第二十一話 フラガラッハを握る者
「ほっほっほ、これで最後かのぉ」
恐怖に顔を歪めたエルフの魔法師を踏みつぶしたドラゴニスは、その巨大な尻尾で大地に描かれていた魔法陣を吹き飛ばす。辺りで蹴散らされたエルフ族の魔法師たちは、もはや立ち向かうこともできずに地面に這い蹲って呻いているだけだ。
その一人を鋭い鉤爪で弄びながらも、ドラゴニスは周囲にいたナクアに視線を向けた。
「こっちももう終わりみたいよ。あっけないものね、数だけ揃えてもこの程度じゃ満足できそうにないわ」
ドラゴニスの視線の先にいたナクアは、エルフ族の男たちを折り重ねてその上に優雅に足を組んで座っていた。ナクアの強靭な細い糸によってからめとられたエルフ族は身動きをすることもできず、無様に叫び声をあげるだけ。
ナクアの傍にいたアラクネリ―もまた、無表情でマフラーを編んでいた。
編まれるマフラーの糸を視線で追うと、そこには下半身が糸になったエルフの姿があった。恐怖に顔を歪めるそのエルフに視線を移すこともなく、アラクネリーはエルフで作った糸でマフラーを編み続ける。
そんな無表情の幼子の仕業にドラゴニスは笑い声をあげながら神龍から元の姿に戻った。
「将来が楽しみな娘っ子ですなぁ」
「えぇ。何せ、勇者と並んで歩いてもらう時期四神将だもの。っと、それよりも……」
「うむ。魔王家を中心に伸びていた超規模魔法陣の構成式は壊しましたからのぉ。あっちも今頃――」
ドラゴニスとナクアが視線を魔王家のある大陸中央に向けたその瞬間、あたりの木々が大きな騒めきとともに揺れた。
それだけでは済まない。
そこから伝わってくる魔力の余波に、ドラゴニスとナクアは思わず息を飲み、冷や汗を垂らす。
忘れもしない。忘れるはずがない。
世界が自分達のものになると魔王クラウスたちと愉悦に明かした夜、天を切り裂く巨大な剣とともに魔王城に攻め入ったその圧倒的なまでの魔力を。
「……心配ないわ、アラクネリー」
「……っ!」
万のエルフを目の前にしても表情一つ変えなかったアラクネリーが、マフラーを投げ捨て四つん這いになるようにしてそこに向けた臨戦態勢を整えているのに気づき、ナクアは諭すように告げた。
「あれはもう、魔族には向けられないわ」
そういって恐怖に震えるアラクネリーの頭を撫でたナクアは、そばに近寄ってきたドラゴニスに視線を向ける。
「ほっほっほっ、あの様子ではとうとう、神の魔力制限すら無理矢理壊したようですなぁ。あそこまでいくと、どっちが神様なのか」
「違いないわね。でも忘れちゃいけないわ。そんな最強の勇者はもう一人いるんですもの」
「……この大陸、消し飛びますかのぉ」
「……先に逃げちゃおうかしら」
互いに顔を見合わせたドラゴニスとナクアは、肩を竦めながらもそこへ向かって駆け出した――。
◇◆◇◆
「は、ははは……」
空から一部始終を絶望しながら眺めていたエルニアは、たった今血飛沫をあげながらも神のルールを力ずくで打ち破った勇者の姿に、笑い声をあげるしかできなかった。
神だ。神の作った代物だ。
それをあんな無茶苦茶な、魔法も理論も正解もくそもないただの力技で引きちぎった。
確信していたはずの勝利をエルニアは、この時初めて疑ってしまう。
そして、そんなエルニアの表情を読み取ったアータは、ふら付く両足に力を籠め、光の巨神を見上げた。その巨体の頭部にいる膝を抱えたままの少女を救うための準備はもう、これでもかというほどに整った。
あとは、たった今自分が無茶苦茶に壊しきったアーティファクトと連動しているはずの魔王の様子を心配し、アータは背後を振り返る。
そして、
「よいしょっと」
――メギッと。
振り返ったアータの視線の先で魔王は自分の首輪についていたアーティファクトを造作もなく握り潰した。
隣にいたアンリエッタは目をぱちくりさせて驚愕に声も出ない。エルニアに至っては泡を吹いて白目をむいている。
「……おい、魔王」
