美奈子ちゃんの憂鬱 僕たちの甘くせつないミッション
「覚悟を問う前に聞いておきたい」
薄暗い室内に緊迫した声が響く。
「お前等、何のためにここ(明光)へ入った?」
居合わせた男達は無言で通す。
無言を最高の肯定と解釈した男が言う。
「そうや。アイドルとお近づきになりたいからや」
後ろ手に、男は折の中に閉じ込められた獣のように歩きながら続けた。
「テレビの中だけやない。ギョーカイによって作られた舞台、雑誌、写真集、そんなフィクションの世界だけやない。日常、リアルの世界で、彼女たちが見せる何気ない出来事、決して語られることのない秘密―――それを、彼女たちと同じ空気の中で共に体験したい。味わいたい、そう思ったからや」
男は不意に足を止め、居合わせた者を睥睨する。
「そうやな?」
「応!」
短いが気迫のこもった声が室内の空気を揺るがせた。
「……よし」
男は、満足そうに頷いて言った。
「わいは、お前等と共にここにいられることを、誇りに思う」
その声は、どこぞの玉砕突撃に走る直前の指揮官顔負けの重みにあふれていた。
「作戦を伝える」
●昼食 明光学園一年教室
「身体測定?」
「そぉよぉ……」
水瀬の前で、美奈子がぐったりしながら言った。
「それでどうして、そんなにご飯、少しなの?」
「少しでも体重、減らしておかなくちゃならないでしょう?」
「そういうものなの?」
「悠理君」
水瀬の横で昼食を食べていた綾乃がとがめるように言った。
「女心ですよ?」
「ふぅん?よくわかんないけど、でも、食べたほうがいいと思うけどなぁ」
デザートのりんごをかじりながら、水瀬が言う。
「わかってるわよぉ。自分の体だもん」
「午後、体育、大丈夫?」
「大丈夫だけど……」
美奈子が恨めしそうに見つめる先には、いまだに食事を続けている綾乃とルシフェルの姿があった。
「……クラスメートがここまで苦しんでいるのを尻目によく食べていられるわね」
「しっかり食べないとダメ」というルシフェル。
「普段からイヤという位、節制してますから」という綾乃。
「……どうせ、私はおやつだの夜食だの食べてる上に、運動不足ですよぉだ」
「すねないすねない」
ポンポンと美奈子の頭を軽くなでる水瀬。
実に珍しい光景ではある。
「あーあ。わざわざ学校でなんでこんなイベントがあるのよぉ」
「学校行事なんだから」
そう諭す水瀬だが、美奈子は悲嘆にくれた顔でぼやいた。
「理想の体型だったらそりゃいいんだけど」
「にゃあ!?美奈子ちゃん、男子生徒の間で話題になるくらいのボディラインなのになぁ」
「理想って、どんなものなの?」
「去年のアンケート結果だと、身長160以上、バストはDカップ、ウェスト60ちょい、ヒップ80ってところだよ?」
「未亜、よくそんなの暗記してるわね」
「データはきちんとアタマに入れておくの、報道関係者のジョーシキ」
「ヴ!」返す言葉が思いつかず、絶句する美奈子。
「でも……」
綾乃がうらやましそうな視線を向ける先、そこには
「?」
不思議そうな顔をしているルシフェルがいた。
「何?」
「ルシフェルちゃん。何の心配もいらないよね」
未亜が羨望と興味の入り混じった声でたずねた。
「?そうでもない」
「そうなの?」
「胸が大きくなりすぎて困る」
綾乃は、3次元上において存在が許されないはずの悩みを聞き、心の中で号泣したという。
●放課後
生徒たちが帰り支度を整えている中、校内に警報が鳴り響いた。
不審者の進入を告げる警報だった。
「騎士養成課程在籍者全員に告げる!」
校内に放送が流れる。
