おれたちの世代
「あけましておめでとう」
一月二日。父、母、兄、兄嫁、甥、叔父、叔母、大叔父の四世代はこうしておれの実家に集まり、新年の酒盛りをするのが慣例だった。おれは例年ならば首都での仕事を口実に、このイベントへの参加を避けていた。
母と兄嫁が台所とリビングの間を忙しく行き来する間、客たちは駅伝をBGMに肴をつまみ、酒を酌み交わす。大叔父はまた無事にいつもの面々で新年を迎えられたことが嬉しく、日本酒を舐めながら親戚の話に一応は耳を傾け、ふがふがと反応を示す。
会話の主導権は父、叔父、叔母の年長者が握る。時々、兄が話しかけられ、返事をする。おれの隣に座った甥はテレビも大人の話も退屈で、暇つぶしに携帯ゲーム機で遊ぶ。
会話がふと途絶えると、叔父はおれに「ところで◯◯くんは、仕事の調子はどうかね」と話を振った。数年前ならば「ええ、なんとかやっています」で誤魔化せたが、これからしばらく実家で暮らすことを考えると嘘はつけない。
「実は会社を辞めたんです」
「ほう、またどうして」
おれの心境の変化など、年に一度会うか会わないかの親戚には話せない。親にだって理解されないのだから。
「なんとなく首都の暮らしが嫌になったんです」
「やっぱり実家はいいでしょう」と、叔母がフォローした。
「ええ」
母と兄嫁もやっと着席し、客にビールを注ぎ足してから自分のコップに注いだ。女二人が加わり、地元に関する話で盛り上がった。部外者のおれは甥のゲーム機の画面を見ながら、最近のゲームはリアルになったものだと感心する。
ある話に一段落つき、テレビもCMになると、座が白けかけた。叔母は慌てて、「◯◯くんは浮いた話ないの?」とおれに聞いた。
「あればまだ首都にいますよ」と、おれは苦笑いした。
「それもそうね。結婚願望は?」
「縁があれば。無理にするつもりはありません」
そこから叔父の長話が始まった。我々の世代はなんとなく結婚してもどうにかなった。今はコスパが悪いなどといって忌避されるが、子育てには何ものにも代え難い喜びがある。自由を旗印にドライに生きるしかない今の世代は哀れだ。やはりバブルが一番良かった、だってあの頃は……。
目の前に中年で無職で独身のおれがいると、自分たちの幸せを身に染みて感じ、正月がいっそうめでたくなるらしい。テレビでは真冬の空の下、シャツと短パンだけの若者たちが苦しみに顔を歪め、白い息を吐きつつ懸命に坂を登っている。
兄と兄嫁は、「子供は一人でも持つべきだ」などと言う叔父に相槌を打った。おれは惨めというより反感を抱いた。おれの人生だって本当は捨てたものではないのだと。
話がやっと終わると、叔父は叔母に「そろそろ帰るか」と言った。甥は急にゲーム機を手放し、何かを期待する表情で下を向く。
叔母はバッグからお年玉を取り出し、「これ、ちょっとだけど」と甥に手渡した。甥は兄嫁に促され「ありがとうございます」とお礼を言う。大叔父は用意するのをすっかり忘れていたらしく、使い古した財布から千円札を二枚抜き取り、直に渡す。それから母もエプロンの中から紙袋を取り出し、「勉強がんばってね」と未来ある少年を励ました。
その後、変な沈黙があったが、大人たちはさり気なく帰る準備を始めた。おれにチラと目を向けたのは甥だけだった。その目には軽蔑があった。おれはそう思う。
叔父、叔母、大叔父が帰り、母と兄嫁は皿洗いを始めた。その間、甥は我慢できず袋の中身をチェックした。
「うわぁ、一万円だ!」
おれは外に出た。
雪を踏むのは久しぶりで、おれは滑らない所を選び慎重に歩く。誰も酒を注いでくれなかったからほとんど酔っていない。新年の冷たい風を浴び、鼻がツンとし、大きく身震いする。故郷に帰るたびに古い家が消え、新しい家が増える。しかしおれの記憶はそう都合よく更新されず、故郷を離れてから建てられた家はすべて新参者に見える。
