エピローグ 犯した罰には相応の罪を
『わたくし様、ファッキンなんですの、あーたん』
「今回ばっかりは俺もファッキンだよくそう」
ケルベロス小屋の傍にある犬小屋の前で座り込んだアータは、目の前に突き刺しているデッキブラシとともに項垂れた。
頭にかみついて離れないオルトロス――ルトが、がじがじと頭背中をひっかいてくるが、そんなことを意にも介さずアータは棘付き首輪をつつきながらため息をつく。
「再生機能があるとは正直思ってなかった。というか、思わないようにしてた。幸か不幸か、魔王の首輪も再生したからよかったものの……」
『あーたん。わたくし様もちゃんと再生機能ついているんですの』
「そうなんだよ、おまえにも再生機能あるのに、同じアーティファクトのこいつに再生機能がないって思い込んでたのが間違いだった」
フラガラッハが語る様に、アーティファクトにはある程度の再生機能がある。フラガラッハ自身もこうしてただいまデッキブラシの姿になっているとはいえ、折れてもすぐに元に戻る。汚れもすぐに落ちる。フラガラッハがそうであるように、この首輪も同じ機能を持っていただけ。
「はぁ……」
『はぁ……』
二人して溜息をついてみるが、既に夜更けが近い。
完全凍結させていた光の巨神は、既に粉砕して細かな魔力へと分解し、荒れ果てた周囲の大陸の大地へと返した。魔族が多く住むこの大陸の土壌は、もともと魔力を受けて生い茂る傾向にあり、巨神の魔力は文字通り大陸を豊かに作り直している。というよりも、巨神のいた前後で死の森の木々の成長度合いがまるっきり違う。
それまで森だった気がするものは、既にジャングルと言っても相違ないレベルでその薄気味悪さを取り戻しつつある。
凍り付いていた大地も、四神将率いるエルフの奴隷たちによって、寝ずの強制魔法稼働により元の姿をほぼ取り戻していた。
明るくなり始めた空に背伸びをして深呼吸したアータは、小屋に向かって空から降りてくる赤髪メイドの姿に気づく。
「アータ様! 何ぼけっとしてらっしゃるんですか、朝の一大事です。すぐにお嬢様の寝室に来てください」
「今日は一人で起きられたのか?」
「違います。屋敷の使用人たちと魔王様で話し合って決めました。サリーナ様の朝のあれは、今後アータ様の対応とします」
「あー……」
乾いた笑い声をあげると、屋敷の中から大音量の泣き声が轟いてきた。毎朝恒例、サリーナの癇癪祭だ。アータ自身は大して気にも留めないが、魔族にはどうにも呪いの叫びに聞こえるらしく、宙に浮いていたアンリエッタも耳を押さえてぼてっと地面に落ちて呻き始める。
「あの泣き声に、魔族にだけ効果のあるお祈りでもはいってるのか?」
「ば、ばか、言ってない……で、は、ははははやくあれを、止めって……ください!」
「……」
「ちょっと、どこをつついて……!? や、やめてください! 羽の付け根は、付け根はやめてください!」
デッキブラシの柄で地面に蹲ったアンリエッタの羽をつつきながら、アータは頭にかみついているルトを引きはがし、アンリエッタの背中に乗せた。素直にアンリエッタの背中に降りたルトが、ぶるっと身を震わせるのに気づき、アータは鼻をつまみながら魔王家を見上げる。
「さて、寝起きのお仕事と参りますか」
「アータ様ァ! ちょっと、背中があったかいんですが何してくれてるんですか!? ねぇ聞いてます!? メイド服の着替えもうこれしかないんですよねぇ!?」
もがきながらも叫ぶアンリエッタとその背で恍惚な表情を見せるルトを置いて、アータはサリーナを起こすため屋敷の中に向かっていった。
◇◆◇◆
「おはようございます、お嬢様」
「う、にゅ? おお、おはようなのじゃアータ」