「校内に侵入者!騎士科全生徒は、あらかじめ定められた位置につけ!芸能コース、一般コースの生徒は至急教室に戻ること!繰り返すー」
「不審者?」
「おい水瀬、行ってるぞ」
スタンブレードを持った博雅と羽山が、他の生徒達と共に教室を飛び出していった。
「がんばってね」
なぜか、ルシフェルと水瀬は教室から出ようともしない。
「あれ?水瀬君達は出ないの?」
美奈子が不思議そうにたずねた。
「うん」
「なんで?」
「校内の指定の位置で検問張るのは第一から第三分隊の仕事。僕達、第四分隊の仕事は、全学年毎に、最も重要な生徒が集められているクラス、つまり、一年ならこのクラスの警護になる」
「あ、そうなんだ」
「というのは建前で」
ルシフェルは、バツが悪そうに言った。
「もし、不審者とモメごとになると、相手が魔法騎士だって理由で、後々どんな屁理屈こねて法外な賠償金要求されるかわからない。だから、下手にこういう事態に動かすことができないっていうのが本音なのよ」
●翌日 明光学園一年教室
「昨日の不審者騒ぎは、いまだに未解決のままだ」
HRで、担任の南雲は開口一番、そう言った。
「もし、何か知っている者がいるなら、速やかに届け出るようにとの通達が出ている」
言われる生徒達の中で青くなっているのは騎士養成コースの生徒達だ。
「それと、だ」
南雲は、面白くもないという顔で言った。
「騎士養成コースの第二・第三分隊所属の生徒達は、昨日の緊急事態への対応が規定の2倍かかった廉で、本日放課後から1週間、特別カリキュラムを受けてもらう。以上だ」
えーっ!?
生徒達の間から文句とも悲鳴ともとれる声が上がるが、南雲はその声を怒鳴り声で静めた。
「やかましい!俺も休みをつぶされるんだ!黙って放課後、校庭に集合しろ!」
指導教官の南雲の指示は、体育会系における監督の命令以上の意味がある。
生徒達でそれ以上の抗議に出る者はいない。
というか、2メートルのマッチョ相手にケンカしようと考える度胸が、生徒にはなかっただけともいう。
ジリリリリリリッ
不意にベルの音が校内に短く流れた。
「よし。それとだ」
南雲はなぜか突然、テレビの電源を入れた。
「これからお前等に大切なことを教える。よく聞いておけ」
「大切なこと?」
前に座っていた生徒の一人からそんな声が漏れる。
「生きるか死ぬかの瀬戸際ともいう。少なくとも、男子生徒はよく聞いておけ」
テレビに映し出されたのは、未亜だった。
「はぁい!職員会から生徒の皆様に大切なお知らせでぇす!」
「……報道部、出すキャラ間違えてるぞ」
ぼやく羽山だか、否定する者はいなかった。
「今日は、女子の身体測定の日のため、保健室周辺を、一日閉鎖しまぁす!怪我した人、具合が悪くなった人は、職員室に行ってくださぁい!」
画面が保健室周辺の見取り図にかわり、立ち入り禁止区画が点滅で示される。
「なお、立ち入り禁止区域に立ち入った生徒には、校長先生よりとんでもない罰が下されます!怖いですねぇ」
「罰?」
「はい!校長先生、どうぞ!」
未亜の声と同時に、カメラが横を向く。
そこには校長が立っていた。
「校長の出武です」
学校教育一筋ん十年の校長が、まるでスピーチでもしているようにしゃべりだした。
「もし、万が一、この機に乗じ、保健室を覗き見しようとする不届きな男子生徒がいた場合、その生徒には、理由の如何を問わず、厳重な罰を下します」
(まぁ、当然だろうな)
博雅は、校長の言葉がむしろ当然に思えた。
そんな不届き者は、罰せられてしかるべきだ。と。
「そんな生徒は、即退学」
ガタッ!