駅前のコンビニに向かう間、おれの心は揺れた。甥の視線がまだチクチクしていた。今からでもお年玉をあげて名誉挽回しようか。いや、所詮無職の中年男なんだから、見栄を張らず大人しくしていようか。
節電か、それとも古くなったからか、おれが小さい頃からあるコンビニは薄暗かった。新年早々働かされる店員と店長も不景気な顔だ。おれは店内を雑誌、飲み物、弁当のコーナーの順に歩きながら、レジ前にお年玉袋があるのを確認した。うっかり者が多いのだろう。人気キャラの袋はすでに売り切れている。残っているのは干支やら初日の出やらをデザインしたものばかり。
そんなこと今まで見落として生きてきたわけだ。
おれは財布を取り出し、中身を確認する。一万円札と千円札が一枚ずつ。万札をやるのは惜しく、千円ではやらないほうがマシ。ATMで五千円を引き出そうと思ったが、千円札で出てきたらどうしよう。分厚いからどうせぜんぶ千円札だと思ったよ、なんてな。
おれはATMの前に立ち、運を天に任せ、カードを挿入した。画面に手数料が表示される。祝日は三百三十円。本物のビールの五百ミリリットル缶が買えるじゃないか。おれは馬鹿らしくなりキャンセルし、ストロング系の缶チューハイを買ってコンビニを出た。
歩きながらそれを飲むとようやくいい気分になってきた。五千円で買う大人としての矜持よりも小銭で買える安っぽい酔い。これが叔父も言及した現代人のコスパ感覚なのだろうか。
おれは潰れたまま放置されているパチンコ屋の裏山を登り、ちっぽけな町を見下ろしながら放尿した。冬の午後の弱い日差しを浴び水銀のようにとろけた尿が雪に降りかかる。実に爽快だ。一人でも、寒くても、寂しくても、今だけは誰よりも自由だ。
分かってたまるか。自由に伴う痛みにじっと耐えている姿がドライに映る叔父になど。
酔ってきたおれは山の麓をぐるぐる周りながら考え事をする。おれたちの世代だってそう捨てたものではない。物心ついた頃から景気が悪く、国や社会への期待がないから、失望することもない。就職氷河期を辛うじて回避できただけでもラッキーと感じる。
経済的なバブルの恩恵に与かることはなかったが、その代わりおれたちの世代には大衆文化のバブルが遅れてやってきた。アニメ産業が本格的に発展し、ドラゴンボールなどの不朽の名作をリアルタイムで楽しめた。ゲーム業界はまさにJRPGの最盛期で、ドラクエとFFが鎬を削るかと思えば、クロノ・トリガーのような当時の日本最高の才能を集めた奇跡の作品も誕生した。テレビをつければ全盛期の志村けんが当たり前のようにいた。いつまでも新発売のケンちゃんラーメンを食べながらだいじょうぶだぁを見る。おれはそれ以上の幸せを未だ知らない。
どんなに画面がリアルになっても、おれが目を悪くするほど遊んだゲームボーイのマリオランドの面白さには敵わないんだぜ、少年よ。
そう、格闘技もあった。
おれが格闘技熱に取り憑かれたのは中学生の頃だ。当時はキックにせよ総合にせよ世界トップレベルの重量級ファイターが日本の四角いリングに集まり、数万人の観客と数千万人の視聴者の大歓声を浴びながら人類最強の名をかけて戦った。あれもまさにバブルだった。
おれはいろんな格闘家に憧れたが、最も大きな影響を受けたのはブラジル人の寝技師だ。痩せ型のそいつは、筋骨隆々たるアメリカの黒人をマットに引きずり込み、魔術のように鮮やかな手口で相手の肘関節を極めた。おれはひ弱な自分の体を見ながら、おれも柔術とやらをマスターすれば金髪でタトゥーが入っているいかつい兄ちゃんをやっつけられると夢見た。
昔は本当に良かった。
長い散歩を終え実家に戻ると、リビングには兄夫婦と甥がまだいた。どうもおれを待っていたようだ。