部屋の中で泣き叫んでいたサリーナを、昨日の朝そうしたように頭で撫で上げて起こしたアータは、部屋の外からこっそりと様子を除く使用人一同に向かってもう大丈夫と頷いた。視線の先の使用人たちはほっと一息をつきながらそれぞれが屋敷の仕事に戻っていく。
昨日あれだけの騒ぎに巻き込まれてなお、毎日のルーチンを続ける彼らの姿に、アータは一種の尊敬すら覚えてしまった。
「のうのうアータ」
「なんですか、お嬢様?」
ベッドの上でにこやかに笑うサリーナを見て、アータは思わず息を飲む。差し込む光は彼女の白銀の長い髪を輝かせ、ほほ笑む彼女はどこか大人びてさえ見える。
「楽しかったのぅ昨日は! お主と四神将の執事対決! 超見ものだったのじゃ!」
「え、あぁそうですか。からまれるこっちは大変でしたけどね」
「それにそれに、アンリエッタも昨日はすごく楽しそうじゃったんじゃぞ! あんなに大声出して叫ぶアンリエッタをわし、生まれてから初めて見たのじゃ!」
「俺の中では割としょっちゅう叫んでる印象になってますけどね、アンは」
足りない胸の前でガッツポーズをしながら両足をじたばたさせるサリーナは、そのままベッドから飛び降り、近くにある備え付けの机に駆け出した。その背を視線でだけ追うアータは、彼女が引き出しの中から取り出した、鍵の壊れた黒い背表紙の日記を目にする。
「それが先日魔王やアンが言ってた日記ですか?」
思わず問いかけると、サリーナはほんのり頬を染めながら唇を尖らせ、アータに向かって細い視線を向ける。
「いくら専属執事とはいえ、これの中身だけは見せんのじゃぞ!?」
「えぇわかってます」
もう見ましたから、とはさすがに言えない。だが、そんなアータの視線から日記を隠すようにして、サリーナは机に向かって日記をつけ始めた。昨日は屋敷が元に戻ってからすぐに疲れて寝てしまった彼女なりに、昨日のことを楽し気に書き記しているのだろう。
そんなサリーナの邪魔をしないよう、アータはベッドの傍にかけてあった彼女の召し物を手に取り、ベッドに乗せておく。後でどうせアンリエッタがサリーナの着替えを手伝うだろうから。
そして、ほかの召使たちに渡されていたサリーナお気に入りの紅茶をカップに注ぎ、アータは寝癖もそのままのサリーナに声をかけた。
「お嬢様。とりあえずもう起きたんですし、先に飲み物でも飲んで一息つきませんか?」
「うむ! でもあとちょっと、あとちょっとなのじゃ!」
そういって彼女はうおおおおっと叫びながら日記に筆を走らせていく。年頃の娘がその掛け声と勢いで日記をつけるのはどうなんだと笑いながらも、アータはサリーナの小さな背に問いかけた。
「お嬢様。ひとつ聞いてもいいですか?」
「なんじゃ!」
背を向けたまま応えるサリーナに、アータは瞳を閉じて問う。
「どうして、勇者執事がほしいと思ったんですか」
「…………」
アータの問いに、サリーナはすぐには応えなかった。しばらくの間は彼女は黙って日記に筆を走らせていく。その様子を特に気にもせず、答えがほしかったわけでもないアータは紅茶の入れたカップを机に置き、サリーナの部屋の扉に向かった。
その扉を開けて、そろそろ次の仕事に向かうかと気持ちを切り替えようとしていた時、おもむろに振り返ったサリーナはアータの背に答えを返す。
「対等でいる相手がほしかったのじゃ」
誰にとってのか、と。問いかけようとした言葉を飲み込んだアータは、扉に手をかけたまま振り返って笑顔を返す。
「俺とお嬢様は対等ですかね」
「対等じゃもーん!」
執事とお嬢様なのにですかと苦笑すると、サリーナは頬を膨らませて不満げに居座りを正した。だが、ふっと息を吐き出した彼女はてくてくとアータの傍に誓ってよくると、その執事服をつまんで引っ張る。
