第1話
足元の光が急に強くなって、
視界が真っ白になった後、
光彦は意識を手放していた。
気がついたら白い部屋にいた。
目の前に誰かがいる。
なにか俺に話しかけてきているようなのだが、全く何を喋っているのかわからない。
どこの言葉だろうか。
突然、その誰かが手を伸ばし俺の額に触れる。
すると一瞬俺の体が光に包まれた。
そして手を額から離し、再び何者かが喋りだした。
「言葉が通じなくて一瞬焦ったわ。……それにしても、これはまた可愛い来訪者さんですわね。全くあの方達にも困ったものだわ。あなたもこれから大変だと思うけれど、頑張ってね。きっといずれまた会えるわ。今度はゆっくりと話したいものねぇ。それではごきげんよう」
(待ってください……)
俺は再び意識が遠のいていくのを感じた。
◇◇◇◇◇◇
「あうっ」
大分長い時間気を失っていた気がする。
それにしても間抜けな声を出してしまった。
そして光彦はゆっくりと目を開ける。
(ん? 視界がぼやけていてよく見えない)
しばらく経つと周りの景色が鮮明になっていくのだが……
(えーっと、ここはどこだろう?)
光彦はかなり混乱していた。
さっきの白い部屋やそこにいた女性らしき人もそうだが、
今目の前に広がっている見慣れない風景。
確かに誰だって混乱するだろう。
どこか外にいるのだろうか。
しかもすごくのどかな場所だ。
すぐ近くには大きな木が一本生えていて、緑の葉が生い茂っている。
その隙間から木漏れ日が差し込んでいてとても神秘的だ。
そのせいで時間がゆっくり流れているかのような錯覚すら覚える。
そして一軒の家が目に入った。
ログハウスみたいだが、それよりもしっかりしているし、
いくらか華やかな印象をうける。
そんな不思議な光景に目を奪われていた時だった。
「○○、○○○○○○?」
女性が満面の笑みを俺に向けて何か問いかけてきた。
誰だろうか。
とても整った顔だ。
(きれいな人だな~しかも優しそう……いや、そんなことよりこれは一体どういう状況だ?)
光彦は色々と思考を巡らせた末に、
気を失っていたから介抱されていたのだろうと決め込むことにした。
(まずお礼を言わなきゃだな……)
光彦は女性に返事をして状況を確認しようと試みた。
「あうあうっ」
(ええ!? どうしたんだ俺!?)
ちゃんと言葉を発しようとしても、
何故か赤ちゃん言葉になってしまう。
「○○? ○○○○○?」
そもそもさっきから女性が色々と問いかけてきているようだが、一体どこの国の言葉なのだろうか。
まるで聞いたことがない。
これは苦労しそうだなと光彦は思った。
そして彼は自分の手足がどうやらすごく幼く、
言葉もまともに喋れないことについて冷静に向き合ってみることにした。
(考えたら余計に混乱しそうで気にしないようにしてたけど、やっぱりこれって俺が動かしてるよな~)
そう言って手足を動かして確認する。
光彦はどうやらお姫様抱っこのような感じで仰向けになっているので、
さっきから嫌でも自分の体が目に入ってしまっていた。
とても肉付きがよく、ぷにぷにしているのだ。
「うう、あうう~」
それに加えて赤ちゃん言葉である。
どう考えても、光彦は赤ちゃんになっていた。
(まじか~、夢でもみてるのかな。だけどそれにしては抱かれている感触や風を受ける肌の感じ方がやけに現実味を帯びてるんだよな~)
どうやらこれを夢とするには感覚が鋭敏すぎたのだ。
(状況がまだあまりわかっていない以上、あまり迂闊なことは出来ないな……)
焦って答えを出すには情報が足りないので、
光彦はしばらく周りの状況を探ってみることにした。
(とりあえずこの女性は俺のお世話をしてくれる人らしいので、甘えさせてもらおう。一応赤ちゃんが絶対しないようなことには注意しなければ……この状態で気味悪がられて追い出されたらたまったもんじゃない! でも赤ちゃんらしくってどうすればいいのだろうか。先が思いやられるなこれは……)
◇◇◇◇◇◇
うちの子は何か変だ。
クロエは最近自分の子が何か他の家の子とは違う気がしていた。
落ち着いている。
大人しい。
一般の人に当てはめればいいことであるのかもしれないが、
これは赤ちゃんに限って言えば大分おかしい。
普通この年頃の赤ちゃんは頻繁に泣いたり、
勝手に出歩いては物を散らかし、
親を困らせたりするものだと思っていた。
いや、私と同じくして最近母となった友人に聴いてみたところ、
それが当たり前であり、いつも苦労しているという。
それに比べうちの子は……
まったくと言っていい程泣かない。
正確に言えば、生まれてからしばらくはちゃんと泣いてくれたのだが。
そして赤ちゃん特有の物を散らかしたり、色んなものを口に咥えたりという毎度親を困らせるルーチンワークを一切しない。
世話をするのが楽なのは嬉しいことなのだが、
これはいくらなんでもと心配になる。
思い返してみればあの日を境に変わってしまった気がする。
ある日、クロエは家で赤ちゃんをあやしていた。
眠かったのだろうか、すぐにスヤスヤと寝てしまった。
そして良い天気だからと、
庭の大きな木の下に連れ出したのだ。
「よく寝ているわねぇ」
そして赤ちゃんのほっぺをつんつんと優しくつついた。
クロエは我が子のほっぺをぷにぷにと触るのがたまらなく好きだった。
「あうっ」
どうやら起こしてしまったらしい。
「あら、起きちゃった?」
うちの子は何故かきょとんとしたような顔をしている。
クロエはあまりの可愛さに笑みをこぼした。
「あうあうっ」
何かを伝えたがっているようだ。
そしていきなり手足をばたつかせ始めた。
「ノア? どうしたの?」
わからない。
どうみても慌てている。
一体どうしたのだろうか。
とても心配で胸が苦しい。
そう、この日からノアの様子が変わったのだ。