生きた証
あと一年半もすれば、二度目の成人式。思えば遠くへ来てしまった。
人生の後半戦を後悔しないためにも、自分の夢は諦めたくない。
やっと自分の好きな仕事に就けて、スタートラインに立ってから1年。
めちゃくちゃ忙しくて大変だけど、自分の好きな仕事に就けたんだから文句は言えない。
ふと思う。
私がこの世の中に生きた証って、何になるんだろう。
多くの人は、子供を作ることで自分の血を引き継ぐ大事な宝物を得て、それが「生きた証」になるんだと思う。その子供が将来結婚して子供を作れば、自分の生きた証はどんどん繋がっていく。
では私みたいに、この先再婚するつもりもなく、年齢的にも体的にも子供が作れないような人たちは、自分が生きた証みたいなものはどうやって残るんだろう。どうやって残すんだろう。
そもそも「人が生きた証」なんて、必要なんだろうか。
宇宙の時間で考えれば、人間の一生なんてほんの一瞬。
そんなことはわかっていても、現実世界では着々と時が刻まれていく。残り時間がどんどん減っていく。
自分がこの世に生を受けて、何十年か生きて、死んだ後。
「自分がこの時代に生まれて暮らしていた証拠」なんて、誰も必要としないのではないだろうか。
自分の人生の終わりを迎えたとき、「いろいろあったけど、いい人生だった」と思えればそれでいいような気もする。
人の人生の長さは、人それぞれ違う。
その人生を精一杯楽しんで、苦しんで、全うするだけで十分なんじゃないか。
でも、何らかの形で後世に「自分の生きた証」を残したい、と願う自分がいる。
それは遺伝子を残すための、動物としての本能なのかもしれない。
遺伝子を残すという形が選べない現状で、自分がこの時代に生きた証を残すには、どんな方法があるんだろう。
例えば、人類史上初の大発見をする。
例えば、自分の人生を書き記して、本にする。
例えば、後世まで語り継がれるような文筆家になる。
どれも簡単には出来ないことばかりだけど、可能性が100%ないわけじゃない。
簡単な道のりではないけど、そして運とかタイミングとかも必要だけど、一番必要なのは情熱ではないだろうか。
自分が生きた証を残したい。自分の人生を、他人にも知ってもらいたい。
出来れば自分が書いた文章を、後の人にも読んでもらいたい。
そう思うのは、自分勝手で傲慢なのだろうか。
せっかくこうして生きているなら、その生きた証を残したい。
まるで探検家が木に目印を彫りこんで行くように、何かしらの爪痕を残したい。
自分が一生懸命生きた証を、いつか誰かに見つけてもらうために、目印を立てるとしたら。
私は、私の力で書いた文章を目印にして、もっと先まで、もっと遠くまで歩きたい。
いつか、人生の頂点を迎えて、頂上に大きな旗を立てるために。