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3 墓堀人の少年に催眠術をかける

 ピンクの液体をたたえた花崗岩の浴槽で、猿のような老婆がくつろいでいる。濡れて額にはりついた前髪のあいだから、らんらんと大きな目がのぞく。


「あなたはミゼール公爵の母上ですか」とランドはたずねた。


 老婆が白髪の頭を浴槽のふちにあずけ、口をあんぐり開けて呆けだした。


「ミゼール公爵は、どうしてもあなたと会う必要があると言っていました。その用件とはなんだったんですか。公爵とはなんの話しをしたんですか」


 ――いや、あの水槽ごしでは話しはできなかったとランドは気づいた。ミゼール公爵は一人で語りかけていたのか、老婆の生存をたんに確認したかったのだろう。


 問題の老婆はいぜんとして呆けた表情のまま、ランドの問いかけに答える様子はない。質問を理解しているのだろうかとランドはいぶかった。


「あなたがこの岩屋の水槽に300年間も閉じこめられていたのは本当ですか」


 老婆がやおら体を起こした。おや、とランドは期待する。老婆はくるりと岩壁のほうを向いてしまった。やせた背中がランドを拒絶している。


 だめだ、とランドは首を振り、老婆がつかる浴槽をのぞいてみた。


 水底に深紅の宝石がはめこまれていた。岩壁の割れ目からしたたる湧き水は、その宝石の作用で変色しているのだろうか。この液体には生命を300年も保存する魔力があるのかもしれない。


 ふと、『生きる屍』の冒険を思い出した。ランドの一行は、墓場からよみがえった死体の退治を依頼された。その『生きる屍』は、ハイランド王国が開発していた〈命の球〉が逃げだして生じたものだった。この老婆も、ハイランドのよからぬ実験の産物ではないかとランドは疑ったのだ。


「こんな婆さんなんかここに置いていけばいいじゃない」


 チビットがホバリングしながらむくれている。老婆に体当たりされそうになったのを根にもっているのだろう。


 確かにチビットの言うとおりだ。不可解な老婆に関わっている暇はない。いまはバルゲート監獄からの脱走が最優先だ。


 ふいに老婆が向きなおった。浴槽から身を乗りだし、しなびた腕でチビットを手招きする。ランドはチビットと見交わしあった。


「なんなのよ」チビットが老婆のそばに下りてきた。


 老婆がもう一方の手を差しだした。その指先に、赤茶色の地虫が身をくねらせている。やにわに、それをチビットの顔面に放り投げた。


「どひゃあ」チビットが旋回しながら舞いあがっていく。


 妖婆が浴槽につかり、しわの寄った口もとを左右に広げて、けけけ、と笑った。


 これはだめだ。ランドは老婆との会見をあきらめた。ミシェル老人をうながし、岩戸に出る通路に向かった。


 ざばあっと勢いよく水音があがった。


 老婆が白い衣のすそを持ちあげ、ぴちゃぴちゃと跳ねる足どりでついて来る。ランドを見上げるその目つきから、同伴する気まんまんだとわかる。勝手にすればいいとランドは知らんぷりを決めこんだ。


 岩戸の内側の壁にも、レバーが隠されているのをランドは見つけた。そのハンドルは壊されていて、動かせなくなっていた。この一枚岩が閉じられると、なかからは開けられなくなるのだ。


 ランドはあらためて、この隠し部屋がなんのためのものかといぶかった。


 岩屋の外に出て、岩戸を開閉するレバーを操作した。その稼働音が洞内にやけに大きく響き、看守に気づかれるのではないかとランドは緊張する。


 岩壁の入り口が閉ざされ、一枚岩の岩盤に戻った。ランドが手にした糸巻に、見張りのゴーラから警告の合図はなかった。ランドはひとまず安堵した。レバーの埋めこまれた穴に、小岩のふたをはめなおしておいた。


 ランド、チビット、ミシェル老人は、岩の柱が立ちならんだ洞窟を進み、通路の入り口付近の岩に同化しているゴーラと落ちあった。


「その化け猿みたいな婆さんはなんなんだな」


 半月型の目をみひらいて驚くゴーラに、ランドはいきさつを話した。


 問題の老婆はというと、まん丸の目を見開き、ゴーラの頭に生えた、大地母神(だいちぼしん)のスミレをまじまじと凝視している。


「おいらは嫌なんだな。こんなばっちい婆さんとの道連れはご免なんだな」


 ふいに老婆がゴーラにおどりかかった。ゴーラの頭の白いスミレに両手を伸ばして引っつかもうとする。


「うへえ。むしっちゃだめなんだな。連れて行くから許してほしいんだな」


 ゴーラが頭をかばい、跳びはねる老婆から逃げまわっている。


 ランドはそんな2人を見ながら、あの老婆は口をきかないまでも、ランドとゴーラの会話を理解しているらしいと判断した。


 ランドの一行は、松明の灯っている道順に従い、もと来た道を引きかえした。破られた壁の前まで来て、ランドは足を止めた。抜け穴の向こうをうかがったが、大小の岩石に埋まった採掘場に人の気配はなかった。


