第七話 身代わり勇者は嘆く
「あの、何かおかしなことでもしたかい、僕は?」
そういって、馬車の中で笑うアンリエッタの様子にうろたえながら、アター名乗ったその男がおもむろに馬車の中を覗き込む。そうして視線の先――馬車の中でデッキブラシ片手に座っていたアータの姿に気づき、その男はあんぐりと大口を開けた。
「お、おおおおおお、おおおお……!」
「どうも」
アータは真顔で手を振ると、アターとその背後に控えていた仲間たちがおもむろに背筋を伸ばし、バシッといわんばかりに額に手を当て敬礼。その統率された動きにアンリエッタが言葉を失っていると、アターと名乗る男が小首をかしげる商人たちに聞こえないような小さな声で、馬車の中にいるアータに声をかけた。
「アータ様じゃないですか……! 何をなさっておられるのですが、こんな大陸の辺境で……!」
「魔王の命令でな。ちょっと首都に用事があってお忍びなんだ」
「魔王の命令って……!? ちょっと待ってくださいよ、首都の騎士たちの間で広がっている、貴方と魔王が手を組んだっていう噂がホントだっていうんですか……!?」
剣幕強く攻めよってくるアターという男の様子に、アータはアンリエッタに視線で訴えた。この視線の意味に気づくアンリエッタは、ふくれっ面のまま渋々と馬車の外にいる商人や勇者の仲間に話しかける。
「すみません、勇者様がお話があるようで、少し中でお話しさせていただきます。皆さま、本当に護衛ありがとうございます」
「あ、あぁ。あの伝説の勇者様の願いとあっちゃ仕方がないね。みなさん、護衛お任せしますよ」
頷く戦士や僧侶の姿に、商人は渋々といった形ながらも了承し、馬車は三人を乗せて再び走り出した。
◇◆◇◆
「そういうわけで、俺は今魔王家で執事をやっている」
「すみません理解できません」
「理解できないんだってさ、アン」
「私に振らないでくれませんか。というか、まず貴方たちがどういう関係なのかまず私に説明してください」
馬車の中で向き合って座るアータとアターと名乗る男を見比べたアンリエッタが、居住まいを正して視線をきつくする。彼女の視線に気づいた男のほうは罰悪く頬をかき、アータのほうは別段気にもしないといった様子で事情を語った。
「こいつはな、今向かっているイリアーナ王国の騎士なんだよ」
「……改めてご挨拶を。僕はイリアーナ王国騎士団、タルタナ・クレールと申します。今はその……、王の命でアータ様の影武者をやらせていただいています」
「影武者です?」
アターもとい、タルタナと名乗った男は渋々といった様子で頷いた。そんなタルタナに助け舟を出すように、アータはアンリエッタに話を続ける。
「それがたとえ平和のためとしても、勇者が魔王につく、なんて大々的に言えないだろう。だから、魔王家に行く前に騎士を通して王に依頼をしていただけだ。代理の勇者を立てておいてくれって」
「代理の勇者って……。貴方、魔王様並みに無茶苦茶やりますよね」
アンリエッタが呆れかえったようにため息をつくと、それに続く様にしてタルタナはアータに指を突き付けて口早に攻め立てた。
「そうですよ! 大体ですね、王に向かって手紙一つで身代わり頼むって馬鹿ですか貴方は!? それもよりによって魔王の執事になるから!? あの日一日だけで、国が亡ぶかもしれないといわんばかりの大混乱ですよ、城の中は!」
「いやでも事実だし。魔王連れて城に行くわけにもいかないだろ?」
「それは、そうですが! そこじゃないんですよ貴方はいつも! 用件だけ済ませてこっちの話聞かないでしょうが! お陰でせっかくの自慢の金髪も黒に染められ、こんな趣味じゃない純白の鎧着せられ、城を追い出されて三人の部下と共に野宿をしながらの勇者生活……! 貴方に僕の苦しみがわかりますか!?」
「野宿楽しいよな。この辺りだと野兎が取れるし、林を抜けた奥には泉もあって飲み物に困らないし。泉に住むナイフシャークがまた、丸焼きにすると美味しいんだよな」
「野宿の話じゃないんですよ!」
「髪のほう?」
「そっちはもっと違いますよ!」
鼻息荒く詰めよるタルタナの額を小突いて落ち着かせる。アータの迷いのない様子に、タルタナは深い溜息をつきながらもアータの傍で背筋を伸ばして座るアンリエッタに視線を移した。
「アータ様の話を聞く限り貴方……魔族ですね?」
「えぇ。魔王家のメイド長をしています、アンリエッタと申します」
「本来の立場であれば、今すぐにでもここで貴方を切り捨てるために僕は剣を振るいます。ですが、アータ様と貴方の様子を見る限り、別に攻め入ろうとしているようではないみたいですが……。いったい何のつもりで首都へ?」
発せられる魔力が敵意のそれになるのに気づくアンリエッタは、隣に座るアータをにらみつけながらもタルタナの問に答えた。
