第二十二話 神殺しの果てに輝くものは
手にしていたフラガラッハの切っ先を無造作に地面におろしたまま、アータは両腕を失った光の巨神を見上げた。そのまま巨神の足元に向かって一歩、また一歩と距離を縮めていく。
アータの様子に震えるエルニアは、巨神に蓄えられた魔力を使ってもう一度その両腕を顕現させるべく魔法を編み上げた。エルニアの魔法に呼応するように、巨神の頭の中にとらわれたままのサリーナが叫び声をあげ、アータの真上に再び巨大な両腕が構成される。
「――ひっ!?」
だが、構成されたばかりの両腕は瞬きのうちに再び無造作にフラガラッハを振ったアータの一撃に切り落とされてしまう。神の化身とさえ呼べる巨神の肉体を、それこそ欠伸でもかみ殺すかのようにばらしてしまう。
一歩一歩近づくアータに対して、おびえるようにしてエルニアは絶叫をあげながらも何度も何度も何度も巨神の両腕を構築し、そのたびにアータの振るうフラガラッハがその両腕を無遠慮に切り裂いた。
根元から両断。縦に引き裂く。細切れにする。袈裟切りに肘から下を切り落とす。
ちょうど巨神の足元に到着したころには、アータは呆れかえったようにフラガラッハの刀身を巨神の先にいるエルニアに向けて語る。
「いい加減学習したらどうだエルフの王。一度切り落とされた魔力はもう元に戻ることはない。いたずらにその役立たずな巨神の腕を構築しても、何の意味もないぞ?」
「う、うううううるさい!」
「はぁ……。フラガラッハ」
『はいなんですの』
叫び声とともに再び構成された両拳が振り下ろされ、アータは溜息と共にフラガラッハを地面に突き立て、右腕で剣指を作り、魔法陣を描いた。アータの真上に描かれたその魔法陣は青く輝きながらも巨神の両拳を受け止める。
そして次の瞬間には、振り下ろされていた巨大な拳が、押しつぶされるように圧縮されていき――魔法陣に吸収される。
やけくそ気味に構築したはずの巨神の拳はただの魔力へと圧縮され、そのままアータの携えるフラガラッハの中に吸収されていく。その魔力の強大さに、フラガラッハの刀身に魔術紋が浮かび上がってくる。
「ば、ばかな……!? ドレイン……!」
驚愕に揺れるエルニアの顔を見たアータは、風に黒髪を揺らせながら愉悦に笑みを歪めた。
「なぁ、エルフの王。どうした? 二十年は老けて見えるぞ?」
「ひぃ……っ!」
勝てない。そう理解したエルニアがとうとう巨神とともにアータに向かって背を向けた。大地が揺れるほどにその場から逃げ出そうと走り出す巨神の背を見上げ、アータは深く腰を落とす。膨れ上がる太ももの筋肉に全力を籠め、アータは逃げ出した巨神の真上に向かって飛び上がった。
ぐんっと言わんばかりに空気を切り裂きながら飛び上がったアータは、そのまま逃げ出した巨神の首を切り落とす。ぱんっといわんばかりに弾けた巨神の首の中から、眠ったままのサリーナを片腕で抱き上げ、巨神の首を蹴ってさらにアータは高く飛んだ。
振り落とさないようにサリーナの細い体をしっかりと抱きしめたアータは、手にしていたフラガラッハにさらに魔力を込めていく。
『あーたん! やっちゃうんですの!?』
「あぁ、ここは空島じゃない。真っ二つにはならないさ」
フラガラッハの問いかけに答えながらも、アータは輝きを最大限に増し始めたフラガラッハの刀身を天に向けて伸ばす。日輪にすら匹敵するその魔力は、急速に冷気を纏いながらフラガラッハの刀身に集中していく。
「お、ぉおおい勇者!? 貴様それ、それはいかんだろう!?」
「ちょ、ちょっと魔王様いったい何が――」
空中でこれを見ていたクラウスは、おげぇっという情けない声とともに慌ててアンリエッタ達をアータが剣を振り下ろそうとしている範囲から転送した。
その威力を誰よりも知る魔王は、アータの攻撃方向にいる数万という魔族を慌てて全て転送呪文で送り飛ばす。間に合え間に合えと額に冷や汗をかきながらもすべての魔族の転送が完了し、魔王はアータの構えたフラガラッハの魔力が溜まり切ったことに気づいた。
振り下ろされる先は当然、大地を揺らしながら逃げ出そうとする光の巨神。それはまるで、思わぬ狂犬に手を出して泣きながら逃げ出す哀れな神の姿。
「じゃあな、エルフの王。その顔を、あと百年は老けさせてやるからさ」
「や、やめ――」
「待て勇者、私がまだ逃げてな――」
巨神の胸の中で涙目になりながら振り返るエルニアに笑みを返しながら、アータはフラガラッハの刀身に溜め切った極々大の魔力を巨神の身体に向けて振り下ろした。