 落盤事故がまだ知られていないのか、監獄当局に通報があったとしても、崩落した洞窟内に入れないでいるのだろう。生き埋めになった監督官や囚人の救助が行なわれている様子はなかった。


 いずれにしても、ミゼール公爵たちがこの場所を通ったなら、壁が破壊されていると当局に連絡がいくだろう。この抜け穴から落盤現場に侵入するため、兵士が集まってくるのは時間の問題だ。


 ランドは仲間をうながし、地下通路を足早に進んだ。


 松明の明かりをたよりに通路をたどっていると、多くの慌ただしい足音が遠く聞こえてきた。ランドは、通りすぎたばかりの枝道に一行を導くと、その暗くしずんだ床に身をひそめさせた。


 老婆もおとなしく指示に従っている。この老婆は、手振り身振りで水槽からの脱出方法をランドに知らせていた。ここから抜け出したいのだろう。300年も閉じこめられていたのは真実かもしれないとランドは思いはじめた。


 ほどなく、30人近い革鎧の兵士がツルハシとシャベルをかついで、突き当たりの道を走りぬけていった。いよいよ救助作業が始まる。ランド、ゴーラ、ミシェルの遺体がないと判明するまでには日数がかかるだろう。あるいは、わからずじまいになるかもしれない。いまこそ脱走のチャンスだ。


 ランドは、兵士の足音が遠ざかるのを聞きすまして立ちあがった。


 しばらく歩いて、自然の洞窟を利用して造られた居住区に出た。松明に照らされた人工の通路の両側に、木製のドアが並んでいる。兵舎らしいとランドは見当をつけた。あたりに人の気配はない。監獄の兵士のほとんどが落盤現場の作業にかりだされているようだ。


 ランドは、一番手前の両開きのドアをそっと押してみた。施錠はされていなかった。細く開けたドアからのぞくと、なかは兵士の食堂らしい。


 ランドは空腹をおぼえていた。朝食に、ベーコンと豆の薄いスープと、硬いパンを食べたきりだった。ランドの時間の感覚では、いまは教会の鐘の鳴る午後3時頃だろう。厨房で食材が見つかるはずだ。


「おいらはもう腹ぺこなんだなあ」ゴーラが不平をもらしている。


「あたしもよ。この洞窟に食べられそうなものはなにも生えてないじゃない」


 チビットは害虫さながら、雑草をばりばり食べる。バルゲートの洞内や坑道には、カビやコケ類しか生えていない。いままでは、囚人用の食事をランドがチビットに分け与えていた。


 ランドは食堂にふみいった。三列に並べられた長テーブルには誰もついていなかった。片側の壁の出入り口から厨房に続いているようだ。


 厨房に入ったとたん、獣肉とハーブのまざった臭いが鼻をついた。壁ぎわに大きなかまどと、長い作業台が置かれている。天井からは、えたいの知れない獣の干し肉がいくつもぶら下がっている。左右の壁には食材の棚が並んでいた。


 ランドは食材棚をあさり、黒パンのかたまりや、臭いのきついチーズを見つけた。正体のわからない干し肉も、このさい贅沢は言えない。作業台にあったナイフで切りわけ、やけに塩辛いのを我慢して食べた。のどの渇きは、ボウフラのわいた瓶の水のうわずみでうるおした。


 ランドの隣で、しなびた老婆が干し肉のスライスをもりもり食べている。年齢のわりには食欲旺盛だ。この老婆はいったい何歳なんだろうかとランドはいぶかった。


「あっ」厨房の入り口に15歳くらいの少年が驚いた顔で立っていた。


 ランドは髭面に、すり切れたチュニック、ブリーチズ(半ズボン)とサンダル履きだ。脱走した囚人だと気づいたらしく、少年があわてて食堂に逃げこんだ。


 ランドはすぐにそのあとを追った。長テーブルと壁のあいだを少年がまろびながら走る。大声をあげられたらまずい。速度をあげるランドの横を、チビットが猛スピードで飛行していった。


 両開き扉の前でチビットが追いついた。チビットの体が青白い光を放ち、扉を開けようとしていた少年の手が止まった。しだいに少年の動きが緩慢になり、その表情がとろんとしてきた。


「〈対人催眠(ヒプノティズム)〉よ」チビットが呪文をかけたようだ。


 この魔法は、人間型の生物を催眠状態にさせる。友好的な問いに答えさせたり、害のない命令に従わせたりできるという。


 ランドは、脱走に有用な情報が聞きだせないかと少年に質問をこころみる。


「きみは誰で、ここで何をしようとしていた?」


「ぼくはジャックです」と少年が答えた。「墓堀りの父さんの手伝いをしています。お昼の食事が足りませんでした。兵士が事故現場に集まっているあいだに、厨房につまみ食いに来たんです。ごめんなさい」