「薬を手に入れるために。大陸最大の商業都市でもある首都イルナディアにあるとある薬を探しに来ました」
「薬……? 魔族に効くような薬があるとは思いませんが」
「当然です。魔族ではないものに使うために探しに来たんですから」
怪訝な視線を向けるタルタナに、アンリエッタは笑みを崩さないままに応えた。その答えにタルタナは特に問い詰めるでもなく、頷いた。
「わかりました。見たところ変身魔法で人の姿になっていますし、事情は僕のほうからも城の騎士たちに伝えておきます」
「あぁ、助かる」
「でもアータ様、貴方には個別に言いたいことがいっぱいなのでちょっとついてきてください」
「わかったよ。髪の色を落とす特殊な花のある場所が知りたいんだろ。教えるよ」
「違いますよ! いいからこっち、きてください!」
怒鳴りつけてくるタルタナに引きずられるようにして、アータはデッキブラシを背に携え、馬車を出た。商人たちに少し寄り道をしてくると一言だけ伝えたタルタナとアータは、一行から少し距離を話した街道のはずれへと出ていった。
そうして十分に商人一行から距離を取ったところで、アータとタルタナは向かい合って話し始める。
「それで、俺だけを呼び出したからには理由があるんだろう?」
「……まず確認させてください。アータ様、本当にあなたは魔王の配下に……?」
小さな声とすがるような表情でタルタナがこちらを見ているのに気づき、アータは肩を竦めて笑う。
「配下になったつもりはない。魔王の命令に従ったこともないしな」
「……魔王との和平の話というのについては?」
「そっちも事実だ。お互いで突きつけた条件を守る限り、あいつは人間界を襲わないし、俺も魔界を攻めない。逆に聞くが、あの戦い以降の人間界の様子はどうなってるんだ?」
アータの問いかけに、タルタナは顎に手を当てて覆いだすようにして語った。
「あの戦い以降であれば、確かに四神将の軍団も大陸を去っていますね。小競り合いこそありますが、どちらかというと野良の相手をする時間が増えたぐらいです。まぁ、だから僕や他の影武者だけで守ることができているわけですが」
「つまり、一応は魔王もこちらの約束を守ってるっていうことだな」
「ただ……」
タルタナの声が低くなる。その様子を怪訝に思ったアータは、視線でタルタナに話の続きを促す。
「海を渡ってやってくる魔族が増えているという話を耳にしています。それもつい最近に入ってから特に。実を言うと、僕らがここに派遣されたのもそれが原因なんです」
「海を渡る魔族……?」
「えぇ、まぁ。ここに来る前にも港についてから近郊の浜辺を見てきたのですが、酷い有様でした。沖には人魚族の群れが血眼で何かを探しており、今にも上陸せんとしていましたよ。足止めをしておきましたが、向かう先がどうにも首都のようで……」
「へー。首都に向かって人魚族がねぇ」
「はい。それに、浜辺にはまるで大乱闘のあとのような荒れ具合も見えて。浜辺に落ちた鱗の様子などからも、あそこで一度人魚族と何かが争ったのではないかと。海辺で人魚族の群れを相手にするようなとんでもない化け物が、おそらくこの地域に潜伏しているんですよ」
「へー」
真剣な様子のタルタナから視線を外すと、彼の背後から飛び込んできていた生き残りのウルフの姿に気づく。タルタナはこれに気づいていない。仕方なく、アータは黙ってタルタナの頭にデッキブラシを振り下ろした。
んごっという悲鳴と共にタルタナが頭を押さえて蹲り、飛び込んできていたウルフはそのままアータの目の前で大口を開いたまま――、
「ぎゃうん!?」
空いた手で、ウルフの鼻頭を指で弾く。そうして情けない悲鳴を上げたウルフはそのまま超速回転しながら空に飛んでいき、しばらくして離れた林の中に落ちた。これを痛む頭を押さえたままに見送ったタルタナは、視線を細めたままに乾いた笑い声をあげる。
そうして、傍でポリポリと頬をかくアータを見上げ、タルタナは静かに尋ねた。
「あの……聞きますがアータ様」
「じゃあ戻るよ俺」
「聞きますがって言ってますよね!? っていうかもうぶっちゃけ言いますが、浜辺で人魚族のしたのって貴方ですか!?」
「のしたっていうか、投げた」
「貴方はあああ! ちゃんと報告くださいよ、そうすればわざわざ徹夜でこんなところまで来なくて済んだんですから!」
「いや、むしろアレだけ派手にやっておけば、様子を見に来るだろうなぁと」
ぴたりと止まったタルタナは、アータの襟元を掴んで詰め寄った。その瞳に涙をためて。
「あの、念のため聞きますよアータ様。貴方もしかして、僕らをここに寄越す為にあんな派手なことしたんですか? 報告に来るんじゃなくて、報告を受けさせるために、そんなことしたんじゃないですよね?」
否定も肯定もしないアータの笑顔の前に、タルタナは地面に両手をついて倒れ、本来取るはずだった休み返上の旅路を呪った――。