1 バルゲート監獄の坑内を走る
布 告
ハイランド国王レオグラン7世と、ミゼール公爵令嬢レオニードとのご婚約が本年9月に成立した。御成婚は来春3月を予定している。国王の恩赦により、囚人の刑罰を一等減じる旨を告げる。
その約1年半後
青白く輝く直径30センチの〈光の珠〉が洞内を照らして飛んでいく。その光のすじを見失うまいと走っているのは、バルゲート監獄の終身懲役囚の集団だ。彼らはこの鉱山で採掘に従事している。
〈光の珠〉は、いくつも枝分かれした通路を迷うことなく飛行する。懲役作業員B班の29人を採掘現場に案内しているのだ。彼らは着古したチュニックに、ブリーチズ(半ズボン)とサンダルを履いているだけだ。
バルゲート監獄は、急峻な岩山と岩山のあいだの裾野にあった。三方を岩壁に阻まれ、開かれた一方には、バルゲートと呼ばれる、高さ30メートル、幅210メートルにおよぶ魔法の壁がそびえている。その中央にある高さ6メートル、幅4メートルの扉がこの監獄の唯一の出入り口だった。
バルゲートを建造したのはハイランド王国最高の魔術師であり、法務長官兼、監獄長官のゲオ・トゥルグだ。バルゲートには強力な対抗魔法がかかっていて、いかなる魔法でも、開錠したり、破壊したり、その上を越えたりできないという。
バルゲートに閉ざされた岩山の地下には、もとはドワーフが迷宮のような通路を掘って居住していた。そこに金の鉱脈があるとわかり、ハイランド軍は武力でドワーフを追い出した。そうして占拠した地を監獄にし、収監された囚人を金の採掘にあたらせているのだ。
〈光の珠〉を追う囚人の列の最後尾をランドは走っていた。ランドの手には糸巻があった。ランドは背後を振りかえる。糸巻から銀色のテグスが暗闇に向かって伸びている。ゴーラが追いついて来れるか心配になった。
ぐっと糸巻に手ごたえを感じ、ランドは足を止めた。90メートルのテグスが出尽くしていた。
この糸巻はチビットがどこからか見つけてきたものだ。テグスの端はゴーラの手首に結ばれている。いつも遅れるゴーラのための道しるべだった。今日はやけに遅いとランドは気をもんだ。
〈光の珠〉に照らされた、囚人の列がしだいに暗闇に飲みこまれていった。
ドワーフの掘り出したトンネルは幅3メートル、高さ2メートルほどだ。これはずんぐりと背の低いドワーフの体形に合わせたものだろう。その迷路のような通路を、〈光の珠〉は駆け足の速度で飛ぶ。
獄舎の洞窟から採掘現場への道順はいつも異なり、行き帰りの道も違う。AからEまである採掘班に割りあてられる現場も定期的に変更される。地下通路の道すじを囚人に覚えられないようにするための、監獄長官ゲオ・トゥルグのはからいではないかとランドは疑っていた。
光を見失った通路に置いてきぼりにされれば、真っ暗闇の迷路でまよい、野垂れ死にするしかない。通路の出口を見つけ、鉱山の外に出られたとしても、岩山の開口部には巨大なバルゲートがそびえているのだ。
バルゲート監獄では、作業時間以外に監視はない。囚人は班ごとに割りあてられた洞窟で寝起きしている。洞内は〈光の珠〉で照明されているが、そこから脱走しようとしても地下迷宮は闇に閉ざされている。四六時ちゅう見張らないですむ、監獄の仕組みになっているのだ。
兵士の詰め所は、A班からE班の洞窟をつなぐ支道の中央あたりにある。食事はそこから運ばれてくる。風呂の時間はないが、地底湖で水浴ができる。やたら冷たいのを我慢すれば、体を清潔に保てるのだ。洞内はひんやりと涼しく、採掘に従事していないと寒いくらいだ。
ようやく、ゴーラの走る地響きが聞こえてきた。暗闇の奥で飛びかう光はチビットが発しているのだろう。
