4 妖婆は大地母神のスミレを欲しがる
落盤事故の犠牲者は遺体袋に入れられて、バルゲート監獄の外にある囚人墓地に埋められるという。ランドは、墓堀りの少年ジャックから聞いた情報をもとに脱獄計画をねりはじめた。
「遺体袋を坑内から地上に運ぶ〈昇降石盤〉はどこにあるんだ?」
ランドはジャックに質問をかさねた。チビットによれば、少年にかけた〈対人催眠〉の持続時間は60分だという。
その魔法の昇降装置は、いまいる兵舎から近い縦穴の底にあるという。ランドはその場所までの道案内をジャックにたのんだ。
ランド、チビット、ゴーラ、ミシェル老人は、ジャックの先導で、石造りの居住区を出た。そのうしろを老婆がはねる足どりでついて来る。ゴーラが背後をうかがっているのは、頭のスミレを老婆に奪われるないよう警戒しているのだろう。
一行は、曲がりくねった主洞の一本道を進む。ほとんどの兵士が落盤現場にかりだされているとはいえ、ランドは警戒をおこたらない。監獄の使用人と、いつ曲がり角で出くわすかわからないのだ。
ランドは、厨房で手に入れたナイフを握る手に力をこめた。
通路の行きついた先は、半径20メートルほどの円形の洞窟だった。そのはるか60メートル以上の高みにあいた地底の出口まで、ほぼ垂直の縦穴がのびている。洞窟の反対側の壁ぎわには、約2メートル四方の大理石の台座が置かれている。これが〈昇降石盤〉だという。
ランドはその操作方法をジャックに聞いた。
台座の手前のふちに、赤青黄の3個の宝石がはめこまれている。青い宝石をなでると、最大600キロの荷重を積載した〈昇降石盤〉が地上まで上昇する。赤い宝石で降下し、黄色は緊急停止用だという。
ランドはざっと計算して、定員8人と見積もった。岩石の体をもつゴーラは、1人ならなんとか荷重オーバーにならないだろう。
縦穴の片側の岩壁には、鉄のハシゴがそなえつけられていた。そのハシゴは、途中の岩棚を踊り場としてつなぎ、地上まで続いているようだ。〈昇降石盤〉が使用できないときの非常用のものだろう。
ランドはバルゲート監獄に連れて来られたとき、別の縦穴から60メートルものハシゴをえんえん下りてきた。ここにはこんな便利な魔法の昇降機があったのだ。
ランドは、地上の開口部の偵察をチビットにたのんだ。
縦穴のはるかな高みに舞いあがったチビットがほどなく戻ってきた。チビットによれば、岩山にうがたれた空洞に、この縦穴の口はあいているという。そこから地上広場まで通路が続いているらしい。
「穴の口周辺には、いまのところ誰もいないみたい」
ランドは〈昇降石盤〉を試してみることにした。まずはジャックが慣れた様子で石盤に乗った。そのあとにランド、ミシェル老人と続き、老婆がぴょんと飛びのった。ゴーラの岩の足が台座にかかる。
「あんたはだめよ」チビットが引き止めた。
〈昇降石盤〉の台座には充分な空きスペースがある。しかし、4人分の体重にくわえてゴーラが乗れば、間違いなく重量オーバーになる。ゴーラの重さで石盤が動かないならまだしも、60メートルの縦穴を上昇中に墜落したら大変だ。
「上に着いたら、すぐまたこの石盤を地下に戻すよ」
ランドはそう言ってなだめた。
ゴーラが不服そうな表情で台座からしりぞいた。ゴーラの頭にとまったチビットが「いってらっしゃい」と手を振っている。
チビットがついているなら、ゴーラを地底に残しても大丈夫だろう。
ランドは〈昇降石盤〉の台座にかがみこんで、青い宝石をそっとなでてみた。
ぼうっと青い光があふれだし、石盤全体を包みこんだ。ふわりと浮遊感をおぼえ、つぎの瞬間、かなりのスピードで台座が動きだした。縦穴の岩肌を青くそめあげながら、みるみる上昇していく。