教室の中でそんな音がそこかしこで聞こえた。
「といいたいところですが、そこまで重くするのもどうかという一部先生の声もあり、そこで軽い罰に切り替えます」
ほとんどの生徒は、
(なんだ、停学か)
と思った。
ところが、
「保健室をのぞき見た生徒は、その後、アタマが冷えるまでの期間、女装して登下校してもらいます」
校内が、一瞬静寂に包まれた。
「はぁ?」
校長の横にいた未亜もさすがに唖然とした顔から発せられた、この言葉こそが、生徒達の言葉を残らず代弁していたといえよう。
「こ、校長先生?あ、あの、正気―――じゃなくて、本気ですか?」
「本気です」
“教育界の鉄の女”の異名をとる校長は、言い切った。
「そんなに女の子に興味があるのでしたら、近づけさせてあげます。感謝こそされ、恨まれる筋にはあたりません」
………
……
…
たかが身体測定で
誰だって、そう思わずにはいられないものの、
のぞき=女装で登校
の図式は、男子生徒にかなりのインパクトを与えたのは事実である。
退学程度なら怖くないという猛者でも、登下校を女装でやれるかといえば、そんな度胸はないわけで……。
●身体測定当日 休み時間 明光学園一年教室
「ってもさぁ。それがイヤなら登校するなってことだろう?」という羽山に、
「遠まわしに自主退学させる魂胆だろうな」と博雅。
「更衣室にカメラとかしかけられていたら最低だよね」
「桜井、それはない。水瀬とルシフェルさんが全部破壊したって、放送でさっきいっていたろう?」
「魔法で仕掛けられているはずの全部の電子機器破壊するっていう過激な方法、よく校長、許可したよな」
「ほら、近くの中学で先生が更衣室にカメラしかけた件あったでしょう?あれで先生達、かなり神経質になってるのよ」
「親が怒って集団訴訟沙汰だったな」
「そう。この学校でぞきなんて不祥事があったら、迷惑するのは校長たちだもの。無理ないわ」
「それでも行くっていうバカがいるんだろうなぁ」
「本当、最低」
●それから数時間後
「水瀬のヤツ……」
通気口の中でそんな声がした。
「権力に魂売りおってからに……」
「カメラ、残念でしたね」
「あぁ。ワイのギャラで買った最新の装備が……」
「引き返しますか?」
「なんでやねん!」
怒鳴り声が響く。
「―――後で水瀬は血祭りや。けど、それでもわいらは行くんや!」
通気口を這って進む品田は続けた。
「変態といわれてもいい、最低とののしられてもいい。強く逞しく育つんや!!」
「品田さん、それ、違いますって」
品田の後ろで突っ込みを入れたのは同じクラスの岡村だ。
「なんでもええ。ワイらは、秘密の花園をしっかりこの目に焼き付けるんや」
品田は決意にあふれた目で匍匐前進を続けた。
「そうです。その意気です!」
「反省の色がない!」
バコッ!
品田の足が後ろを這う岡村の顔面を直撃した。
「お前がスカタンかましたおかげで警報が作動したんやろが!」
「だ、だってぇ」
「まぁええ!時に岡村」
品田は前進を停止した。
「はい?」
「事前にしかけたカメラがすべて犠牲になったのはやむをえないとして、他の連中は?」
「はい。保健室となりの備品室までトンネルを掘った部隊の他、別ルートで進入を試みる他部隊の精鋭が花園めがけて驀進中です」
「よし」
品田は音を立てないように慎重に前進を再開した。
「わいらもやつらに遅れるわけにはいかんで」
●保健備品室
「よし」
ダンボールに偽装した出口から顔を出したのは、覆面姿の男子生徒数名。
よくぞ掘ったといいたくなるような、手作りのトンネルからはい出していた。
全員が首から一眼レフカメラやビデオカメラを提げていた。
「設置と同時にトンネルへ退避。穴の中から遠隔操作で撮影会だ」
一人の言葉に、全員が無言で頷く。
「カメラを惜しむな。もともと品田の金だ。それに、アイドルの着替えが撮れれば、写真雑誌がいくらで買ってくれるか、それだけを考えろ」
「了解。メインターゲットは?」
「瀬戸綾乃とルシフェルナナリ。他には目もくれるな」
