第四話 人魚の伝説は投擲と共に
「助けてくれてありがとうございますわ」
「いえいえこちらこそ、アータ様がご迷惑おかけして申し訳ございません」
火の傍で暖を取りながら、お互いに頭を下げるアンリエッタと金髪人魚を脇に、アータは改めてその人魚の姿を見る。
腰まで延びる金色の美しい髪の毛。深いエメラルドの瞳は、僅かに吊り上がり、性格のきつささえ感じさせる。元が人魚族であり、水の中で暮らすことから、彼女の着ている召し物はひどく簡易。質素な麻だけで作られたシャツにを着るだけで、下は魚のソレ。
そんなアータとアンリエッタの視線に気づいたその金髪人魚は、居住まいを正しながら胸元に手を当て、名乗りを上げた。
「わらわは、誇り高き人魚族のフラウ・フランソワ・アルフレーラ」
「フラウ様ですか。私はアンリエッタです。魔王家でメイド長をしています。」
「アン――なんですの?」
「アンリエッタ、です」
「アンさんですわね。先ほどは助けていただいて助かりましたわ」
「あのちょっと。わざとですかそれ、わざとじゃないんですか?」
挨拶をしようとしていたアンリエッタが笑顔を引きつらせる。その額に浮かぶ青筋を冷ややかに眺めたアータは、傍に突き刺していたデッキブラシを静かに脇に抱えてフラウと名乗った人魚に戻す。
「勇者様よ、本題ですけれど、わらわを娶ってくれませんか?」
「だってさ、アン」
「そこで私に振らないでください。今私、自分の名前をどうやってアピールするか考えてるんです」
ブツブツと小声で対策を練るアンリエッタをよそに、アータは視線を細めてフラウに問いかけた。
「で、その理由は何?」
「決まっていますわ。魔界と人間界に名高い最強勇者のアーホを嫁に取ったとあれば、人魚族のわらわの立場も急上昇ですの」
「あれ、てっきりしゃべり方とかから、すごく気高い血筋の人魚族かと思ってたんですが、違うんです?」
「没落人魚ですわ……。どこぞのアホ勇者に魔王城を潰され、そこでナクア様のもとで働いていた父と母は職を失い、路頭に迷い……。毎日毎日ほかの人魚達に虐められる毎日。耐えに耐え、その現状を変えるためにこそわらわは……!」
「それは……苦労されたんですね、フラウ様。私も魔王城がここにいるクソ勇者に潰されてからというもの、あのような小さな屋敷でサリーナお嬢様の成長だけを楽しみにする生活……! そこにこの投擲勇者が来てからというもの、毎日の突っ込みにのどが潰されて……」
「アンさん!」
「フラウ様!」
「アータだからな、一応言っとくけども」
何やら新しい友情の生まれたらしい二人が抱き合って互いの傷をなめ合う。彼女たちの仲睦まじい様子を冷めた視線で見つめながらも、アータは傍に突き刺していたデッキブラシに小声で問いかける。
「なぁ相棒。こいつ、いつの間にかある程度の理性戻っているよな」
『多分、浄化作用が働いたんですの。あーたん、一撃かましたんですの』
「あー、つまり流行り病もお前で一撃決め込めば解呪できるってことなのか」
『保証は出来かねますの。そもそも流行り病の原因とその症状がいまいちわたくし様もわかってないんですの』
「…………」
フラガラッハの答えにアータは眉間をもみながら考える。
女性魔族にて特に激しく流行し、その病に侵されたものは理性を失う。だが、理性を失ってもどうにも自分を襲う気配がある。
そして、アンリエッタの言うには、そんな病に侵された相手は圧倒的な力で倒してはいけない。そんなことをするとさらに力を増して襲い掛かってくるというのだ。
「……なんにせよ、対策は多くなさそうだ。ついでに言うと、病にかかるきっかけもよくわからない」
『わたくし様はなんとなーく、原因がわかる気がするんですの』
「わかってるなら教えろよ」
『わたくし様を燃やした罰なんですの』
それっきり黙ってしまったフラガラッハの様子に肩を竦めながら、アータはアンリエッタ達の話を聞き流しながら木の実を齧る。だが、これに目ざとく気づいたアンリエッタは瞳を細め、フラウとともにアータをにらみつけてきた。
「あの、何我関せずと木の実食べてるんですか貴方は。基本的には全部あなたのせいなんですが?」
「あ、ごめん。お前らも食べたかった?」
「そこじゃありません! なんでそう人の話を聞き流すんですか貴方は!」
「あ、ようやく気付いた? そう。聞いてないんじゃなくて大体聞き流してるんだよ」
「余計たちが悪いって事実に気づいてます!?」
「ところで、フラウ・フランソワ・アルフレーラだっけ」
なぜまた聞かないのかと詰め寄ってくるアンリエッタを片手で押し返しながらも、アータは決意強くこちらを見上げているフラウに視線を向けた。彼女はアータの視線の先で鼻息荒く頷く。
「娶ってくれる決意がつきましたの!?」
「いやまったく。それより、乾かないのかそれ」
アータはそういって、フラウの下半身を指さした。
陸に上がってかなり立つというのに、彼女の下半身は潤ったままで、砂浜にあってさえその潤いを失わない。
「あぁこれですか。人魚族というのは、下半身の潤いがなくなると石像になりますの。ですから、海を上がるときは魔法を使って潤い確保ですわ」
「へー。で、どれぐらいもつんだ?」
「ずけずけ聞いてきますわね勇者様……。まぁいいけれども、わらわの魔力ではせいぜい一刻程度で――」
自慢げに語ろうと指を立てたフラウが、アンリエッタとアータの目の前でその場に崩れ落ちた。