縦穴の口までおよそ15秒ほどだった。ランドは、台座が接している岩のふちに降りた。ジャック、ミシェル老人、老婆もそのあとに続いた。
〈昇降石盤〉の青白い光に、ドーム型の天井がおおいかぶさる洞内がうかびあがっている。洞窟の円周にそって、巨大な縦穴がぽっかりと口をあけていた。縦穴口の反対側には、岩を切りだした通路が薄闇にのびている。
石盤の光がしだいに薄れ、あたりは闇にしずんだ。ランドは、台座でぼんやり光を放つ宝石のうち、こんどは赤い石にふれた。
〈昇降石盤〉が赤い光に包まれ、縦穴をいっきに降下していった。
この石盤がゴーラの重量に耐えられなかったら、非常用ハシゴを使用せざるをえない。魔法の昇降装置が作動してくれることをランドは願った。
ほどなく、「うへえええ」ゴーラの声とともに、赤く輝く石盤が上がってきた。ゴーラは重量オーバーにならなかったようだ。
「ランド」チビットが、ゴーラの頭から呼びかけた。「ジャックにかけた〈対人催眠〉の効果はあと15分ほどよ」
「わかった」ランドはジャックに向きなおり、地上広場までの案内をたのんだ。
一行は、チビットの〈魔法の光〉に照らされた通路を進む。自然光の差しこむ岩山の出口まではすぐだった。ランドは、ほぼ一年半ぶりの太陽の光に目をすがめながら、洞口の外をのぞいた。
岩山のそばに厩舎があり、砕いた岩を積んだ二台の荷馬車が並んでいる。その向こうには、高く積まれた鉱物の山があった。30人ほどの作業員がその周囲で働いてる。金をふくむ鉱石を選別しているのだろう。そのあと、有用鉱物を製錬所に運んで、純金を取りだす作業になる。
鉱物の山ごしに、旧ハイランド城がのぞめた。ハイランド王国の城が現在の場所に建設される前は、この地に王城があったとランドは聞いている。その廃城を改築し、いまは監獄幹部の宿舎にあてられていた。
地上広場を挟んだ反対側には、岩山に三方をかこまれた監獄をふさぐ、高さ30メートルの魔法の壁〈バルゲート〉がそびえていた。
ランドは岩山の通路に顔を引っこめた。
岩屑を荷馬車に積んでいるのだから、それをバルゲートの外に捨てるのではないかとランドは推測した。その点をジャックにたずねた。
「週に一回、バルゲートが開きます。そのときに、廃棄鉱物を運び出すんです」
鉱物の捨て場は、囚人墓地の隣にあるという。囚人のなかに死亡者が出た場合、廃棄鉱物の荷馬車とともに、遺体の搬出も行なわれると教わった。
ジャックによれば、バルゲートの開放日は明日だという。
ランドの脳裏に脱出計画が形をなしてきた。その計画のためには、囚人の遺体を収容する専用袋が必要だ。
「きみと、墓堀りのお父さんは、遺体を袋に入れて墓地に埋めているんだよね。その専用袋を2枚ゆずってもらえないかな」
遺体収容袋は、厩舎の隣の倉庫に予備がしまってあるという。
「ランド、あと5分で魔法が切れるわ」
「わかった」ジャックが倉庫を往復するさい誰かに出会っても、脱走囚のことや、ランドの依頼を黙っているよう念をおした。
ジャックが2枚の大きな麻袋を抱えて戻ってきたのは、魔法の持続時間が切れる間際だった。チビットには呪文をかけなおす準備をしてもらっていたが、どうにか間に合ったようだ。
「ありがとう」ランドはジャックの肩に両手をおいた。「いまここで見聞きした出来事は忘れて、お父さんのもとに戻るんだ。いいね」
そう強調してジャックを解放した。チビットによれば、〈対人催眠〉の魔法が切れても、いまかけた暗示は有効だという。
ランドの次の問題は、落盤の被害者の捜索がいつ終わるかだ。その作業が完了するまで脱出計画にかかれない。ランドの予想では、あと数日はかかりそうだ。バルゲートの開放日は明日だという。あるいは、遺体を監獄内にとどめるのを嫌う監獄長官の命令で、バルゲートが臨時に開くかもしれない。それまで、どこかに潜伏している必要があった。
