第六話 人間界の勇者の力は
「ひぃ!?」
馬車の外から聞こえてきた息を飲むような悲鳴に、談笑をしていたアータとアンリエッタはお互いに顔を見合わせ、外の様子を伺った。そうして目に映ったのは、馬車と行商の面々を囲んだウルフたちの姿。
いくら魔王クラウスが人間界への侵攻を取りやめたところで、人間界で生息している魔物達のすべてを押さえているわけではない。とりわけ、もとから人間界に生息する魔物はこうして時折人間を襲いにかかるのだ。
「アータ様」
「いや、ちょっと待て」
魔法を唱えかけていたアンリエッタを片手で制し、アータは馬車の背後から飛び込んできた黒い影に気づく。この陰に驚くアンリエッタや行商人たちをよそに、アータは目を細めてその姿を確認し、自身もデッキブラシへ伸ばしていた手を収めた。
そうして誰もが驚きを隠せないまま現れたその影は、馬車を飛び越え、商人とウルフたちの間に着地する。
「どうにか間に合ったみたいだね」
その場に影の声が響く。その声はローレライの歌声の如く透き通り、あたりにいた誰もの耳を虜にした。影はその場の誰をもの視線を浴びながらも、羽織っていた黒い外套を脱ぎ去り、純白の鎧をまとった姿をさらす。
軽さを重視したような軽装。だがしかし、一目で豪華とわかる純白の汚れのない鎧。腰に携えるは細身のレイピア。肩まで延びる黒髪を後ろでまとめ、切れ長の視線は油断なくウルフたちをにらみつける。身長こそそれほど高くはないが、その男はレイピアを抜きながらも商人たちの馬車を手で制して語る。
「港から首都へ戻る最中でこんなウルフたちの群れに遭遇するなんて。でももう大丈夫、僕たちが来た」
おおっと商人たちの歓声が上がる中、最も馬車に近かったウルフが雄たけびと共にその男に向かってとびっかった。男は手にしていたレイピアで器用にウルフの突撃をいなすと、そのまま片腕で剣指を描き、呪文を唱える。そうして空いた手に現れたのは、短いながらも冷気を宿した氷の槍。
誰かさんに似たその構成された氷の槍を見たアータとアンリエッタは顔を見合わせ、その男の一挙手一投足に集中した。
「氷結の槍!」
『ぎゃう!?』
その男は手にした氷の槍でウルフの胴を一突きにすると、ウルフは悲鳴を上げてその場で氷の彫像へと変わっていった。再び居合わせた商人たちの歓声に包まれるその場で、男はレイピアと氷の槍を構えたまま、白い歯を輝かせる。そうしてまた商人たちが歓声を上げた。
これを馬車の中から見るアンリエッタは、しかめっ面を強め、なんですかあんなのがいいんですかと言わんばかりの信じられないものを見る目で、アータを見つめた。この視線に肩をすくませたアータは、何とはなしに事情を察して馬車の中で寛ぐ。
そうこうするうちに、アンリエッタがバカバカしいと見つめる視線の先で、男の仲間たちが姿を現した。
飛び込んできたウルフを踏みつけるようにして現れたのは、筋骨隆々の斧を担いだ戦士。
馬にかみつこうとしたウルフを燃やし尽くしたのは、派手な赤い魔法衣を羽織った女性魔法使い。
戦闘の余波で切り傷をした商人に回復魔法を唱えるのは、白いローブに身を包んだ年老いた聖職者。
最初に飛び込んできた男を含めたその四人組は、商人たちの喝采を浴びながら背中を合わせてウルフたちに向かい合った。
「さぁ、いくぞみんな!」
男の掛け声に、彼らはおうっと叫び、ウルフたちの群れへと飛び込んでいく。
その姿を物珍しそうに馬車の中から眺めていたアンリエッタは、くつろぐアータを手招きし、語った。
「アータ様。あれが仲間ってやつです。得手不得手は互いに補い合い、足りないものを補完する関係。あの人たちのあの、なんていうかあぁいうあの感じはアレですが、あれを見れば、なぜ貴方に仲間がいないかよくわかります」
アンリエッタの言葉に、アータもまた彼らの姿を見つめながら頷いた。
