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White Lime  作者: おっさー
1/1

シロツメクサは咲いてない

深夜テンションでした。

軽く、軽く

 シャーリイは馬車のステップにゆっくりと足をかけ、そのままの勢いで野へ駆けだした。自制を求める父の声も、もはや鳥のように飛び回る心でいるシャーリイの耳には届かない。眼前に広がるのは、青い海原を思わせる、一面緑にそよぐ草原。風が吹き込んでは、一筋の穂走りとなって抜けていく、その風景の中にふと、シャーリイは小さな館を見つけた。 まるでギリシャ建築の如く、流麗で微細な装飾の施された門構え。そして奥にそびえる瀟洒な、だがこぢんまりとしてなおも存在感を保ち続ける太い柱で構成された館自体が、すっと一瞬見ただけのシャーリイにも、彫りの深い印象を残した。むこうで父が呼んでいる。帽子も今の風で飛ばされてしまった。向こうに戻ろうかしら。シャーリイは、父の伸ばした手に引かれ、仰々しい門をくぐった。


一、1

 今日は朝から騒がしいな、と目を覚まして気づいた。今日は、新しい屋敷付きのメイドが協会から派遣されてくる日である。することは多い、なにしろ、今まで館の雑事に頓着することはなかった。恐らく、台所などはあちこち蜘蛛の根城となっているだろう。そこに使用人とはいえ他人を迎えるのだ。せめて挨拶くらいしっかりしておかねば、わが根来川一族の騎士道精神に反する。

 衣装棚に手をかけたのだが、期待にそぐうような服はなにもなかった。儚くもここで散るか、根来川―思索を紛らせていては、メイドが玄関に現れる頃になってしまう。仕方なく、黒で揃えたウェストコート、タキシードを引っかけ、気持ち程度のシルクハットをかぶる。エナメルの黒革靴など、かなり久しぶりに履くためか、足甲部分の形が馴染まず、気持ち悪い思いをした。

 手持ちぶさたに、樫作りの朴訥なステッキで足下のタイルをこんこんと突く。少しひびが入っているのがわかった。ここも直す必要がありそうだ。しゃがみ込み、ひび割れの深さを確かめようと手を伸ばすと、獅子をかたどったドアノッカーの乾いた音が鳴る。視線を上に向けつつ、どうぞ、と促す。かちゃ、と予想よりも軽快な音をたてて扉が開いた。 入ってきたのは、衣類の端などそこかしこにすり切れたような老いをたたえる妙齢の男と、つばの広めな麦わら帽子を阿弥陀にかぶり、三つ編みの房を左右に垂らして微笑んでいる、華奢な少女の二人だった。

 脊椎を閃光が通り抜けるのがわかった。一瞬の出来事であったが、少女がこちらを見て微笑む、その顔に魅せられた。空間が切り取られて回転し、元の位置におさまった。

「…」

「…」

二人の間は沈黙に包まれた。実際それは一瞬であったらしく、口を開いたのは傍らの老人であった。

「根来川さん、この書類をお読みください、弊社の利用規約について…まあ、言ってしまえば契約書ですかな」

声に妙な深みがある。僕が受け取ると、紳士は山高帽を軽くはたき、巻きひげを引き延ばしてから小さく咳払いを始めた。なるほど、特に契約に落ちているところはなさそうだ。「わかりました、どこにサインすればいいのですかね」

どうしても高地の乾燥気候では喉がかすれてしまう。グリップの装飾を頼りに万年筆を探しだし、キャップを外す。書類をパラパラと捲り上げ、それらしき欄に書き込むのは根来川純―僕の名前だ。

 書類を名も知らぬミスターに渡そうとすると、彼が囁いた。

「では、次回の更新の時にまた逢いましょう」

再び帽子の塵を払うと、振り返ることもなく彼は屋敷をあとにした。残されたメイドに目を向けると、既に好奇心の強そうな二つの瞳がこちらをとらえていた。命令を待ち望んでいるのか?答えを出してやるために、僕はすっと息を吸い込む。

「夕方頃まで外で遊んでいていいよ」

目の光がさらに強くなり、かかとが上がる。今にも駆け出しそうな勢いだ。

「ありがとうございますっ」

言うが速いか、彼女は駆けだした。茶色がかったトウカッターは、なるほど走りやすいだろう。あとは、群生するカタバミが、一昨日の雨をどれだけ溜めているかだが…おっと帽子が飛んでしまったみたいだ。彼女はすぐに駆け寄って、すぐまたかぶり直す、その間に挟まれた、小首を傾げ、こちらに目を配る動作に、僕はまた、引力を感じた。