ランドの頭に最初にうかんだのは、岩壁の裏に隠された岩屋だった。いや、あの岩戸は開け閉めに時間がかかり、ずいぶん大きな音をたてる。しかも、閉めてしまえば、なかから開けられないのだ。隠し部屋のある洞内に並んだ柱の蔭に潜んでいようと考えなおした。
ランドが自分の意見を話すと、それがよさそうだと仲間の同意をえた。他に隠れられそうな場所は思いあたらなかった。
ランドの足もとに老婆がしゃがんでいる。この老婆は、自分が監禁されていた洞窟に戻るのを嫌がるだろう。同行したくなければ勝手にすればいい。
ランドの一行は、岩山の通路を縦穴口まで戻った。ゴーラとチビットをいったん残し、ランドとミシェル老人は〈昇降石盤〉に乗った。老婆は向かっている先がわかっていないのか、石盤の台座に乗りこんできた。
地底に着いたランドは〈昇降石盤〉を縦穴の口に上げた。ゴーラとチビットを乗せた台座が下りてきたとき、兵舎に続く通路から複数の足音が聞こえてきた。
洞窟内に身をひそめる場所は見当たらない。石盤に乗って上昇する手もあるが、それでは昇降機の利用に気づかれてしまう。
「チビット。〈不可視〉の魔法だ」ランドはすぐに決断した。
「オーケー」チビットが呪文を唱えだした。
遺体を運んだ2人の兵士が洞窟にあらわれた。〈昇降石盤〉のそばに遺体を下ろしている。その台座で息をひそめているランドたちは見えていないようだ。チビットの魔法は間に合ったらしい。
さらに3組の兵士がやって来て、合わせて4人の遺体が石盤の前に並べられた。いずれもランドの見知ったB班の囚人だった。兵士が通路に引きかえしていった。いまのところ見つかったのは4体のようだ。
捜索作業は思ったより早く進んでいる。大量の岩石にうもれた作業場から、行方不明者を見つけ出すには相当の時間がかかるとランドは予想していた。捜索が迅速に行なわれるにこしたことはない。犠牲者の数はまだ増えるだろう。そう思うと、ランドの気持ちは暗くしずんだ。
ランドは、遺体を搬入する兵士の足音の有無を聞きすまし、仲間をうながして洞窟を出た。〈不可視〉の呪文の効果時間は60分だという。それだけあれば、目的の隠れ家にたどりつくのに充分だ。
ランドの一行は足早に通路を進んだ。曲がりくねった一本道にすれ違える余地はあまりない。相手に見えていなくても、体がふれあって気づかれる恐れがある。兵舎までは誰にも行きあたらずにすんだ。
厨房に立ち寄り、えたいの知れない干し肉のかたまりを遺体収容袋に詰めた。ゴーラには、水の入った瓶を運んでもらった。
だいぶ大荷物になった。〈不可視〉の魔法は、チビットを中心に半径1メートルの対象者を見えなくする。ランドの一行は、効果範囲外にはみださないように体を寄せあって食堂を出た。
兵舎から、隠れ家のある洞窟まで、ランドはいっそう警戒を強めた。足音に耳をすまし、兵士とすれ違わないですむように、退避できる枝道に目をくばった。歩みはおのずと遅くなった。
壁にあいた穴の前まで来た。その向こうから、捜索を続ける兵士の声や、岩石をかきだすシャベルの音がしている。ランドは作業の進捗状況を確かめたかったが、いまはあきらめたほうが良さそうだ。
隠し岩屋のある洞窟には誰もいなかった。一行は岩の柱が立ちならぶ洞内にふみこんだ。ランドは、さっきから老婆の様子がおかしいのが気になっていた。うなだれた顔を白髪で隠し、だぶだぶの白い衣のすそを引きずり、ぺたぺたと歩いている。すっかり元気をなくしていた。