「アータ。いつか、わしを人間界に連れて行ってほしいのじゃ」
「人間界に?」
「うむ! 父上殿とお主が争いをやめたのだ! わしら魔族と人間という大きな枠組みも、一緒に笑えるはずじゃ!」
「……わかりました。その時が来たら、俺が案内しますよ」
「約束じゃからの!」
そういって再びベッドに飛び込んでいったサリーナの様子を見ながらも、アータは失礼しますとだけ言い残して部屋を出た。
だが、部屋を出た先の廊下に、壁に背を預けて腕を組んでいた魔王クラウスの姿を見つけ、アータは眉を顰める。
「おいこの軽はずみ勇者。ついてこい」
「うるさい覗き見魔王」
にらみ合いながらも、アータは魔王クラウスにつれられるようにして屋敷の外に出た――。
◇◆◇◆
「はなせ、はなせ貴様ら! 私をエルフの王エルニアと知ってこの仕打ちとは何たる――ひぃ!?」
「姿が見えないと思ったらこんなところにいたのか」
死の森にてバケツ一杯に臭いのきついスライムを集めて魔王に案内されたのは、生い茂ったジャングルと化した死の森の奥深くにある磔場だった。そこにいたのは、両手両足、首に胴を十字架に縄で括りつけられたエルニアの姿だ。昨日着ていたきらびやかな魔法衣は既に脱がされ、エルニアは下着一枚の姿で張り付けられている。
周囲には今にもエルニアを食わんとする魔獣たちが集まってきており、そんな魔獣たちを下がらせながらも魔王とアータはエルニアの前に立った。
「随分と滑稽な姿だなエルフの王」
「腐れ魔王貴様! エルフ族の皆に何をした!?」
「もとはといえば貴様らが先に手を出してきたんだろうに何を偉そうな。貴様の部下達なら、今頃ドラゴニスとナクアの元でこき使われてるだろうよ」
魔王が淡々と答える姿に、アータは瞳を細めてあーと天を仰いだ。どっちも肉体的な意味合いですぐに手を出す変態どもだ。敗北したエルフたちの成れの果てを想像し、アータは肩を竦める。いずれも、絞りつくされるのだろう。
アータがあきれたようにため息をつくのを見た魔王は、口元を歪めてエルニアを見つめながら答えた。
「と、言うのは冗談でな。エルフ族の連中なら森を直させた後に解放している」
「なん、だと……!?」
「心当たりが多いんじゃないか、なぁエルフの自称王様よ」
「うぐっ……!」
顔を顰めるエルニアのその表情は、もはや年老いたエルフのソレでしかない。覇気も何もないただの老人のソレだ。だが、魔王の言葉に引っ掛かりを感じたアータは、視線で魔王に説明しろと訴える。
「あぁ勇者。こやつはな、実はすでに三百を超える高齢なのだ。そのくせ見た目を魔法で若く見せ、若いエルフたちの自治にたびたび介入していてな」
「あー……。隷属の魔紋を使って操ってたってことか?」
「いかにも。それでサリーナちゃんに近づこうとして一度ぼこぼこにしてやったのだが、逆恨みしおってな。そんな折に不穏な動きが多かったこともあって、エルフ族から事前に懇願されていたのだよ」
「なっ……! 同胞が私を裏切ったというのか!?」
絶句するエルニアに、アータは瞳を細めて問う。
「裏切るって、その同胞を隷属の魔紋で奴隷化してたのはお前なんだろうに」
「くっ……勇者、貴様もだ! 貴様は神を殺した大罪人だ! いずれ神は貴様を地獄の底に突き落として――」
「いずれも何も、お前の言葉で言うならその神様を俺が倒しちゃったわけで、どうすると?」
「ぐうううううう!」
老け切った顔で真っ赤になって怒りを爆発させる滑稽なエルニアの姿に、アータとクラウスは顔を見合わせ、邪悪な笑みを浮かべた。
「それで、だ、エルニア。エルフ族達からの提案でな。貴様への処罰は我々の手に委ねるとのことだ」