自慢げに握りつぶしたアーティファクトをぶらぶら振り回す魔王に、アータは顔を伏せて震える声で問う。
そんなアータの声に、魔王はさも今気づいたかのように驚いてみせ、拍手をした。
「なんだ勇者? えらくぼろぼろになるまで頑張ったじゃないか。ほめてやるぞわーいかっこいい勇者超素敵!」
腹の底からふつふつと湧き上がる怒りに耐えながらも、アータは絞り出すようにして魔王に再び尋ねた。
「……なん、で、お前はそんな簡単にそれを壊せる?」
「二対で一つのアーティファクトであるからなこれは。片方が壊れればバランスが崩れ、魔力の制限が弱まる。魔力が使えるのであれば、この通り」
「なんで、そんなことをお前が知ってる?」
「昨日徹夜で調べておいた。いざという時お前をたきつけて壊させれば楽だなと。なに、多分お前ならやってのけると私信じてたぞ、さすが勇者あーたん」
「お前、最初からこの瞬間のためだけに俺を嵌めやがったな!?」
魔王クラウスの傍にずかずかと詰め寄ったアータは、はち切れんばかりの怒りのままに魔王の襟もとを掴み、がくがくと揺らす。そんなアータの様子にクラウスはケラケラと笑いながらも、自慢げに語った。
「いやなに、実を言うと本当に壊してのけるとは思ってなくてな! 私も壊せるものだとは思ってなかったんだが、さっすが勇者あーたんやるぅ!」
「……」
怒りのままに氷漬けにしてやろうかと思ったが、自分たちの背後で膨れ上がった魔力にアータは渋々魔王の襟もとから手を放した。
そのままアンリエッタを軽く一瞥したアータは、魔王に背を向けて宣言する。
「……まぁいい。お前まで万全になったのなら、俺も周りを気にせず遠慮なくやる。魔王」
「なんだ、勇者」
「この大陸が使い物にならないよう、せいぜい防いでおけよ」
アータの低い声に、魔王は一瞬だけ目を見開きながら、すぐさま倒れこんだメイドたちやアルゴロス達ごと結界を張り、空に浮かび上がっていく。次の瞬間には、先ほどまで魔王やアータ達のいたその場所へ、光の巨神の巨大な右拳が叩き込まれた。
「私を無視して、話を進めるなぁ勇者、魔王!」
エルニアの絶叫とともに振り下ろされた巨神の右拳は大地を押しつぶし――だが、振り下ろした先の大地にはひとかけらの変化も起きなかった。
――否。
変化は巨神の右拳に起きた。
パリンと、ガラスが砕け散る様に城のごとく巨大だったはずの巨神の右拳が氷結し、砕け散った。巨神にあったはずの右腕はもはやその半分の姿も残すことなく氷結していき、細かな氷のかけらとなって空気中に溶けきっていく。
そして、振り下ろされたはずの大地では、アータが焼けただれた右腕をただただ黙って巨神の右腕に向けていた。
氷結魔法。魔力の塊である肉体にすら存在を許さない絶対零度。
エルニアは失われた巨神の右腕を呆然と見つめたまま、ぎりっと音を立てて歯ぎしりし、今度は巨神の左拳を振り上げさせた。アータはこの左拳をちらりと見つめると、空いた左腕でそばに突き刺していたデッキブラシを自分の正面に突き立て、かざしていた右腕で剣指を作った。
「死ねぇぇぇ! 勇者ァアアア!」
そして、エルニアの叫びや振り下ろされる左拳を意に介すこともなく、アータは剣指で宙に召喚陣を描く。描く召喚陣とともに、アータは地で輝きを増す相棒と祝詞を重ねた。
「答えよ。応えよ。堪えよ。我が声に、我が意思に、我が願いに」
『答えよ。応えよ。堪えよ。其が声に、其が意思に、其が願いに』
紡いだ魔法陣がそこに与えられる神をも殺す強大な魔力の前に、爆発的に巨大化する。
魔王家の中で抜いた時とは比べ物にならないほどの圧倒的存在感。
その質量さえ持った魔法陣は、闇の中でさえ神々しいまでの光を放ちながら、迫りくる巨神の左腕を押し返す。そうしてアータは、目の前に突き刺していた相棒を手に取り、輝きを増す魔法陣の中に突き刺した。
高らかに謳い上げるは、勇者が手にした伝説のアーティファクト。その名こそ――、
「其は応え、紡ぎ、報復する者」
『我は応え、紡ぎ、報復する者」
――フラガラッハ!