ランドとゴーラは、食料を詰めた麻袋と、飲み水の入った瓶を岩陰に運んだ。その横を老婆がよたよたと歩いていく。岩戸の一枚岩にすがりついて膝をつき、両手で岩肌をひっかく動作をしだした。
岩屋の浴槽を満たしているピンクの液体かとランドは思いあたった。
老婆はそのなかに300年も保存されていた。浴槽のなかでは、くつろいだ様子でいた。あの液体が老婆の生命の源なのかもしれない。
老婆が岩戸の前にうずくまり、痩せた背中を震わせている。
「おばあちゃん」ゴーラが駆け寄った。老婆の上にかがみこんでいる。
ゴーラは、こんなばっちい婆さんと道連れはごめんだとしぶっていたが、おばあちゃん子なのかもしれない。ランドは意外に思った。
老婆のしなびた手が、ゴーラの頭のスミレに伸びてきた。
「うへっ」ゴーラが頭をかばって体を起こすと、老婆がその場に伏してしまった。
見かねたランドは岩壁に近づき、隠されたレバーを操作した。岩戸の開く音がやけに耳につき、ランドは絶えず洞窟の入り口をうかがった。この岩戸は動きだすと、完全に開くまで止まらないのだ。
岩壁にすき間が生じると、老婆がそこによたよたと入りこんでいった。一枚岩の仕かけが開ききり、ランドは岩屋のなかに入った。
ピンクの液体のあふれる浴槽に老婆がつかっていた。細い両腕を浴槽のふちにかけ、大きな目をらんらんと輝かしている。さっきまでの弱りきった様子はかけらもなく、生気にあふれていた。老婆を300年間生かしていたのは、やはりこの液体だったのだとランドは確信した。
妖婆がしわの寄った口もとを左右に開き、けけけ、と笑った。
ランドはいっそこの岩屋に老婆を閉じこめてしまおうと思いついた。さっと身をひるがえすと、岩戸の外のレバーをつかんだ。
ごごご、と鈍い音を響かせて岩壁が閉ざされていく。そのすき間から、白い衣をまとった猿のような小さな体が転がり出てきた。ぴょんと勢いよく立ちあがった老婆の丸い目が、そうはいくかとランドを見上げている。
その視線がランドを越えて、ゴーラの頭の花にとまった。
老婆の目的は、バルゲート監獄からの脱走ではないらしいとランドは考えなおした。あのピンクの液体なしでは、この老婆は生きられないのだ。老婆の狙いは、大地母神のスミレなのかもしれない。どうしてその花に執着するのかはわからないけれど。
*
監獄長官のゲオ・トゥルグが、被害者の捜索が終わったと報告をうけたのは、落盤事故の翌日の明け方だった。トゥルグは兵士を交代させ、一晩中、行方不明者の救助にあたらせていた。
〈昇降石盤〉の前に並べられた遺体をゲオ・トゥルグはながめわたした。兵士長の報告によれば、死亡者は25人、生存者は3人だった。
「落盤事故にあったB班の囚人は29名ではなかったか。1名足りないぞ」
ゲオ・トゥルグは兵士長に問いただした。
「その1名は、岩の体をもつゴーレムでして、長官の〈破砕〉の魔術によって粉ごなに砕けたと思われます。その破片は回収できませんでした」
「2名の監督官の遺体は、この被害者のなかにふくまれていないのか」
「いえ……」と兵士長の返答がしどろもどろになった。
「監督官の亡がらは遺族のもとに届けられる。囚人墓地に埋葬される遺体といっしょに安置しておいてはならんぞ」
ゲオ・トゥルグが一喝すると、兵士長は恐れいって体をこわばらせた。
では、監督官をふくめて、この場に28名の遺体がなければならない。ゴーレムは、あるいは岩屑になっているかもしれない。ならば、行方不明者は2名ではないか。兵士長は計算ができないのか、死者数をごまかしたいのだろう。
ゲオ・トゥルグは、B班の囚人名簿と遺体の照合を兵士長に命じた。
どいつもこいつも無能ばかりだ。ゲオ・トゥルグは大きなため息をつくと、遺体収容所の洞窟をあとにした。
続