 監獄専属の墓堀り人の息子だという。ランドの頭にひらめくものがあった。この監獄で死亡したり、地下迷宮で野垂れ死にした囚人をどうしているのか。


「バルゲート監獄の外に墓地があります。父さんとぼくはそこに死体を埋めています。ゲオ・トゥルグ長官は、監獄内に死体があるのは不衛生だと嫌がるんです」


 囚人の遺体は、1人ずつ専用の袋に入れられて埋葬されるという。つまり死人は、バルゲートの外に出られるのだ。


 ランドはくわしい埋葬手順をジャックに聞いた。


 監獄内で死者が出ると、その遺体は専用袋に収められ、縦穴の真下の洞窟に運ばれる。そこから、魔法の〈昇降石盤(レビテーションボード)〉で、鉱石置き場と製錬所のある地上広場に移動させるという。


「その広場で遺体袋を荷馬車に積み、バルゲートを出て囚人墓地に運搬します」


 ジャックの説明にランドはうなずいた。


 落盤現場では、生き埋めになった監督官と囚人の救助が行なわれているはずだ。死者の数は少なくないだろう。監獄の管理上、囚人の生死を確認する必要もある。長官のゲオ・トゥルグは監獄内に死体があるのを嫌い、バルゲート外の囚人墓地に埋葬させるという。


 ランドの所属するB班の26人の囚人とは、この監獄で1年半を供に過ごしてきた。ミシェル老人をバカにし、しいたげてきた連中ではあるが、そんな仲間を悼む気持ちはある。しかし、このさいは彼らの死を利用させてもらおう。


 ランドはいまえた情報から脱走計画をねりだした。


                  *


 法務長官であり、バルゲート監獄の長官でもある、ゲオ・トゥルグが落盤現場をおとずれたのは、事故発生から3時間後だった。


 ゲオ・トゥルグは、ハイランド最高の魔術師だと言われている。物心ついたころから70年の歳月を魔法の習得に費やしてきた。その評判もそれほど大げさではないとトゥルグは自負していた。


 ゲオ・トゥルグは、通路に開いた抜け穴から落盤現場にふみいった。この穴は落盤とは関係あるまい。どうしてこの壁が破壊されているのか。トゥルグはそう心に疑問を止めおいた。


 〈光の珠〉に照らされた現場では、20数人の兵士が、岩石でふさがれた採掘場の前にたむろしていた。事故から3時間たったいまも、救助作業は手つかずの状態に見えた。ゲオ・トゥルグは内心の苛立ちをおさえこんだ。


「おまえたちは何のためにこの場にいるのだ?」


 監獄長官に気づいた兵士が、ツルハシやシャベルをあわてて持ちなおした。


 ゲオ・トゥルグに落盤事故を報告した兵士によれば、B班の2名の監督官と29名の囚人全員が死亡したという。どうして、そう言いきれるのだ。遺体を発見し、その人数を確認しなければわかるまい。


 兵士のリーダーが、長官の前におずおずと進み出た。


「これだけの岩石に埋もれていれば、生存者のいるはずがありません。この洞窟を彼らの墓所とし、丁重にとむらったらいかがでしょうか」


「たわけ!」ゲオ・トゥルグは野太い声で一喝した。


 こいつらは落盤の撤去作業が面倒なのだ。大小の岩石が重なりあい、巨岩に押しつぶされた洞窟から、被害者を救いだすのがおっくうなのだ。いちいちわしをわずらわせる。老魔術師の苛立ちはつのった。多大な魔力(マナ)を無駄に消費するはめになるが、いたしかたあるまい。


 ゲオ・トゥルグは、岩石のおり重なった山の前に進む。兵士の群れが左右に分かれ、監獄長官に場所をゆずった。


 ゲオ・トゥルグは大きく伸びあがり、両手を左右にかかげた。いにしえの呪文を唱えはじめる。キーンと甲高い音が洞内にこだますにつれ、トゥルグの全身に魔力(マナ)が集まり、紫色の光のうずとなって上昇していく。


 「やっ」と一声発した。


 岩石の山が砕け、細かい破片となって、ザザアと流れ落ちてきた。もうもうと砂煙があがるなか、兵士がいっせいに驚きの声をあげた。


 灰色にそまった視界が晴れると、砂利が平らに広がった事故現場の様子が明らかになった。小石のあいだから、折れた支柱が何本ものぞいている。採掘場の出入り口をふさいでいた落盤も粉々になっていた。


 ゲオ・トゥルグの立っているのは、採掘場の岩壁に、爆発によってうがたれた空洞だった。おおかた、監督官が〈爆砕玉(ブラストボール)〉の仕かけ方を間違え、洞窟の天井を崩壊させたのだろうとトゥルグは結論づけた。


「この採掘場の2名の監督官と29名の囚人が確認できるまで戻るな」


 ゲオ・トゥルグは兵士にそう釘をさして現場をあとにした。



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