魔法の明かりのなかにゴーラが姿をあらわした。ゴーラは、岩の体と粘土の関節をもつゴーレムだ。逆半月型の目に、つぶれた鼻、愛嬌のある大口をしている。頭に白いスミレの花を咲かせる。
そのごつい背中に、灰色の髪と髭の痩せた60代の老人がすがりついていた。終身懲役囚のミシェルだ。途中で根をあげたミシェルを背負い、ゴーラが遅れをとったのだとランドは合点した。
「ゴーラったら、本当にどんくさいんだわあ」
金色の光をまき散らすチビットが不平をもらす。チビットは身長20センチほどの妖精で、背中の翼でホバリングしている。はねあがった小麦色の短い髪に、つんとした鼻の勝気な表情をしている。
「足手まといになった」とミシェル老人が詫びている。「わしは坑内で行き倒れになったほうがいいんだ。太陽をおがめる機会はもう望めないのだから」
ランドは、この温厚そうな老人がなんの罪で終身懲役に服しているのかと疑問に思ったことがある。バルゲート監獄では、罪状を話題にするのはタブーなので、いまだに聞いていなかった。
「そんなに悲観しなくていいんだな。生きてさえいればなんとかなるんだな」
ゴーラが岩の肩ごしにミシェル老人を励ましている。
ランドはゴーラほど楽観的にはなれなかった。
ランドとゴーラは、ハイランド王国の重臣マーシャル大公を殺害した罪をきせられ死刑の宣告をうけた。イエイツ司祭はその従犯として終身懲役となった。それが、国王の婚約による恩赦で罪一等が減刑され、ランドとゴーラは終身懲役、イエイツは国外追放に変わったのだ。
チビットはゴーラの口のなかにずっと隠れていて、王室裁判にはかけられていない。いまも懸賞金10000ゴールドのお尋ね者のままだった。
バルゲート監獄に収監されて2年目の10月になった。ランドは22歳になっていた。ゲオ・トゥルグ長官による監獄の厳格な管理と、バルゲートに阻まれ、脱獄の機会をえられないでいた。
ランドはお尋ね者として身を隠していたとき、変装のために髭を伸ばしていた。いまでは髭も髪も伸びほうだいになっていた。ゴーラが変装で頭に生やしていた蔓草は枯れてしまい、いまは大地母神から授かった白いスミレが、つんつるてんの頭上に揺れているだけだった。
ランドは採掘なんかしている場合ではなかった。
〈炎の予言〉によれば、妖魔王ベルマルクの復活は来年にせまっていた。そして、そのベルマルクを打ちたおす者――。
『それは、カンタレルの娘、リリアのさずかりし者。その者に13の年月がながれるとき、ベルマルクを倒す力を身につけるでしょう』
リリアの娘アリスはベルマルクを迎えうつため、いまもハイランドの魔術学校で魔法の修行を続けている。アリスが13歳の誕生日をむかえるのも来年なのだ(エピソード1を参照)。
こんな重大な時期に監獄に捕われの身でいるのがランドは歯がゆくて仕方ない。ハイランド王国はベルマルクを倒す気があるのだろうか。そもそも、妖魔王の復活を信じているのだろうかと疑っていた。
いまは、道案内の〈光の球〉に追いつかなければならないとランドは気持ちをあらためた。チビットの〈魔法の光〉も、いつまでも持続しない。暗闇の迷宮に置きざりにされたら、本当に野垂れ死にだ。
ランドは、チビットと、ミシェル老人を背負ったゴーラをうながし、〈光の球〉を見失ったあたりまで進んだ。その角を曲がった先は、漆黒の闇にしずんでいた。
今日の作業場も昨日と同じ場所だと聞いている。すると、〈光の珠〉を追いかけてきた時間から、もうその近くまで来ているはずだ。
「チビット。〈音声移動〉で採掘場の音を探ってみてくれないか」
「オーケー」チビットが呪文を唱えだした。指向性のある魔法の触手がのびて、通路内の音を探査していく。
『今日の落伍者は3人もいるのか。B班はだらしないぞ』
現場監督の声が聞こえてきた。