「貧乳と巨乳とは……好対照ですね」
「同時に盗撮できれば写真雑誌まで相手になって値が跳ね上がる。いいな?」
小さく、だが、力説する生徒を見る他の生徒達が、突然、狼狽しだした。
「ん?」
振り返った男子生徒が見たもの。
それは、霊刃を下げたルシフェルの姿だった。
●通気口内
「よし、あと少しや」
品田は用意したGPSを確認しつつ、距離を確かめた。
GPSの反応から、他部隊の全滅を知った品田は、心で逝った仲間に黙祷をささげ、本来の任務に没頭した。
保健室にある通気口は小さいが保健室のすべてを見通せる場所にある。
まさにベストポジション。
そこさえとれれば―――。
その時、品田の耳に、小さく声が聞こえてきた。
「えーっ!?ブラ、外すんですか?」
ピクッ
品田の全身(特に一部)が、緊張のために硬くなった。
●保健室内
「なんでですかぁ?」
保健室には女子生徒の不服そうな声があちこちで沸いていた。
「しょうがないでしょう?最近のブラ、性能よすぎて正しい胸囲が測れないんだから」
保険医の三千院がうんざりという顔で言った。
「測定の意味ないじゃない」
「でもぉ……」
「まぁ、別にいいんじゃない?」
なんでもないという顔の美奈子だが、
「……美奈子ちゃんがいうと、すごくムカつくよぉ」
小ぶりなブラを情けなくなさそうに見る未亜がとがめ、そしてすぐにちらりと横を見る。
「……なんですか?」
未亜の横では、もっと情けなさそうな顔をしている綾乃がいた。
「ううん……ちょっと自信でた」
「はい?」
「さっさと外して、一時の我慢よ!」
保険教諭に諭され、しぶしぶながらホックに手をかける女子生徒達の中に、綾乃もいた。
「瀬戸さん?それって……」
綾乃のあからさまな落胆振りに気づいたのは、美奈子だった。
「いえ……」
「……パット、何重に入れてきたの?それ」
「グラビア撮影用の天○のブラの特注品で……パットが四」
「あ、あきらめた方がいいよ?」
綾乃は、じっと美奈子の一部に注目したあと、悔しそうに言った。
「桜井さんには、この気持ちはわかりません」
「はい。次の人」
正直、綾乃は人一倍、この身体測定が嫌いだった。
アイドルとしてサイズがどれだけ水増しされているか、いやでも知られてしまうから。
例え女の子でも、クラスメートでも、その情けない結果を、人に聞かれてしまうから。
しかも、今年からは……
「桜井さん、中学の時よりかなり大きくなったわねぇ」
遠慮のない保険医の言葉が、綾乃の心に突き刺さった。
「せっ、先生!」
美奈子の抗議の声だって、イヤというよりうれしいという声色だ。
「だって、1年で6センチよ?あと5ミリで90代でしょう?若いってうらやましいわぁ」
「はい未亜ちゃん」
「せんせぇ。体重だけでも見逃して?」
「だぁめ。……はい。+6キロ。未亜ちゃん?太りすぎ」
「げぇ〜っ!?」
「でもいいじゃない」
「いくない!」
「胸囲、3センチ増えて84センチ」
「やったぁ!」
「本当、今の若い子って、うらやましいわぁ」
……若くてもうらやましいです。
綾乃はかなりブルーになりながらそのやり取りを見ていた。
「はい次!」
綾乃は覚悟を決めて保険医の前に立った。
「……にゃあ、綾乃ちゃん、元気だしなって」
測定後、声をかけてきたのは未亜だった。
「え……あ、はい」
綾乃の視線は宙をさまよっていた。
「別に小さくなったって死ぬわけじゃないし」
「……」
「体重だって減ったんでしょう?」
「で、でも……」
「……一緒に胸まで減ったからって」
「……グスッ」
「80センチ割ったからって、公表値より4センチも小さいからって、男子生徒から洗濯板とか、芸能界の絶壁とか言われたって、でも、綾乃ちゃんは綾乃ちゃんだもの!」
「こらっ!」
ペシッ
未亜を突っ込んだのは美奈子だった。
「日ごろの恨みをこんな形ではらすな!……瀬戸さんったら、ああ泣かないの!」
●通気口内
「うぉぉぉぉぉぉぉっ!」
声にならない声で品田は叫んでいた。
進む!
