを返すアータは人差し指を口元にあて、空いた指でちょいちょいと宿屋の入り口を指さした。
その先を黙って見下ろしたタルタナは、宿屋の入り口が音もなく開き、そこから顔をひっそりと出して周囲を見渡すアンリエッタの姿を見つける。
その顔が悔しげに歪み、アンリエッタはアータとタルタナの姿を見つけられないまま、宿屋の中へと戻っていった。
「魔族に聞かれたくない用件があるんだろ?」
「……知ってたんですか?」
「昨日の夜に二人のオッサンから少し事情は聞いてるからな」
深い溜息をつくタルタナは、夜風に身を任せたままのアータの背に本来の用件を告げ始めた。
「勇者の暗殺が目論まれています」
「え、お前死ぬの?」
「僕じゃなくて貴方なんですが!? って、いちいち突っ込ませないでください!」
詰め寄ってくるタルタナを制止ながらも、アータはタルタナの声に耳を傾け続けた。
「魔族との戦いの中で潤っている一部の武器商達が、今や国の中枢にまで手を伸ばし始めています。そんな折、貴方と魔王の間で平和条約を結んだという報せが入ったんです。あなたたちの戦いが終われば被害は消える。そうなってくると戦うための武器も減り、当然武器を売ることで得られた金も減ります」
「そこで、条約を結んだ本人を暗殺することで反魔族の民衆感情を煽り、戦争を終わらせない――ってか」
「……はい」
顔を伏せて絞り出すような声に、アータはぼりぼりと頭をかきながら言葉を探す。
勇者の暗殺計画。殺せるものなら殺してみろというのは置いておくとして、アータはタルタナから聞かされたこの計画の意味を頭の中で反芻し、首を振った。
「それで、俺にその話を持ってくるぐらいだ。城内で怪しい奴の目星はついてるんだろ?」
「えぇ。イエルダ大臣と並び立つもう一人の大臣――ディアーヌ大臣です」
伝えられた名前に、アータは瞳を閉じて眉間を揉む。そうして思い出すのは、謁見の際にイエルダと共にちょくちょく見かけたことのある程度のふくよかな男だ。至福のすべてをその腹に携えたような腹をして、ニタニタを笑みを浮かべる豚のような男の姿を思い出す。
「なんとなく思い出した。そういやこの街に来てから見てない気もするな」
「えぇ、今は隣国への貿易に出ていましたから。それも――今日戻られるのです」
「つまり、勇者暗殺の実行は明日にでも……って可能性があるわけだな」
「はい」
まっすぐ頷くタルタナをちらりと見ながらも、アータは遥か遠くの首都の壁周辺から聞こえてくる剣戟に気づき、眉を顰めながら問う。
「タルタナ。お前確か、城に戻ってくるように言われたんだっけ」
「えぇ、ちょうど一週間ほど前に。今思えば、魔物退治よりも僕を闘技会に参加させるのが目的だったんじゃないかと思いますけどね……」
「闘技会で優勝すれば、お前の勇者知名度も上がるしな」
ニタァと笑みを向けると、タルタナは顔を真っ赤にしながら立ち上がった。
「それを、貴方が! 貴方が言うんですかね!?」
「まぁまぁ。さて、それじゃあちょっとお仕事がやってきそうだ」
「え?」
怪訝な顔をするタルタナを脇から抱え上げ、アータは再び宿の屋根を蹴って通りに着地した。するとどうだろうか、先ほどまで静かだった通りには人が行き交い始めており、誰もかれもが慌てた様子で逃げ惑っている。
その中の一人を捕まえたアータは、落ち着かぬその男性に問いかけた。
「何があった。壁のほうで剣戟の音が聞こえていたが」
「あ、あぁ! どうにも壁の入り口で見たこともない化け物やウルフみたいな魔物が暴れてるらしい! この辺はさっき騎士の人たちが避難指示をだしていたぞ!」
「なんですって……!」
「すまんが、俺も逃げる、あんたたちも早くここから非難したほうがいい!」
そういって静止していたアータの手を振り払って、男は他の住民たちとともに逃げ始めた。
傍にいたタルタナもまた、携えていたレイピアに手をかけて首都入り口に向かって駆け出そうとする。だが、アータはこれを引き留めた。
「何してるんですか、すぐにいかないと!」
「落ち着け。首都を囲う壁の高さと頑丈さはお前もよく知ってるだろ。ついでに言えば、周辺の魔物もよく知ってるはずだろ。何せ、壁ができてから既に半年以上はたってるんだ」
「それがどうしたって……!」
「知ってて、なんで襲う? 魔物も馬鹿じゃない。あの壁相手に無謀に挑むようなただの獣じゃない。だとしたら――」
アータの低い声に、タルタナは目を見開いてアータに詰め寄った。
「……陽動ですか?」
「その可能性が高い。そして、この時期このタイミングで陽動をかけて狙おうとしているものも、お前ならわかるだろ」
「イリアーナの秘薬――ッ!」
「そういうこった。門には俺が行く。お前は城に向かわせる」
「えぇわかりました! 城は僕に任せ――向 か わ せ る ?」
何を言ってるかわからないといわんばかりの顔で、タルタナが小首を傾げた。その顔に満面の笑みを返すアータは片腕でタルタナの襟元を握り、もう片腕でタルタナのズボンのベルトを掴み、その身体を頭の上に持ち上げた。そのまま片足を前に出して、腰に力を入れて城のある方向を向く。
突然のことに困惑するタルタナが、過呼吸気味に叫び始めた。
「ちょちょ、ちょちょっと待ってください、何してるんですかこの格好!? いや大丈夫、走っていけますって、いけますから!」
「走ってたら間に合わないかもだろ。それより、さっさと背筋伸ばせ。腰曲げてると空気抵抗強くて目ん玉飛び出るぞ」
「わかったわかりました! 貴方がたった今何しようとしているか超理解しました! でもですね、緊急事態だからこそ落ち着いて行動を――」
「よーし落ち着いて背筋伸ばして深呼吸しろよー。徒歩なら半刻かかるけど、この方法なら十秒程度の旅路だから。発射はサービス、着地はノーサービスで」
「だーれかたすけてェ!」
「ちょっとうるさいですよアータ様タルタナ様、一体外でさっきから何を――あ」
ぶぅん!
「ちょっとアータ様!? 今! たった今目の前で何を投げましたか貴方!?」
空の彼方へと消えていったタルタナを見送ったと同時に、宿の扉を開けて出てきたアンリエッタが詰め寄ってきた。だが、アンリエッタもまた周囲の騒がしさに眉を寄せ、アータを睨む。
「……投げたものはちょっと置いておきます。それより一体何が?」
「門のほうが魔物に攻め込まれてるらしい」
「……!? 魔物が、ですか!? そんな、人間界とはいえ魔王様配下の魔族が人間界の首都を襲うなど……!」
「魔王配下じゃない魔物がいるだろ。って、そんなことよりもお前はこの騒ぎに乗じて、サリーナ様やアルゴロス、ドラゴニスを探しておいてくれ」
「探すって、一体何をするつもりなんですか?」
「いや、思ってたよりきな臭い面倒事が起きそうだ。詳しい話は戻ってきてから話す」
「ちょっとお待ちください、まだ説明が――」
引き留めるアンリエッタの腕を振りほどき、アータは騒がしくなってきた門に向かって全力で飛んだ――。