「こっちよ」チビットが先導し、ランドとゴーラはそのあとに続いた。
いくつかの支道を抜けると、半径15メートルほどの天然の洞窟に出た。その岩壁に横穴が掘られ、両側に支柱が並んだ坑道がのびていた。その奥の明るみから、岩を砕く音がしている。
ランドは坑道の奥の光をたよりに進んだ。ゴーラはミシェル老人を背負ったままで、チビットはゴーラの口の中に隠れている。
通路はしだいに広がり、幅25メートルほどの採掘場に突きあたった。
10メートルの高みに昇った〈光の珠〉が坑内をこうこうと照らすなか、ツルハシを手にした囚人が作業を始めている。その中心に腕を組んで仁王立ちしているのは、鉄兜に革のダブレット、それに長剣で武装した作業監督の2人の兵士だ。1人は40年配で、もう1人は20歳くらいだろう。
監督官のそばには、2メートル四方のトロッコが置かれている。この荷台に鉱石がいっぱいになると、その中身は〈瞬間移動〉の魔法で消えてしまう。地上にある金の精錬場に運ばれているのだろう。監督官もこのトロッコを利用して、坑内と地上とを行き来しているらしかった。
ランドは監督官の目を盗んで、そのトロッコに乗ってみたことがある。囚人と監督官を区別しているらしく、〈瞬間移動〉は機能しなかった。試しに、岩の体をしたゴーラを鉱石の代わりにトロッコに乗せてみた。やはり、採掘場からの脱出はかなわなかった。ゴーラを精錬場に移動できたとしても、その場で兵士に取り押さえられるだけなんだけれど。
監督官の1人がランドたちに気づいた。「なんだおまえら遅いぞ」
岩壁に向かって作業をしていた囚人の視線があつまった。ゴーラにおぶさっているミシェル老人に対する彼らの表情には嘲笑があった。
「そんなおいぼれなんか洞窟に捨ててくればよかったんだ」
囚人の1人が言い、「死にぞこないは放っておけ」「いずれ行き倒れて野垂れ死にするんだ」「新しい囚人を補充してもらったほうが作業が楽になる」と口ぐちに老人をののしりだした。
ゴーラが半月型の目をいからせ、なにか言いたげに口をもごもご動かしている。なかにチビットをふくんでいてしゃべれないのだ。
ゴーラの背中では、ミシェル老人が顔をふせている。
自分では足手まといと自嘲しながらも、囚人の仲間に同じことを言われると、やはり辛いのだろう。ランドは老人の気持ちを察した。
「もういい。作業に戻れ」監督官が命令した。
突き当たりの25メートル幅の岩壁に10人の囚人が等間隔に並び、ツルハシで穴を空けはじめた。この岩の層が金の鉱床になっていた。30センチほどの深さにうがった岩に〈爆砕玉〉をうめこみ、〈爆砕〉の魔法によって粉砕する。砕かれた岩石のなかから、金をふくんだものを採集するのだ。
囚人の手によって、直径20センチほどの〈爆砕玉〉が10か所の穴に仕込まれた。監督官の『ブラスト』の呪文とともに、10個の玉がいっせいに発動する。29人の囚人が坑道の出口につながる通路まで退避した。
肩を寄せあう囚人のなかで、ランドは成りゆきを見守っていた。そのそばでミシェル老人が腰をかがめている。ランドの背後では、しゃがみこんだゴーラが両手で目をおおっている。〈爆砕〉の魔法は、ゴーラの岩の体も粉砕する力があるので、それを恐れているのだ。
「ブラスト!」と年かさの監督官が大声で唱えた。
どん、と轟音がして地面が激しく揺れた。岩石の崩れる音とともに、あがった土煙であたりが見えなくなった。地響きがしだいにおさまってくると、茶色いもやのかかったような視界が開けてきた。
坑道の突き当たりの岩壁が、奥行き10メートルにわたって崩れ落ちていた。その周辺には、砕けた岩石が山積みになっている。