前へ!
勝利はもうすぐや!
アイドルの生まれたての姿をこの眼に焼き付ける。
「見える!ワイにも見える!!」
犠牲になったカメラ、いや、志半ばで倒れたかけがいのない戦友のためにも!
「ワイにも見えるんや!」
匍匐にも力がこもり、こもりすぎるくらいこもる。
「ラ○ア!ワイにも……ワイにも敵―――違うっ!ワイにも、花園が見える!さぁ!オフサイドや!」
そして、
「品田さん!」
岡村と共に感じたのは、勝利の高揚ではなく、浮遊感だった。
「にゃあ……ゴメンね?綾乃ちゃん」
声を上げて泣き出した綾乃に未亜が慰めの言葉をかけようとした途端だ。
バンッ!!
鈍い大きな音と共に、何かが崩れ落ちる音が校舎に響き渡った。
「な、なに?」
身を硬くして事態を伺う女子生徒達の耳に、外から先生達の声が聞こえてくる。
「何だ?おい、貴様!何をしている!?」
「通気口に忍び込んで何をしていた!?こっちにこい!」
それから数分後、ほとんどの女子生徒の診察が終わろうとしていた時だ。
ガラッ
保健室の扉が開き、ルシフェルが入ってきた。
「る、ルシフェルさん!?」
「?」
「い、今の騒ぎは何?」
「品田君が、通気口に忍び込んで、天井が抜けた音」
「品田君は?」
「一緒にいた岡村君と、救急車で運ばれる所」
「ま、まさかのぞき!?」
「大丈夫。他の生徒は全部追い返したよ。あとは水瀬君が保健室前で警戒してくれているから」
「水瀬君一人で大丈夫?」
女子生徒からはもっともな疑問の声が上がるが、ルシフェルはあっさりとその心配を否定してのけた。
「妖魔10万位きたらどうかわかんないけど、ここの生徒なら相手の命を心配してあげたほうが正しい」
言いながら、ルシフェルは制服のボタンに指をかけた。
「る、ルシフェルさん?」
「?」制服を脱ぎだしたルシフェルは、一瞬、動きを止めた。
「な、何してるんですか?」
「身体測定。私も受けるんだよ?」
●明光学園 一年教室
「で?」
羽山が不思議そうに未亜にたずねた。
「女子生徒全員、葬式に出てるような辛気臭さの原因は?」
「……ルシフェルちゃん」
未亜も落胆しきった声色でそういった。
「はぁ?」わけがわからない。という顔の博雅。
「あのね?最後の測定ってことで……」
ルシフェルがブラのホックを外した。
その肌の白さ。
完成されたモデル顔負けのスタイルとライン
それは、全女子生徒があこがれてやまない上のさらに上をいくレベル
無意識に、女子生徒全員が注目する中、測定が始まった。
「……で?あまりのすごさに女子生徒全員がショックを受けたってわけか」
ちらっと羽山が見た先には、机に突っ伏して肩を震わせている綾乃の姿があった。
「あーあ。綾乃ちゃん、あれ、泣いているのか?」
「放っておいてあげなよ。かわいそうだよぉ……」という未亜。
「でも、お前より、あったんだろう?」
「私よりないんだよ」
「……マジかよ」
●翌日 明光学園 某教室
「昨日、保健室を覗き見しようとした品田達は、今日から3日間入院、同時に停学処分となる」
あの警報作動させたのが品田達だった。という情報が流れたこともある。
品田への報復を教師側も恐れ、入院先は公開されなかった。
「で、先生」
緊張した声色で手を上げたのは、北条だった。
「一人、保健室に入った男子生徒がいたと聞きましたが」
「ああ、その件か」
教師は、渋い顔で経緯を語った。
●前日 明光学園保健室前
ルシフェルが入った。
僕はここでみんなの測定が終わるのを待てばいい。
水瀬はそう思った。
覗きをしようとた生徒は、自滅した品田君達以外、全員を逃がした。
校長からの「醜聞は可能な限り避けろ」という指示は果たしたつもりだ。
エーッ!?