「あぁ。うねり声で互いの飛び込むタイミングを計りながらも、常に相手の背後に回ってからとびかかる姿勢。回復役から集中して狙うその統率された動き。仲間がやられても、目的のためには非情に徹するあの気骨。あのウルフたち、結構やるぞ」
「ちがいますそこじゃないです。なんでウルフ目線なんですか。人間目線どこ行ったですか!?」
「いや、なんていうか何度も見たことあるからさ俺」
「え、お知り合いですか?」
「知り合いっていうか……人気のあるほうの、俺?」
「へ?」
小首をかしげるアンリエッタをよそに、四人組は見事なコンビネーションでウルフの群れに襲われていた商人たちをかばいながらも、ウルフの群れに引けを取らない戦いを続けていく。切り込む男と、それを援護する魔法使い。体を張ってウルフたちの注意を引き付ける戦士と、それを回復する聖職者。
気づけば劣勢となったウルフたちは、傷ついた仲間を背に乗せながら、じりじりと四人組達と距離を取っていた。
だがそんなとき、四人組達の中から先ほどの純白の鎧の男だけが一歩前に出て、レイピアを天にかざす。
「逃がしてなるものか! 我が声に応えよ、フラガッハ!」
男が掲げたレイピアに高度な魔力が集中していく。輝きを増すそのレイピアを構えた男は、ウルフたちに向かって蓄えた魔力と共にその剣を振り下ろす。
その先で何が起きるのか理解したウルフたちは、慌てて背を向けて逃げ出した。だが、
「氷結の、世界!」
次の瞬間、男が手にしていたレイピアから極低温の魔力が放たれた。放たれた魔法は周囲を野を凍結しながら、逃げ出したウルフたちを巻き込んで氷の彫像へと変えていく。瞬く間に、商人たちのいたその場を残して周囲数十メートルに氷の壁が出来上がってしまった。
その氷結魔法の威力に、商人たちは興奮抑えられずに叫びに沸く。魔法を放ったその男は、フラガッハと呼んだ自身のレイピアを腰に収め、仲間たちに声を掛け合って商人たちへと手を振った。
そうして聞こえてくる再びの歓声。
「あの、アータ様? あれって……。っていうか、フラガッハって……」
「見ればわかるだろ? っていうか、どうせすぐわかるよ」
『あーたん、わたくし様ファッキンしていいんですの!?』
「お前は黙ってろフラガラッハ。話が面倒になる」
デッキブラシを背中の後ろに押し込み、アータは馬車の傍へと近寄ってきた男たちの姿に視線を戻した。視線の先にいる男は、柔らかな笑顔で馬車の中にいたアンリエッタとアータに声をかけてきた。
「やぁ、無事だったかい? 災難だったね君たちも」
「えぇ、まぁ」
アンリエッタが笑顔で応える。さすが魔王家のメイド長。見知らぬだれかだろうと一歩引いた笑顔は崩さない。
そして、そんなアンリエッタの様子にその男はわずかに驚きつつも、人の姿のアンリエッタの白い手を取り、その手の甲に口づけをした。
「――――」
一瞬だけアンリエッタの顔が引きつったが、アータは助け船も出さずに黙って彼らとアンリエッタの様子を冷ややかに眺める。だが、そんなアンリエッタの様子にさえ気づかないその男は、仲間たちのやれやれといった視線に不敵な笑みを返しながらも、アンリエッタに自慢げに語る。
「もう心配ないさ。ここから先は僕らが君たちの護衛になろう。たとえ魔王が来ても止めて見せるさ、僕ならね」
そういって自信満々に笑うその男は、アンリエッタから手を放して力強く拳を握った。そんな男から距離を取りながらも、冷ややかな笑顔のアンリエッタが核心を問いかける。
「あの、それで貴方は?」
「僕かい? 僕の名はアター。アター・クリス・クレール。人呼んで、最強勇者さ」
自慢げに胸を張って応えた最強勇者――アターの宣言に、アータは思わず顔をそらして噴出しかけた口元を押さえる。
その傍で平静を装ったアンリエッタの背中が、爆笑をこらえて震えていたのに気づいたアータは、その背にとどめの一言をかけた。
「いっただろ、人気のあるほうの俺だって」
アータのその一言に、ようやくことを理解したアンリエッタは、困惑するアターに背を向けて失笑を堪えるべく両手で必死に口元を抑えた――。