剣の名前は、世界の産声にすら聞こえる音で、魔法陣から引き抜かれた。
アータが手にしたその剣は、どこまでも美しい。
身の丈ほどもある長剣。刃毀れなどなく、幾度となく敵を切り伏せたはずの刀身は血の色も感じさせないほどの無垢さ。伝説の一角獣を模した柄はアータの魔力に淡く輝き、気高さのままにその剣は宣言した。
『あーたん! ひっさしぶりの全力でやっちゃうんですの!』
やっぱり黙っててもらってほしかったと、アータは頭を抱える。というより、
「アーティファクト壊してもお前そのキャラなの?」
『だってこっちのほうがかわいいんですの!』
「いや、伝説の剣にそんな可愛さ求めてないんだが……」
相棒たるフラガラッハに皮肉を返しながらも、アータは手にしてたフラガラッハをおもむろに下段に構えて、その切っ先を大地に乗せた。
そして、そのまま体制の崩れた光の巨神の左腕を狙い、一息にその切っ先を引き抜くようにして天まで煌めかせる。
「なぁあああ!?」
音も衝撃もその巨神に伝わったのは、巨神の背後にあった巨大な山脈が真っ二つに裂けたその瞬間だった。目に見えぬフラガラッハの一振りは、音もなく大地を割り、巨神の左腕を根元から切り裂き――背後にあった山脈さえその原型を分割した。
斬撃の結果のあとについてきた轟音は、飛び立った野鳥の悲鳴に似た鳴き声や獣の雄たけびをかき消しながら、エルニアや空に退避したアンリエッタ達の耳に届く。
斬撃なんて生易しいものではないその一撃に、エルニアはもう正気を保つことすらできずに顔を真っ青に染めている。
空に退避した魔王の結界の中にいたアンリエッタもまた、その一撃の強烈さに言葉を完全に失っていた。
「ぜ、全然……ちがうじゃぁ、ないですか……っ。魔王家で、で、あの剣を見た時には、あんな……っ!?」
アンリエッタの悲鳴にも似た問いに、魔王クラウスは自慢の角を撫でながらも不敵に笑う。
「当然だ。抜くだけで下級生物など存在も消し飛ばすほどの、本物のアーティファクトだぞあれは」
「で、ですがそれならなぜ魔王家の中であの剣は……!」
「あの時は私も勇者も魔力をほぼ使い果たした状態だったからな。それに、勇者なりに気を使ったのだろう?」
「いったい、何に気を使われたと……?」
「お前たちが消し飛ばないように。魔王城の二の舞にせぬように、だろうよ」
「…………っ」
理解できないといわんばかりに、アンリエッタは大地で剣を携えたアータの背中を視線で追った。
そんなアンリエッタの様子を意味りげに笑いながら見ていたクラウスもまた、アータの姿に視線を戻す。
「よく見ておくといいアンリエッタ。なぜ私が人間界を支配ができなかったのか。なぜ私が、こうも滑稽な契約で人間界侵攻を取りやめたのか。その答えはすぐわかる」
魔王クラウスの言葉に、アンリエッタは息を飲んで瞳にその戦場を焼き付ける。
絶対神であったはずの光の巨神は、わずかの時間でその両腕を奪われた。
勝てるはずのない神の化身に、同じく抗えるはずがなかった人間の勇者が立ち向かっている。
神のルールさえ力ずくで粉砕したその勇者が神の化身を打ち倒す瞬間を、アンリエッタは心に生まれた慕情にすら似た感歎とともに見つめた――。
明日は少々仕事の都合もあり、
更新は土曜にまとめてとなるかなと思います……!