スッ、スッゴーイッ!!
保健室からは黄色い声が聞こえる。
あと少し。
水瀬は時間を確かめた。
―――終わったら、どこかへ遊びに行こうかな。
水瀬が、そう思った瞬間だ。
ガラッ
不意に保健室のドアが開き、保険医の一人が顔を出した。
大柄で、いかにも肝っ玉母さんという表現がぴったりきそうな先生。
確か、おととい赴任したての保険医、牧野先生だ。
無論、相手は水瀬のことなんて知っているはずが、ない。
「あの?先生?」
水瀬が声をかけようとした途端、先生は水瀬を怒鳴った。
「あーあ!あんた、何しているんだい!?」
「え?」
「女子生徒、もう測定終わるのよ?男子生徒と一緒に受けるつもりかい!?」
「え?あ、あの、先生、僕は!」
「はいさっさと入る!」
逃げようとする水瀬の襟首を片手でつまんだ牧村先生は、問答無用で水瀬を保健室に放り込んだ。
瞬間、保健室から女子生徒のすさまじい悲鳴と、骨肉を砕くような鈍い音が校舎中に響き渡ったという。
●翌日 明光学園某教室 HR
「つまり、女子と間違われた生徒が一人、保健室に放り込まれたわけだ」
「で、そいつは?」
「ただ一人、罰を受けてもらう。校長も悩まれたようだが、言った以上は引けなかったらしい。さすがに、気の毒だとは思うがなぁ」
「せんせー。男が女装してもキモいだけじゃん」
生徒の一人から声があがるが、先生はすぐに否定した。
「いや。あれはすさまじい」
「でしょ?」
「職員会議で男子生徒の女装なんて認められないと議論にはなったが、実物を見た途端、先生達全員が期限を無期限に切り替えるべきと主張していたぞ?」
「はぁ!?」
「気持ち悪いなんてとんでもない。息を飲む美しさというヤツだ。アレが顔を出した時は、ルシフェル・ナナリ以来の騒ぎだったぞ?」
●翌日朝 明光学園 一年教室
ガラッ
教室に入ってきた見慣れない女子生徒に、居合わせた生徒達は度肝を抜かれた。
超アイドル級。
後になってそう評価した者がいたが、確かにそのとおりだった。
ツインテールに束ねられた銀色の髪
これでもかといわんばかりの整った顔立ち
スカートから伸びる細い脚
なにより、周囲の空気が違う。
かわいい。
たしかにかわいい。
だが、かわいいけど、近づきがたい。
いやむしろ、彼女自身が、
「近づかないで!」
というオーラを発している。
彼女は、そんな存在だった。
そんな、冒しがたいまでの空気をまとう不思議な少女は、周囲の視線を避けるように席についた。
水瀬の席だった。
「あ、あの?」
少女に声をかけたのは、美奈子だった。
「あのね?君、転入生かな?」
「え?」
鈴を転がしたような。
かわいい声をそう表現することがあるが、少女の声はまさにそれだった。
透明感のある声は、美奈子の耳にとろけるように響き、その瞳でじっと見つめられるだけで顔が赤くなる。
「く、クラス間違えてない?」
「……桜井さん?」
少女が、不思議そうに小首をかしげ、美奈子の名を呼ぶ。
「あれ?どこかで会ったかな?」
「……」
じっと美奈子を見る少女は、不意にのど元をトンッと手刀で叩くと言った。
「僕だよ」
それは、まぎれもない水瀬の声だった。
「み゛、水瀬君!?」
美奈子がどん引きしつつ大声を上げた。
「やっ、やっぱり、そっちの趣味が!?」
「し、しょうがないでしょう!?罰なんだから!」
少女、ならぬ水瀬は、赤面しながらそういった。
この一声も、これから始まる水瀬のとんでもない災難の始まりでしかなかったわけで……。
はい。お疲れさまでした。水瀬はこうして女装させられてしまいました。
後日談は、超番外編「悠理ちゃんの災難」でご覧下さい。