「絶対零度の報復ァ!」
途中で見知った誰かの悲鳴に似た声も聞こえた気がしたが、アータは迷うことなく光の巨神を真っ二つへと引き裂いた――。
◇◆◇◆
「ん、んん……っ」
「お、目が覚めましたか、お嬢様」
腕の中で目を覚ましたサリーナの頭を撫でながら、アータはほっと一息をつく。サリーナは眼を何度もこすりながらもゆっくりとアータの腕の中で体を起こし、小首を傾げた。
「わし、寝てしまっておったかの?」
彼女の問に、アータはほほ笑みながらも頷いた。
「えぇ、ぐっすりと。起きれますか?」
「うぅむ、なんじゃか身体が重いが大丈夫なのじゃ!」
アータの腕から降りたサリーナはぐーっと背伸びをしたうえで、アータに向かってにこっと笑顔を向ける。その笑顔に苦笑いを返しながら、アータはそばで呆然としていたアンリエッタを呼んだ。
「アン! 目が覚めたぞ!」
「え、あ、あぁはい。お嬢様、お怪我はありませんか?」
「怪我? 怪我なんてこれっぽっちもないのじゃ!」
飛びつくようにしてサリーナはアンリエッタに抱き着く。だが、アンリエッタはそんな彼女をうまく受け止める力がなく、そのまま荒れ果てた地面に一緒に転げてしまった。
そうして呆然としていたサリーナとアンリエッタは顔を見合わせ、声をあげて笑い始める。
そんな二人の姿を見つめながらもアータは焼けた両腕の痛みに顔を顰めてしまう。
『あーたん、大丈夫なんですの?』
「何とかってところかな。治癒魔法がいまいち聞かない理由はわかるか?」
『腐っても伝説のアーティファクトってことだったんですの。わたくし様的には、解呪によるリスクだとおもうんですの。自己回復しかないんですのよ』
「……まぁ、腕二本でこれなら十分な結果だろ」
そういって肩を竦めると、フラガラッハは「だから勇者御供何て呼ばれるんですの」と皮肉を返してきた。相棒の言葉に再び瞳を閉じたアータは、空から聞こえてきた強い羽ばたきの音に気づき、空を見上げる。
そこにいたのは、白い巨大な竜だった。その竜の姿がドラゴニスだと気づいたアータは、フラガラッハの柄から手を放し、降りてきたナクアと視線を躱す。
「空から見てきたわ。なんていうか……相変わらずね、貴方」
「それは褒め言葉と取っていいのか?」
「ほっほっほ。呆れておるんですのぉ。本当に」
人型に戻ったドラゴニスが、白髭を撫で上げながら笑った。ナクアの背後からひょっこりと顔を出してこちらを訝しげに見つめるアラクネリーの視線に負けながらもアータは深く息を吐き出した。
「それで、結局黒幕はどうなったのかしら」
「どうって、見てきたんならわかるだろ」
「見てきたからこそ、聞きたいの。あれ、生きてる?」
そういって意図的に視線を向けずにいたそこを一同は見上げた。
視線の先にあったのは、光の巨神――だったもの。
アータ達のいるそこから先はすべて、一面が透き通るような白い景色だった。
巨神の全身は首を失ったまま逃げ惑うようにして天に腕を伸ばした状態で凍っていた。巨神の周囲――どころか、見渡した範囲全てが凍り付いており、アータたちのいる場所から先は生物一切の生存を許さないような氷の世界。
「魔王様のために用意された魔界のはずれに近い大陸だったけれど……。空から見た限り、ここから先の海岸線まで凍っていたわ」
「心配ない。魔王城のときみたいに大陸真っ二つにしない程度には手加減した」
「手加減で、大陸半分氷の世界にされてはかなわんのぉ」
「……半分無事だからいいだろ」
眉を寄せてこちらに文句を言いたそうなナクアとドラゴニスの視線に、前科のあるアータは顔をそらしてそっぽを向く。そして、そのままアータは巨神の胸を指さして投げやりに答えた。そこには、百歳は老けただろうしわしわの恐怖顔のままに凍り付いたエルニアの姿がある。
「一応、今回は斬撃よりも凍結のほうに力を注いだ。だから、魔王の業火なら十分大陸の氷を溶かすことぐらいできるだろ」
「で、その魔王様は?」
ナクアの問に、アータは背を向けた。
「魔王様はどこにいるのかしら? 貴方の最後の一撃の魔力が放たれるまでの間は、魔王様の魔力も感じていたのだけれど」
「…………」
「ねぇ、勇者様?」
横に並び立ったナクアの鋭い視線に、アータはポリポリと頭をかきながら答える。
「魔王、いいやつだった」
「超魔王アッパーッ!」
「おぐっ!?」
