第十話 酒場での接触
――睡眠時邪魔するべからず。というか、睡眠いらないって言ったの貴方ですから。
そう書かれた掛札を扉にかけ、アンリエッタはアータを部屋から追い出した。その顔はすでに明日の闘技会に向けて焦燥しており、特に疲れもなかったアータは言われるがままに部屋からでたのだ。
「まぁ、もともと同じ部屋で泊まるつもりもなかったしな」
さてこれからどうしたものかと、アータは静かになった宿屋の廊下を歩きながら考える。いまいち危機感はないが、現在魔族達は病の大流行の真っ只中。海で自分たちを追ってきた人魚族は特に顕著で、誰もが血走った瞳で自分たちを襲ってきた。ただ、病という側面において、携えたデッキブラシ——フラガラッハの自動浄化作用の効果もある。
いざという時はフラガラッハを使うとして、それはそれと言わんばかりの腹の音に、アータは鼻歌交じりに宿屋を出て酒場へ向かった。
◇◆◇◆
訪れた酒場は、以前ナクアと遭遇したこともある城下町でも裏通りに位置する場所にあった。日中は賑わうことのないこんな裏通りでも、夜の酒に酔った人々がそろうとなると、酒場の盛り上がりは強い熱を持っている。酒場の入り口の扉を押して入ると、すでに中は満席。酒によった男たちや給仕に励む若い女性。冒険者のグループなど、大いに賑わっている。
執事服のままは少し浮いたか、とアータが頭をかいていると、アータの姿に気づいた給仕の女性が手を振って近寄ってきた。
「あっ、アータさんじゃないですか! お久しぶりですよ!」
「どうも。空いてる席はないけど、立ち飲みでもかまわないか?」
「残念。指定席へご案内です」
給仕のその女性は、笑顔を浮かべてアータの手を引いた。彼女に腕を引かれるままに案内される座席に座っていた二人の黒いフードをかぶった老人を見て、アータは深いため息をつく。
「はいどうぞ! メニューはっと、面倒くさいんでお店で一番高い料理もってきますね!」
「いや、聞いてけよそこは」
老人二人と同じ席に座らされたアータの声も気にせず、給仕の女性は白のエプロンを揺らせるスキップで消えていった。残されたアータは出されていたコップいっぱいの水を飲み干し、苦笑交じりに同じ席に座る老人二人に声をかけた。
「どうですか。俺がいなくなった後の一月は」
「はっはっは! 張り合いがなくてつまらんさわしは!」
「はぁ……。厄介ごとの数が減って、私としては薄くなった髪をいたわる時間ができたぞ、勇者」
それぞれの老人はまったく異なった反応を見せた。というよりも、フードで顔を隠しながらも豪快に笑う老人を、同じく隣にいる老人がきつい目つきで睨む。この視線にさえ肩もすくめずに笑う豪快なその老人は、アータに向かって酒の入ったコップを差し出した。
「まずは乾杯だ、一年に及ぶ戦争の思っても見ぬ決着の有様を笑って!」
「勇者の失業と新たな雇用先の不幸を祝って」
「一言二言多いんだよ、あんたたち二人はいつも。仮にも王様と大臣の癖に」
渋い視線を向けると、フードの老人たち――フェルグス王とイエルダ大臣は貴様が言うかといわんばかりの強気な笑みを返してきた。仕方なくアータは彼らの差し出すコップに、空になったコップをあてがって乾杯を済ませる。そうして一息でコップ一杯に注がれた酒を飲み干す二人の様子に、眉を寄せながらも問う。
「それで、わざわざ行きつけのここにまで出張ってきたんだ。何かあったのか?」
そう問いかけると、酒をあおり続けるフェルグス王を置いて、イエルダが頬をかきながらため息混じりに語る。
「貴様が私の通信に応えんから、こうして出てきたのだろうが」
「あー……すまない。実はこのアーティファクトの影響で魔力が封印されてる。あんたの魔法通信もそのせいで受信できてない」