「遅かったじゃないか」と父が言った。
「久しぶりに地元を歩くと楽しくて」
両親と兄夫婦が押し黙り、正月らしからぬ重苦しい雰囲気に包まれる。最初に口を開いたのは兄だった。
「いつまでこっちにいるつもりなんだ」
おれには兄が言う「こっち」がこの家そのものなのか、広く地元のことなのかはっきりしなかったが、
「しばらくいるつもりだよ」と答えた。
「それはいいんだけど、ちょっと面倒なことがあってな」
兄が婉曲的におれに伝えんとしたことはこうだ。家督を継ぐはずの兄夫婦は外でマンションを借り、なぜか首都から戻ってきた弟が実家に住み着く。それは親戚から見れば異常である。
「お前、この家を継ぐつもりはないよな」
「ぜんぜん」
「だったらその……」
「安心してくれ。就職して暮らしが落ち着いたら引っ越すから」
兄は嬉しいのか、がっかりしたのか分からない顔をした。兄よりかなり若い兄嫁は表情を殺している。父と母は知らんぷり。おれたちは大人になったのだ。
ひとまず話にけりが付くと、兄夫婦は甥を連れて出ていった。おれが去れば、兄はこの古くなった家を建て替え二世帯住宅にするのだろう。仮におれが継げば、兄嫁は義父母の介護という義務から解放され、親子だけの気ままな暮らしを謳歌するのだろう。
日が落ち、夜になった。
夕飯は昼の残り物で豪勢だった。父と母は腹が空いていないらしく、おれは手酌で肴をつつく。テレビでは名前も顔も知らない芸能人が内輪ネタで盛り上がっている。
「就活はいつ始めるの」と母がおれに聞いた。
「正月明けには」
「当てはあるのか」と父。
「どうだろうね」とおれは言い、新聞の折込チラシを見る。世は人手不足で、新年早々かなりの数の求人情報がある。だがそのほとんどは客室清掃や商品仕分けなどのパートか、物流や解体などのブルーカラーか、保育士や介護職員などの要資格で低賃金の重労働だ。おれが狙っているオフィスワークは高卒オーケー。つまりおれみたいな中年を必要とせず、田舎とあって給料も安い。
「まあなんとかなるんじゃない」
父は定年退職後、工場の警備員をやっている。母は友人が経営する地元の飲食店で昼だけ働いている。だから今の地元の事情についてはおれよりずっと詳しい。
「ところでお前、免許はまだ持ってるのか」
「一応」
「マニュアル車運転できないと採用しない会社もあるから」
新年なのにめでたくない話題だ。おれだって里帰りしたわけじゃなく、厄介になっているんだから仕方ない。
「佐藤大輝くんのこと、覚えてる?」と母。
母はおれの同級生だった連中の今を語った。学年で一番のワルで高校も中退した大輝は長距離トラックの運転手になり、バリバリ働きでっかい家を建て、子供を四人も育てている。成績トップだった貴史は、ある外資系大手製薬会社で研究職についている。特筆すべきはそれぐらいで、素業も勉強も中途半端だった連中は地元でおとなしくしているか、都会で泡を食っている。
みんな、何者かになれると思ってたのに。
「そういうわけだから覚悟しといてね。田舎だって甘くないんだから」
おれは二階の子供部屋に引っ込んだ。父や母がちょっとした書き物をするのに便利だからか、勉強机がそのまま置かれている。机や本棚にはお菓子についていたアニメキャラのシールがしぶとく貼り付いたまま。おれが住んでいた名残を留めているのはそれだけで、部屋はほとんど物置になっている。おれは父が若い頃に使っていたゴルフケースや、母が使わなくなったミシンなどを押しのけ、空いたスペースに布団を敷く。ごろんと横になりスマホをいじる。窓の外では雪がしんしんと降る。ストーブをつけていないので部屋は酷く冷え込み、布団から出している手と顔が冷たい。
戻ってきたばかりだが、おれはすぐにでも出ていかなければならない。




