第十二話 勇者に挑む距離
「何やってるんですか、貴方は馬鹿ですか!?」
「何って、優勝賞品もらいに来たんだ」
「馬鹿なんですか!?」
闘技会開催式が終わった直後にタルタナに引きずられるようにして通路の脇に寄せられたアータは、被ったウサギの面をぼりぼりかく。だがそんなアータの両肩を掴んで深い溜息をつくタルタナは、項垂れながら話をつづけた。
「わざわざ、人々に勇者が健在だってことをアピールするために僕が出ることになったんですよ……? それを、貴方が出てきたら僕の頑張りの意味全くないじゃないですか!」
「わかったわかった。俺がほめてやるよ。おーすごいねーたるたなくんすごいわー」
「やめてくれませんかすごくイラッとします。あとそのお面のチョイス、絶妙に憎たらしいんです!」
「それはよかった。店で一番イラッときた面を買ったからな」
「貴方という人は……。はぁ、イエルダ大臣が頭を抱える理由が本当によくわかります」
タルタナの言葉にアータは顎に手を当てて思案する。酒場であったフェルグス王とイエルダ大臣の様子は別段これまでと変わりがなかった。彼らとは一年前に城に呼びつけられて以降の付き合いだ。その頃から常に王は豪快であったし、イエルダ大臣は常に困ったように頭を抱えていたのを覚えている。
あの頃と今とで頭を抱える一つの理由に行きつき、アータはぽんっと手を打って答えた。
「薄いからか?」
「髪の毛の話じゃありません! そもそも、貴方のせいで薄くなったんでしょうが! 昨年はまだふっさふさだったんですからね!?」
周りに人気が少ないとはいえ、大声を上げるタルタナの様子にアータは渋々と謝罪する。タルタナの仲間たちもこちらを心配そうに見ているし、そろそろ第一回戦が開始される時間だ。タルタナとの話もそこそこに切り上げなくてはならず、本題に入った。
「悪かった。決勝で当たったらちゃんと負けてやるから」
「……いや、それはそれで非常に不服なのですが。騎士としてそこで手を抜かれるのはやはり――」
「面倒な奴だなお前。よしじゃあこうしよう」
迷うタルタナの肩に馴れ馴れしく腕を預けたアータは、そのままタルタナの顔を引き寄せて小声で話す。
「お前が優勝したら、薬をよこせ。俺が優勝したら、薬はもらう。どうだ?」
アータの問いかけに、タルタナはぎょっと目を見張る。だが、すぐさま通りの奥で自分たちの様子を不安そうに見つめる仲間達の姿に、タルタナはきつい目つきでアータの問いかけに小声で尋ね返した。
「いやそれ、どうあがいても貴方が得してるだけですよね?」
「散々苦しみ抜いた挙句に薬を泣く泣く渡すのと、無傷で笑顔のまま薬を差し出すの、どっちがいい?」
「何をやってるんですかアータ様!?」
背後から脳天に振り下ろされたデッキブラシに、アータは渋々後ろを振り返る。そこにはメイド服にうさ耳をつけた実に恥ずかしいアンリエッタの姿があった。
その顔は羞恥なのか怒りなのかわからない赤みを帯びており、尖る唇ときつい視線はアータをまっすぐ捉える。
「何ってちょっとしたお茶目だろ」
「お茶目で脅すって勇者としてどうなんです!? 大体ですね、できるだけ面倒ごとを起こさずに済ませたいんです! それを貴方は――」
「アンリエッタさんの言う通りですよ! 僕らの苦労も知らないでいつもあなたは自分勝手に――」
「あ、俺たちの出番みたいだ。行くぞアン」
「「だから人の話聞きませんか!?」」
◇◆◇◆
「第一回戦。飛び込み参加のチームアンリエッタと、チームゲイボルグ。前へ」
観客たちの歓声を背に受けながら、アータとアンリエッタは審判を務める年老いた神官に促されるようにして闘技場中央に立った。
二人の前に立つのは、大の男三人組。最低限の甲冑に身を包んだ、巨大な斧を手にする戦士。その隣で立つのは細身ながらも背が高く、銀色の甲冑に身を包んだ長槍を手にする騎士。そして二人の間に立つのは、ふくよかな腹を撫でながら、杖を地面に立てて笑う魔法使い。