どうしたのかとアンリエッタとアータがのぞき込むと、彼女の身体がメキメキと音を立てながら白く硬質化していく。もがき苦しむその人魚の尾ひれや指先から徐々に白く、硬く石造のようになっていく様を見ながら、慌てるアンリエッタをよそにアータは腕を組んで頷いた。
「ちょっと、大丈夫ですかこれ!? このまま石像化しちゃいますかこれ!?」
「なるほど。魔法が切れるとこんな感じになるのか。勉強になった」
「た、たたたたた、おたすけ――」
助けてくれと懇願するフラウの姿に、アンリエッタが彼女の身体を抱き上げながらアータに詰め寄った。
「アータ様! すぐに、今すぐにこの子に潤いを……!」
「いやちょっと待て。硬質化の最中に下手に動かすと割れ――ほら割れた」
「いぎゃああああああ!」
「まぁ冗談だけど」
「空気! 今のこの場の空気読んでください! ほらほらほらほら、もう半分以上固まってます! このままじゃ石像になっちゃいます!」
「ちょっと待て。固まり切る前にポーズとらせるから。こう、背中をそらせて逆エビバウアーってのはどうかな」
「あらやだちょっと芸術的……って違います!」
頭をしばかれたアータは、仕方なくアンリエッタの支えるフラウを抱きかかえあげて、そのまま海辺に向かっていく。そうして足首まで波が届く位置に来たところで、アータは腕の中で抱いていたフラウを落とそうとする。しかし、フラウはこれに首を振った。
「だめですわ……! もう少、し、全身が浸かるところまで……! こんな浅瀬じゃ、満足できないんですの……!」
「深いところでいいのか?」
「お願いします……!」
「アータ様、早く早く!」
涙目になって必死に懇願するフラウと、背後の砂浜から手を振って応援してくるアンリエッタの声に、深い溜息をつく。そうしてアータは、抱きかかえたフラウを右脇のほうに抱えなおしながら、一歩二歩とわずかに下がり、
「よいしょっと」
――ぶうぅん!
「へ?」
「ちょっとぉおおお!?」
何が起きたのか理解できないままのフラウは、アータとアンリエッタを真顔で見つめたまま、水平線の果てに消えって行った。
その姿を最後まで見送り、遥か彼方の水平線の先で海に落ちたのを見送ったアータは、やり切ったといわんばかりに満足げに頷き――背後から飛んできたデッキブラシが頭に当たって振り返る。
「痛いじゃないか」
「何やってるんですかこの投擲勇者! 誰があそこまで全力で投げろと!?」
「いや、だって深いところがいいって言ってただろ。それに別に全力ってわけじゃないぞ。ちゃんと手加減して投げた」
「そこ問題じゃないです! 貴方の馬鹿げた力で投げられたら無事で済むわけないでしょう!?」
「石とか木じゃないからいいんじゃないのか?」
「いい悪いはそこじゃありませんから!」
自分が濡れるのも気にせずに詰め寄ってきて怒鳴りつけてくるアンリエッタに、もはやお約束だなと思いながらも、アータは水平線の先を睨む。
その視線の先では、フラウが海面に落ち、頭を出してこちらに向かって舌打ちをしていた。
人魚族の結婚の儀。それは生涯を誓う異性と共に海の深く深く先まで潜っていくこと。
人間界の漁師の中でよく語られる話だ。浜辺に打ち上げられた人魚のその身が石に代わるとき、心優しき青年は人魚を海に帰そうとし――そのまま海に引きずり込まれて戻ってこなかったという。いわゆる人魚伝説。
これを知っていたアータは、遥か水平線の向こうであと少しだったのにと叫ぶフラウの姿にいびつな笑みを返し、肩を竦めた。
「ま、これで娶ってくれ云々は諦めるだろ」
そういってアータが海から出てくると、アンリエッタが深く項垂れたままこちらを睨む。
「知ってたんですか、人魚族の伝説?」
「当たり前だろ。人間界では割と有名な伝説だぞ。人魚を助けたら海に引きずり込まれるって」
「せっかくフラウ様の策に協力したのに……骨折り損の突っ込み儲けじゃないですか」
「残念だったな」
「誰のせいですか、誰の!」
深い溜息をつくアンリエッタに満面の笑みを返し、アータはそのまま黙って浜から出た。そのまま火の元まで近づいていくと、乱暴に砂をかけて火を消す。これを追ってきたアンリエッタは、アータの行動に眉を寄せながら問い詰めた。
「あの、いきなり何やってるんですか。今日はここで休むって言ってましたよね?」
「そのつもりだった。けど、海の上で俺たちを襲った人魚の群れが既に沖合にいる。早いところここを離れよう」
「沖合って……え、じゃあさっきのフラウさんは?」
「今沖合で仲間たちに抜け駆けするなって追いかけまわされてる。しばらくしたらこっちに矛先が向くぞ」
「……あの、沖合に人魚の群れがいるのいつから気づいてたんですか?」
何かを言いたたげに呆然とするアンリエッタを訝しみながらも、アータは手近にあった荷物袋にいくつかの食糧をまとめて抱える。そうして、アータは振り返ってアンリエッタの問に答えた。
「お前とフラウが寝ている間に二十回ほど襲ってきたから、全員沖に投げ飛ばしておいた。大丈夫、船の上じゃないから、思いっきりやっておいた」
アータの満面の笑顔の前に、アンリエッタは頬を引きつらせて乾いた笑い声をあげた――。
今週末から来週末にかけて仕事の繁忙期に入るため、
1回あたりの更新を2500~3000文字程度に変更させていただこうかと思います…!
一話当たりのボリュームが少なくなってしまいますが、
今のほうが読みやすいや、文字数多いほうが読みごたえがあるなどあればご感想いただけると幸いです。