旧ハイランド その5
レイラは主塔から抜け出し、なんとしても生きのびるつもりだ。そのためには、父イライトの出生土の不思議な力がいる。アンダルシア子爵をたぶらかし、イライトをこの塔に連れて来てほしいと願った。
レイラはさらに、いくつか必要な品物も依頼した。アンダルシア子爵は、レイラの要求をいぶかしげに聞いていた。わたしを信じて言うとおりにしてください、とレイラは子爵をかき口説いた。
「愛しきあなたのおおせのとおりにいたします」
アンダルシア子爵がレイラの前にひざまずき、その手をうやうやしく取った。
父イライトの呼びだしを頼んでから5日がたった。レイラの監禁されている塔にアンダルシア子爵はいまだおとずれていなかった。イライトの住む岬の洞窟がわからなかったのだろうか。妻のメイを求めて海岸をさまよい歩くイライトに出会えずにいるのだろうか。
ハイランド王の生誕祭は明日だ。レイラの心臓はその祝いに饗されるというのに。アンダルシア子爵はなにをしているのかとレイラは気をもんだ。
森のシルエットのふちにかかった夕日が、空を深紅にそめあげている。城門に四頭立ての有蓋馬車が到着した。レイラは屋根裏の窓から、訪問者が誰なのかと、くいいるように見つめた。
アンダルシア子爵に続いて、ドミノの頭巾をかぶった肩幅の広い大男が馬車から降りた。アンダルシア子爵にうながされて、大男が主塔に向かって歩きだした。子爵の連れの顔はフードに隠されているが、その物腰や歩き方から、父のイライトだとレイラにはわかった。
母のメイにばかり執心し、レイラには愛情をそそいでこなかった父だが、最期にひとめ会いたいと言う娘の願いは聞いてくれたようだ。レイラは安堵で力が抜けそうになる体を、窓枠についた手で支えた。
イライトが床の落し戸から窮屈そうに上がってきた。窓の前に立つレイラとは6日ぶりの再会だったが、イライトのごつい顔にはなんの感情も表れていなかった。父の背後には、背負い袋をしょったアンダルシア子爵が立っている。子爵の表情は緊張のせいか、かたくなっていた。
「ハイランドの国王に、不老不死の心臓を捧げるそうだな。生きがいのない人生を永遠に生きたところで、つまらないだけだぞ」
母のメイに執着する父の人生を言っているのだとレイラにはわかった。
「母さんは海岸に姿を見せたの?」
「いや」イライトがむっつりとした表情で、ぼそりと答えた。
「父さんのもとに帰ってこようとしない母さんを、いまでも愛しているの? それとも、憎んでいる? 母さんが戻ってきたら、どうするつもりなの?」
イライトがやるせなさそうに首を振った。
「そんな話をするために、おれを呼んだわけじゃないだろう。おまえが自分の最期のときに、おれに会いたいと言いだすとは意外だった。おれを父親だと思っていなかったんじゃないのか」
「それは誤解よ。わたしには父さんが必要なの」
レイラはイライトのもとに寄った。そのぶ厚い胸に両手をかける。
そう、父さんの出生土の力がいるの。母さんはもう二度と戻って来ないわ。そんな生きがいのない人生をおくってもしかたないでしょう。だから、わたしが生きのびるために、父さんの命をちょうだい。
レイラはアンダルシア子爵に目配せした。
「わたしはね。父さんの最期のときに会いたかったのよ」
「うっ」イライトの目がふいに見開かれた。
くずおれるように膝をついたイライトからレイラはしりぞいた。娘を見上げる父親の顔には、信じられないという表情がうかんでいた。
屋根裏の床にうつ伏した広い背中の、心臓の位置にショートソードの柄が突き立っていた。その周辺の布地に血がにじんでいるが、出血は少なかった。剣が止血の役割をしているのだろう。
顔面蒼白のアンダルシア子爵があごを震わせ、わななく両手をぶら下げて立ちすくんでいる。人の命を奪ったのは初めての経験なのだろう。
「……わたしは、わたしは人を殺めてしまった」
アンダルシア子爵が、自分のしでかした行為におののき、いまさらながらに歯をがちがち鳴らしている。
「子爵さま、わたしの父は人間ではありません。大地の精なんです。ですから、なにも気にやむことはありません。わたしのためにしてくださったんでしょう」
「そう。わたしはあなたの望みなら、なんなりと叶えると言ったはずです」
「大地の精が死ぬと、出生土と呼ばれる、本人と同名の土に還ります。わたしが助かるためには、その土がどうしても必要なんです」
レイラとアンダルシア子爵の足もとで、イライトの体が反応を見せはじめていた。衣服の下の皮膚が土気色に乾きだし、体の末端からぼろぼろと崩れていく。
その変化の様子を、アンダルシア子爵が驚愕の眼差しで凝視している。
イライトのドミノとチュニック、ズボン、サンダルが床に散らばった。それらの装束のなかに、ショートソードの刃が突き立った、直径約60センチの半円形の粘土のかたまりが残っている。しっとりした灰褐色のそれが粘土鉱物のイライトだ。
レイラは、震えのおさまらないアンダルシア子爵の体に寄りそった。
「子爵さま、わたしはあなたについてまいります。父の出生土がきっとわたしの身代わりになってくれるでしょう」
レイラは、はすかいに傾けた上目使いでアンダルシア子爵を見つめた。
続