びくっと言わんばかりに、エルニアが顔を青く染めながら震え始めた。魔王はそれを見てアータに顎でくいっと指示を出す。
アータもまた、魔王の言わんとしていることを理解し、携えていたデッキブラシを手に取ってその場でぶんぶんと素振りを繰り返す。それはもう、風など切り裂く勢いで。
……勢いついでに、素振りの先の魔族が風圧で吹き飛ばされていくのに気づき、アータは咳払いとともに素振りをやめた。
「なに心配することはないぞエルニア。貴様はただ、私に逆らっただけだ。神の化身とやらの召喚をして、私を踏みつぶし、私に拳を向け、私の部下を操り、サリーナちゃんに手を出しただけだ。あぁそれだけだ」
「……っ」
「魔族は誰もが自分の欲望に忠実な種族だ。つまり私もまた、お前のその欲望には共感さえ持ちもするのさ。だから、ここはそうだな。貴様を倒した勇者に決定権を――」
「あっ手が滑った」
「んごおおお――ッ!?」
魔王の言葉が終わる前に、アータはもう一度だけデッキブラシを思い切って振り、手を放した。飛んでいくデッキブラシは十字架に張り付けられたエルニアの股間に直撃し、エルニアは張り付けられたままに腰を引きながらも絶叫に悶える。
「おいクソ勇者。私の話が終わる前に手を出すな」
「悪い。昨日の一件で怪我した両腕がまだ治ってなっくてな。エルニアも悪かった謝るよ」
「きぃ……さぁ……!」
声らしい声が聞こえてこないので、アータはデッキブラシを手に取り、脇におろしておいたスライムの入ったバケツに近寄っていく。バケツから匂ってくる強烈な臭いも無視しながら、アータは魔王の傍に再び並び立った。
「それで、なんだって魔王?」
「いや、処分はお前に任せた」
「そうだな。とはいえ、俺も勇者の端くれ。このまま温情なく切り捨てるのは人情にあらず。ってことで、温情ぐらい考えてやる」
股間の痛みに耐えるエルニアが、鼻水と涙を垂らしながらアータを見上げた。その顔にかすかに宿った希望の光にアータは満足げに笑う。
「けど、俺は今は魔王家の執事。温情の与え方は魔族式にのっとってやろうと思う。なぁ魔王、魔族の温情ってどんなだ?」
「そうだな、命まではとらずとも、魔族の誇りでもある欲望を消し飛ぶほどに浄化する、ってのはどうだ」
「それはいい案だな。ってことでエルニア。今からお前の汚れた心を浄化しようと思う」
「浄化って、いったい、どうやって……!?」
絞り出したエルニアの声に、魔王は薄汚れた雑巾の姿になったアイギスを取り出した。そしてそれをおもむろにスライムの詰まったバケツに突っ込み、取り出す。ぼてぼてと恐ろしい音を鳴らしながらスライムを垂らす雑巾を、魔王はエルニアの顔面の傍に持ってきた。
「なに、まずは貴様の人格を徹底的に汚した後、勇者の持つデッキブラシで浄化するだけだ。いうなれば、飴と鞭だ」
「心配ない。俺のフラガラッハの浄化作用は強烈だ。隷属の魔紋すら消し飛ばす。たった今から、お前が偶然にもスライムまみれに全身が染まろうと、俺のフラガラッハの前では一瞬にして浄化される。多分溶けたりはしないから環境にも人体にも優しい」
「悪魔か貴様ら!? よせ、このエルフの王たる私にそんなおぞましいものを寄せ付けるな! やめ、ちょ、やめてホントにやめて臭いから!」
魔王の近づける雑巾から必死になって逃げようとするエルニアに、魔王クラウスはあざ笑いながら宣言した。
「心配ない、とりあえずこの森のサイクロプス達で一週間ほど交代制をとってやる。その腐った性根がきれいさっぱり服従に染まるまで、そこで叫び続けろ」
「やめてくれええええええええ!」
べちゃっというギロチンの音とともに、エルニアの大絶叫は三日三晩続いたという。
こうして、勇者が執事を始めた翌日に起きた一連の事件は幕を閉じた――。