いずれの三人も、奇特な姿のアンリエッタをちらりと一瞥した後は、仮面をかぶっただけのアータを見て不敵に笑っている。
その堂々とした立ち振る舞いと、緊張の見えぬ不敵な笑みを見てアンリエッタは傍にいるアータに小さな声で耳打ちしてきた。
「なんだか、すごい見られてませんかアータ様。それにこの人たち、緊張されてないところを見ると、割とできる方たちなんでしょうか」
アンリエッタが緊張したように語るのを聞き流しながらも、アータは目の前の三人の顔をしげしげと眺め、納得いったように頷いた。
「できるっていうか、行きつけの酒場の常連メンバーだ」
「え、酒場?」
「つまり、俺の正体を知ってる相手ってことだ」
「そういうことですよ、お嬢さん」
神官の開始の合図より先に、斧を手にした戦士が誰よりも早くアータの前に握手を求めて手を差し出してきた。差し出された手に困惑するアンリエッタをよそに、アータはポリポリと頭をかきながらもその握手に応じる。
互いのチームが握手をする姿を神官が煽り、観客たちの歓声が闘技場で響き渡るのを見渡しながらも、アータは並び立つ面々へと問いかけた。
「冒険者メンバーも腕試しってことかな?」
「そのつもりでこうやって参加させていただきましたが、いやはや。まさか本物と戦える機会が来るとは。煽っていた酒瓶を獲物に変えた甲斐があったというものです」
身震いをしている戦士と、その背後で油断なく――だが嬉しそうに槍と杖を構える二人の男たちの様子に、アータは参ったといわんばかりにもろ手を挙げて頷いた。彼らの目的に共感してしまったアータは、傍にいたアンリエッタを一瞥して声をかける。
「アン、悪いが下がってろ。お前の出番なさそうだ」
「いや、少しぐらい事情説明をですね――」
「お嬢さん、簡単な話です。外にいる観客や一般人はアータ様を知らない。だが、この闘技会に参加している腕自慢は皆、勇者様を知っているんです。なにせ、闘技会に参加した面々は、魔王軍との戦いのさなかでこの人の強さを目のあたりにした生き残りばかりですから」
そういって笑った戦士は、鎧の隙間を開き、アンリエッタにそれを見せつけた。右脇腹から左肩までに及ぶ傷跡。それが魔王軍との戦闘によるものだと気づいたアンリエッタは、不満げにアータを睨みつけながら踵を返し、
「……私は謝りませんから」
「そうか。じゃあ俺も薄情するけど、お前と俺のこの衣装、お前の財布から出したんだ」
「後で謝ってくださいませんかね!?」
かみつく勢いで振り返って迫ってきたアンリエッタの額を、アータは指で弾く。ギャウンと言わんばかりの悲鳴を上げたアンリエッタは、そのままゴロゴロと闘技場の端まで転がっていき、そのままパタンと気を失ってしまった。
アンリエッタの様子を目で追った神官は、冷めた視線でアータに問いかける。
「……仲間にあんなことしていいのですか」
「大丈夫、あとで謝る」
「……では、第一回戦、開始ッ!」
神官が腕を振り下ろすと同時に、斧持ちの戦士と槍使いの騎士はアータへ向かって武器を構え、魔法使いは大きく背後に飛びずさった。前衛と後衛をしっかりと分けた体制を整えつつ、前衛二人はアータから視線を外さない。
その戦いなれた身体の動きと、自分の力を試したいといわんばかりの挑戦的な視線に、アータは背中に携えたデッキブラシはそのままに片腕を前衛二人に向けてちょいちょいと手招き。
「……ッ! 行かせてもらいますぞ、存分に!」
観客たちの息を飲む前で、前衛にいた戦士が駆け出した。大地を蹴りつける脚力は強く、その一歩は巨大な獣をすら連想させるような力強さをもって、一息で戦士はアータとの間合いを詰めた。そうして戦士は、正面からアータの肩をめがけて巨大な斧を振り下ろす。だが、
「ちょっ!?」
振り下ろした巨大な斧は、アータが無造作に伸ばした右掌で押しとどめられた。念入りに研いだはずの自慢の斧はアータの掌に傷をつけることすらかなわず、驚愕に戦士は慄く。