突如地面から突き出た天を目指す拳が顎に入り、アータはよろめきながらも、地面から這い出てきた魔王の姿に舌打ちをした。そんなアータの舌打ちに、魔王クラウスも泥だらけになった白髪を振り回しながら手の平の上に地獄の業火を作りあげる。
「よくもやってくれたなクソ勇者? 私いったよなちょっとやめてそれって。それを貴様、私が自分の攻撃範囲にいることがわかってて遠慮なく振り下ろしただろそうだろう?」
「お前が言ったんだろ魔王。サリーナの前では勇者でいろって。俺は正しく勇者であるように、神様を倒そうとしただけだ。そのついでに憎らしい誰かさんも氷の彫像に変えて新しい屋敷に備えてやろうかなと思ったんだよ」
「今すぐその口に地獄の業火ねじ込んで、火吹きのファイヤーバードにしてやろうか!?」
「お前こそ、その翼氷漬けにして生きた化石にしてやろうか!?」
顔を突き合わせたアータとクラウスは互いを威嚇しながらも、近寄ってきたサリーナの姿に気づいて鼻息荒くそっぽを向いた。
そんな二人にアンリエッタとともに近づいたサリーナは、首を傾げながらも問いかける。
「父上殿もアータも、なんでそんなぼろぼろなんじゃ?」
「それはだなサリーナちゃん、いいとこどりの勇者が出番の出し惜しみをしているからなんだよ!」
「出し惜しみして人に全部押し付けた魔王がよく言うよ」
口にしながらもため息をついたアータは、アンリエッタが難しい顔でこちらを見ているの気づき、首を傾げた。
「どうかしたか、アン?」
「あぁいえ、何か忘れているような気がして……」
「おおうそうじゃった! のぉのぉアータ! そろそろ疲れたからベットで寝たいのじゃ! ドッキリで隠していた魔王家はどこにあるのかのぅ?」
「「「あっ」」」
サリーナの言葉に、アータや魔王、アンリエッタは忘れていたとばかりにポンッと手を打った。
そうして三人は顔を見合わせて頷く。魔王家は魔王の魔力を使ってアンリエッタが構成していた。アーティファクトの影響でその構成ができずに結果的に消滅してしまったが、そのアーティファクトを粉砕した今の状態の魔王クラウスとアータの二人がいれば、さらに強固な形で長時間の構成ができる。
「アータ様」
「わかってる。さすがの俺も今ぐらいは空気を読む」
「ふん! 私は勇者なんかと魔力合わせるのいやなんだけどなー。サリーナちゃんの頼みなら仕方ないなぁ」
「空気読んでくださいクラウス様。アータ様、手のひらを出してください」
「わかった」
「あああんりえった! なんだか勇者にだけ優しくないか貴様!?」
ぶつくさ言いながらも片腕を差し出した魔王とアータは互いの掌を重ね――どちらの掌を上にするかで視線でいがみ合う。そんな二人の様子にあきれ顔のアンリエッタは二人の差し出した手を取って、魔王家の構成を始めた。
三人の間で浮かび上がった魔法陣はそのまま大きさを増していき、荒れ果てた地面を元通りにしながらも屋敷の姿を土壌から浮かび上がらせていく。まるで初めから大地の下に隠されていたとばかりに、魔王家の屋敷は魔法陣の中からそのままの形で元の姿を取り戻した。
「にょっほおおおお! 本当にアータの言った通りなのじゃ!」
サリーナが両手を上げて喜んでいるのをアンリエッタはうれしそうに眺めながら、アータとクラウスに頭を下げた。
「ありがとうございます。お二人の魔力でしばらくの間は結界含めて魔王家の維持に問題はなさそうです」
「そりゃよか――」
「それはよか――」
アンリエッタの言葉によかったなと答えようとしたアータとクラウスは、びたっと動きを止めた。その顔が嘔吐しそうなほど真っ青になりながら膨らんでいくのに気づきながら、アンリエッタはニコッと笑う。
「そして、たった今思い出しました」
アンリエッタの視線の先で、アータとクラウスは互いに真っ青な顔のまま口元を押さえつけて顔を見合わせる。
そしてそのまま、首元を締め付けられる痛みに気づき、お互いの首元に視線を向ける。
ぎんぎらぎんに輝く棘付きの首輪が、そこにあった。
ぎょっと目を見開きながらも二人はアンリエッタに視線を向けた。
その視線を受けたアンリエッタはにんまりと笑みを歪めながら、小さなガッツポーズとともに応える。
「先ほどアータ様が壊されたあの伝説のアーティファクト、『いやーん私もう頑張れない』なのですが、自動修復機能がありました。晴れて魔力ゼロですねお二人とも」
神が勇者と魔王に打ち倒されたこの日。
勇者と魔王は、赤い髪の毛のメイドに完膚なきまでに打ち倒されたのであった――。
首輪でした。