一、2

 「パパ、ここは誰のお屋敷なのかしら?」

わたしの帽子の上からやさしく、大きな手がかぶさる。パパはいつもそうだ。無口だけど、その手はわたしを納得させるには十分なほど大きい。巻きひげを引っ張る癖のあとに、パパは下の倍音域の広く深い声で告げた。

「お前を大事にしてくれる人の家さ、シャーリイ」

そう言ってこっちを見たパパがどこか疲れたような顔だから、わたしは少し真面目な顔に戻って黙り込む。パパは、呟くみたいな声で話し始めた。

「お前の仕える旦那様はまだ17歳でね」

うそ、わたしと1歳しか違わないじゃない。

「なんでも、親が今度西井戸宮へ栄転ということになって、彼は一人残ることを選んだそうだ、急遽メイドが必要になったのもそのためでね」

なにか、確かにわたしの近くにそういう人がいると言うのに現実味がない。わたしはずーっとパパと一緒だったし、ママはお星様になったけど、今は空でわたしたちを見守ってくれている。でもパパとは、これから少し離れて暮らさなくちゃいけない。寂しさを紛らわせたくて言った。

「ね、パパ!一緒だよね!」

「ああ、安心しなさいシャーリイ…おっとそろそろ時間だね」

わたしはサンダルの爪先が汚れていないか確認した。

 パパがライオンのくわえた鉄のわっかで扉をこんこん叩く。扉の細かい彫り細工はずいぶんと浅くなって、漆の光沢もところどころ失われているけれど、ライオンはまだまだかっこいい。

「どうぞ」

あんまり元気がないのかな?ちょっと声が暗くて、しわがれてる。まるで、おじいさんみたい。でもパパはそんなこと気にしてないようで、ドアを押し開けた。わたしもそのあとをついて行く。ドアは、古いものみたいだけどそんなに重くはなかった。

 真っ黒なスーツにつやつやした革の靴、そして杖。すごい、みんな高そう…でも、それより先に目に入ったのは彼の顔だった。切れ長の目、鼻筋の突き出た鷲鼻、真一文字に結ばれた、色の薄い唇。典型的な日本人の顔だと思う。ママも、けっこう似たような面立ちだった。

 玄関に入ってすぐ、彼は少し高いところからまずパパをちらっと見た。そして何の気なしにわたしを見たので、

(これからよろしくおねがいします)

という意味をこめて少し、笑って応えた。彼はべつだん表情を変えるでもなく、すぐパパのほうに視線を戻した。

 パパは手元の鞄から書類を取り出して、男の子のほうに向かう。あ、パパ、鞄にさっきの草がついてる。後でとってあげよう。わたしはもう一度、男の子のほうを見た。話し合いはまだまだ続きそうだ。眉にしわを寄せ、目の前の紙に顔を近づけて読む彼は、誰かに似ているような気がする。わたしはどっちかというとパパ似だから、あんまり日本っぽくはない顔をしている。だけど、不思議なことに私はこのとき、あの子はパパに似てると思った。二人とも、どことなく影が差したような雰囲気がある。パパの服はもう古くなって、新しいときの光沢はない。けれど、新しい服を着ているはずの彼にも、輝くような初々しさは感じられない。なんでかなあ。すこし、彼のことを知りたい気分。

 万年筆がさらさらと紙の上を走る。アラベールにしなくてよかったね。きっと万年筆には合わないから。彼が紙を返したとき、パパがなにか言ったけど、それは聞こえなくて…ただ、パパのひげがまた少し巻きだしてるのを見て、しばらく会えないんだって思って、少し心細くなった。どうしようもなく、つま先でこんこんと床をつつく。返ってくるのは、湿り気のある響きで、玄関ホールの高い天井に吸い込まれていった…ライムストーン。この憂いを帯びたクリーム色が、私はとても好き。

 パパが急ぎ足で出てくと、残されたのはわたしと彼だった。さて、今からわたしのメイド生活が始まるんだ。想像もできない経験に胸が躍る。最初はどんな命令かな?彼が無表情で押し黙るから、わたしには見つめることしかできない。あっ。彼の表情筋が緩む。

「夕方頃まで外で遊んでいていいよ」

 やった!庭が広いから、さっきは十分に回れなかった。早速駆け出そうとして、やっぱりちょっと不安になって、かかとをくいっと上げてみると、靴はちゃんとついてきた。パパの靴、パパの靴。わたしは嬉しくなって、駆け出してしまった。ライオンの扉はやっぱり軽い力で開いた。すると、風はだんだんと下がってきていたわたしの麦わら帽子を連れて行ってしまう。つっと右足を少しだけ前に出し、走っていこうとする力を右向きの回転に変えると、なんとか帽子が飛んでいくより先に掴むことができた。彼はまだ、さっきと同じ場所に立っていたから、もう一度目があった。やっぱり彼は、無表情だった。

ありがとうございます。

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