年かさの監督官が進み出た。砕石の山から、拳大の岩の破片を取りあげた。その手のなかで、金色の光の筋がきらめく。囚人のあいだからどよめきがあがった。この鉱床にはかなりの金がふくまれていそうだ。2人の監督官が貪欲な顔つきで見交わしている。彼らの所有物ではないのにとランドはあきれた。
からん、と監督官の足もとに小石が転がった。若い監督官がけげんそうな表情で〈光の珠〉に照らされた天井を見あげる。
そのとき、坑道の片側の支柱が音をたてて折れた。
「落盤だ」ランドは声をあげた。
坑内の天盤と横壁を支える柱がつぎつぎに折れまがっていく。落下する岩石のかたまりが音をたてて足もとを揺らす。あわてふためいた囚人が先をあらそい、坑道の出口に向かって逃げだした。
つぎの瞬間、巨大な岩石がランドの近くに落ち、足もとの岩盤が揺れ動いた。その岩石におりかさなった岩とのあいだに空間を見つけた。
「ゴーラ、あの隙間に逃げこむんだ」
ランドはミシェル老人の腕をつかみ、落下した岩と岩のあいだに生じた、幅およそ40センチ、高さ1メートルもない三角形の間隙に滑りこんだ。そのあとに続いて、四つん這いになったゴーラが飛びこんできた。
ランドは、暗闇に閉ざされた岩の隙間で体を縮めた。ふりそそぐ岩石が頭上で跳ねて音をたて、岩床を打って振動させる。がらがらと大音声が轟きわたり、採掘場の天井がついに崩落したらしいとわかった。
しばらく続いた地響きと揺れがようやくおさまってきた。ひとまず命だけは助かったようだ。ランドは安心していなかった。この崩落現場から抜けださなければならない。まずは状況を確認しよう。
ぽっと金色の明かりが灯った。ゴーラの口からチビットが這い出していた。その魔法の光が、かがみこんだゴーラとミシェル老人の不安そうな顔を照らしている。ランドも似たような表情をしているのだろう。
「チビット、岩に閉じこめられた様子を知りたいんだ」
ランドはチビットの光りをたよりに、ゴーラのいる側から四つ足で這い進んだ。すぐに岩石の山に進路を阻まれた。少し体を起こすと、積み重なった岩の天井が崩れそうになり、慌てて体を下げた。
膝が金属にふれた。チビットの光に照らしだされたのはツルハシだった。ランドはそれを手に、もといた岩のあいだの避難所に戻った。
ランドはツルハシをゴーラにあずけ、こんどは反対側に向かう。こちら側には大きな岩のかたまりが重なりあっていて、かなり狭い空間が続いていた。ほどなく、砕けた岩の山に手がふれた。
つかんだ岩のかけらに金色の筋がある。〈爆砕玉〉で粉砕した鉱床にたどりついたのだとわかった。ランドは砕石の山をかきわけながらさらに進んだ。ふいに視界が開けて広い空間に出た。
ランドは慎重に立ちあがった。
舞いあがったチビットが照らす天井は3メートル近くある。そこは間口5メートル、幅10メートルほどの空洞になっていた。〈爆砕玉〉で岩壁を崩してできた空間だとランドは気づいた。背後の採掘場の側は落盤でふさがれていた。坑内に閉じこめられている状況に変わりなかった。
ランドはふと、奥の岩壁の隙間からもれる光の筋に気づいた。この壁の向こうに抜けられるかもしれない。ランドは急いで引きかえした。
ゴーラとミシェル老人を伴い、金の鉱床のある洞穴に戻ってきた。ランドはゴーラと交代でツルハシをふるい、光りのもれる穴を広げにかかった。支柱のない洞内では、さらなる落盤が発生する危険がある。ランドは、チビットが照らす天井に気をくばりながら作業を続けた。
ゴーラのツルハシの一撃で岩壁が突き抜けた。しゃがんでくぐれるほどの穴が空いている。ランドはその隙間をくぐり抜けて、光源のなかに踏みこんだ。
そこは岩を切りだして作った通路だった。幅3メートル、高さ2メートルほどの通路の壁に、燃えあがる松明がかかっている。ドワーフが掘ったトンネルの側面をぶち抜いたらしいとランドは推測した。
続