第九話 イリアーナ王国国王
「以上が、首都北西部にある港の状況です。人魚族の群れに関しましては、その場で氷結魔法による足止めをかけてはいますが、あの様子だとあと数日もしないうちに首都へ到着する可能性があります」
「うむ、ご苦労だったな騎士タルタナ。しかして報告はそれだけではないのだろう?」
「はい」
そういって、玉座に座る王の前で傅きこうべを垂れていたタルタナは顔を上げた。
視線の先にいるのは、イリアーナ王国を統べる王――フェルグス・イリアーナ十三世。額に大きな傷跡を残しながらも、柔和な笑みを浮かべた温厚な王。後ろが身の跳ね上がるような黒髪と、年季を思わせる皺のよった頬。弱い六十を超えるというのに、精悍でありながら親しみやすさを残す、諸国からも一目置かれる賢王。
その横に並び立つのは、政を取り仕切る大臣の一角――イエルダ。自身もまたイリアーナ王国きっての大魔導士でもあり、脇に抱えたままの魔導書を開きながら、彼は頬をかく。フェルグス王と共に何十年もの長い月日にて、国を動かし、魔王との戦いを続けてきた年老いた大魔導士だ。
そうして、タルタナの周囲に並び立つのは王国騎士団の面々。誰もがタルタナの勇者御供に憐みの視線を向けてくるが、タルタナはこれを気にせず、王に進言する。
「首都イルナディアへの帰郷の際、アータ様と魔族の娘に会いました」
「なんと!」
玉座に座っていたフェルグス王は、タルタナの言葉に目を見開いて思わず玉座から身を乗り出した。その顔に嬉々としたものを感じたタルタナは、表情に出そうなのを堪えつつも、言葉を続ける。
「件の手紙については、事実とのこと。こたびの帰郷もまた、あの方にとっては仕事だと」
「はっはっは! このわしにあの手紙一枚で戦いの矛を収めろと。もう一年以上も続いた戦いをあんな手紙一つでか!?」
「はい。加えて、今のあの方は魔王家の執事とのこと」
タルタナの言葉に応急内のざわめきが一斉に広がる。だが、王のそばに立つイエルダは指を一振りすると、誰もが口をつぐんで次の言葉を待った。
「……騎士タルタナ。魔王と勇者は協力関係にあると?」
「いえ。あの方は魔王の指示には従っておりません。あの方はこれまで同様、ただ、己の意思のままに」
「……勇者としての自覚があるのかないのか」
深い溜息をつくイエルダの傍で、フェルグス王が声を押し殺して笑っているのに気づき、タルタナは困惑するように王に問いかけた。
「何か、おかしなことでもございますでしょうか、王……?」
「いいや、実にあやつらしい! よかろう、イエルダ。勇者が魔王との契約を行った二の月以降の魔王軍の様子は?」
「はっ。確かにそこの騎士タルタナの報告にある様に、人間界で進軍を続けていた魔王軍はすべて魔界へと引き下がっております。以降、小さな小競り合いこそあるものの、魔王軍の侵攻は止まったとみてよいでしょう」
「であれば、いいだろう。イエルダよ、各地に散らばった騎士たちは復旧作業にあてよ。こたびの休戦をもって、人間界をもとあった姿へと戻す!」
「はっ!」
恭しく頭を下げたイエルダは、傍にいた騎士団員達へと指示を出し、にわかに王宮は騒がしくなっていく。そんな中、傅いたままのタルタナは、王の視線に気づき再び頭を下げる。
「騎士タルタナよ。貴殿は引き続き、勇者の代わりを務めよ。いつ何時、新たな脅威に見舞われるかわからん。それに、人々にはまだまだ精神的主柱が必要なのだ」
「……僭越ながら、王よ。精神的な支柱という意味合いであるのであれば、それこそアータ様こそふさわしきお方かと」
そうタルタナが進言すると、王はもはやこらえきれんといった表情でその皺を伸ばすほどに大笑いする。笑い死ぬかと言わんばかりに腹を抱えて笑うフェルグス王の様子に困惑していると、王は呼吸を落ちつけながらも首を振った。
「やめておけ! 柱というのはな、支えるものだ。それをあやつに任せてみろ。柱ごと敵に向かって投げつけられるぞ!? はっはっは!」
「あー、いえ、それは……」
「言って止まる男でもあるまいさ! それに投げつけるだけで済めばいいがな! 投げつけた後は手に取り振り回し始めるに違いない!」
「…………」
タルタナが否定の言葉を探すのを諦めると、フェルグス王は拳に頬を乗せて笑みを深めた。
「故にこそ、精神的支柱にはむかん。だからこそ、あやつは勇者なのだ」
「……わかりました」
フェルグス王のその強い意味を持つ言葉にタルタナは深くお辞儀をし、立ち上がった。背後で自分を待っている仲間たちのほうに振り替えると、ずけずけと遠慮なく近寄ってきたフェルグス王が、なれなれしくタルタナの肩に腕を回す。
王の突然の行動にタルタナが恐縮に背筋を伸ばすのを見た周囲の騎士は、あぁまたかと言わんばかりのため息をついて頭を振った。
「で、で、でだ。本題はここからだタルタナ坊主。あやつ、魔族の娘を連れておったんだって?」
あまりに馴れ馴れしいその口調に、タルタナは緊張から声を震わせて自分の隣でニヤリと笑う王に視線を向ける。
「ちょ、ちょちょっと王……! あの、僕は一介のただの騎士であって……!」
「かーたいこというな。あやつに浮いた話なんぞ、昨年のわしの娘との婚姻話以来じゃないか。めんこいのか?」
「……まぁ、めんこいかなと」
「お、お? なんだなんだタルタナ坊主、お前さん、その魔族の娘っ子が気に入ったのか!? 気に入っちゃったか!?」
「き、気に入ってません! は、放してください! 僕はこれから彼らと共に、闘技会への参加登録をしに……!」
闘技会という言葉に、フェルグス王は渋々といった様子でタルタナの肩から手を放す。息も絶え絶えなタルタナは肩で息をしながらも王の前で再び姿勢を正した。そんなタルタナの様子を満足げに見ながらも、フェルグス王は顎鬚を撫でながら思い出す。
「あぁ、そういえばイエルダの命があったんだったなぁ! よし、よかろう、目一杯アピールしてくるがよい!」
「はっ! 王国騎士団団員、タルタナ・クレール、王命のため、勇者の名を闘技会で轟かせてまいります!」
「違う違う、目いっぱいその魔族の娘っ子にアピールして来いといっておる」
「王ううううううううううううううう!?」
「はっはっは!」
豪快に笑うフェルグス王の前で、タルタナは己の不運さを呪うように項垂れた。