戦士の姿に満足げに頷くアータが斧の刃に力を籠めると、その刃に指がめり込んだ。
「どうした、獲物がなくなったらハイ終わりってわけじゃな――おっと」
驚愕に驚いていた戦士が、顎を引いてニヤリと笑うのに気づき、アータは戦士のその巨体で隠れてしまっていた騎士の姿が消えていることに気づく。次の瞬間、頭の上でよぎった影に気づいた時には、戦士の背を蹴って太陽を背に騎士がアータの顔面に向けて槍を振り下ろした――。
ガキンっと、鋼のぶつかり合うような激しい音と火花が散り、観客席で歓声が上がる。
開始直後の畳みかけるような一撃に、観客たちはあふれんばかりの大歓声で闘技場を温めた。
しかし、脇に控えてその場を見ていた審判の神官だけが、振り下ろされた槍が途中で止まっているのに気づく。
「――なはなは、ひゃる」
「あの、何の冗談ですかそれは!?」
困惑はアータの肩に両足を乗せて、顔面向けて槍を突きたてたはずの騎士のもの。それも当然だ。
必殺を込めた槍の一撃は、アータの口元で――正確には、咥え止められたのだ。絶句して言葉もない戦士と騎士の様子に、アータは満足げに笑みを歪めた。
「いいへんひぇいや。へど、まだまだおへにはひょどひゃないぞ」
「何言ってるかわかりませんとも、えぇわかりません!」
槍を加えたままだとしゃべりづらいなとアータが眉を顰めると同時に、騎士と戦士が獲物を捨て慌ててその場を飛びずさった。追撃しようかと思うと、がくんと上半身が揺れ、アータは気づく。両足がいつの間にか闘技場の石畳に引きずり込まれており、動かない。
跳躍して逃げ出した騎士と戦士がそのまま、詠唱を続けていた魔法使いの後ろに回るのを見送る。そのままアータは、魔法使いの口元で唱えられた呪文に気づき、背中にかけたデッキブラシを手に取った。
『あーたん、手加減はするんですの! 思いっきりやっちゃうといろいろ面倒ですの!』
「わかってる」
フラガラッハの呆れたような声に返事を返しながらも、アータはメギッと音を立てて石畳から足を引き抜いた。ぎょっとする魔法使いたちの様子を笑いながらも、アータは手にしたデッキブラシをくるりと回転させ、地面に立てた。
そうして、胸を張って自分に挑んでくる彼らへと叫ぶ。
「全力で来い! ロイド、カール、エミル!」
アータの叫びに、三人は一瞬だけ驚きを露わにしたが、次の瞬間には笑みと共にその詠唱を終わらせた。
「我が声に応えよ、母なる海の神よ! 迫る脅威から万物の命を守れ! 海神の大波!」
次の瞬間、魔法使いの正面に顕現したのは巨大な青の魔法陣。そして、そこから噴き出すのは海神の力を借りて押し出された巨大な津波。大規模な範囲魔法でもあるその一撃は、高さ数メートルはあろうかという巨大な壁となってアータへと迫った。
アータの背の方向にいる観客席から悲鳴が上がるが、アータはこの一撃に感嘆しながらもフラガラッハを地面に突き立て、両腕を迫りくる大波へと伸ばす。中指を親指の力で抑え込み、一気に弾く。
――死の森で戦った時と同じように、アータが指で弾くことで起きた竜巻はそのまま迫った大波を押し返した。それどころか、作られたその二つの竜巻は大波を宙へと舞い上げながら一つとなっていき、しまいには迫り来ていた大波全てを吸い込んでいく。そうしてアータはデッキブラシを手に取り、宙で舞う竜巻を無造作に振り払い――竜巻が爆散。
魔法使いや戦士たちが絶句して空を見上げる中、破裂した大波は闘技場に向かって滝のような雨となって降り注いだ。
「少しは満足してくれたか?」
そんな彼らと――控えの奥から自分を見ていたタルタナに向かって、アータは腰に手を当てて笑みを歪めて問いかけた。
アータの問いの意味に気づいた戦士と騎士、魔法使いは互いに顔を見合わせ、諦めた様に噴出して笑う。
「えぇ、それはもう存分に。一年たった今も、我々と勇者の距離は変わらないようだ」
大歓声吹き荒れる闘技場の中央で、アータは三人から差し出された握手に苦笑しながら応じた――。