「魔力を封印!? 魔王はどうなってる!?」
「声がでかいっての。魔王も俺と同じアーティファクトで魔力が封印されてる。対等な条件下じゃなきゃ、誰がこんなアーティファクトをつけるか」
「この首輪がそれか」
しげしげと顔を近づけて瞳を細めるイエルダに、アータは首もとの棘付き首輪を指差して応えた。
「その名も——」
「『いやーん私もう頑張れない』か。こんな伝説のアーティファクトを持ち出してくるとは……。ぬかったわ」
「なんか、あんたがこのアーティファクトの名前を口に出すと死にたくなるな」
鼻息荒くふんっと離れていくイエルダに肩をすくめたアータは、いまだに酒を飲み続けるフェルグス王を睨む。話を聞く気はないらしい。イエルダにちらりと視線を向けると、彼はアータの視線に応えるようにしぶしぶ語り始める。
「……聞いているとは思うが、貴様達の契約以降、確かに魔王軍は人間界から去った。だが、その影響か、もともと人間界にいた魔族や魔物が活発化してきておる。それどころか、どうにも魔界から海を渡ってこの人間界に向かってきている魔族もおる」
「魔界から海を渡ってまで? あー、確かに人魚族とはここに来る途中で遭遇したが、それは魔王軍とは違うのか?」
「いや、それも含めてだ。それも、女性魔族ばかりがこぞって群をなし、この人間界へと向かってきておる」
「……実はな」
イエルダの真剣な様子に、アータはここにくるまでの魔族の間での流行病の話、人魚族の様子、自分達が薬を持ち帰ろうとしていることをイエルダに伝えた。イエルダはこれを携えていた太い書に記し、だが、困惑したように頭をかいた。
「暴走に近い病というか」
「あぁ。一応フラガラッハでとめることはできなくはないが、できることならその薬とやらを手に入れて早々に魔界に戻りたい。どうにも狙いが俺に向いている気がするんだ」
「そうしたいのは山々だが……。その秘薬はな、王家の庭にて年に一度しか咲かぬイリアーナの花を煎じて作られる薬だ。これを求めて大勢が闘技会に出場する。おいそれとわたせん」
イエルダの言葉を反芻しながら、アータはあごに手を当てて思案する。イエルダの言葉通りなら、アンリエッタたちの言うとおり闘技会に出て優勝するしかない。
――あぁいや待て。もうひとつ別の方法があった。
「ちなみに、それだけの薬だ。明日の闘技会までは城で保管しているのか?」
「当然だ。六重の魔法結界と騎士団二十名による厳重注意の上であらゆる賊への対策をしている」
「へー」
「おい勇者。やめろよ、本当にやめろよ?」
「何もいってないだろ」
「そのにやけた面がいっておるんだ! いいな、決して今夜城に忍び込もう何ぞ考えるなよ!? あの結界、私が三日三晩寝ずにくみ上げた結界だからな!?」
「わかった。あんたの努力に敬意を持って、正門から堂々とまっすぐ行く」
「ちがうそこじゃない! 盗みに入ろうとするなばか者!」
イエルダに襟元をつかまれてガシガシと揺られるアータは、ひとしきり笑った後、冗談だといってイエルダをたしなめた。イエルダは真っ赤になった顔でアータを睨みつつも、いまだ我関せずと酒を飲み続けるフェルグス王をさめた視線で追う。その視線に気づいたアータもまた、ただ飲むことを楽しんでいるだけのフェルグス王を見て瞳を細めた。
そうしてアータは、新しく持ってこられた赤ワインの中に、机の上にあった香辛料のふたを開けて注ぐ。王の見えない位置で五本ほど香辛料を注ぎ込んだ上で、王のからになったコップに赤ワインをついだ。
これを手にした王は何の疑いもなく、
「ぶふぉッ!? っぉあああふぉ!?」
口にした赤ワインを噴出し、火を噴く勢いで椅子から転げ落ちるようにしてのた打ち回るフェルグス王の様子に、アータとイエルダは顔を見合わせ、声を押し殺して大笑いをしたーー。